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2005年7月10日 (日)

誰も教えてくれない出産:10.だからわたしは子を産んだ〜産もうと思った理由わたしの場合〜

(2005年06月23日に書きました)

結婚して数年たった夫婦は、必ずこう聞かれる。
「あかちゃん、まだ?」
例外なくわたしも耳にタコができるくらい聞かれた。
聞く方は、「二人のなれそめは?」的な軽いネタ振りくらいのつもりで聞いてくるのだが、聞かれる方はたまったもんじゃない。

結婚して数年たった男女は次のステップとして子どもを成し、2人、3人と家族を増やし、夏休みには家族でディズニーランドに出かけるのが世の中の常識だと信じて疑わない人が大勢いる。

しかし、子どもが欲しくない人だっている。
それに、欲しくてもなかなか授からない人だっているんだ。
なのに無神経な想像力のなさで、気軽に「あかちゃん、まだ?」などと聞かないでほしい。

わたしも、子どもはまだ当分欲しくない、と思っていた。

結婚した時、いつかは子どもを産むんだろうなとは、漠然と思っていたが、
それがいつかはぜんぜん想像もつかなかった。
遠い遠い先の話のような、あんまりちゃんと考えたくもないことだった。

だって、子ども産んじゃったら、なにもかもあきらめなきゃいけないじゃない。

やっぱり子ども産まれたら、手もお金もかかるし遊べないよなあ。どうせおしゃれもしなくなっちゃって、旅行に行ったり、おいしいもの食べに行ったりもできなくなるもんな。
仕事だって中断しなきゃいけない。こんな流れの早い仕事1年休むなんて、今まで積み上げてきたものぜんぶ台なしだ。

そんなデメリットを承知で子どもを産むメリットって、何?

子どもを持つ友だちにそう聞いてみた。
「かわいいよ」。答えはそれだけだった。

たったそんなものでこの多大なデメリットをあがなえるというのか?へっ?
そんな疑問に答えなんか出るはずもなく、共働き夫婦の気侭な生活は4年ほど続いた。

しかし。
それまで自分の中で一番大きなウエイトを占めていた「仕事」の状況が刻々と変化していった。
仕事をし始めて10年近くなる。
最初のうちはがむしゃらで、触ったら切れそうなそのころの私は、青臭くてアホ丸出しだが、原始的なパワーでそこそこのことをやってきたように思う。
なんとか一人前に仕事がこなせるようになったころ、周囲の状況が激変、会社も仕事もずいぶん様変わりしていき、それに流されるようにしてここまで来た。
そうして、数年。
あれ?わたし、こんな仕事がしたかったんだっけ?
なんだか最初の、憧れとか目標とかの世界から遠いところにいる自分に気がついた。
気がつけば、どうしようもなく傲慢で怠惰な仕事の仕方しかできない自分があぐらをかいて目をつむっていた。
社会人になって初めて、そんな状況にいやけがさしてきた。
もう、こんな自分いやだ。抜け出したい。
煮詰まってドロドロに考え込んでいた時、ふと、

こども産んでみようかな

なんてことが頭に浮かんだのだった。

32歳。そろそろいいのではないか。
オットもその前年、念願の開業を果たしたところで、家族のタイミングとしても申し分なかった。
ひょっとしてこれがわたしのタイミングなんじゃないか。
今が産み時なんじゃないか。

そうひらめいてオットに話をし、ほどなくして妊娠が判明した。
(うちのオットはエースストライカーと呼ばれている)

うわー!もう授かっちゃったよ!
あまりの急展開に我ながらびっくり。
でも、自分の体の中に、小さな心臓がぴくんぴくんと鼓動しているのを見た時、
理屈ぬきで嬉しかった。
体の底から震えるほど嬉しかった。

妊娠を報告した全ての人が喜んでくれた。
その喜びの反響の大きさに、一番驚いたのはわたしだった。
こんなに喜びをもたらすことだったんだ、コレって。

でも喜びの影で、まだ戸惑う自分がいた。
現状から逃げるために子ども産むなんて、卑怯だよなぁ。
将来子どもに「どうしてぼくを産もうと思ったの?」なんて聞かれて
「それはね、かあさんお仕事いやになったからよ」なんて答えられるか。
あかちゃん欲しい!と熱望したわけじゃないのに産んじゃって、
ちゃんと子ども、愛せるのだろうか。

などと考えていてもしかたがない。
もうできちゃったのだから、産むしかない!

頭を切り替えて、出産準備モードに突入。
仕事のことはもう、つつがなく引き継ぎを終わらせることだけ考えて、と。

さて次は・・・子どもができたら当分できそうにないことをかたっぱしからやろう。
旅行に行けなくなる、おいしいものを食べに行けなくなる、子どもができたらあれもこれもあきらめなきゃいけない・・・・

だんだん憂鬱になってきた。「死ぬ前にしたい10のこと」じゃあるまいし!!
そして鼻息荒く、心にかたく誓った。
なんでハナからあきらめなきゃいけないんだ。
子どもがいるからってやりたいことを我慢したりなんかしない!
絶対に今の生活スタイルを崩したりしないぞ!、と。


そして、出産。

産後のしんどい時期も過ぎて、今、やっと分かったことがものすごくたくさんある。

子どもを産んだらできなくなってしまうと考えこんでいたこと、
わたしの楽しみはたったそれっぽっちだったのか、と。

そりゃあ確かに身一つでぽいっと動けていた頃に比べて機動力は格段落ちた。
ベビーカーじゃエスカレーターも使えずエレベーターを待つイライラもつのる。
授乳のことを考えたらワンピースも着られない。
べろんべろんに酔っぱらって嫌なことを吹っ飛ばすような無茶もできなくなった。

だが、それにも増してわたしには、魅力的な世界が新たに広がったのだ。
たとえばこうして息子とぴったりそばにいる充足。これはまったく新鮮な喜びだった。
息子の匂いをかぎ、やわらかい手足をにぎり、体中でだっこしているとき、
ちょっとうまく言えないような充実感につつまれる。

「かわいいよ」、そう、子ども産む理由なんてその一言に尽きるのであった。
友だちの言ったことは過不足なく本当だった。
自分の子どもがこれほど愛しいものとは、想像をはるかに超えていた。
見た目は南伸坊似のおじさんくさい息子ではあるが、ただそこにいるだけでかわいい。
毎日、寝顔を見てはニヤリ、泣き顔を見てはぷぷぷ、笑顔を見ては泣きそうに愛しい。

しかもその息子が、何の疑いもなくわたしを心の底から信頼し、必要としてくれるのだ。
こんなふがいないかーちゃんなのに、だ。
そばにいてそっと触れると安心しきったなんともいえない表情をする。
これほど充実した気持ちは今まで味わったことがない。

結婚する前も恐かった。
二人の関係が変わってしまうのではないか、と。
そんなの、結婚してしまえばどーってことない心配だったとわかった。
子どもを産むのも、そうだった。
こうしてまた一つ、自分の中の問題がクリアになった。

仕事にしたってそうだ。
子育てをして仕事をしていない今の方が、はるかに見通しがよくて思考もクリアだ。
そう、仕事を休んでいるあいだ、せっかくのスキルがどんどん錆びていくようで恐かったけど、それは全くの杞憂であった。
“せっかくのスキル”なんてもったいぶっていた自分が小さすぎて恥ずかしいくらいだ。
もちろん、企画書制作などの実務から離れて1年、多少カンは鈍っているかもしれない。
でも、取り戻せばいままでよりもうちょっと深くなった懐から、なにか新しいものが取りだせそうな気がするのだ。

これから、またいろいろ頭を悩ます問題もたくさん出てくるだろう。

だいたい、逃げ出してきた「仕事」の問題も先送りしたままだし。
育児休暇明けには、ちゃんと向き合わなくてはいけない大問題だ。
息子を預けて働くとして、仕事と育児、ああ、自分が2倍になるわけじゃなし・・・

だけど、大丈夫。乗り越えてしまえばきっとどーってことないコトだ。
そう思えるようになった自分が、最近はちょっと好きになった。


今は、子どもを産んで本当によかったと、素直に思える。
この気持ちも、きっと誰も他人に上手に説明なんかできやしない。
だから、誰も教えてくれなかったんだ。

わたしはわかった。
だから、すべては老婆心から、こうして誰かに教えたかったんだ。

出産、これはたまらなく甘美な出来事なんだと思う、きっと。


《ひとまず、おしまい》

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コメント

連絡が無いので、心配していました。
色々大変でしたね!
これからも、こちらで、ぶーにゃんを宜しくお願い致します。
今書いてるコラムは、こちらの方が良いのかな?

投稿: fujikohirota | 2005年7月20日 (水) 午後 09時25分

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