【次回の「話す温泉♨いい茶だな」】

 毎度ご来湯ありがとうございます。
 次回「話す温泉♨いい茶だな」は、5月の中頃(もう5月の中旬だ・・・)あたりでしょうか、(たぶん6月になりますな)
 84(はちよん)さんにて開催予定です。
 みなさまに楽しんでいただけるお遊びも企み中。
 決まりましたらまたお知らせいたしますので、お楽しみに。


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2012年5月17日 (木)

茶海はなぜ海なのか

 4月から、中国茶を人様にお教えするということになったスナリであります。

 その、第一回目の教室では「道具を知りましょう」というテーマでお話をした。

 かつて、いろんな「先生」方がわたしに教えてくださったように、中国茶の「ちゅ」の字も知らなかった自分がどういう順番で「へー!」と思ったか思い出しながら、カリキュラムを組んだ。

 まずは何事もかたちから入るタイプなので、道具にはまったよね。

 中国茶の道具は、まるでままごとのように可愛い。小さい茶杯、実用的とは思えない急須、何に使うのかわからない道具がいろいろ。
 そういう可愛い道具を所有して愛でる喜びは、お茶愛の中でもかなりのウエイトを占める部分ではなかろうか。

 しかし実を言うと当初、極彩色の桃や金魚が描かれていたりする、いわゆる中国茶器にはそんなに興味が持てなかった。なにもそこまで中華風味じゃなくてもいいじゃないかと。

 そんな時、「魅力発見 中国茶」(文化出版局編)という本に出会いウロコが何枚か落ちた。

 のびのびと、自由な道具組。中国茶専用茶器にとわられず、西洋のアンティークのもの、日本の煎茶道具、古いもの、新しいもの、ただただ美しく取り合わせてあった。
 そしてその扉を開くと
 「中国茶を楽しむ人が増え、教室もあちこちにできました。
  でもルールにとらわれすぎて、気楽に楽しめないのはつまらない。
  指の曲げ方は、手の角度は、茶葉は何グラム、抽出時間は・・・・
  日本の茶道もそうですが、喫茶の本質は遊び。
  まじめに学ぶだけじゃなく、遊び心で
  もっともっとお茶を楽しみましょう。・・・」
 とあった。
 しびれた。ずっぷりはまった。

 それから古道具屋さんで埃まみれの皿を指でこすりこすり見つけたり、お小遣いでちょろちょろ楽しく集めた茶道具たちが、今も現役で湯気を立てている。

 そういう道楽話はさておき、まずは基本を押さえて、と。
 中国茶を淹れるのに使う道具の名前を紹介することにする。
 日頃あんまり見たことのないものもありますしね。
 レジュメを作りながら次々と疑問がわいてくる。
 当然知ってると思っていたが、案外「なんで?」と思うことがたくさんあってびっくりする。

 「茶海(ちゃかい)」というものがある。

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 これがその「茶海」。「公道杯」とも言う。
 別に専用のものでなくても、ミルクピッチャーでも、片口でも用が足りる。

 何に使うかというと、茶壺(チャフー、急須のことですね)から茶をまずここに一旦全部注いでしまう。それから各々の茶杯に注ぐと濃さが均一になる。
 とされているが、別に茶杯をぐるぐる巡るように注げば濃さは均一になるので使わなくてはいけないものでもない。
 ただ、茶杯が小さいので、茶壺に対して2人だけとか独りでという場合茶壺に茶が残るとまずい。注ぎきっておきたい。あるいは大人数の茶会で小さい茶壺の1煎目と2煎目をブレンドして提供するときなどとっても便利、というもの。

 それが、「茶海」というものだと納得していた。

 ・・・なんで「海」?

 その他の道具に、「茶船(ちゃふね)」というものもある。

 茶壺を載せる皿や水盤で、茶壺を温めるために上からかける湯を受けるもの。

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 ちょっと小さいですけどこういう感じ。

 海より船の方が大きいんですよ。 なんで?

 どうして「海」という名がついたのか。

 結局調べ当たらなかった。


 先日の煎茶のお稽古のとき、師匠にその話をした。

 「どうしてかしらねー。茶の湯では一椀の中に宇宙があるって考えるから、あの器の中に海をつかまえたって例えたのかしらね。」

 そういえば茶の湯の道具に「大海」というのもありますね。平べったくて口の広い茶入れで、口が狭いのを「中海」というのだそうです。

 おお、海を手中に! で、注ぎ分けちゃうのね。
 いいですねぇ。

 そして、生命の起源である海を飲み干しちゃう。

 「茶は長寿の友」
 という言葉が浮かぶ。 これぞ養生。

 きっと正解というか、定説があるんだろう。知らないだけで。

 でも正しいことなんかあんまりどっちでもいいや。

 黄金色の小さな海を注ぎわけたら、茶杯に満月が浮かぶ。
 手の中の月を眺めて、異界から漂う香りに胸を一杯にして
 そういう無辺大のくだらない話をしながら
 身心を潤す茶が飲めたらそれでいいと思う。
 
 


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2012年4月24日 (火)

NHKカルチャーセンターで中国茶講座、はじめます

 実はこの4月から、広島のNHKカルチャーセンターにて中国茶の先生をすることと相成りました。

 昨年、とある方から「寺本さーん、中国茶の先生せん?」とお声掛けいただきました。
 某先生から「とにかくすべての依頼は引き受けること」とクギをさされておりましたので、やらせていただきますと即答し、推薦していただき開講となったのでした。

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 先生か・・・

 「話す温泉♨いい茶だな」では、温泉茶家元として勝手気ままに茶を振る舞って遊んでおりますが、一体何をお教えすればよいのか・・・
 

 思い起こせば今から十数年前、旨いものに目がない友人が台湾土産のお茶を淹れてくれました。

「・・・なんなんだこのお茶は・・・!?」

 それは凍頂烏龍茶だったと思います。水色(すいしょく)は澄んだ黄緑色なのに、花のような香りと濃厚な旨味が飲んだ瞬間にわーっと広がりました。

 烏龍茶は茶色くて苦いものと思っていたのに、目から鱗がぼろぼろおちて、その香りにくらくらと虜になり、茶馬鹿の類が茶馬鹿の友を呼んで、なんかもう、アホな茶飲みにのめり込んでいきました。

 「中国茶アドバイザーの試験受けない?」と先生に誘われ、ペーパーテストの勉強や、ブラインドでのテイスティングなんか熱心にやったなぁ。
 茶藝の実技のためのチャイナ服着たまんま新幹線乗り遅れそうになって東京駅を疾走したり、「うわぁアゲハの幼虫の匂いがする!」などというむちゃくちゃな表現力を鍛え上げたのだった。

 そのときから今まで、製法や淹れ方、飲み方や楽しみ方を教えてくれたいろんな「先生」に出会いいろいろ教わりました。
 めちゃ飲みのあの時代、今から思うとちょっとないずいぶんいい茶をいろいろ飲ませてもらったんだなあと思います。
 その当時のハードな茶飲み友達は今でも半端ない茶飲み馬鹿(褒め言葉)で、先日久しぶりに集まったら都合8種類のお茶を飲んでいた。1種類につきもったいないからたいがい10煎は淹れるので、何回蓋椀を振ったことか。平気な顔で次々杯をからにしていく様子はほんまアッパレ、
 って話がそれましたが、そうやって「教わってきた」日々を思い返します。
 それはなんといっても、楽しい日々でした。

 
 まあ、私より中国茶に詳しい人、技能が勝る人、センスの良い人はゴマンとおられるわけです。
 ですがご縁をいただいて教室を持たせていただいた。
 やるからには、
 なんか偉そうにスゴそうにするのではなくて

 「はー・・・おいしいわ〜〜」

 みたいな教室にしたいと思っています。

 推薦してくださった方も、
 「→そうよね。そこそこ。変な話、というかホントのところ、寺本さん推薦のカギもそこなわけ。いれ方だけ教える窮屈な教室はどうでもええ、と思うんよ。
 金曜はしっかり楽しんできて下され。寺本さんが楽しまないと生徒さんも楽しめないからね。」

 と声をかけてくださった。ありがたい。
 
 楽しんでやりますよー。うまーいとめろめろにさせますよー。

 毎月第3金曜のお茶の時間から夕方まで。
 ご興味あればぜひ、一緒にお茶しましょう。


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2012年4月19日 (木)

気が利いてる

 ふらっと寄ったお店での立ち話にて。

 だんな様のお仕事について行ったら、おつかい頼まれたのだそうだ。
 撮影の現場で

 「テグスがいるよね・・・」

 ということになったそうだ。
 
 「えーっと、それは・・・百均にある!いってきます、って買いに走って」

 無事テグスをゲットして戻ったのだそうだ。

 そこまではまあ、誰でもできる。

 「しかも、太さ違いで3種類、それぞれ二本ずつ」
 買ってったんだそうだ。

 これが、できそうでできない。

 1を聞いて、10思う。

 撮影アシスタントのご経験はないのではなかろうかと思うのだが、
 ご夫婦だからというのは割り引いた上でも
 やっぱり気が利いておられるな
 と思ったのだった。

 そういう気が利く方は、なにをやってもたいがいうまいと思う。
 

 お仕事は、「いかに気が利くか」でできている。
 
 ・・・いや、日常生活のほとんどすべてがそうだとも言える。

 気が利かないと、命を落としかねない。おおげさではなく、そういう時代に生きている。

 そういうのは、どうやって鍛えればいいのだろうか。
 「持って産まれたもの」というのは簡単だけど、
 きっとどっかで育って、育ててきたもののはずだ。

 それにしても
 そういう、「気が利く人」の気が利く話は、
 聞くだけでも爽やかにしてくれる。

 実利以上のご利益がある、そういう人は自他ともしあわせだと思う。

 
 

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2012年4月17日 (火)

絵の前で「話す温泉♨」

 中内共路さん個展「夜間逃避行」GALLERY SORAにて
 4月16日(月)13:00〜 夕暮れまで 「話す温泉♨」茶を淹れさせていただきました。

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 この後ろ姿(左)が中内さん。

 ギャラリーで、絵の前で、茶を淹れさせていただくのは初めてでした。

 中内さんの、個展案内絵はがきをじっと眺めて、イメージを膨らませます。


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 この絵はがきの彼女を見ながら、いろんなことを想いました。

 いつかの自分みたいだな
 ここにもうあるのに、どこにもないと思っていた
 たぶん誰の中にもこんな彼女がいるんだろうな

 少女というのは無垢で、一途で、かたくなで、残酷で
 一瞬で過ぎて行ってしまう季節だから刹那くて
 その真中にいる時は早く過ぎてしまえばいいのにと息を殺しているのに
 なくしたとたん、なつかしくまぶしい。

 そんなお茶を淹れたい。


 今回ご用意したお茶は二種類。
 「安渓鉄観音 感徳特級」
 「岩茶 夜来香」

 安渓鉄観音はとても青々しくて爽やかで華やかな味香り。

 そこに用意したお菓子は、ピエール・エルメのパート・ド・フリュイ(果汁のゼリー)「イスパハン」。
 薔薇とライチとフランボワーズがぎゅっと濃縮したゼリー。

 このゼリーは小さいけれどひとくちで頬張ると大変なことになるくらい濃厚。
 そこにかーんとぬけるような鉄観音の香りが高音域に重奏。
 それはもうくらっくら。


 その次は岩茶。夜と名のつく茶。

 「・・・ほうじ茶みたい」

 そう、先にお出ししたネコパンチみたいな強烈な味覚体験のあとでは、岩茶は大変地味である。
 焙煎の高さがほうじ茶を思わせる。

 でも、2煎、3煎と飲み進むと、
 あら?
 甘い?
 ああ
 いい香り


 若さを失い、年を取るということは、地味なことかもしれない。
 シミもシワも増えるのに、脳のシワは溶けていく。
 たるみ、ゆるみ、衰えて行く。

 でもそれは、成熟でもある。
 煎を重ねると喉が甘く香り、火照り、体中に気が巡る。

 切り立った赤い岩肌に、張り付くようにして生えている岩茶の、
 厳しい自然に耐えて迎えた芽吹きに満ちた力。

 そういう年の取り方をしたい。そう願って。


 たくさんご来場いただきありがとうございました。
 十分おくつろぎ入湯いただけましたでしょうか。
 美しい絵の前でお茶を淹れる、贅沢な経験をさせていただきました。
 ありがとうございました。

 中国茶と言えば、チャイナ服着て、二胡の音色が流れ・・・というイメージがあると思います。
 素っ気ないしつらいを見て、拍子抜けされたかもしれません。

 まあ、屋号も“素也 スナリ”ですからね。

 わたしはお茶が好きで、そのお茶がどこで採れたか、どう作られたか、それによってどう味と香りが違うのかに興味がありますが、それがたまたま中国だったり台湾だったり日本だったりたまに印度だったりするわけで、「中国茶」というジャンルが好きなわけではありません。

 もちろん、その茶が飲まれてきた背景には歴史があったり、風俗が育ててきたりしてるわけですから、国や地域の違いや文化を知ることは大事だし楽しいです。

 チャイナ服着るのも楽しいんですけどね。
 たまに浴衣着るみたいな感覚でね。

 でも、自らカテゴリーの枠にはまって行くのはいやなんです。

 テレビで育ったわたしたちは、「わかりやすいものに瞬時に反応する」ように訓練されてきました。 はい今笑うところ!これすごいでしょ!ここで泣くところ!
 グルメリポーターは頬張って3秒で「あま〜い」か「とけてなくなった〜」と言います。
 でも、ほんとはそんなに簡単なものばかりじゃない。
 対面して、なんと言っていいかわからないこともある。
 なんなんだこれは、と考え込んでしまうこともある。

 絵だって、「どう?」と聞かれると即答しないと悪いような気がする、本当は1ヶ月後にやけに印象に残ってたんだなと思うかもしれないのに、そんな話もしました。

 お茶だって、飲んで「・・・おいし〜い」と言わなくていいです。
 どう?とはお尋ねしません。
 
 わからないものを、わかったふりせず、わからないまま向き合う時間もお茶の時間。


 などと思いめぐらす今の時間は「夜間逃避行」。

 中内さんの個展、4月22日(日)まで開催されています。ぜひご覧ください。
 
 

 
 

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2012年4月10日 (火)

「テラ空カンvol.2」

 インターネット寺院「彼岸寺」というのをご存知でしょうか。
 何年か前に知って、なにこれかっこいいと思っていろいろ拝見してまして、その中の「禅僧の台所」という、精進料理の作り方などを連載している記事の筆者が広島の方だと知って、へーと思っていた。

 話は変わるが、肉体を鍛えるなら筋トレなんだけど、心はどうやって鍛えりゃいいのかとここ数年考えていた。(いや筋トレもしてないんですけど)
 で、合氣道の呼吸法の本を読んでみたり、「彼岸寺」で座禅アプリ「雲堂UNDO」などをダウンロードして、なんだか座ってみたりした。

 それでどうなのか。うん、よくわからないけど、やらないよりはいいと思う。

 そうこうしてたら、「彼岸寺」さんからメルマガでお知らせが届いた。
 「禅僧の台所」の筆者の方が、寺でイベントをやるらしい。
 その名も「テラ空カンvol.2」
 ヨガ教室+精進料理の教室 とあった。

 ヨガ!
 やったことないけど、深い呼吸をするんだと聞いていたので興味があった。
 教室に行くほどでないけど、体験してみたかった。
 おまけに精進料理がいただけるー。即申し込んだ。

 開催が近づき、ばたばたと参加費を振込んでメールをいただき、当日の持参物を見ると
 「ヨガマット」とある。
 なに、キッチンマットじゃだめなの?
 続けてやるかどうかわからないし、どんなものがいいのかもわからないし、いきなり買うのもなぁ、と思ったが、教えてくださる先生にキッチンマットじゃあまりに失礼だと思い直し、開催日の朝東急ハンズに駆け込んで購入。
 買ってよかった。あれないとグリップがきかないんですね。

 会場は「毛利元就ゆかりのお寺 曹洞宗八屋山普門寺」

 ここは、父がまだ生きてた頃、母と3人でたまたま通りがかったお寺だ。
 そこの枝垂れ桜がちょうど満開で、あまりの見事さにおじゃまし、父が母とわたしの写真を撮った。


 あのときと同じ桜が、今を盛りに咲き誇っていた。


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 あー
 お父さん、今年も桜が綺麗だよ。

 見とれていると、ヨガマットを肩からかけた女性が2人、地図とこっちを見比べている。
 会釈して、一緒に会場へ。
 まだ新しいその会場は、玄関を開けると正面に韋駄天様がおられ、右に美しい厨房(典座寮というのだそうだ)、その奥に座敷が続く。

 「あ、いらっしゃいませ、奥でお待ちください」と、爽やかに出迎えられたのがこちらの副住職さんの吉村昇洋さん。

 奥の座敷に座り、参加者がそろうのを待つ。座敷の雪見障子から、外の桜がよく見える。
 桜につられていろんな方が来られ、ケータイやカメラ片手に桜を見上げている。
 
 参加者がそろったところで本堂に移動。
 お灯明を灯し、香を焚いてガイダンス。

 「今このとき、一挙手一投足が修行だと考えます」
 「考えていることより、やることを重視します」
 などという言葉に頷く。そうだよなぁ。

 そして読経。経本を手に一緒に読経。

 ヨガの加藤貴昭先生もこれまた爽やかな方で、超からだの固いおばさんがいろいろポーズをとるところを想像すると急に申し訳なくなる。

 「今日は初心者の方も多いようですので、軽いものをやってみましょう」
 とはじまった。

 まずは座って呼吸を整える。本尊に向かってヨガ。あんまりないシチュエーションだと思う。

 「手をゆっくりと上にあげてー・・・ 太陽に挨拶をしましょう・・・・ゆっくりと手をおろしてー・・・・」

 先生の読経のようなおだやかなリードをうっとり聞きながら、しかしこれほどまでに固かったのかわたしのからだよ。ぎしぎしいう身体をまげたりのばしたりひねったり。

 これって軽いのか?と思いながらなんとかついていった。
 が、普段意識しない自分の身体のあちこちの感じを感じるってのは、なんとも気持ちがよいことであった。

 終了後、
 「ほんとはこの桜を見ながらやろうかとも思ったのですが」

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 おおーー。
 花冷えの空気がさーっとはいってきた。


 さて、腹ぺこです。座敷に移動。

 まだかなまだかなー。
 「お待たせしましたー」

 わーい!
 八寸、鉢、椀ものと次々運ばれてくる。来場者歓声。腹へりMAX。

 しかし精進というとこう、味噌やらなんやらで彩りのないものをイメージしていたが、どこのイタリアンかと思うほどの鮮やかな品々が並んだ。

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 いただきますの前に、精進料理の食事作法を習う。
 「器や箸を手に取るときには、合掌一礼し、必ず両手であつかいます」
 なるほど。
 「咀嚼するときには、箸は手に持ったままにせず、汁碗の上に箸先を手前に向けて置きます」
 箸をもったままモグモグしちゃだめなんですね。
 「最後にお漬け物とお茶で器を清めますので、沢庵を一切れ残しておいてくださいね」
 これは茶の湯の懐石も同じ作法がありますね。
 禅宗の作法が茶の湯の茶事にも現れているんですねぇ。

 箸袋に書いてある「五観の偈」をみなで読み、「いただきます」。

 「まず最初の5分はお話せず、お料理に向かいあって召し上がってみてください」

 ということでさっそくいただく。
 腹ぺこなのでがつがついきたいとこだが、口に運んだら箸を汁碗に預けなくてはモグモグできない。
 箸をとりあげる、椀をもつ、ほおばる、箸を置く、モグモグモグ、箸をとりあげる、、、、
 なんとももどかしい。

 食べることも重要な修行だと聞いた。
 つぎからつぎに口に放り込んではわからないものだなあと、1つ1つの料理の手間と命をおもいながら「いただきます」とはこういうことなんだなあと思った。

 しばらくして、和気あいあいと話しながらの食事。

 「この蕗味噌田楽おいしいー」
 「この黄色いのはなにかしら」
 「・・・畳のにおいがしますよ」
 「・・・わかる・・・なんだろう?」(かぼちゃの粉でした)
 
 いやぁ、どれもこれもほんとに美味しかったです。野菜が甘い、やさしい、美しいお料理でした。

 「ではいよいよお茶をお持ちしますので」

 まず飯椀にお茶を注いでいただく。それを碗に、鉢に、沢庵でなでて洗いながらうつしていく。汁碗まで清めて、それを飲む。

 ・・・マリネとか豆乳とか渾然と一体になったのを飲むのに若干抵抗があったが、やっぱりやさしい味わいで決してまずいものではなかった。

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 ほらぴかぴか。

 禅宗のお坊さんは応量器と呼ばれる入れ子状になった塗りのお椀で食事をするのだが、そうやって清めて洗わないんだそうだ。
 普段の食事でも、そうやってぴかぴかにすれば洗う水だって無駄がない。作った人、片付ける人のことを思っての振る舞いなんですね。

 一堂満腹満足。
 あとはお料理について各々吉村さんに質問して教えていただく。

 「彼岸寺」を見て下関から駆けつけた方が熱心にたずねられたおかげで、いろんなことを教えていただいた。
 永平寺で2年2ヶ月された修行のお話も興味深くおもしろかった。

 玄関あけたらなぜ韋駄天?の謎もわかった。お坊さんにとってあたりまえのことも、あまりに知らないから聞いたらびっくりして面白い。
 で、茶の世界だとか、法事での作法だとか、あれやこれやがいろいろ「なるほどー」と結びついてつながって納得する。
 
 引き続きお茶をすすりながら、あっちの座卓ではヨガの加藤先生を囲み、こっちの座卓では吉村先生を囲み、あれこれ話に花が咲く。

 普段法事や葬式でお目にかかるお坊さんと、ゆっくり話す機会あんまりないですもんね。
 おもしろかったなぁ。

 「せっかくだから、写真撮りましょう!」


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 桜の下で、名残惜しみながら写真を撮り、解散したのでした。

 4月中に精進料理の料理教室も開かれるそうです。
 今後ヨガの教室も月に一度くらいやる予定、ともおっしゃってました。
 ヨガも精進料理もいいなぁ!

 なんせ場所が、この「テラ空カン」がよかった。
 ありがとうございました。


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2012年4月 7日 (土)

中内共路さん個展「夜間逃避行」 にて話す温泉開催

 次回の「話す温泉♨いい茶だな」は、ギャラリーで開催いたします。

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 中内共路さん個展「夜間逃避行」 にて
 
 4月16日(月)13:00〜 夕暮れまでやってる予定です。いつでもふらっとお越しくださいね。予約などいりません。

 場所:GALLERY SORA

 お茶、お菓子付き 700円
 (売り上げは東日本大震災の義捐金とさせていただきます)

 いよいよ開催がせまってきました。




 今年は桜がおそかったですね。
 このブログをアップしている今夜は満月で、桜も満開です。

 桜の花の下で杯を酌み交わすのは、
 美しい花を愛でるためなわけですが、
 たった数日の花を咲かせるための1年という、
 時間を想うためのような気がします。

 ギャラリーにかけられた、中内さんの絵の前でお茶を淹れます。

 静かな佇まいの、詩のような絵画。

 そこに、作家の重ねた時間を想いながらいただく茶。

 しみじみ旨い茶を淹れさせていただきたいと思っています。


 「夜間逃避行」をイメージして、少しずつ準備を整えています。
 お茶は、中国と、台湾のお茶を。
 お菓子も、美しいものをご用意いたします。

 平日の昼間ですが、諸事のすきまにちょっと
 逃避行しにいらしてくださいませ。

 絵の数々と、お茶の香りが、
 どこか遠くへお連れいたしますから。


 お待ちしています。






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2012年3月31日 (土)

なんで

 朝新聞をめくっていたときのこと。
 我が家は某C国新聞を購読している。
 年度末はほれ、なんかカラーの全面広告が多いのね。景気がわるいってほんとうですかなどと思いながらぼんやりめくっていると、なんか不思議なものが目に入った。

 これ。

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 キャンペーンロゴの入った細長タオルを、おしゃれスーツのべっぴんさんが、キャビンアテンダントのように首にまいていた。

 こういうタオルって、ほら、「yazawa」とかさ、その流儀をよく知らないのでアレだが、恍惚と吹き出る汗をそれでぬぐい、会場一体となって一斉に回したり投げ上げたり、帰りの電車で湯気が出そうなそれを肩にかけたまま帰ったりする類いのものですよね。
 
 こう、すました盛装の女性が美しく結んでるその写真にすごい違和感を感じた。へんなの。

 その次に読み取ったのは、その人たちがいわゆる、「いのちのサポーター」の方々だということ。
 なんか見たことがあるようなのだが、知ってる人もいるけど、よく知らない人もいる。
 意欲があって新聞広告に知事と並んで出るほどの方々だから、そういうサポーターになれるんだろう、がんばってください。

 で、次のページをめくったのだった。


 しかし、その違和感がなんとなくくすぶってたのでもう一回新聞をひらいて見てみた。

 それは広島県からのお知らせで、心の不調を感じている人に気付き、傾聴し、見守りましょうという啓発広告だった。
 写真に写る人々は、広島県内で活躍しているパーソナリティで、「ひろしまいのちのサポーター」となって県内の様々な地域で自殺防止を訴える活動を行われてきたんだそうだ。へー。
 
 座談会の記事を読めば、ひとごとじゃないし、もし自分の身の回りにそういう人がいたときにどう接すればよいか、精神科のお医者さんなどのアドバイスものっていた。

 とっても大事な内容だった。

 なのに、「キャビンアテンダント巻き」のせいで、へんなの、と思ってしまった。

 でも、知事と写真撮りますからって言われたら、きちんと盛装していくよね。
 ほんで「これ首に巻いてください」ってタオル渡されたら、スーツに合うように巻くよね。
 しかたないよね。
 誰か「タオルなんで、みなさん、肩に軽くかける感じで」とか、言ってあげたらよかったのに。


 伝えたいことは、いかに伝わらないか。

 こんな超ささいなことで、制作者の盲点で、「へんなの」で終わらされたらいろいろ浮かばれまへん。

 と思ったのだった。
 






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2012年3月 8日 (木)

サイエンスカフェ前夜

 正確には明後日にせまった、広大理学研究科サイエンスカフェ。

 今回、極小から極大まで、「大きさ」に注目して6人の異分野の科学者がリレーで話をする。
 素粒子から原子、分子、水、植物、地球、太陽、宇宙・・・
 それを2時間で旅する。
 くらっくら。

 その何回目かにして最終の打ち合わせにて。
 そう、当日再現されない打ち合わせこぼれ話の中に、もうキラッキラの面白い話がいっぱいころがるんですよ。打ち合わせというより夢中で話して長くなる。
 この調子でずーっと話を聞いときたい。
 夏場に、「サイエンスカフェマラソン」あるいは「サイエンスカフェ合宿」って感じで、寺かどっかでノンストップでやりたいくらいだ。ぜったいおもろい。

 そんなお宝無駄話のなかにこんなのがあった。

「それにしても、全宇宙のたった4%しか解明されてないなんて、それがわかる前の科学者は、あともうちょっとで全部わかる!と思ってたのにがっかりでしょうねぇ」と言うと、

 「原子を見つけただけで世界の謎がとける!と思ってた時代から、科学なんてそれの繰り返しですよ。」と。
 
 なるほどねぇ。科学の進歩ってのは、「わからない」領域をひろげる歴史だったんだなぁ。

 こんな話もでた。
 ある科学者に注目のトピックで講演をたのんだら、「わからないからしゃべれない」ときっぱり断られたんだそうだ。

 「わからないから、おもしろいと思うか、わからないから、興味がないか、分かれますよね」と。

 それってとってもとっても大事なポイントだと思う。

 知らないんだということを知らなければ、案外知ってると思えて快適だし満足だ。
 自分はぜんぜん知らなかったんだ!とわかることはある意味残酷で、
 知っていたと思っていた地平が永遠とも思えるほど遠のく。

 でも、その距離を知覚できなければ、永遠にそのままだ。
 そのままでいることは、たぶんゆるやかな死だと思う。
 痛みと引き換えに知り得たその「距離」だけが、
 そこにたどりつくための機動力になるような気がする。

 広島大学が掲げる「学問は、最高の遊びである。」を指差して
 「ハテナは、最高のよろこびである!」とT先生が言った。

 今回のサイエンスカフェオールスターズの先生方はみんなそうだと思う。
 自分の研究分野以外は実は暗いと白状しながらも、ほかの先生の話に触発されて疑問はむくむく広がり新しい知見を得ようと興味の触手をぎゅぎゅ〜んとのばすのだ。

 どうかサイエンスカフェで、そういう先生方の「最高のよろこび」のいちぶぶんをのぞいて見ていただきたい。

 まだ自分でも知らない、新鮮な「スコープ」を獲得できると思うよ!


 

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2012年2月 8日 (水)

身体感覚をとりもどせ

 ウクレレを買った。

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 弦楽器をさわったのははじめてだ。

 じつは前から、ギターを弾いてみたかったんだ。
 楽器屋さんを横目で眺めたりしたけど、アコースティックギターも案外高いのね。
 買ったところで弾けないし、習いにいくのもなぁ、と月日は過ぎた。

 斉藤和義が、震災後に出したアルバム「45STONS」に、「ギター」という曲があった。
 その歌詞は、こうだ。

 「 淋しいときには ギターを弾こうよ 下手でもいいから 願いをこめて
   悔しい涙も 虚しい怒りも 冷たい嘘も 忘れてしまうから

   大人にだって 晴れた夜を 子どもにもっと まぶしい扉を・・・」

 一生のうちで「ギター」というタイトルの曲はおそらく1曲しか作れない。
 どんなに強い思いが込められているか。
 
 (ちなみに斉藤氏は自分のギターをオークションで売って、被災地の学校にギターを贈る準備をしているそうです。)

 この曲を聴いて、ああ、いいんだ、と思った。
 プロじゃなくても、プロを目指さなくても、下手でも、弾いていいんだと。

 なんか、大人になる過程でいろんな事をあきらめて人に任せてきたんだなあと思う。

 歌う事も、プロになれないんだしとやめた。
 歌うのはせいぜいカラオケか車の中か風呂の中。
 楽器を弾くのも、うまい人が弾くのを聞くばっかしだ。
 試合も見るばっかし。
 映画も見るばっかし。
 本も読むばっかし。
 食べてばっかし。
 飲んでばっかし。
 寝てばっかし。

 オートマチックに、「与えられたもの」でたのしむ。それも楽しい。でも・・・

 とりもどさなきゃ、自分の手に、と強く思った。
 
 自分の感覚と向き合って相談しながら、うまくいったりいかなかったり、
 手や身体をもっと使って自分でやることを取り戻したい。

 そう思っていたところに、「Puu」さんで「カフェのウクレレ教室」があるのを知った。
 当日思い切って電話して息子と参加した。

 最近テレビゲームの味をしめてしまった息子にも、なんかそういう、うまくいかないもどかしい身体感覚を味あわせたかった。

 午後の部はなんと親子2人だけで、先生にマンツーマンで教えていただいた。なんという贅沢。
 はじめて触るウクレレ。
 4弦で、ギターは6弦だというのもはじめて知った。
 でも、押さえて、はじくと、きれいな音が鳴った!
 こう押さえると、和音が鳴った!
 それをつなげるとなんとなく曲になった!

 なんて楽しいんだ〜〜〜〜!

 息子ほったらかしで、かーちゃんが必死だった。

 その帰り道、楽器屋さんに直行してウクレレを買ったのだ。
 チューナーとビギナー向け教習本とソフトケースつけて2万円くらいだった。

 帰って息子ととりあいながら弾いた。息子が案外めきめきうまくなるんだこれが。

 空洞の楽器を抱いて鳴らすと、おなかのあたりにやさしい振動がつたわる。
 耳で聞き身体で聞き、指で聞く。
 これはCDじゃわからないことだよね。

 世の中はそういうことばっかしなんだろうと思う。

 知ったつもりになって、なんにもわかっていないことだらけだ。

 かたっぱしから取り戻すつもりでいる。
 欲も業も深い。
 でもこれが生きてるってことだと思う。


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2012年1月19日 (木)

今年一発目は書き初め茶!

Kakizomecha


 話す温泉♨いい茶だな、またやりますよー。

 場所はいつもお世話になっております、84はちよん さんにて。心地いいんですここ。いい湯が沸きます。

 今回は、なんと「書き初め茶」。
 84さんが書き初めセットを取り寄せてくださいました。
 これがまた、味のあーる素敵なかわいいヤツでして。

 墨をね、こう、硯に向かって擦るわけです。
 墨独特の香りがします。黒々と。
 そこにこう、茶の香りもただようわけです。
 あたりは静寂。きこえるのは釜の煮え立つ松風のみ。

 茶杯からうまーい茶をすすって、ふうっと息をついて、
 一気呵成に書き上げるわけですよ。


 平清盛!


 とか。

 うそうそ。

 そんな大げさなもんでもございません。
 なんだかんだと話ながら、茶を飲みながら、
 しゅるしゅる、気軽に、タテでもヨコでも丸書いてちょんでも、
 自由自在に筆を走らせる楽しさを、みんなで味わいましょう。
 
 お茶はなにを淹れようかしら。
 お煎茶お点前で一煎さしあげてー、あともう1種類か2種類、中国か台湾のお茶を淹れましょう。
 書き初めにふさわしい茶、考えときます。

 あ、お茶菓子はこれがもう、書き初めを体現したかのようなお菓子を84さんがご用意してくださいました。さすがー。

 ああたのしみ。
 当日お目にかかるの楽しみにしておりますねー。


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2012年1月16日 (月)

I'm FREE

 新しい年がはじまりました。今年もよろしくお願いいたします。

 正月、実家で兄に会ったときに「これ、借りてたの。大掃除してたら出てきまして」とCDを返してもらった。 

 斉藤和義「Because」

 1997年のアルバムですよ。
 ないなぁと思っていたらこんなところにあったのか。どんだけ昔の地層から発掘されたのか。

 ともかく、このアルバムは「歌うたいのバラッド」だとか「月影」だとか、今でもライブで歌われるのを望まれる名曲が入っている。
 彼自身がプロデュースもアレンジもギターもドラムもベースも演奏して作った「ジレンマ」の次作。
 ひさびさに車で聴いてみた。

 「I Wanna be Free! 
  自由になりたい 
  くだらない事はもう忘れて
  自由になりたい
  ノートもワープロもとっぱらって
  ・・・・」

 一曲目「ジユウ ニ ナリタイ」
 「生きていくことなど 死ぬまでの暇つぶし」と疾走する。

 1997年、当時26歳。ほんとに自由になりたかった。
 メルパルクホールのライブも行った。
 「ジユウニナリタイ!」とコブシをつきあげて一緒に叫んだ。

 いったい何から自由になりたかったのだろう。

 当時の自分のことはもうよく覚えていない。
 それから結婚し、仕事を変わり、子どもを産み、14年経って今に至る。

 大音量で聴きながら、当時のにおいを思い出しながら、
 ああ、わたしは今やっと自由だと思った。

 自由ってなんだ?
 子どもがいるし仕事があるし家の事もあるからなかなか自由に動けない。
 でも、そういうものがない自由ならいらない。
 そういうものがない自分はいらない。

 いろんなものを、だっこしたりおんぶしたり、ひきずったりほおりだしたり、
 それでもなんとかよっこらせな日々
 そういう今を、わたしは自由だと思う。
 これはわたしが望んで、選んで、獲得した自由だ。

 自由ならば、もっと自在になりたいと思う。
 もっと自分の歌をうたいたい。腹の底からあふれるままに。
 もっと自在になりたい。
 そのためには、一見自由ではない状況でしか得られないものが必要だと
 今だからわかる。
 そこから逃げたいばっかりのあの頃には、わからなくて、逃したものばかりだ。

 どうかもっと、自由自在に、応えられる知恵が欲しい。
 今年はもっと、楽しい勉強をしますよ!

 I'm FREE! I'm FREE! I'm FREE!

 
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2011年12月 2日 (金)

それでもどうしても

 うちは地方紙の「中国新聞」を購読している。
 先日、折り込みチラシに妙なものがはさまっていた。
 それがこれ。
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 なんだこれ、マウスパッド? ああ、マグネットか。
 息子になんか絵描いて貼らせて切り抜いて遊ばせよう、と思いとっておいた。
 使いでのある面積だ。

 翌日、
 「「虐待防止シート」配布 市42万枚 使い方照会相次ぐ」
 という記事が載った。
 そこには
 「制作費用は42万枚で1900万円」
 「どうやって使うのかとの問い合わせが相次ぎ、中には『税金の無駄使い』との声もあった」 
 「市こども・家庭支援課は『説明書きを添えるなどの配慮に欠けた。普段から虐待への関心を持ってもらおうと家庭で長く使えるマグネットシートにした』と説明している。」
 とあった。

 1900万て・・・
 ・・・思わずツイッターに「・・・泣きたくなる。」とつぶやいてアップしたら、いろんなリプライがかえってきた。

 「職場でも話題になってて、こんなん折り込みで入れられても邪魔過ぎって。水周り系の広告マグネットも邪魔じゃけど、更にデカイし、って。で、この経費かよ!」
 「ぐはっ。「虐待してそうな家庭の玄関や車に貼ってくれ」いうことなんかねー、とヨメと話してました。」
 「40万枚の何枚がお金をかけた意図の通り使われるのでしょうね。」

 フェイスブックのほうにも
 「わが家は夫婦でマウスパッドと間違えていた(笑)冷蔵庫に貼れ、ということなんですかね。何のためにどう使うのかもさっぱりわからないし、人を困らせるだけで終わり、になりそうな気配。」
 「これ、写真広告バージョンが前日の新聞に載ってました。作った方には申し訳ありませんが、すごーくハンパ・チュートな出来でビツクリした翌日のマウスパッドドーン。」


  それぞれ、「なんじゃこら?」と思われたんでしょうな。思わぬ反響。

 
 こういう、「啓蒙キャンペーン」と呼ばれるものの多くは「競合プレゼン」であると聞く。
 広島広告業界の外角低めアウトコースに位置するスナリにすらお声がかかるくらい(断ったけど)、その競合に参加する会社がわーっしょいとひしめいていて、10数社プレ、というのも日常茶飯事と聞く。

 で、お声がかかったデザイナーさんやコピーライターさんは、その競合に勝ち抜くべく、知恵を絞ってプレゼンツールを作るのだ。
 プレゼンツールつったって、決まれば即入稿できる完成品のクオリティで作る。
 作るデザイナーさんの様子をはたで見ていても、一球入魂、全力で考えている。それは痛々しいほどだ。

 しかし、あっさり決まらなかったりする。
 微々たるプレゼンフィーでごまかされて終わる。
 徒労というほかなんと言ったらよいのか。

 先日プレゼンされる立場を経験した。
 民主主義的に採点され集計される。
 すると「それで目的通りの成果が果たせるか」というクオリティじゃないとこで選ばれたりする。安心感とか、おまけの魅力とか、けったいなとこが得票をのばし、不思議な結果となるのを目の当たりにしたのだった。

 だから、世の中はむつかしい。
 選ぶほうもよかれと思って選んだのだ。
 選ばれたほうは小躍りしただろう。苦労が報われたと。
 みんなそれぞれ忙しく、がんばっていて、悪意はないのだ。

 そしてできあがったマグネットシートが朝刊に折り込まれる。

 ・・・・。

 虐待をなくそう、防ごうということで1900万円の(いやTVCMや新聞広告なんかもあるからもっとだ)予算確保されることはいいことだと思う。
 未然に防げるものなら、どんなにお金かけて広告したっていい。

 だけど、あらためてマグネットシートをしみじみと見て、かなしくなった。

 関心も興味もない人に、ああそうだね、とか、そうしようと思わせるのがどんなに至難の業か、
 見てもらえず、知られもしない、それでも言いたい、伝えたい、わかってほしい、だから、どう言えばいいのかな、どういう声色で話せば振り向いてくれるのかな、そんなこと、ちーーーっとも思ってない人が、これを作っているからだ。

 脳みそから血がしたたるほど考えてるデザイナーさんやコピーライターさんや、分厚い企画書を描いてる担当者や、そういう人たちの無念を思ってくやしい。

 そんで、
 虐待されて、死にそうな目にあってる子の
 したくもないのに子供を殴っちゃって、死にそうにつらい親の
 泣き叫ぶ声を昼に夜に聞いて心配だけどどうしたらいいのかわからない人の
 そういう思いを思うと、こんなマグネットシートで解決できると思われている、
 担当窓口の薄情さがくやしい。

 わたしは、そんなことを思って泣きそうでした。


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2011年11月10日 (木)

F先生のノート

 先日の、「ランチタイムチャット・寄りんsci屋」でのこと。

 そのランチタイムチャットとは、広島大学理学研究科の理学融合教育研究センターが主催する毎週火曜のイベント。昼飯時にとある1室をオープンにし、先生、事務、学生入り乱れ、用意された美味しいものをつまみつつ、わいわいおしゃべりするミーティングなのだ。(詳しくは過去エントリー参照)

 広大理学部には、生物科学、数理分子生命理学、化学、数学、物理科学、地球惑星システム学という6つの専攻がある。その専攻の垣根を越えてざっくばらんに話をするところから、理学融合研究につなげようという試み。1年前にT先生が「そういう開かれた場があったらいいなぁ」と話されていたことが実現し、毎週大盛況なんだそうだ。Hさんの用意してくださるごはんが毎回グレードアップしてて非常に旨い。これもみんなを引き寄せる大きな魅力でしょうね。

 で、今回は「ランチタイムセミナー」が開催された。
 飲みながら食べながら、研究の話を伺うカジュアルな会と聞いて伺った。
 スピーカーはF先生。論文がNature掲載に至るまでの軌跡をお話しされた。

 そもそも、なんでその研究をすることになったのか。
 話は10数年前にさかのぼる。
 画面に映し出されたのは、手書きのノートの1ページだった。

 「これ、1999年○月○日のノートなんですけどね、ここに書いてるんです。分析すべきものと、“これに命懸ける!” って。」

 その後、だーれも手を付けなかったその謎を解くために、試行錯誤、紆余曲折、その経緯をその時々のノートのメモとともに教えてくださった。

 会場はもぐもぐしながらも話に引きつけられ、真剣に聞いたり爆笑したり。とってもおもしろいセミナーだった。研究裏話って、究極のドラマが詰まってるなぁ。嘘みたいなドキュメンタリー。

 さて終了後、旨い豚汁をすすりながらF先生と立ち話。

 話に出なかったもうちょっと裏話などいろいろ伺う。
 で、机に数冊のノートがあるのを発見。
 「誰か見たい言うかなぁ思って持って来たんやけど」

 見せてください!

 そのノートはA4サイズの無地で、表からは研究についてのアイデア、裏からは事務的案件についてのアイデアを書いていく。中程で出会ったら新しいノートへ。年に2、3冊ずつ増えて、今では通し番号No.47、47冊目となっている。
 なんでもお父様がエンジニアで、特許案件のアイデアなどをずーっとノートに書き留めていたそうで、「仕事は違うけど、アイデアを練るのは一緒だからお前もノートを作ったらいい」と教えられて始めたのだそうだ。

 「2回ほど落として、名前書いてないのにこれF先生のでしょって戻って来たことがあって。なんでわかったんやろ、名前書いてないのに、頭の中のぞかれてる感じでめっちゃ恥ずかしかった。」

 そう、そのノートはまさにF先生の頭の中そのものだった。

 すべて書き留める。記録を取る。まずは日付、どういう経緯で誰とどこで話したか。そういうシチュエーションもまず書く。
 たとえば誰かの論文発表を聞いて、その内容を書き留めつつ、浮かんだ疑問を「?」マーク付きで横に書く。その後質問して解決したことは矢印をのばして書いておく。あとで調べたことも書き足しておく。そして、自分ならこうするのに、これはああ使えるんちゃうか、と思いついたこともすかさず書いておく。
 しっかりした筆致の文章と、思考を追いかけるようにさまよう線と、図形と、とにかく頭の中の動きをすべて記録していった、十数年分のノートなのだった。

 「自分ではこうやと思い込んでたことも、ノートめくって確かめてみたら違ってたりして。」

 

 なんというか、「考える」ってことをしみじみ思った。

 先生はセミナーの最後にこう言われていた。
 「学生の人にもこれは伝えたいんですけど、とにかく、自分がこうや!と思ったことをあきらめないで、追い続けてほしいと思います。それがたとえ競争に負けたり、あかんかったりしても、あきらめるんじゃなくて、違うアプローチで、2回3回ひねったらどうなるやろとか、とにかく続けてほしい。」
 そう、先生も“命を懸ける!”と10数年前に書いたことを、とうとう結実させた。その言葉には説得力があった。

 でも、「こうや!」と思ったことをずーーーっとあきらめないでいて、あたためて、考え続けるって実は相当難しいんじゃないかと思う。
 「こうや!」と確信し輝いていたことが、いとも簡単に輝きを失って、あの確信はなんだったのかなと、すぐに心が揺らいでしまうからだ。

 しかし、「こうや!」と考えたときのこと、確信に至った経緯を記録していたら。
 人は忘れっぽい。昨日の晩飯のことも昼には忘れてる。だから書いて残しとくべきなのだ。
 晩飯のことを書き残すのもいいが、「こうや!」の瞬間は確実にスケッチしておくべきだ。
 それがどんなに、後日の自分を励ましたり思い直させたりするか。

 じつはそこを怠っているのが自分なのだ。

 ノートは何冊もある。
 仕事の打ち合わせだったり、インタビューメモだったり、たまに浮かんだいい考えもあるけど、よそで拾った誰かのいい言葉だったり、たまに滅滅とこぼしてみたり、愚痴泣き言・・・
 ・・・読み返すに値するか?

 クライアントごとに進行案件は違うし、ノートを分けたりしていたんだけど、
 「それじゃプロジェクトを横断するひらめきのようなものが生まれないんだよね。」

 ということで、その日から手元のノートに考えをスケッチするように書き始めた。すぐやる課。

 浮かんでは消え浮かんでは消え、ああこれほどまでに浮かんだ考えを消していたのかとびっくりした。

 エンジニアでも研究者でもないけど、考えるべきは「伝わるってどういうことか」「美しいものはなにか」「心をうごかすものはなにか」「人をあたためるものはなにか」その周辺なので、日々淡々とスケッチしていこうと思う。ちょっと未来の自分への手紙のように。

 

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2011年10月22日 (土)

余情残心

 このたび「茶花」を習い始めました。

 先日お茶の稽古で「花寄せ」をした。
 床にいろんなかたちの花入れ(花器ね)が並べてあり、各自順繰りに花台に盛ってある草花から花を選び、決めた花入れに向かい入れて戻る。

 と書くと簡単だが、見るとやるとではじぇんじぇん違った。

 あの花入れにしようとめどをつけ、花の前に行くとさて、どの花が似合うのか、何種類入れるのか、長いぞ、からまっとるぞ、どないしよ、
 とばさばさ迷っていると
 「花が痛みます」
 とおこられた。
 えいやと決めて持って行くが高さがおかしい。似合わない。バランスおかしい。

 これほどできないとは思わなかった・・・情けなさすぎる・・・

 他の組のお稽古では、若い人が多くて、ひょいひょいと生けた花が、
 「これが素直に入りましてね、とってもよかったんです。わたしなんかには思いもつかない花を選んで、でも、よかったんですねぇ」と先生も感心しておられた。

 無心の勝利。ビギナーズラック。

 わたしもビギナーズなんだが無心が汚れちまってた。

 上手く入れようというヤラシイ心で曇ってた。ああ・・・

 もう初心に戻れないとしたら、あとは鍛錬して技と見る目を磨き、無心を取り戻すしかないのではないか。

 ということで、「茶花」入門に至った。

 さて初日。
 このトシでルールもマナーも不案内な場所にお邪魔するのはモジモジしますね。

 持参した花入れは実家から借りて来た銅蟲」。

 「ああ、これは・・・“行”の花にしましょう。」

 茶花にはそのフォーマル度に「真」「行」「草」がある。
 この時期は「名残の花」
 風炉の時期もそろそろ終わり、草花もお仕舞いとなる。
 来月11月は開炉で木のものを使う。
 だから、ちょっと枯れたり色づいたりしたいろんな秋の草を、何種かわさっと使うのだそうだ。
 それは籠などに生けて「草」の花。

 用意された花は、すすき、あわこがねぎく、ほととぎす、りんどう、われもこう。

 しかしわたしの花入れは「行」をいけるので、「根締め」のりんどうと「あしらい」のほととぎすのみ使用。

 「ほととぎすもね、こんなシャンデリアみたいなつぼみは落としましょうね」
 先生迷いなく花に鋏を入れる。
 りんどうも中程からぱっつん。
 「あらーーー・・・」
 「初めての方は花がかわいそうっておっしゃるのよね」「はいー・・・」
 「葉っぱは奇数ね。この花も落としましょう。」

 ほぼ先生作。それがこちら。

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 先輩が「スーパーモデルのような花が入ったわね」とおっしゃった。


それにしても、ばんばん花を落としていくのが衝撃だった。

 最後に各自自分の入れた花について発表し先生に講評していただく。

 「それにしても、こうやって美しさをつくり込んでいくんだなあと驚きました。」

 と言うと、

 「つくるんじゃないんですよ、思いを込めるんです。」と。

 花は野に咲くように、と利休さんも言っていたが、野に咲いているそのままを生けても美しくはない。野に咲いている時の生命の輝きを、床にどう再現させるか。花の美しいところをどう生かすのか。

 「そういうきりつめた美しさを求めて、心をこめて花に向かうのです。」

 なるほど・・・・

 無心にはほど遠い気がしました・・・

 先輩諸姉は「まあその葉がうつくしいわね」「そうなのこれが活かしたくて・・・」
 「うつくしいものを見てると時を忘れるわね。」

 うつくしいものを、ちゃんと見ないとなぁ。

 ということで自宅には、使わず持ち帰った花が、もったいなくて枝も花も落とさないまま花瓶にわさーっと入って秋の終わりを告げております。



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