教えてくれない出産:3.産後重後 〜入院生活篇〜
(2004年06月26日に書いたんよ)
人生最大にして最高の瞬間、出産。
その余韻に身も心もしびれるような気分で一夜を過ごした、翌朝。
それから「産後」が始まった。
7:00、朝ごはん。うまい! さあ、これから新しい生活が始まる、そんな高揚した気分で完食。
看護師さんに車椅子にのせてもらい、自分の部屋に移動。
ごはんがおいしいよとの評判と、病室は個室だということでこの病院を選んだのだった。
事前見学会で見たその部屋は、こじんまりとシンプルなインテリアで居心地がよさそうだった。
わくわくハイテンションで看護師さんと話していると、
「いやー、こーのさん一番出血ひどかったのに一番元気ね!ごはんも残さず食べてたし」
「え?」
通常分娩では500ml程度の出血が普通らしいが、わたしはなんでも1000ml近く出血したらしい。
「先生も心配してたけど、元気そうでよかった!」
・・・いやいや。それ聞いて一挙に元気じゃなくなりましたとも。
部屋にて点滴を受けながらしみじみ具合が悪くなってきた。
1000mlつったら牛乳パック1本分だよ、そんなに失血して大丈夫かわたし?
お昼ご飯はサイコロステーキ。食欲はなかったけど「血つくらねば」と必死に食べる。
午後、息子つれてきてもらい顔を見るが、「母子同室はまだムリね」と新生児室へ。
大貧血の頭はふーらふらで、その日はぽかーんとして終わった。
出産したら、そりゃまあしんどいし痛いだろうけど、2、3日で元気になるものだと勝手に思い込んでいた。
それはあまりに甘過ぎた。
むしろ出産よりも産後の方が過酷だと思い知るのに、そう時間はかからなかった。
まず気がつくと全身筋肉痛。ふんばりまくってがんばったせいで、腕足肩背中、あらゆるところが悲鳴をあげている。内臓の平滑筋まで筋肉痛になったかのようだった。
もちろん、会陰の痛みも生半可なものではない。切って縫っているのだからにして。
ドーナツ型のクッションなくしては椅子にもすわれない。寝てても痛いし起きても痛い。
え、これで排尿?冗談でしょ?しかもその後清浄綿で消毒?信じられない。
重度の貧血で、腕の上げ下ろしだけでも目がまわる。頭がずきずきする。
満身創痍って、今の自分のことじゃわい。
にもかかわらず翌日から怒濤のような入院生活が始まった。
ある一日(入院3日目)のスケジュールをざっと書き出してみる。
6:00 起床、検温、朝の身支度
7:00 新生児室にあかちゃんを預けてラウンジに移動、朝ごはん
8:00 新生児室に迎えに行き部屋で授乳
この「授乳儀式」慣れないもんだからやたら時間かかる
先生回診、片ちち出したまんま応対
9:00 処置室にて会陰抜糸 え、もう抜いちゃうの?涙でるほど痛し
哺乳瓶の交換、部屋の清掃などで人が出入り
10:00 他の日はこの時間、会陰の消毒、点滴、授乳指導、沐浴指導など
日替わりスケジュール
11:00 そうこうしてるうちにまた授乳
12:00 うわもう昼だよ
新生児室にあかちゃんを預けてラウンジにてお昼ごはん
13:00 粉ミルクの調乳指導などがある日もあった
母が差し入れ持ってくる
14:00 またまた授乳
15:00 いつもは3時のおやつ(紅茶とお茶菓子を部屋でいただく)の時間だが
今日はエステ! フェイス&フットマッサージを受ける
むくみまくった足に心地良いマッサージ
なんにも考えずしばしうっとり
16:00 友人がお見舞いに来てくれる
義母も孫の顔見に寄ってくれる
17:00 またまた授乳 あれ?おっぱいに異変
異様に張ってきたような
18:00 新生児室にあかちゃんを預けてラウンジにて夕ごはん
食後迎えに行き、部屋でやっと一息 すこしうとうと
20:00 授乳
オットがくる 親子3人で過ごす
寒い家に帰らなきゃいけないパパちんを見送り
23:00 授乳 いよいよおっぱいかちんかちんに
痛いのにがんばって授乳
24:00 ひとまず就寝
息子泣いておろおろ 寝られず
2:00 授乳 おっぱいが熱もって震えが止まらない
ナースステーションに助けを求めに行く
アイスノンで冷やしつつ横になる
すぐにアイスノンぬるくなり交換しに行く
5:00 授乳 ああ、もうすぐ朝だ・・・
お気付きでしょうか。ほとんど寝てません。
あーもうとにかく泥のように眠りたかった・・・
しかしスケジュール満載で横になることすらもままならない。
あっちこっち痛いから、小腰をかがめてずりずりのろのろとしか歩けない。
そんな体にムチ打ってスケジュールをこなしていくのである。
もう、感覚的には「分刻み」でこなしているような慌ただしさ。
そもそも「授乳」についてはまた改めて書くが、その儀式、優に小1時間を要する重労働。
慣れないし体痛いしでのろくさしてたら、うわ、もうごはんだ行かなきゃ、うわ、点滴の時間だ、うわ、お見舞いありがとう・・・そんなこんなでベットで横になれるのもほんのひとときだけ。
ああ体を休めたい・・・なにもかも忘れて眠りたい・・・
おいしいごはんを上げ膳据え膳であかちゃんとまったり、などという予想を鮮やかに裏切られた入院生活であった。
そんな入院生活で心のささえになったのは、スタッフの方々のやさしいケアと、同時期にママになった人たちとの交流だった。
自分が出産したその日、ほんのわずかな時間差で出産したママがもう2人いた。
授乳指導で授乳室に行った時に対面し、「あ、もしかして隣で産んだ・・・??!!」
がっちり握手。もう、同志よ!という心強さであった。
ごはんも体がしんどければ部屋食にもしてもらえるのだが、なんとなく重い体をひきずってラウンジに行くのは、みんなと話ができるから。
「もうおっぱいがカンカンに張っちゃってさー」
「あ、うちも〜〜〜!!!」
ああ、みんなしんどいのよね。話せば気持ちは少し楽になる。
同じ痛みを持つもの同志、気持ちも分かち合えるようだった。
そんなこんなで入院4日目、体は癒えるどころかますます具合が悪くなっていた。
血液検査をすると貧血がさらにひどくなっていた。
今日こそはよくなってると思っていたのに、がっくりである。
体を動かすたびにふわふわし、めまいがする。
筋肉痛もまだ治らない。
おっぱいが緊満してうっ滞し、発熱が続く。
足がむくんで象のようになり、痛くて歩けない。
手に力が入らなくなり、字が書けなくなった。
体がつらいと心もつらくなってくる。
マタニティ・ブルーというやつがやってきた。
体の中では出産を境に、恐ろしい勢いでホルモンのバランスががらりと変わる。
その変化に適応できない心と体がきしんで涙を流すのだ。
ハイテンションでお見舞いに来てくれた人としゃべりまくったかと思うと、
オットや親の顔を見てぽろぽろと涙をこぼしたり。
慣れない授乳もうまくいかなくて自信もなくし、
泣き止まない息子を見てるのがつらかった。
夜中にあかちゃんが息をしていなかったらどうしようと恐くなって寝息を確認したり、
なんでこんなにしんどいんだろうとくよくよ思ったり、
あれこれ悲しい考え事をしてしまい眠れない夜を過ごした。
それでも朝は偉大である。
午前6時の起床前、始発の市電の音が聞こえ、今日も世界が始まったことを知る。
窓の外が白くなる。
朝の光は希望の光。
闇夜の憂鬱を照らしてくれる。
お見舞いの花があふれた明るい部屋で
また忙しいスケジュールが動きだし、
なんとかかんとか1日1日と入院生活は過ぎていったのだった。
そして、退院の日。
冬晴れの、美しい日だった。
体はまだまだしんどいけれど、やっぱり心は晴れやかだ。
息子に、病院の産着ではないベビー服をはじめて着せる。
真っ白いおくるみにくるまった息子をしみじみと見る。
さあ、外の世界にいこうね。
最後の診察の後、お世話になった先生やスタッフの方々に挨拶をして
迎えに来たオットとタクシーで病院を後にした。
産後1ヶ月くらいは実家で過ごすことにしていたので、実家に帰る。
その前に自宅に戻ってみた。
玄関のドアをあけて中に入った瞬間、どっと涙があふれてきた。
ああ、こうして無事に息子を抱いてここに帰ってこられたんだ。
ほんとによかった。
出産の不安を抱えて「いってきます!」と家を出たのは1週間前のことだ。
たった1週間留守にしただけなのに、ものすごい長旅から帰ってきたような懐かしさで胸がいっぱいだった。
リビングに入ってまた涙があふれた。
植木が枯れてら・・・。
取り込んだままの洗濯物や、新聞やコンビニの袋などが散らかり放題だった。
たった1週間留守にしただけなのに、こうも荒れるものなのか。
違う意味で泣けてきた。
まあしかし、仕事が忙しい時期で、病院に寄ってチャリこいで寒い家に帰り、コンビニ弁当食べて倒れるように眠るオットの姿が見えるようで、かわいそうで、仕方のないことだ。
ああ、この現状を放置したまま実家に帰らなくちゃいけない心残り。
これから1ヶ月、ますます悪化していくであろうこの状況、
この家で、親子3人、ふつうに暮らせるようになるのは一体いつになるんだろう。
途方に暮れるって、こういう感じだろうかなどとぼんやり思った。
見なかったふりをして荷物を整理し、実家へと向かったのだった。
■
いやー、ひとまず退院です。
実家では上げ膳据え膳、甘えられるし、なによりやっと寝られる!
しかし「産後」のココロはそう単純なものでもなかったのでした。
(つづく)
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