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2005年7月10日 (日)

誰も教えてくれない出産:5.産後重後〜実家養生篇 その1〜

(2004年08月30日に書いたです)
退院後、約1ヶ月間実家で養生させてもらうことにした。
オットには申し訳ないが、当分自分のことは自分でしてもらうとして、
わたしは実家で体を休めつつ息子のことだけして過ごそうと思ったのだ。

リビングの横の6畳の和室が、わたしと息子の部屋として用意されていた。
両親もはりきって掃除して、万全の体勢で迎えてくれたようだ。
さっそく“巣づくり”。
ベビーベッドはここでふとんはこう敷いて、本はここで荷物はこう積んで・・・
異様な神経質さでモノをならべ、居心地のいい“巣”をこしらえた。
これは動物の本能だろうと思うが、赤ん坊を守るテリトリーをやっぱり必要とするのね。
実家の両親も気を使ってくれて、わたしが自分からリビングに出ていくまで決して部屋を覗いたり、戸を開けたりしなかった。それだけわたし自身がピリピリしていたんだと思う。

さて、始まった実家生活はあまりにのどかだった。
病院でのあわただしいスケジュールはここにはない。
寝たければ寝て、食事も食べたい時に用意してくれる。
やった〜!やっと心身共にゆっくりできる〜。

とりわけ母の献身的なサポートはほんとにありがたかった。
朝昼晩の食事も貧血ぎみな娘のためにあれこれ考えておいしくつくってくれ、
孫と娘が起きてるわずかなすきに布団を干して掃除して、息子の汚れ物も嬉々として洗ってくれた。
いや〜有り難や有り難や。
まさに上げ膳据え膳。極楽ですわ。
父も仕事が終わったらすっ飛んで帰ってきて、でれっでれの顔で息子を眺める。
母と争うようにだっこしあって、甘〜い声であやしている。
そんな様子をみると、実家で甘えさせてもらいつつ、かつ親孝行までできているようでうれしかった。

息子が寝てる間は母とお茶などしながらテレビを見たり、雑誌をめくったり。
この家で暮らしてた独身のころを懐かしく思い出しながら、ゆったりと過ごした。

そのころ息子は驚異的な眠り力を発揮、授乳時間になっても爆睡したまんま、ということが多くなっていた。
わざわざ起こすのもかわいそうだし、かーちゃんものんびりしたいので寝たいだけ寝かし、結局1日の授乳回数は5・6回、という日々。


そして退院後1週間健診。
なんと・・・そこで先生に怒られちゃったのである。
いや、寝耳に水の衝撃。
この時期1日にだいたい30g増えてないといけないのに、この1週間あまりに増えてない!と。
確かに退院までは1日30gペースで増えていたのに・・・
やっぱり寝かせ過ぎだったか・・・
授乳回数も最低でも1日7回はないと!とハッパをかけられてしまった。

これにはかーちゃんかなりショック。
たった1週間ぽっちもちゃんと育てられてないじゃん!
早くも母親失格じゃん!!
ううう、明日からは時間が来たらむりやり起こしてでもおっぱい飲ませなくっちゃ・・・。

そして「おっぱいノイローゼ」の日々が始まった。

相変わらず病院で習ったあの授乳儀式を正直にやっていたのだが、体重が増えてなかったショックもあって、1回につくるミルクの量を増やすことにした。
それまでの40cc→60ccに。
それでも息子はぺろりと飲んで哺乳瓶を空にするではないか。

それにミルクは腹もちがいいのか、また爆睡し続ける。
授乳時間にむりやり起こしておっぱいを含ませても、ねぼけているのかあんまり吸わない。
それなのに60ccのミルクは完飲するのである。
ミルクを80ccにしてみようと思ったところでふと気付く。

もしやこれは・・・・「おっぱいのデフレスパイラル」なのでは!?
→ミルクたくさん飲む
→おなかへらない
→おっぱい吸わない
→おっぱいつくられない
→おっぱい出ない
→ミルクの量を増やす
→ミルクたくさん飲む
・・・・

こっ、これじゃあおっぱい出なくなってしまう!
もっとおっぱい吸わせないと!

でも・・おっぱいやっぱり出てないんかなあ。
体もしんどいし、乳首も切れて痛いんだよなあ。
息子の体重増やさねばならんし・・・
も、もういっそのことミルクオンリーにしてしまうか???
・・・弱気になっておっぱいをあきらめようかとも思った。

でも、やっぱり本能が納得しない。
自分の子供を自分のおちちで育てるというあたりまえのことが、
なんでわたしにできんのか?
なんで湯でといたような粉ミルクを飲ませんといけんのか?
そりゃあ今や粉ミルクも優秀なんだろうけど、やっぱり母乳にはかなわないと聞く。
サルでもできるおっぱい、わたしにできんはずがない。
やっぱり、やっぱり、母乳で育てたい!

夜中に友人からもらっていた母乳育児の本を読んでみる。
「出ないおっぱいはない」 ふんふん。
「泣いたら吸わせる、それをくり返せば必ず出る」 そ、そうか。
そして、赤ちゃんは「弁当と水筒を持って産まれてくる」といわれていて、母乳が出るまでの数日は自力でがんばれるんだとも書いてあった。
1日何グラム増えてないとダメ、なんてくよくよ考えるのはナンセンス、だとも。
じゃあ、その弁当と水筒が有効な産後2、3日のうちに、とにかくおっぱいを吸わせ続けて母乳分泌を促さないといけなかったんだ。
もう過ぎたことはしかたないけど、今からでもとにかく吸わせて吸わせて刺激してもらって、そしたらきっとおっぱいちゃんと出るようになる!
なめるように何度も何度も、自分に暗示をかけるかのごとくその本を読み返した。
そして、ミルクの量をちょっとずつ減らし、授乳スケジュールなんか無視して、はいよ!はいよ!とおっぱいをだしては吸わせるのをがんばって続けてみたのだった。

そうこうしているうちに1ヶ月健診がやってきた。
体重は・・・ものすごく増えていて、元気そのもの!と太鼓判を押されたのだった。
よかった〜!「かーちゃん失格」免れた!
おっぱいもちゃんと出てたんだ!
これがちょっぴり自信となり、とうとう、思いきってミルクを足すのをやめ、母乳だけでやってみることにしたのだった。

翌日からは母乳だけ。これがなんとラクで楽しいことか!
いちいちミルクをつくる手間もなく、授乳スケジュールに縛られることもなく、あの授乳儀式もせんでもよく、ただただ、息子の表情だけを眺めていればいいのである。
泣いたら、ほれっ、ぽろりと胸を出し、思う存分吸わせればいいだけだ。

と、簡単そうに書いたが、そのころまだ授乳に慣れていないわたしの授乳スタイルはもう大変。
片乳ずつ出せばよいのに、もろ肌ぬいで両方だしてスタンバイ。
あちこちにクッションをあててポジションをキープし、肩に力が入りまくった授乳であった。

母乳はミルクよりもすぐにおなかがすいてしまうので、泣く回数も当然増える。
そのたんびにまたかーちゃんはもろ肌脱いでクッションを・・・

そんな様子を見ていた両親が思わず口をはさんだ。
「おっぱい、足らんのんじゃない?あんなに再々泣いてかわいそうな。ミルク飲ませたら」
と、勝手にミルクを作ってくる。
息子もこれまたごくごく飲み干す。
両親は得意げに「ほら!おなかすいとったんよ。かわいそうに」
「おっぱい、ボロいけ出んのんじゃないの」と、こうだ。

確かにおっぱいの出にはすごくムラがあった。
ぱんぱんに張ってぽたぽた漏れるような時もあれば、しょぼーんとしていかにも出てない時もある。
今はおっぱいもがんばって需要と供給を調整してるんだ。
それなのに「ボロおっぱい」呼ばわりされるとは・・・トホホ。

わたしを育てた母の世代は、ミルク全盛の時代だったらしい。
母乳の研究がまだ十分に進んでおらず、栄養バランスのよいミルクで育てるべし、という指導がされたし、病院でもミルクを勧められた、そんな時代だったのだ。
だから、こんないい時代のいいミルクがあるのに、母乳に固執する娘が不思議でしょうがないといった感じなんだろう。

たしかに今の粉ミルクはよくできているらしい。
それでも、ミルクメーカーの栄養指導員が「母乳が一番」と認めるほど、母乳の成分はあかちゃんにとって素晴らしいものなのだ。
だからここ数年、母乳育児が再認識され、産婦人科でもこぞっておっぱいで育てましょうと指導しているのである。

と、理路整然と説明する余裕もなく、自分のやり方を否定されたくやしさでカチーン。
まあ、両親だって孫可愛さに口出しするんだから・・・
ぐっとこらえて部屋に閉じこもる。

普段なら冗談で笑い飛ばすところだが、産後のこのゆらゆら精神状態ではムリだった。
ただでさえ何もかもはじめてのことで、自信も確信もない育児。
ほんとに大丈夫なのだろうかとすごく不安なのに、それでもおっぱいがんばろうって思ってるのに、「おっぱい足らんのんじゃない?」この一言はどれだけ私を否定し、傷つけ、自信をなくさせたかちょっと分かってもらえないかも知れない。

自信が持てない育児、プレッシャーがますます心に重くのしかかる。
それは、おっぱいだけじゃなくて、わたしは本当にしょぼーんとなってしまっていた。

(続く)

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