2016年3月 4日 (金)

「昔はよかった」の正体/斉藤和義「風の果てまで」広島2016.2.27

斉藤和義が好きだ。もうずっとだ。
人生の半分くらいを彼の音楽にのせて生きてきた。

数年前からヒット曲がちゃんと売れて、「斉藤和義?だれ?」と言われなくなった。
TVCMでもよく耳にした。


最新のアルバム「風の果てまで」はつい最近まで買いそびれていた。
けど、やっと買って
車の中で爆音で聴いた。

ロサンゼルスレコーディング、ドラムはチャーリー・ドレイトン、ほかにもゴージャスなサポートメンバーがいて、ああ、お金がかけられて、やりたいようにできたアルバムなんだなと思った。

ドラムもベースもぜんぶ自分、というのより、上手な人と組んだ時の喜びを謳歌してるんだと思った。
だから、よかったなあと思ったし、音もいいし、いい曲もたくさんあって、どっぷり世界につかった。


そして、広島のライブに行った。

終わって、
なんだかアンケートにいろいろ書かなくては気が済まなかった。
それはこういうことだ

>もっと「俺のギターを聴け!」という感じがみたかった。
>うしろの、うたの世界を規定するような映像はじゃまだ。

10年来いっしょにライブを見てきたもんちゃんとも、なんだかなぁと言いながら飲んだ。

しかし

「せっちゃん最高!」って書いて帰ればよかったじゃない、
精一杯の演奏に小姑みたいにうるさく言うのは失礼じゃない、
そんなふうなことを言える資格がおまえにあるのかよ、

あれからずいぶんたつのに苦しい。

いったい、私はどうしてあんなふうに思ったんだろう。


だいたい、始まって2曲目か3曲目で汗が滝のように流れ出して、湯だったようになるのに、
今回はずいぶん経つまで皮のライダースを脱がなかった。
アンコールでTシャツになった時も、腕は白いままだった。

今までとギターの分担がちがうように思った。
斉藤くんのギターがあんまり鳴って来なかった。

そりゃあ、全国津々浦々 60回以上もライブが延々と続いていくスケジュールだ。
移動したり空いたり、旅がずっと続いていく。
それは相当ハードだ。疲れが蓄積していくにちがいない。

アンコールで舞台に戻ってきて「はー・・・疲れた」とつい口にした。
それは本当にそうだろうと思う。

だから
総量の分担を変えたのだ。
映像を多用し、真壁くんのギターに自由を増やし、盛り上がるギミックをいれて・・・

それ今まで全部斉藤くんひとりがやろうとしていたような気がする。
もちろんライブではぜんぶ一人で演奏できないから、ドラムもベースもギターもいるんだけど、
声も音も気持ちも一人で全部のつもりの鬼気感があった。

体力とやりたいこと
求められているし、全国くまなくのお客さんのところでライブを見せたい。
来てもらったひとにはみんなに満足して楽しんでもらいたい。
60数公演、ブレなくクオリティを保ちたい。
そう考えてスタッフ達と練り上げて作り出したライブだったのだと思う。

だから、手を抜いたライブだったとはぜんぜん思わない。

前に見てたライブを思い出してしまう。
明日のことなんか考えないような、倒れるんじゃないかというほど汗を飛び散らせて
涙ぐんだり、感極まって客席をぐるっと走ったり
生きてる!
と叫んでるような夜だった。見てるわたしもそうだった。


新陳代謝も落ちてきた。
体より先に頭が決めるようになってきた。
要望をよく理解し叶える実力とテクニックも身につけた。
ただ、ばかみたいに、全部クソ食らえと叫ぶような
若さはもうなくなっていくのだ。

それは、見ている私が。

体力にまかせて、認められない悔しさに血をたぎらせて
なにかに復讐するかのようにいどみかかった
若さの季節はもう過ぎたのだ。

それを見せられたような気がしたんだ。


誰だって年をとる
「昔はよかった」と老人は言う。
それはこういうことなのかと、わかってしまった初老の春。

くやしいなぁ
もっと素っ裸で叫び回るような
稚拙な
だけどものすごい原初のエネルギーをほとばしらせるような
そういうものが見たかったし
そう、ありたかった。
老人だって、体は年老いても
心はそうあり続けることができると
思っていたかったんだけど・・・・

妙に物分かりの良くなってきた自分に、なんかイライラして書きなぐってしまってすみませんでした。


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2015年7月 1日 (水)

最後の夏だ

 7月朔日
 今年はじめての蝉の声を聞いた。

 あー
 夏がいよいよ始まるんだな。

 息子小学生最後の夏。
 「かーちゅわーん」と甘えてきて一緒に並んで歩ける(ほぼ)最後の夏なんだな。

 保育園から小学生になったころは、仕事で忙しくて
 ろくな仕事でもなかったのに忙殺されて
 ちゃんとかまってやれなかった。

 夏休み、留守家庭子ども会に毎日通わせるのと、毎日お弁当がいるのに参って、ある年から一緒に過ごせるようにした。

 仕事もいろいろ手放した。
 さっぱりしたけど収入も減った。

 昼飯は毎日麺類のローテーションで
 そーめん冷麺そーめんそーめん
 
 うんざりするほど長い夏休み

 8歳の夏休みはもう二度とない
 9歳の夏休みももう戻らない
 10歳の夏休みはあったはずなのによく覚えていない
 さて今年11歳の夏休み
 親と過ごす(きっと)最後の夏なんだろう。

 長いようで、気がついたら秋になってるんだろうな。
 人生って
 猛スピードで過ぎ去っていく。

 今日の日も、二度とない。

 そう考えたら、涙でてきた。


 幼稚園帰りの親子連れが立ち話してる。
 ちっちゃくてだっこできた頃ははるかかなた。
 
 じゃあ、今の息子との日々もはるかかなたと思い出す日が来るわけで
 今を抱きしめて離したくないけど
 するりと脇をすり抜けて季節はすぎていくのです。

 今日学校から帰ってきたら
 できるだけ笑って話をしよう。
 がみがみ言うまい。
 ねちねち責めるのはやめたい。

 やつの将来を期待して、やつのためだと思うからこその
 ガミガミやネチネチなんだが
 そんな思い出はいらん
 笑って愛しい時間を過ごしていたなと思いたい。
 後悔したくない。

 自分の中で作り上げた、ほんで他所の子と比べてでっちあげた
 りっぱな小学生像を押し付けるのはやめよう。

 いまはやつはまだほんとに子供で、幼くて、甘えてて
 だからいろいろ何事も本気になれていないけど
 きっと
 パーンと手を振りほどいて
 後ろも見ずにどっかに行ってしまう。

 だからいまは、心配しないで楽しくしていたい。

 と言い聞かす。
 なみだでる。

 よその優秀なおかあさんみたいにきちんとしてやれなくてごめん。
 それをおまえのせいにしてごめん。

 こんな母だし家庭だから
 どうしてもアウトローな暮らしになりますし
 それがいいのかどうなのか
 自分のことじゃないから判断つかないんだけど
 仕方がないので
 せめて笑って仲良く、うまいものを食べて暮らそう。

 もうしばらく、そうしよう。
 今年の夏は、うんと一緒にいたい。

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2014年11月30日 (日)

今をよくするには

斉藤和義ライブに行ってきた。
@ブルーライブ広島 海のそばのライブ会場。

整理券番号がすでに579とかだったので戦意喪失、1階の後ろのほうで見た。
あんまり見えなかった。

9枚目のアルバム「NOWHERE LAND」からの曲ばっかりやった。
「お腹壊して入院したりして、このアルバムのツアーやってなかったから」
ちょうど12年も前の時期だ。

ドラマーがチャーリー・ドレイトンだから、というのもあるけど、
なんか、成仏してない思いを晴らしたかったかのようだ。

いい曲がいっぱいあって、聴きたかった曲があって、よかった。

「歌うたいのバラッドだけじゃないんだぜ、裏斉藤和義というか、こっちがむしろほんとうの斉藤和義で」と言っていた。

ギターが歌っていた。すごい気持ちよく歌っていた。

アンコールで新曲をやった。タイトルはよく聞こえなかった。

これが、よくなかった。
聞いたことがあるような曲だった。歌詞も、聞かなければ良かった。

そのあと、奥田民生がゲストでベースを弾いていて盛り上がりに盛り上がり、
「幸福な朝食 退屈な夕食」に突入。
クオリティの高さに鳥肌がたった。

新曲のつまんなさが際立った。


すごくヒットして、いっぱい露出して、タイアップ曲もいっぱい書いて
「昔の方がよかった」なんていうのは簡単だ。
それでも斉藤くんの今が最新だから、新しいアルバムが常にベストアルバムだと思ってきた。
わたしだけの斉藤君が、売れてしまってつまんないというファン心理もわかる。
だけど、ご本人は、変わっていきつつも気にせず、ひょうひょうと
斉藤和義がおもしろいと思うものを、大人の手段で表現していると思ってきた。

だけど

あの新曲は、聞きたくなかったな。

汗だくになって、会場は盛り上がって、熱気に包まれて、大成功
のようなライブだった。

にこにこと、手をふりながらステージをおりた。

ほんとうは、本人がいちばんわかっていてつらいのではないか。


今夜は奥田民生と飲みにいくんであろう。楽しいお酒になるんだろう。

斉藤くんには、死ぬまでギターを弾いててほしい。
ナツメロだけでなく、できれば、そのときの曲が「いいなー」と思うものであってほしい。

言うだけは簡単だからな。
斉藤くん、しんどいのかな。心配です。

これからよくなるには
今をよくするには
「昔の曲はよかった」と言わせないためには

どうしたらいいんでしょうね。

それはつまり、私たちにもおなじことが言える。

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2014年6月29日 (日)

セクハラやぎ

 都議会での「セクハラやじ」が物議をかもしている。

 ヤジった人もやじられた人にも興味がない。

 ただ、なんとなくいやな感じで見ている。


 このくらいのいやな言葉を投げつけられたことのない人は、いないんじゃないか。
 もちろん、公の場であんなことをヤジるなんて人として品がない。ぜんぜんだめ。

 でも、ヤジった人をつるしあげて断罪してもすっきりしない。


 今まで、いろんなことを言われた。笑顔で言われた。
 笑顔で言われるもんだから、引きつりながら笑顔であいまいにかわした。

 よく覚えているのは

 「さすが、やっぱり女性は子宮でものを考えるから」というのがあった。

 たまげた。頭悪いんか。考え事は脳みそがするんじゃろ。

 でも言った人は、どっちかというとリスペクト的な意味で、褒め言葉として使っているようだった。
 うれしくない。
 むしろムカッとした。

 じゃああなたは◎◎◎◎でものを考えるんですね、どうりでいっつもぶーらぶら、と
 言ってやりゃあよかったわ、とあとで考えた。
 でもとっさに言わなくてよかった。自分も品がなくなるとこだった。

 これは男女間にあることだけじゃない。

 女同士でも男同士でもあること。

 独身か既婚か 子どもがいるかいないか 一人っ子か兄弟がいるか

 立場が違うとわからない。わからないから無邪気に無神経に言葉をなげつけて平気でいられる。相手が傷ついてることにも気がつかない。
 これは困ったことだ。

 ふつう、こうなのに、なんであなたはふつうじゃないの?

 あなたのふつうと、わたしのふつうは ちょっとちがうんです。

 ちがうけど、敵じゃない。分かり合えないわけじゃない。そう思いたいけど。
 心ないヤジみたいな言葉が胸を刺す。

 ある日、なんかの雑誌でこんな記事を読んだ。

 生理用品の個包装パッケージに、初めて花柄を印刷することを思いついたのは男性社員だった。
 商品企画チームの男性が、「こういうのがかわいいんじゃないですかね」と提案しても、チームの女性たちは「意味がない」「どうせ捨てるものを」「生理もないのに分かるわけがない」と散々だったそうだ。
 でも、蓋を開けると大ヒット。

 女性の心理は女性にしかわからないわけじゃない。

 これを読んでさっぱりした。

 想像力

 どんなにひどい言葉も、ヤギみたいに食べてしまえばいい。
 さっきのお返事なんだったっけと、とぼけてまた手紙を出せばいい。

 戦ったり悲しんだりしないで、
 だけど想像力があればそういうのも越えられると
 顔を上げて
 生きていこうと思ったことがあった。


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2014年5月31日 (土)

運動会 = 社会

 息子の運動会でした。
 午後の息子の出番も終わり、それぞれのばあちゃんも帰るというので自分も帰ってきた。
 プログラム的には最後の5・6年生男児のリレーが花形だが、息子が走るわけでもないのでもういいやと思って帰ってきた。

 小学生のとき、運動会だいきらいだった。
 そのころは夏休み明けから練習がはじまり、酷暑のグラウンドで砂まみれになって怒られながら、踊ったり走ったり、好きでもないことを延々やらされるのが苦痛でたまらなかった。
 そもそも運動オンチで、足も遅かったし、組体操では逆立ちできなくて、ひとり三点倒立だった。屈辱。
 運動会なんか台風で吹っ飛べばいいと願う黒魔術を使いたい小学生だった。

 だから、今でも息子の運動会に行くのがなんとなくいやだ。

 オットは仕事で来られない。来られない人に見せないといけないのでビデオ係。ビデオで撮りながら見るって、見てるようで見てなくて、今までの記憶も曖昧。一度でいいから肉眼で集中して見たいと思うけど叶わない。

 よそのご家庭はさ、お父さんがビデオとカメラをぶらさげて走り回り、おかあさんは日傘をふりながら応援だ。そもそも開門を待ち雪崩のように入場し、保護者席のテント下にシートを陣取るのが正しい家族のありかただ。

 わたしみたいに、開会式も準備体操も終わった頃のこのこ行くようなやつに残された場所はない。

 承知の上なので、折り畳み椅子を手に日陰を探す。
 知ってるお母さんがたと、あら、こんにちは、などと挨拶をかわしながら漂流する。


 そう、お母さんがたと挨拶をかわす
 これがまた苦手。

 こぎれいな奥さんの隣には、休日のくつろいだファッションの素敵なご主人。
 わたしは、息苦しくなって帽子を目深にかぶりなおす。

 
 この息苦しさ、今に始まったことじゃない。

 息子が生まれてよちよち歩き出した頃、「公園デビュー」という言葉に恐怖した。
 子どもを公園で遊ばせつつ、お母さんたちは立ち話をして情報交換する、らしい。

 うちは保育園に通わせていて平日は公園どころでなく、休日もさっさと車にのせて実家に避難していたので、結局公園デビューすることはなかった。だって、見ず知らずのお母さんがたと一体何を話せばよいのか。考えれば考えるほどストレスになり、息子を公園で遊ばせた記憶がない。息子には悪いことをしたと思ってる。

 そして小学生になり、参観懇談の日。そこに未体験の「公園」があった。
 お母さんたちはすぐに誰かと誰かが仲良くなり、寄り添って立ち、ひそひそクスクスと話している。
 ああ、みなさん公園でそのスキルを磨かれていたのですね・・・しまった。

 立ちすくみ途方に暮れていたが、息子が仲良くしている子のお母さんが声を掛けてくれた。捨てる神あれば拾う神あり。

 それにしても、子どもがちゃんとしてるお母さんは、ちゃんとしてるなーと感心した。
 なにがどう、ちゃんとしてるのか
 慎ましくさりげなく出過ぎないファッション、ゆるく巻いた髪、そつのない笑顔、こんにちわーと手を小さくふりながら2、3人で輪をつくって、さしさわりのない会話の中から様々な情報を交換していく。
 担任の評判や塾の評判、宿題をどうやらせてるか、成績はどうか、生活態度やお友達の素行、そういうのをソフトな会話から探り合っている。そこで得られたヒントをもとに、子どもに全力を注いでいるんだろう。だから子どももちゃんと勉強できて字もきれいなんだろう。

 その輪の中にいても「へー」とか「ほー」とかしか言わないので、情報価値のないやつと思われたか、そういう輪に加わることもなくなってきた受験目前の5年生懇談会。

 高校生の頃を思い出す。

 当時もわたしはクラスの中で1、2位をあらそう遅耳だった。
 放課後おしゃれ女子たちに甘味処にさそわれ、「ねぇ、◎◎と◇◇がつきあってるの知ってた?」などと聞かされる。当然知らないわたしの「ええ〜〜マジで!」という反応を見て面白がるのだ。じゃあこれは?ええ〜〜!これは知ってるでしょ?しらん!そうなん!?

 色恋のアウトオブ眼中だったわたしは、そのまますくすく変な大人に育ったようだ。

 うまくやるってどういうことよ。
 ちゃんとした大人ってどういう人なのよ

 よくわかんないけど、わたしはそういうものから、いつもなんかどっかずれていた。

 だから、「ちゃんとした」家庭の「ちゃんとした」お母さんになれないという負い目があって、「ちゃんとした」お母さんがたとなにをしゃべっていいのかわからなくて、劣等感でくるしくなるのね。

 そういう苦しさがぎっしり詰まったのが運動会で、晴天でみんなの歓声が盛り上がるほど、心がくらくなるのであった。もうおうちに帰りたい。とツイッターにぼやいてたら息子の徒競走見逃すとこだった。あぶねぇ。

 運動会って、世の中みたいだな。
 みんなが「ちゃんとした」大人として今日を楽しんでいるのに「ちゃんとしてない」私の居場所がない。
 この社会のどこに「ちゃんとしてない」私は必要とされているのだろう。
 いらない子?

 などとくよくよする。からだによくない。

 息子が、そういう私に似なくてよかったと、心底思う。

 なんとなく、ほわほわ〜っと楽しそうで、太めながらに運動会を楽しんでる息子の様子だけが、わたしをちょっと安心させてくれた。


 まあ、下校すればそういう居心地の悪さも忘れちゃうんだけどね。
 だって、だーれもいない原っぱの方が空気もうまいしせいせいするじゃない。

 


 
 

 

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2014年1月21日 (火)

父よ

月命日なので、父の墓参りに行った。

正月の花がそのままで気になるという母を連れて行った。

来月が命日。ちょうど5年になるんだねぇ。もう5年か。

5年前の今日は死ぬ前の1ヶ月。まさかあと1ヶ月で死んじゃうとは思わなかった。
大学病院から転院して、新しい病院でリハビリするとはりきっていたのに
移った病院はひどくて
どうしてあんな病院に移してしまったか
よそに変えさせたり自宅に引き取ることはできなかったか
寒くて暗い病院の廊下のような記憶が今も苦く蘇る。

「ああ、さっぱりした。行けてよかったわ」

実家に送っていくと、母は仏壇からなにやら取り出し
「これ、あなた持ってて。いらないなら、仏壇に戻しといて」

それは父の遺品だった。病院にあった、最後の持ち物だそうだ。

「よう見んのよ、中身。あなた見てみて。小銭入れはちょび(息子)にやって。」

なんでいまさら?
帰宅して、中身をひらいて見た。
小さな住所録。几帳面な小さな字でいろんな連絡先が書いてあった。

手帳。ところどころ、病院の予約時間などが書いてあったがほぼ白紙、と思ったら最後あたりの自由記入欄に職歴が書いてあった。
自分の人生を振り返ってみたのだろうか。

次のページには、病歴が書いてあった。
わたしが結婚した頃には、もう病気の診断がついていたんだな。知らなかった。

父のこと、知らないことばっかりかもしれないな。

小銭入れには千円札と小銭が残っていた。
財布には新札が。(これは使いづらいな・・・)

身体障害者手帳。重い肺の病気だったからな。それにしても不釣り合いなダンディな写真。一張羅のジャケットを来て、酸素ボンベの管を外して撮ったのだろう。

免許証。
ゴールドの免許や名刺、いろんな店のポイントカード。
東急ハンズのカードと一緒にテプラの箱の品番部分をちぎった紙があった。
いつか買いにいって、撮りためた写真の整理をして、見出しテープを貼ろうと思っていたのだろう。

その中に、写真が1枚あった。

わたしと息子が笑ってる写真だった。

これは、もう父が運転もできなくなって出不精になった秋頃、ピクニックに行こうと連れ出したときの写真だ。もみの木森林公園の広場で、父と母と息子とわたしでお弁当を食べた。
少し歩いても息が切れて、ぜいぜいいいながら丘を登った。「眺めがええほうがええ」と。
まだ保育園だった息子は喜んで駆け回った。
父はカメラを持って来ていた。
息子と走り回る代わりに、カメラで追い掛け、シャッターを切ったのだ。

それからは出かけることもほとんどなくなり、病院や家の中を写してもしかたなく、父はカメラを触らなくなった。

免許の大きさに切り取ったその写真は、父が自分で楽しく撮った最後の写真なんじゃないかな。
わたしは5年分若く、息子は幼い。
大事そうに、持っていたんだな。
病院で時々、眺めたりしたんだろうか。

5年も経って
わかることもあるんだな。

もうすっかり悲しくもないと思っていたが
写真を見たら泣いてしまったよ。

おとうさん。


そばにいた息子に、じいちゃんの小銭入れをやった。大事にしなよと。
「じいちゃん・・・」
ちょびっとしかないじいちゃんの記憶をたぐりよせているようだった。


人は死ぬ。いつかお別れ。それは仕方ない。
お別れはかなしい。でも避けられない。
残す人に、伝えたい想いや未練、それはどうしようもない。
だけど、こんなふうにひょいと、知ることになる。
百の言葉より強く、感じることになる。

不思議なものですね。

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2013年6月21日 (金)

もしも死んだら

 2週間ほど前だったか、朝なにげなく身体を動かしていて「ん?」

 両手を頭の上で組み、身体の側面をのばすと、左胸に痛みが走った。

 触ってみると、ちいさなしこりが、あるような気がした。

 ぞぞぞぞ・・・・
 ちょっと、血の気がひいた。

 昨年、分厚い「がん検診クーポン券」が広島市から送られてきて、行かなきゃなと思いながら、3月もバタバタで行けなかった。クーポン使えなくても行こうと思いながら、予約を入れそびれていた。

 生理前や直後はホルモンの影響で胸が張っているので、検診に向かない。
 生理終了後2週間くらいがいい、と知っていて、毎月そのタイミングを逃してきた。

 でも、その朝、こわくなってがん検診の予約の電話をしたのだった。


 もしも、乳がんだったら。

 国民健康保険料は減免になるな、などといろんなことを想像しだす。

 どのくらいの早さで、どうなっていくんだろう。
 放射線治療、抗がん剤、
 「毛のない生活」山口ミルコさんの壮絶な体験記を読み返す。

 もしも、間に合わなくて、死ぬとしたら。
 何を準備したらいいんだろう。

 いろんな引き落としの口座なんかも移さないと
 病院のベッドで使えるようにiPadminiとか買っとこうか
 息子が成人するまでの、誕生日に読めよ手紙とか書いとかないとな

 こうして、晩ご飯をあと何回つくって食べられるんだろう。
 息子の寝顔、あと何回見られるんだろう。
 この蛍は、来年はもう見られないのかな。

 身体がうごくうちに、家族写真が撮りたいな、
 3人で
 笑って、
 
 その、わたしだけが消えて、2人残った写真を想像して
 泣けた。しゃくりあげて泣いた。
 
 まだ死にたくない。


 胸にしこりがあって、痛くて、産婦人科に行ったのが女子大生の頃。
 紹介してもらって、乳腺外科のある「新本クリニック」に行った。
 触診、エコー、マンモグラフィー
 乳腺のかたまりがあるけど、がんじゃなかった。
 それから何年かおきに受診。

 「寺本さん、あなた20年も来てるんだねー、いいねー、データが蓄積するからねー。
 あなた、4年も来てなかったのねー、乳がんだったら大変よ、1、2年に1度はおいでねー」

 あのう、手を挙げたら痛むんです、しこりもあるし
 「じゃあ見てみようねー うーんそんなしこりはないけどね、じゃあエコーで見るよ、
 このね、さーっと薄い雲みたいなかったら異常なし。もしがんだったら、真っ黒くギザギザーっと写るけどね、マンモグラフィーで詳しくみようね。
 山田邦子とかはね、6mm、米粒が8mmね、そんな小さいのが見つかったのよ。番組で、ためしに受診してねぇ。マンモじゃないと見つからんよね」

 マンモグラフィーというのは、台にのっけたおっぱいを、タテはさみ、ヨコはさみでレントゲン撮影する機械。4年来ない間に機械がバージョンアップしていた。

 痛くていやだ、という人もいるが、そんなに痛いとも思わない。

 デジタルデータだから、すぐに画像が診察室で見られる。

 「いまごろはね、こーやって拡大して探せるのよ。きれいなね、このふわーっとしたのは乳腺。たしかにあなた、左胸に乳腺のかたまりがあるよね。これ、紙屋町電停みたいに込み合ってる感じ。あとはね、見当たりませんね。大丈夫。」

 よかった。

 あの、その6mmくらいだったら、しこりってわかりませんよね。
 どのくらいで進行するんですか?
 「乳がんってひとくちに言ってもね、17種類あるんよ。なかには5、6年もじーっと進行せんのもあるし、ぱーっと進むのもあるしね。じゃけぇ、1年か2年おきには、検診せんといけんのよ。またかわったことがあったらいつでも来なさいね。」

 ひとまず、乳がんで死ぬことは、とうぶんなさそうだ。


 だけど、若いのに、突然亡くなる方だっている。
 死ぬつもりも予定もなかったのに
 何の準備も、さよならも言えずに

 だから、元気で健康だと思っていても
 もしも死んだら、と思っているくらいでちょうどいいのではないかと思う。

 80過ぎまで生きる予定だけど
 明日、どうなるか実はわからない。

 きょう、息子とちゃんと話したか
 家族が健康であるよう、ごはん美味しく作れたか
 大事に話をしてるか
 いやなことややりたくないことに、無駄な時間をさいてないか
 やりたいことに真剣でいられるか
 そういう「死んだら後悔する」ことを、できるだけ減らしたいと思った。

 生きてるって、ほんとにありがたい。


 

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2013年5月25日 (土)

話し合った親子

この4月から塾に通いはじめた小学4年。
通わせて初めて、塾の新学期は3月からだったことを知る。
1ヶ月遅れで合流し、学校の授業とは月とスッポンの内容についていっている。

昨晩、はじめての模試の成績を持って帰ってきた。
学校ではそこそこ、と思っていただけに驚愕の成績だった。
息子も自分ではできたつもりでいたようでがっくし、
無言で早寝した。

いらいら、腹も立つ、不安、めんどくさい
酒で流してわたしも寝た。

4年生ともなると、因果を含んで話せばわかる、と過日ある方に教えていただいたので、ここはひとつ冷静に話そうと、朝起きて決めた。

着替えて、湯を沸かして、まあ座れと。
きたか説教と覚悟して息子もうなだれて座る。

大好きな、旨い、残り少ないお茶を淹れる。
心を鎮めるための特別茶だ。

まあ、どうぞ、と。

自分も茶をすする。 はー、うまい。

あのさ、
大人だってさ、
かーちゃんだって、勉強してるんです。
勉強、しなくても怒られないけどさ、
どんどん年をとるじゃない、
そしたら、どんどん退化していって
誰の役にもたたなくなるんだよ。
だから、本を読んだり、調べたり、考えたり、
大人の勉強は、だーれも教えてくれない勉強なんだよ。

小学生の勉強はね、それはたぶん、中学生とか、高校くらいまでそうなんだけど、
で、大学生の勉強はまたちょっと違うんだけど、
覚えてしまえば、できるようになれば、
あたりまえに、できてしまう勉強なの。
だから、できてしまうようになりさえすればいいの。
足し算とか、九九とか、
もうすらすらできるでしょ?
1年2年の漢字は、もうぱっと書けるでしょ?
身に付いたことは、あたりまえにわかるんだよ。
そのとき、わからないことを、そのままにしないで
先生でも、かーちゃんでも、
聞いてわかりさえすればいい。
漢字は、まあ、イチノメハは頁とかさ、口で言ったりしてさ、
とにかく出会った漢字は覚えてしまう。

悩んだり、しんどがったりするヒマがあれば、
やってしまえばいいんだから。

勉強できないのが駄目人間とか馬鹿とか、
そういうのはまた別の話しで、
ただ、勉強は身につけてしまえばできる。
それだけの話しなんだよ。
勉強ができるから賢いってわけでもないしね。


そう話していると、
説教嫌だなみたいな表情がだんだん
ああそうか、みたいな顔になった。

「わかった。」

うん。まあ、お茶でもどうぞ。


「宿題やるわ」

今までため息をつきながら30分40分かかってやってた漢字ドリル、
1問書くタイムを計るとだいたい30秒、20問で10分。
「え!たった10分?なーんだ!」
実際やって見ると15分かかったけど、
たった15分でやってしまえる分量だとわかった。
「ドラえもんの1話分じゃん!楽勝〜」

模試の間違い直しもした。
今はもうわかる問題、うっかりミスの問題、

『ここに23きゃくの長椅子があります。1きゃくに4人ずつ座ると、3人しか座らない長椅子が1脚できます。生徒は何人いるでしょう』
これ、どう考えた?

「えっとー、ひとクラスだいたい30人でふたクラスだから60人くらい?」

!!!! 計算しろや!!!

怒りがなんだかへんてこな感じで、爆笑にかわるじゃないか。


伴走は、ほんとにつかれる。


おっぱい、ねんね、まんま食べさせて、お風呂いれて
ずっと手がかかって、目が離せなくて
そういう時期をやっと抜けた!
やっとなんでもひとりでできるようになった!
わーい!

そう思っていたが大間違いだった。

ほっとくと、コロコロコミックしか読まない小学男児になっていた。

勉強を自分でがんばる、そういう実力がつくまでは伴走がいるんだな。
見てやらないとだめなんだ。

かーちゃんは、自分の悪あがきで精一杯、日々の暮しでいっぱいいっぱい、
息子がおろそかになっていた。

「ババアこっち見んな!」と言われるまであと数年、
今しかない、優先して、時間を割り当てて、
見てやらないと。


買い物に行く道すがら、とぼとぼ歩きながらいろいろ話した。

あのさあ、
勉強ってさぁ、
ほんとたいへんだよね。

「うん、かーちゃんも、がんばってね。」

うん。がんばるよ。

そんな1日だった。

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2013年4月18日 (木)

息子4年生

 4月で息子は小学4年生になった。

 4年生からは、預かってくれる留守家庭子ども会がない。3年生までしか通えない。
 つまり、放課後はまっすぐ家に帰ってくる。
 共働きの家は頭を悩ませることになる。
 4年生からの放課後をどうするのか。うちも悩む。

 息子はクラスの友人たちと一緒に下校できるし、さほど仲良くもない留守家庭仲間と児童館に閉じ込められなくてすむので上機嫌だ。
 しかもクラス替えでとっても仲の良い子と同じクラスになれた。まあ、2クラスしかないのでほとんどの子と仲良しだから、どっちにしても上機嫌だ。
 しかし母はこまる。

 家の合鍵をつくった。
 もし母が留守なら、これであけて入りなさい。
 とはいえ、自分で着替えておやつ食べて習い事に行くのは、慣れるまでもうしばらくかかりそうだ。
 だから、息子が帰宅してくるであろう時間には自宅にいるようにしている。
 先日も、合間を縫って家で待機していたのに、やつは学校から1時間かけて帰ってきた。15分の道のりをだ。友人たちとクイズをしながらゆっくり帰ってきたんだと。
 今日、野球の日だろうよ。
 「あ!わすれてた!」
 制服を脱ぎ散らかしてユニフォームに着替えて飛び出していった。

 留守家庭に通ってたころは、時間が読めたなぁ、
 5時帰りの日は5時15分に帰ってきた。
 その時間に間に合いそうになかったらお迎えに行く。6時半まで見てくれた。
 この夕方の1、2時間というのはものすごく貴重なんです。

 4月に入って、学校からのうっとうしいほどのプリントや提出書類や買いそろえるものや手続きや振込や、なんやらかんやらで手をとられた。
 夕方もやつの帰宅時間に拘束されて自由に動けない。
 母はイライラMAX、思うようにできないのは超ストレス。
 放課後を埋めるように塾にも通いはじめた。
 学校とは違う、「回答のテクニック」を教えるその内容はぐぐんと難しい。
 先生がおもしろいらしく授業は楽しいらしいが、宿題がどかーんと出る。
 学校の宿題、塾の宿題、やめたらいいのに玩具みたいな付録目当てで続けている通信教育教材もある。ひーひーいいながらこなしている。

 今どきの小学生は忙しい。
 わたし、こんなに家で勉強してたっけ?(してないからこうなってるのだ)
 自由に遊べない小学生ってかわいそう。早く自由な大人になんな。


 ある夜、もう寝なさいとベッドに連れて行くと、かーちゃんも一緒に寝よう、パパちゃんも呼んできて、という。いやいや、これからやることが山ほどあるんだよ寝てなんかいられないよ、はいおやすみ、というと
 「ぼくはみんなといっしょに寝たいんだ!!わぁーーーー」
 と声をあげて泣き出したのでたまげた。
 こいつが泣くのは何年ぶりだ。
 ひょうひょうと楽しそうにしていた息子だが、やっぱり新しい生活とキリキリしてるかーちゃんとでストレスもたまっていたのかな。
 もう、その晩はすべてを投げ捨てて、息子と一緒に寝た。
 すん、すん、とすすり上げる息子はいつまでもわたしの手を握ったままで寝た。

 
 そんなふうにべったり甘えたい時もあるけど、めんどくさい時もあるらしい。
 
 今日は遠足だった。
 かーちゃんは早起きして弁当をつくった。
 私服で登校だったので、暑くなるだろうからTシャツと、ボタンダウンのシャツでも羽織らせるかと用意していた。が、息子は着ない。着ろというと、片袖通して身体が傾いたまんま固まっている。
 やつはボタンのついた服がきらいなのだ。
 なんでよ。
 とにかく、ボタンを留める服は着ない。
 とうとうかーちゃんはぶち切れて、好きにせぇ!と怒鳴った。
 タンスから、着たおしてよれよれになってもう小さくなったトレーナーを引っぱり出して着ていった。よりによってそれかよ!写真に残るだろうによ!おい!

 遠足から早々に帰ってくると、おいしかったー!と空の弁当箱を出して、手を洗い、宿題をちゃちゃちゃーっと済ませ、友だちと約束してるからーと飛び出していきそうになったのでおい!と言うと、
 「くつそろえます、ありがとういいます、かってなことしません、5時にかえります、いじょう!」と言い捨てて出て行った。

 と、思ったら帰ってきた。
 待ち合わせがうまくいかず、友だちがいなかったんだと。
 まだどいつもこいつも、ちゃんとしてません。
 あきらめずに公園に遊びに出かけた。

 小学生男子らしくなってきた。
 成長してるのだろうか。
 母はなんか釈然としなくて、腹いせのようにこれを書いている。

 
 

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2013年2月14日 (木)

君がうそをついた

 風呂上がりの息子の耳掃除をしてやろうとしたとき、
 こめかみあたりにひっかき傷をみつけた。

 赤ちゃんの時から、よく自分の爪で顔をひっかいていた。
 
 寝てる間にひっかいたのかな?
 ・・・そんな歳でもないか。

 この傷、どうしたの?

 「ああ・・・うーんとね・・・あれ?
  えーっと・・・わすれたなぁ・・・」

 どこか遠くを見つめ、眉間にしわを寄せて一生懸命「思い出そうと」している。
 
 「ああ、あのう、大休憩のとき、なわとびしてて、なわがびしぃってあたった・・・のかなぁ」

 ふーん、そう。

 それがウソだと、すぐにわかった。
 忘れたんじゃなくて、言い繕ったんだろ?
 
 これ以上聞いてもほんとのことは言わないだろう、とも思った。

 この先、何人の女にこんなふうに嘘をつき、すぐ見透かされて、窮地に立つのだろうか。
 息子のというか、男の浅はかさを思って気分が沈んだ。


 ここのところ、軽く誤摩化すことがちょいちょいあった。
 本読み、2ページくらい省略した。
 今日は宿題プリントが1枚なしになったんだと言い通した。
 えらいペケのいっぱいついた漢字テストが本棚の底からくしゃくしゃになって出てきた。

 かーちゃんに見つかり次第、その「穴うめ」相当のことをしなくてはならないので、どうやらあんまり効率のいいものではないらしいとヤツも気がついてきたところであった。

 ズルをするくらいならかわいいものだけど、
 これほど「隠す」のは、はじめてだった。
 なんかショック。

 やっぱり腑に落ちず、
 ヤツがトイレに行こうとドアを開けた時
 立ちふさがって頭を抱えて聞いてみた。

 この傷、ほんとはどうしたん?

 「・・・・」

 ケンカしたん?

 「・・・(うなづく)」

 怒らんけぇ、言ってごらん。

 「・・・大休憩のときー、なんかすごいうるさく言ってきてー、うるさいわーって言ったらー、もっとぎゃあぎゃあ言ってきてー、むししとったらー、たたいてきてー、手があたってー、いたーっていってー、やりかえしてー、つかみあいになってー、」

 誰と?

 「・・・Sくん・・・」
 
 ケンカしたこと、なんでかーちゃんに言わんかったん?
 
 「・・・・」

 かーちゃんが相手に怒鳴り込んでいくと思った?
 
 「・・・うん。Sくんがかわいそうじゃ・・・」

 どんだけ凶暴な母だと思っていたのであろうか。

 「でー、つかいみあいになってー、けってー、Sくんが泣いてー、ちょびが勝ってー、おたがいにごめんねって。」

 この上自分が負けたとわかったらかーちゃんが逆上すると思ってのウソかどうか、それはわからない。

 ベッドに入り、部屋を暗くする。
 
 けんかして、いやだった?と聞くと、
 「うん・・・だってね、Sくんずるいんよ・・・」
 なんだか遊びの中のいろんな理不尽なことに、今回ばっかりは耐えかねてケンカになったことを切々と話した。

 そっかぁ。小学生もいろいろたいへんなんだねぇ。
 そういうと、息子は声も出さずに泣いて、すすりあげていた。
 
 だんだん、かーちゃんにも言えない、秘密の小部屋が心の中に現れてくる。
 誰にも言えずに、ひとりで抱え込む闇がある。
 育てば育つほど、それは大きくなり、増えていく。

 かーちゃんが、それを無理矢理暴いたところで、きっとどうしようもないのだろう。


 息子の学年には何人か「問題児」がいて、教室からふらーっと出て行ったり、暴言暴力、毎日なにかしらびっくりするような「事件」がある。(そういうことは目をキラキラさせて報告する息子)
 先生方はその子たちの指導にくたくたなんだと思う。

 お母さんたちは心配する。
 そんなことでは授業にならないよね、
 おとなしい子には目が届かないよね、
 もう学級崩壊よね、
 他の子までつられて乱暴な口をきいて、
 この先高学年になって体が大きくなったら、どんどん歯止めがきかなくなるんじゃ・・・

 そう、話せば話すほど心配は大きくなって、
 なかには転校させることも考えた親御さんもいるらしい。

 そうだよねぇ・・・

 だけど
 この先、いろんな困難が目の前に転がるだろう。
 親が取り除いてやれることにも限界があるだろう。

 その困難を、どうすればいいか
 知恵を身につけてほしいと思う。

 やられたらやりかえせ、とは言わない。
 どうしたら、嫌な思いをしなくてすむか、痛い思いをしなくてすむか、
 自分で考えて、戦うなり逃げるなりしてほしいと思う。

 今はかろうじて、腕の中でべそべそ泣ける距離にいるんだけど、
 すこしずつ
 手の届かないところに行こうとしている9歳男子。

 かーちゃんはせつないけど、見守ろうと思う。


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2013年1月20日 (日)

話す温泉 ♨ 新春占い茶!

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またまたやりますよ! 温泉茶!

「話す温泉」ってなに?

 知ってる人も知らない人も集う気持ちのいい場所って
 温泉場なんじゃないかと。

 茶碗から立ちのぼる湯気をぼーっと眺めて
 ひとくち飲めば、

 ふは〜〜〜・・・   

 いろんな話しがこんこんと湧いて源泉かけ流し。
 身も心もいつのまにかぽっかぽか。

 自分の思ったことを話すこと、
 誰かがふと話したことを聞くこと、
 とっても豊かなものが湧いてあふれるんじゃないかと思います。

さて今回は、今年の行方を占う《新春占い茶》!!
とっても縁起のいいお茶会となっております。
失せ物も、座って飲めばきっと見つかる!大吉カモン!!
ぜひお気軽にいらしてくださいねー。

◎ 日時:平成二十五年二月二日(土)
◎ 場所:GENERAL STORE 84
◎ 時間:①12:00〜 ②13:00〜 ③14:00〜 ④15:00〜
      ⑤16:00〜 ⑥17:00〜 ⑦18:00〜(各席約四十五分)
◎ お茶:中国のお茶二種、ちいさなお菓子(おみくじ付き)
◎ 席料:八百四十円(税込)
◎ 申込:とくになし。始まる時間にお越しください
   一席五名様。先着順ご了承くださいませ

いい湯沸かしてお待ちしております。

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2012年12月27日 (木)

あむ

 数日前から衝動的に編み物をはじめた。

 高校生くらいの頃以来ぶりだ。

 編み棒、毛糸、一式買って送ってもらった。

 作り目ってどうやるんだっけ。
 表目、裏目ってどうだったっけ。

 まるで忘れてたけど、練習もせずにいきなりマフラーを編みはじめた。
 表目と裏目をまちがって、きれいな模様にならない。
 ほどいて編み直したり、気がつかずに編み進めて、あららー間違ってたと思うけどもうそのまま編み進めたり。

 だれにあげるわけでもないから、べつにいいのだ。

 最初の2日くらいは手のひらが筋肉痛になった。
 次の2日は腰にきた。
 慣れないから全身に無駄な力が入ってるんだ。

 やっと慣れて、縄編みの模様がたちあがってくると、ちょっとおもしろくなってきた。


 そもそも、こういうコツコツ地道にやる作業は苦手だ。
 ていねいに時間をかけることで完成度が上がるものとは無縁な人生だ。
 瞬発力、ひらめき、きまぐれ、切り返し、

 なのにどうしてか、時間をかけたらかけただけ、それが目に見えるモノとして残るものをつくりたくなった。

 そういうものはほかにもいろいろあると思うが、なんとなく、編み物をしようと思った。

 編みはじめてすぐ後悔した。
 まあいいか、とごまかして進むと、それがあとあと不揃いな目のまま残るのだ。
 手慣れてきて目が揃ってくるとますます、おかしな目が悔やまれる。

 これまでいろんなものをごまかして、なかったことにしてきたのではないか。
 そういう失敗やいい加減さが、いまこうして悔やまれるのではないか。

 ここまで編んでしまった人生を、ほどき直す勇気もなく。


 食事を終え、片付けをし、ちょっとほっとしてお茶を飲む。

 家族が風呂に入る。

 編みかけの毛糸玉を手に取る。

 あがったよー、かーちゃんもどうぞー、

 はーいと生返事して、手が止まらない。

 みな寝静まる。


 ひと目、ひと目、うら、おもて、うら、おもて、

 心がしーんとしていく感じがする。


 日本各地にいろんな手工芸が伝え残されている。
 刺繍、つくろい、糸や布の仕事、
 いろり端でおかあさんが夜なべして、
 せっせせっせと手を動かしたのだろう。
 家族のためにこしらえる、という仕事でもあっただろうが、
 これでずいぶん、こころがすくわれたのではないかと思う。

 熱心に、一心不乱に、没頭していたら、
 家族はそっとしておいてくれる
 手の中で、自分だけの世界がたちあがって形になっていく。
 うつくしい、かわいい、
 今日一日の苦役が、ひと目ひと目、消えていく。

 さあいい加減お仕舞いにしよう、
 毛糸を置いて立ち上がると、肩や背中はごわごわだ。

 縮こまったからだをのばして、一日を終える。
 昨日より長くなったマフラーを眺める。


 一年がこうして暮れようとしている。


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2012年12月25日 (火)

サンタからの手紙 2012

 クリスマスであった。

 小学3年の息子はクリスマスが近づいても、いっこうにサンタへの手紙を書こうとしなかった。

 「wiiのソフトにしようかなぁ。爆丸にしようかなぁ。」

 昨年はもうえらい早くから決めて、サンタへ手紙を書いていた。
 家に入ってからベッドまでの侵入経路までも図に描いた親切手紙だったのに。

 イブの日、
 「ねぇ、サンタって今どこにおる?」というので、
 NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のサンタ追跡サイトを見てみた。
 まだ旅立っていなかった。

 NORADのサイトにはいろんなゲームがあって、一緒にやってみた。
 流れるクリスマスのメロディーに、なんとなく盛り上がる。

 司令官とサンタがやり取りする動画を見て息子は
 「ええ?わたしは時速2万キロ出せるんですよ、ついせきなんかできるんですか? なめてもらっちゃこまりますよ、われわれのぎじゅつのスイをけっしゅうしておいかけるんですから、戦艦だってだしますよ!」などとアテレコしていた。

 やがてのろのろと書いた手紙には
 「サンタさんへ ばくがんのゼロムニキスとホロムニキスをください、あと、ここにサインをください。」とあった。
 配達証明のサインをしろと。

 夕方、準備が整ったサンタは北極を出発した。

 追跡サイトではニュージーランド〜オーストラリア〜台湾を経て日本上空へ、
 その様子をネット生中継で見ながらのクリスマスディナーははじめてである。

Img_3359

 「ああっ、広島きたよ! 次は横浜だって!」
 息子はそーーっとベッドを見に行く。

 「・・・なかった」

 あのさぁ、上空を通過しただけでさ、その地区のサンタが朝までに配るんじゃない?
 「クロネコヤマトみたいに? すごいねぇ・・・」

 風呂に入り、歯磨きし、

 「あのさぁ、サンタなんかいなくって、パパちゃんかかーちゃんが買ってると思っとったんよねぇ。でもさぁ、いるもんだねぇ−サンタ。」
 
 NORADの説得力は偉大だ。


 翌朝


 飛び起きた息子は必死でベッドのまわりを探す。
 布団をはね上げて、枕をどけて、
 「あっ!!・・・・ええ?」

 そこにはぺらっと薄い封筒が1枚。

 「なにこれ・・・」
 開封する息子。
 
 「・・・よめない・・・」


Img_3126

 うわあ!サンタからの手紙じゃない!?
・・・外をみてごらんって書いてあるよ!

 裸足のままベランダへ。

 「ないよ、あ、あっちのベランダか!」

 ばたばたばた

 「ない・・・外って、どこ?・・・」

 パパちゃんが
 「ちょび、新聞とってきて」

 新聞を取りにいった息子は、ドアをあけて固まっていた。

 「・・・じ、じてんしゃがある・・・」

 うわぁ!サンタさん、自転車くれたんだ!

 手紙を訳してやった。


ーーーーーーーー

 親愛なるりゅうへ

 わたしは君からのリクエストにどう応えようか考えたんだ。
 そして、ほんとうに君が必要としているものを持ってきたよ。
 テクノロジーのものは、誰かが用意した、せまくて小さい世界にすぎない。
 わたしは君に、外に出かけ、風を感じ、
 この世界がでかくて広いんだということをその目で見てほしい。

 メリークリスマス
 最もあたたかい願いをこめて
 サンタクロース

ーーーーーーーー


 英語で書かれたそのメッセージカードを、しみじみと眺めていた。
 
 「サンタから、手紙もらっちゃった・・・」

 すごいねぇ、かーちゃんもはじめて見たよ。
 大事にとっときんちゃいよ。

 「うん! たからものにする!!!」

 サンタクロース、ありがとうございました。

 「いやー、サンタさんいつ来たんだろう。かーちゃん気がついた?」
 いいや。

 「すごいよねぇ、サンタの手紙、ギアついた自転車・・・」

 しかしその自転車はちょっと大きすぎるようだった。

 「しかたないよ、サンタはぼくの身長とかしらなかったんだろうからさ。」

 ・・・まあ、すぐに大きくなるよ。


 そんなクリスマスでした。
 


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2012年12月15日 (土)

斉藤和義弾き語りツアー 2012.12.14@広島

 今年も12月に斉藤和義がやってきた。
 せっちゃんのライブは、なぜかいつも冬。
 博多から友だちがやってきて、一緒に見るのが恒例となって7年くらいか。

 デビューすぐの広島バッドランズでのライブを見逃したけど、それ以降は皆勤賞。
 ほぼ15年
 人生の句読点みたいにして斉藤くんのライブに行っている。

 昨年は、今なんて名前か知らないけど元の厚生年金会館でフルバンドであった。
 あれ?
 お客がかわったなあと思った。
 ここ数年、CMのタイアップや映画音楽、レコード大賞受賞とか、じわじわと人気が上がり、ドラマ「家政婦のミタ」の主題曲でけっこうな人が知るところとなり、「あの曲が聞きたい」と思う人が多くチケットを求めたのだろう。聴きたい曲を待つ人はなかなか盛り上がらない。

 で、今年はひとり弾き語りだ。
 スマップにも曲を書き、紅白出場も決まり、今ならフルバンドでもっとでっかいホールを回れば儲かるんじゃないかと思うが、1人で弾き語りでツアーをすることができる、そのやりたいことができる感じが、斉藤和義の存在感というか、いろいろ認められているんだなあと思った。

 さて会場には「録音禁止」というでっかい立て看板がいっぱいでていた。
 そこには「うちわ・ボード使用禁止」とあってたまげた。
 「せっちゃん♡」とか書いた、あのアイドル仕様のうちわですか!
 時代は変わったなあと感慨深かった。

 クアトロで当日券があったり、ホールの1階がぜんぶ埋まらなかったり、そんなころもあったなぁ。

 だからといって、斉藤くんのパフォーマンスは常に渾身だった。
 ギターを弾き始めるとすぐ、瀧のような汗をしたたらせて振り絞る。
 どこの席でみてようが、わたしたちは熱狂した。

 
 登場した斉藤くんの髪は、ラブラドールレトリバーみたいだった。
 「マニッシュボーイズで笑かそうと思って金髪にして、おもしろがっていろいろやってたらカビはえたみたいな色になった」そうだ。

 着席で弾き始める。
 明日の 行き先を 僕らは 考える・・
 「何処へ行こう」だ。1996年、4枚目の「FIRE DOG」の曲だ。
 そこから、曲ごとにギターを持ち替えて立て続けに弾き語る。

 バンドのライブならわーっと立ち上がって、曲に合わせて身体を動かすところだが、
 お客も着席のまま、圧倒的なギターと歌に聞き惚れるというか、打ちのめされたように微動だにしない。

 今までも、ギターすごいなあと思っていたけど、
 自分で生まれて初めて、弦楽器、まあ、ウクレレなんですけど、弾いてみて、あの弦を押さえる感じ、弾く感じ、身体に音が響く感じを知って、なおさら斉藤くんのギターの上手さを思った。
 自分でギターが弾ける人なら、もっと違う感じ方をするんだろう。
 ステージ左手の壁に、影が映る。
 太めのネックを押さえる左手首のかたちが妖しく美しかった。

 ギターだけじゃないんだぜ。
 オルガンでも弾き語る。
 「ひとりなんですけどね、フルバンドくらいの機材がきていて。
  ぜんぶ私物の機材なんで自慢していこうかと。」
 と、楽器の説明と音色の解説をして、弾き始める。

 続いて、かつてビートルズも使ったサンプラー(のレプリカ)で弾き語る。
 弦楽器の重厚な音色で、中島みゆきの「蕎麦屋」
 手回しオルガンみたいな音で「月影」
 

 デビューして、自分の曲を、人がアレンジする、違和感。
 5枚目のアルバム「ジレンマ」で、セルフプロデュース、そしてギターだけじゃなく、ベース、ドラム、すべての楽器を自奏した。
 自分がやりたいことを全部自分でやる。
 今から15年前のことだ。
 全部、できるぜ。

 その上で、ドラムはドラムのうまい人の、自分にはないものを足していくバンドの良さも知っている。

 1人でも、誰とでも、自由に自分のやりたい完成度ができる。

 そうやってきた、彼の15年の、今がステージで虹色に輝いていた。

 そして「唄うたい」の、斉藤和義の声という楽器も、弾きこなす
 唄の強さに、今回はほんとうにしびれた。

 
 「あの、若いミュージシャンが最近よく使ってるんですけどね、おっさんにはむずかしい・・・」
 ギターとベースが一緒になったツインネックで、サンプラーを使ってループをつくり、ステージ袖に引っ込んだ、
 と思ったら、ドラムセットにまたがって、たたきながら出てきた!

 ドラムねぶた状態。

 まさかドラムでたたき語りとはー。「君が100回嘘をついても 」

 そこからは立ったまま、
 お客さんも立ち上がり、

 「広島でデビューのプロモーションとかしてました」とか言いつつ
 デビュー曲「僕の見たビートルズはTVの中」。
 隣のお姉さんも口ずさんでた。長いファンなんですねぇ。しみじみ。


 初めてのお客にも、長年のお客にも、
 楽しんでってもらうために
 やさしくて、
 その背後に綿々と続く自分への厳しさがあって、
 だから、今こうしてまっとうに世間で評価されて
 「斉藤和義、いいね」と多くの人に言ってもらえるのがうれしい。

 かっこよかった。今日も。


 毎年、心が走って腰が据わりっぱなしの自分に、喝が入る。
 
 ツアーはまだ続く。紅白もある。
 どうか身体をお大事に、
 これからも、楽しみに聴いていきます。ありがとう。

 
 

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2012年9月29日 (土)

MANNISH BOYS 斉藤和義×中村達也 @広島

 MANNISH BOYS
 2012年09月28日(金) 広島 CLUB QUATTRO
 行ってきた。

 仕事を片付け、なんとか会場オープンに間に合った。
 整理券番号はわりと早く、ステージの前からつめかける列に続いて立った。
 センターの前から2ライン目くらい。近い。
 しかし始まるまで1時間立ちっぱなし。
 後ろに座ればよかったかなぁ・・・
 博多から見に来た友人と話しこむので幾分気がまぎれるがもうすでに座りたい。

 やっと開演。
 MANNISH BOYSの二人が顔を出すと、フロアの客が一挙に前に押し寄せる。
 むっぎゅ〜〜〜〜
 ぎやあー
 無理無理もう無理

 二人がひっこみ、お友達バンドが出てきた。
 この先、2つも出るのだ。
 もう帰りたい

 失礼ながらそのお友達バンドのことなんにも知らず。
 スカパラの人だよとか、なんとなくそうかと見る。
 そのうちリズムにつられて気持ちよく身体が動きだす。

 しかし密着度半端ないぜ。
 誰かずーっとおんぶしてたし、わたしもほぼおんぶされてる状態だった。
 ふりあげた拳のおろしどころがないぜぇ。
 
 やっと終わった。

 次はお兄ちゃんがひとりギター抱えて出てきた。

 もうしんどい。

 お兄ちゃんはいきなり歌詞をまちがえた。
 歌い終わると

 「あああーーーー緊張する!靴脱いでいい!?」
 とブーツを脱いだ。
 「他のメンバーが背が高いから、無理して高いくつはいたら浮き足立っちゃって、緊張するする」


 緊張するその状態をどう解消するかで、その後が決まると常々思う。
 緊張で、とりつくってよく見せようとして肩をいからせてしまうと、永遠に心は開かない。
 緊張してる!どうしよう!と正直に表現したら、しょうがないなぁ、がんばれよと思い始める。

 彼は後者だった。
 
 「もう、俺のこと知らないしむしろ俺のこと憎んでるひともいっぱいいると思うんだ、
  この年になってまさかの出演者最年少だし、もう、死ぬほど緊張する」

 で、
 「あのう、被災地に行くとき必ず歌う曲です」と歌いはじめた。
 バンドだと、スケジュールを合わせるのたいへんだし、ひょいっと1人で行くんだと。

 最後に笑うのは、正直に生きてるひとだ・・・
 というような歌だったかな。

 初めて聞く曲だったけど、だんだん響いてきた。

 ベースの人とキーボードの人が入って、どんどんリラックスして、
 やっべ楽しい!といいながら歌っていた。

 最高に盛り上がったラスト、と思ったら

 ここで終わったら絶対完璧なんだけど、もう1曲、どうしても歌いたいんだ、
 こうやって歓んでもらえるんだったらおれ、チ○コでも何でも出すよ。
 そんなもんぐらいぜんぜんかまわない、
 だってこんなに聞いてくれるんだ、

 「あのさ、敵がでかすぎるんだ。
  沖縄に行っても、オスプレイ反対ってデモしても、
  その声は誰にも届かなくって、
  自分はつくづく
  ほんとに
  自分の無力さにいやになるんだ。
  だけど、
  歌うことで、だれかの心に伝わるかもしんないじゃん、
  だからもう1曲、歌わせてくれ!」

 その曲は渾身の曲だった。
 
 あの!
 ぜんぜん無力なんかじゃなーい!
 と叫びたかったんだけど、声が出せなかった。

 細美武士という人だった。(ほそみぶし じゃなくて ほそみたけし)

 あのう、だれだかわからない人でも
 その人が心を裸にして、渾身で放つものは
 なんか心にまっすぐ届く。
 それは音楽の力なんかなぁ、と思った。
 音楽の力、
 ギター一本身体ひとつで持ち運びできる力
 いいなぁ、と思った。


 本命のMANNISH BOYSが登場。
 前に殺到してきてもう、死人が出るかと思った。
 もうもみくちゃ。
 しかし発見した。
 自分がもっとも激しく動けば、周りの動きを制することができる!
 40越えの運動不足の肉体にむち打ってタテジャンプですわ。

 斉藤くんのギター、マイクに通る前の音が聞こえる。
 マイクに通る前の声が聞こえる。
 弦の上を動き回る指がほんとに綺麗。

 いやあ、ここのクワトロはほんとに気持ちいいっすね。
 広島最高!!!


 しかし、ライブって刹那いねぇ。

 上気したお客は順々にエレベーターで下界に戻っていき、
 メンバーたちは興奮の醒めない頭を、広島の夜の酒でなぐさめるのだろう。

 朝になれば、
 身体に残った重い乳酸と、ぼんやりした昨日の興奮。

 なにひとつ確かなものなんてないよな

 などといいたくなる曇りの朝だった。


 
 
 

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2012年9月19日 (水)

玄米考

 先日から玄米を炊いて食べている。

 我が家にはなんと圧力鍋がないのだが、
 「びっくり炊き」というのを知って、土鍋でやってみた。

 長いこと水にかさなくても、いきなり炊いていいそうだ。

 そうめんとかうどん茹でるとき、びっくり水を差しますよね?
 あれと同じで、炊きあがり寸前に冷水を入れて、玄米のかたい部分にひびを入れるんだそうだ。
 
 そうやって炊いたら、案外ふっくらもっちりで、旨いぞ。


 なんでいまさら玄米か。

 この夏、ちょっとごはんが美味しくて、自分史上最高体重を記録した。
 まさにオリンピックイヤー!
 ニューレコード!!

 ほんとに洒落にならない。落ちないんだこれが。

 今までは、なんとなく食べ過ぎて身体が重くなっても、
 ちょっと数日気をつけていれば、まあ、戻った。

 しかし40の声を聞く頃から、だんだん戻りが鈍くなり、
 もう、なんか戻らなくなった。

 年はとるもんだ。だれだってそうだ。
 40年も生きてくりゃあ、どっかにガタもくるもんだ。
 シミもシワも白髪も、
 くすみ、たるみ、
 やってきました、これぞ老化。

 いつまでも若くありたいとはちょっとは思うけど、
 若さに固執するのは見苦しいと思う。
 若さもみな平等にあったのだ。
 それを資源として活用できたかどうかは関係なく
 みんなに老化はやってくる。

 だから、おだやかに枯れていきたいとは思うけど、
 できれば健康に年を取りたい。

 この年になって痛切に感じるのは
 「喰った物が自分をつくる」という圧倒的な事実だ。
 無責任に喰い散らかした結果が、下腹に現れるのだ。

 むー。

 ねえ、最近新陳代謝がさー、やせないよねぇ、などと
 同級生に話しをすると、
 そう?
 とそんな風でもない。
 
 「玄米食べてるのがいいのかな。」

 え?玄米?

 そう、すっきりさっぱりしてる人が、みなさん玄米食べていると言う。
 ほうほう、玄米、いいとは最近いろんなところで聞いておったが・・・

 玄米食べたらどうなるのでしょう。

 のっぴきならない現実が、背中を押して玄米喰ってみることにした。

 でも、玄米ってどこで買えばいいのだ。
 スーパーには、白米に混ぜる雑穀しか置いてない。
 精米したてが売りの米屋で、精米はいいですからと玄米を買った。

 それにしても、玄米食というのは、さまざまな波紋を呼ぶね。


 なんかさー、玄米いいらしいよ?と言うと、
 みなぎょっとした表情を浮かべる。
 「ああ、玄米ねー。いいらしいけどねー。」

 そこには、
 旨いものを喰うという快楽を取り上げる気か、という
 恐怖とか憎悪とか、そういうものを感じる。

 血のしたたる肉だとか、クリーム天国なスイーツだとか
 そういうもの厳禁のストイックな響きがあるよね、「玄米」。

 うちの母も「玄米・・・そういえばYさんが学校に持ってきよったよね」
 と苦々しそうに言った。

 小学生の頃、なぜかひとりだけ給食を食べず、お弁当持参の子がいた。
 てっきり病気かなにかかと思って気にもしてなかったけど、
 彼女のお母さんが玄米菜食主義だったのだそうだ。
 
 なんというか、玄米原理主義みたいになると、つらいね。

 玄米は身体にいい。そうだろう。
 身土不二、一物全体、それも納得。
 正しい、だから反論ができない。
 それはちょっとした暴力になり得る。

 よく知らない友だちからファミレスに呼び出されて、
 知らない「先輩」と、目をキラキラさせて
 「ね。だから一度、青年部の集まりに参加してみたらいいと思うの」
 などと2時間も3時間も入信の説得をされた、あんな圧力を感じる。

 宗教と食い物は、個人の自由だ。
 何を信じようが、何を喰おうが、人様に迷惑をかけなければ勝手だ。

 だから、わたしはあなたに「玄米いいよ」などと言う気はあんまりない。


 養生、豊かさ、健康、しあわせ、
 それぞれ、いろんなかたちがあっていい。


 それにしても、玄米食べはじめて体重がもとに戻った。できすぎてる。
 まあ、玄米喰ったらやせるんじゃなくて、
 野菜やほかの食べる物にも気をつけるようになったからだと思うけど。
 気に入ったので、当分続けてみるつもりではある。

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2012年8月12日 (日)

鼻たかたか

 私の鼻は、低い。かつ、先がわれてる。


 小さい頃からそうだったと思う。
 生まれつきだもん、しょうがない。


 母方の祖母は、わたしの鼻が低いのをひどく気にして

 「いっつもこうするんで、鼻、たかたか」

 といいながら鼻をおもいっきりつまみあげるのだった。

 いたいよう

 うまれつきの鼻のかたちなんて、つまんだってなおんないよう

 幼稚園くらいのわたしは不満だった。

 おばあちゃん、と呼んではだめで、「おおきいまま」と呼んでいた。


 「おおきいまま」のお母さん、つまりわたしのひいばあちゃんは
 「なんとか小町」
 と呼ばれるほどの美人だったそうだ。
 背は小柄だったけど、わざわざ顔を見に、若い衆がやってくるべっぴんだったそうだ。

 その娘の「おおきいまま」も、やっぱりべっぴんだった。
 母が言うのに
 「小さい頃見よったおかあちゃんは、あの梅ちゃん先生そっくりじゃったよ」

 ええ!堀北真希ですか!

 若い頃の写真が残っていて、白黒セピアの小さな写真なんだけど、
 確かに、二重の大きな黒目がちの、はにかんで笑う美しい娘さんが写っていた。

 母も、若い頃相当見合いの話しが来たそうだ。

 代が下るにつけ、だんだんぶさいくになる、と言われた。

 わたしは、鼻が低かった。

 「しおりは、他の目やら口やらはええのに、鼻がひくい。
  いっつもこうして、鼻たかたかするんで」
 とずっと言われて、鼻をきーーっとつままれていた。

 

 残念ながら、鼻たかたかの成果は出ず、低くて割れた鼻のまま大人になった。

 そんな、つまんだくらいで、なおりゃしないよやっぱり
 と思っていたのだが、

 昨年くらいだったか、

 「おばあちゃんはね、ケロイドでひきつって曲がらんかった腕を、
 おおきなタライに水を張ったのを両腕で持って、自分で伸ばしたんよ」
 と母から聞いた。

 祖母は、31歳のとき、広島の原爆にあって、全身にやけどを負った。
 美しい顔を、人相がわからなくなるほど焼かれて、
 着ていた服はみな焼けとんで、
 手足の皮膚はとけてたれさがった。
 
 それでもなんとか、死なずに生きた。

 あの、原爆資料館で見た、蝋人形のように
 お化けみたいに両手を前にぶらんとさせて
 そのとき皮膚が引っ付いて、腕がのびなくなった
 それを、自力で、伸ばしたんだと。


 それを聞いて、
 ああ、鼻くらい、つまんだら高くなるわ。
 
 祖母の言い分が腑に落ちた。

 ケロイドの跡をごまかして上手に化粧して
 仕立てたスーツを着てお洒落して
 恋愛して再婚した祖母。



 鼻くらい、たかくできなくてごめん。おばあちゃん。

 お盆になると、思い出す話。


 

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2012年6月 6日 (水)

やさしい入道雲

 野球教室の帰り道。

 ぼんやり夕暮れの空を見上げていたら、

 「あのさぁー、ちょびね、こう、イメージで考えたんよー。」
 
 ふんふん、なになに?

 「このまえさぁ、野球見にいったとき、にゅうどうぐもがおったじゃない?」

 先日、マツダスタジアムにカープを見に行った時のこと、
 山側にもくもく、でっかい入道雲が出ていた。
 あれがこっちに来てザーーーって降って中止〜とか、あははー、
 などと話していたが入道雲が球場にやってくることはなく、無事試合終了(負けた)。

 「あの山のあたりにはたけがあって、
 おじさんが『水がなくてこまった、どうしよう』ってこまってて、
 それを見たにゅうどうぐもが、
 『よし、雨をふらせてあげよう』って行って、じゃーって水をあげるんよ。
 で、『お、あっちは球場だな、行っちゃだめだな』って、こっちにはこんのんよ。」

 ふーん、やさしい入道雲だねぇ。

 「そうなんよ。そういうやさしいにゅうどうぐもばっかりだったらいいなーって思ったんよ。」

 そうだねぇ。

 

 夕暮れの雲は筋雲で、入道雲はいませんでした。
 
 風もさわやかで、ずーっとこうしていたい気持ちになった。

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2012年4月24日 (火)

自分をそこに見る

 参観日があった。

 国語の授業で、「ぼくのわたしの自己紹介」。
 事前授業で、紙に自分が好きなものやことをいろいろ書き出して、そこから1つのトピックを紙に書き出して発表するというもの。
 絵を描いた方をみんなに見せ、裏の作文を読む。

 「ぼくがすきなことは、サッカーです。サッカーをすると、たのしいからです。たくさんゴールをきめたいです」
 パチパチパチ
 「わたしのしょうらいのゆめは、おいしゃさんになることです。たくさんびょうきのひとを、すくってあげたいからです」
 おおー、パチパチパチ
 「ぼくのすきなきせつは、はるです。きもちがよくて、ちょうちょやはなが、たくさんあるからです」
 パチパチパチ

 息子の番だ。

 あれ?あれ?
 縦書きの紙なのに、横向きに絵を描いておる。
 友達に指摘されて横向きに出すと、うらの原稿が読めない。
 くるっくる紙をまわし、笑われ、本人も笑っておる。
 「ぼくがすきなことは、ウイーのマリオです。パパと、すてーじ2のボスがたおせないのでくやしいです。はやくボスをたおしたいです」
 パチパチ・・

 ゲームかよ!!!(参観保護者の心の声が響いたような気がした)

 そこにはテレビに向かって、ながながと横になってゲームに興じる馬鹿親子が描かれていた。

 かーちゃんは恥ずかしいです。

 「ぼくのしょうらいのゆめは、サッカーの日本代表になって、ワールドカップにしゅつじょうすることです。ぜったいに日本代表になりたいです」

 そんなリッパな夢を抱いてる子もおるわけだ。

 どこでどうまちがえたか。

 帰り道、自転車を押しながらとぼとぼ聞いてみる。

 「あのさ、なんでゲームにしたの?」
 「ぼく、すきなことっておもったけぇ、ゲームにしたんじゃけど、みんなぁ、しょうらいの夢とかはっぴょうしたけぇ、どうしようかなーってドキドキしたんじゃけど、Kくんもマリオ好きっていったけえ、ほっとしたんよ」

 あのなぁ、自己紹介ってのはな、自分がどういう人間に見られたいかをさりげなく表現する行為なんだよ。おまえが発表したことはな、ぼくはゲームばっかしやってるアホ人間ですって表明だよ、
 と言いたかったが我慢した。


 小学3年生。でかくなった。
 幼さがどんどん抜けてきた。
 言葉遣いも、話す仕草も、子どもだけどもう幼児ではない。

 そしたら、その姿のあちこちに自分が見えてきた。
 朝起きない。だらだら着替える。出したら出しっ放し。あいさつできない。素直じゃない。ふざける。子どもらしくない。
 自分のきらいなとこばっかしそこに見る。
 いやだ。
 8年、ほったらかしにして育ててきた結果がこれだ。
 もうぼちぼち、親の言うことも聞かなくなる。
 どうしたらいいのか。
 などと悩む。

 じゃあ、どんな子なら自慢の息子なのか。

 さあ?

 欲を言えば、なんかこう、夢中になってほしい。
 お友達は、将棋に夢中だったり、熱心にサッカーやってたりする。
 やつは野球習いにいってるけど、ぽわぽわ野球なので、老人倶楽部みたいだ。

 でもさ、自分だって夢中になれるものなんかこの人生にいっこもなかったじゃないか。
 だからこんな、野良犬みたいな川端クンクン人生なんじゃないか。
 それがいちばんいやだ
 息子には、なんだっていいから自分が好きで夢中になるものにのめりこんでほしい。

 
 などと心を痛めながら雑誌の片付けをしていた。
 暮しの手帳のバックナンバーを捨てるつもりで読み返してみたら、佐々木正美さんという児童精神科医の方が書かれたものが目にとびこんできた。

 「私たちは豊かさや自由に恵まれた環境の中で、いつのまにか、少しずつ、自己愛的で自分勝手な生き方に陥っているのかもしれません。
 そして子どもが望んでいることに心や手をかけてやるよりも、親や大人自身が希望し期待することのほうに意を用いる傾向を強くしてきてしまったのではないでしょうか」

 そのとおりでございます。
 いかんいかん、ますます親の期待するほうに意を強くするとこだった。

 「子どもというのは、自分で望んだことを望んだとおりに、どのくらいしてもらえるかということが、自立への基盤になります」

 「子どもの意思の力が弱い場合は、育てられ方の中に優しさが不足していたことがほとんどです」

 ああ耳が痛いです。

 こどもの「・・・したいな」の芽をむしってきたのはこの私かも。
 
 いやだ。いまからでも遅くはないかな。


 参観日のあと、骨折した友達を気遣い、松葉杖を持ってあげたりする息子の姿を見た。
 どの子ともなんとなくうまくやっており、どんなグループの遊びにも「いーれーて」と入れてもらえるんだそうだ。
 ちょっとした嫌がらせやけんかや暴力などというトラブルを耳にするようになったが、するりとかわして楽しそうにしているのは、大きな才能ではないだろうか。
 ごろごろだらだらしてるけど、鼻歌うたって上機嫌だから、まあ、いいのではないだろうか。

 ダメなとこにばかり目をやっていると、悲壮な気分になる。

 自分の中にもまあ、いいところがあるんじゃないかと思うようにする。
 息子もまあ、元気ならそれでいいかと思うようにする。


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2012年4月13日 (金)

くつした

 息子の靴下とわたしの靴下の見間違いをするようになった。
 うちの家族はみんな「黒靴下」が多い。
 息子の足はまだ20cmだけど、ぱっと見わたしの23.5cmMサイズとかわらない。
 たまにオットが洗濯物をたたむと、十中八九わたしのタンスに息子の靴下が混じり、みつからないやつは息子のタンスから出てくる。
 半パン制服なので寒い時期はハイソックスで通学。わたしはハイソックスはかないからいいんだけど、やつが短い靴下になってくると話がややこしくなる。

 そろそろやつも短い靴下になるなぁなどと、洗濯物をたたみながらぼんやり考えていたのだが、うちは大人2人と子ども1人だからまだいい。

 兄弟いたら、もっとややこしいな。
 年が近い同性の兄弟なら、どっちがどっちの靴下か、判別できないな。
 三兄弟とか、三姉妹とか、1日に子ども靴下が3足、6枚も洗濯になるわけだ。
 お父さんとお母さんの4枚も加わると10枚。
 二日で20枚。もう靴下だらけ。
 そうなってくると、誰のかもそうだけど、どれとどれがペアかも判別難しいよね。
 判別するのかな。
 
 もうそういう家族は、「こどもの靴下入れ」みたいなとこに放り込んで、各々自分でそこから選んで履くのだろうか。末の妹はいつもかたっぽずつちがうの履いちゃって帳尻があわなくてお姉ちゃんが怒るとか。

 兄弟が多い家を知らない。
 よその家族のしきたりは知りようがない。

 しらないことが多いね。


 

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