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2005年7月10日 (日)

誰も教えてくれない出産:6.産後重後〜実家養生篇 その2〜

(2004年09月01日に書いとった)

出産後、実家で始まった養生生活。
家事全般一切しない、心身共に癒される日々。
のーんびりらくちん、こりゃええわい、と思ったのものつかの間、
実家での1ヶ月間はいろんなことがプレッシャーとなってのしかかる悩ましい日々となったのだった。

そのトップバッターは「息子の体重増えてない事件」。
退院後の一週間検診で「体重が増えてないじゃない!」と先生に怒られた、あのショック。
自分で産んだ息子をロクに育てられてないじゃない!母親失格!とでも言われたくらいの衝撃だった。
あかちゃんを育てるっていうコトの重大さを、わたしは分かっていなかったと痛感。
植木に水をやるのと訳がちがう。
人間の命を、育てなくちゃいけないんだ。
ああ、枯らしちゃった、なんてわけにはいかないのだ、絶対に。

そして、息子宛に1通の手紙が届いた。
びっくりしながら開けてみると、住基ネットの個人番号が記された書類だった。
出生届を出したから、日本国民として登録された、現在の制度では当然のことである。

しかしそれはわたしにとってちょっとこわいことだった。
“わたしのあかちゃん”を超え、公的に認められた1人の“人間”となったのだ、息子は。
わたしの一存でどうこうできる存在ではなく、もっと大きなもの・・・家族とか、親族とか、地域とか、国とか、人類とか・・・そういうものの共有財産を託され、育てなきゃいけないんだ、わたしは。

そんなこと、このわたしにできるのか?

すやすや寝てばかりいる息子をあらためてしげしげ見る。
突然死してるんじゃないかと寝息を確認したり、髪をなでたりしてみる。
しかし、そんなことぐらいしかしてやれないのだ、わたしは。
あんまりに情けない、これで母親と言えるのか、わたしは。


たたみかけるようにやってきたのは「おっぱい問題」。
「おっぱい、足らんのんじゃない?」
母乳で育てたいわたしと、安定供給できないおっぱいを見兼ねてミルクを足したがる両親との葛藤。
実の親だけに心境は複雑だ。
親の言うことは聞きたい。親の言うことだから正しいと思いたい心理も働く。
しかしここでミルクを足していたら、おっぱいちゃんと出なくなってしまう。
それにこれはわたしの息子だ。どうしていちいち口をはさむの!
わたしががんばろうとしてるのに、どうして信用してくれないの!
と激高してしまいそうになる。
それはひとえに、不安と自信のなさから来る気持ちだった。

入院中は、先生や看護師さん、いわばプロの方々の献身的なケアに支えられて、もしもの時はなんとかしてくれる、と大船に乗ったような気で、つまりどこか人任せな甘えた気持ちで過ごしていた。

しかし、退院したらそれがないのだ。
確かに両親は自分を育ててきた。しかし三十数年も前の新生児を育てた頃のことなんて、きれいさっぱり忘れている。(と、本人が言うのだから間違いない)

入院していた時には、同時期にママになった人たちとのおしゃべりも心の支えになっていた。
退院したらそれがない。

なんだかほんとうにひとりぼっちになってしまったような気がした。

あんなに忙しかった入院生活が懐かしく思い出されて、まるでホームシックのような感じだった。
その病院では午前中に病院のテーマソングが流れるのだが、なんともやさしくて、ちょっと憂いを含んだいいメロディだった。
それが今、頭の中をぐるぐる鳴り響いている。
病室のにおい、新生児室の明かり、スタッフの方々の笑顔・・・
懐かしく思い出されて泣けてくる。

ほんとにわたし、大丈夫なんだろうか。
ちゃんと育てられるのだろうか。
おっぱい、ちゃんと出るんだろうか。
からだ、いつになったら楽になるんだろう。

そう、退院後も体はぜんぜん癒えないままだった。
会陰の傷もまだ痛いし、手がしびれて字も書けない。貧血もひどくて立ちくらみもする。
そりゃ弱気にもなるわな、こんだけしんどけりゃ。

オットの仕事が終わるのはいつも夜9時10時。
だから帰りに息子の顔を見に寄ることすらままならないでいた。
休みの日も、ちょうどそのころ確定申告の時期で忙殺されていて来られない日も多かった。

しょうがないので、ケータイメールで息子の画像を送ったりした。
ほんとは会いたいし、話もきいてほしかったのに、オットもがんばってるんだからと無理矢理大丈夫なふりをしていたけれど・・・

ある夜、こらえきれなくて、泣きながら電話をかけた。
寝ている息子や両親を起こさないように、真っ暗なリビングでしゃくりあげながら話した。
オットが、
「結婚する前みたいじゃね」と言った。
そう、結婚する前もなにかというと深夜に電話をかけて、会いたい会いたいと泣いていたのだった。
「でも、今はもう、おかあさんじゃもんね」

おかあさんじゃもんね。

なんだかわたしは自分のことばっかりめそめそ考えて、恥ずかしいくらいだ。
そう、わたしはもう、おかあさんなんじゃもんね。
なんか、もっとどーんとしっかりせんと、おかあさんじゃないよね。

貧血をなおしていいおっぱいを出すために、明日からいっぱい食べよう。
よく寝て体を早く治そう。
泣いたら息子をいっぱいだっこしよう。
息子のどんな表情も見逃さないようにしよう。

新米かーちゃんに、今できることをちゃんとしよう。
ちゃんとしたおかあさんに、なるんじゃもんね。

それからはもう、めそめそ泣いたりすることはなくなった。
自信がないのは、自分を信じてないからだ。
大丈夫、がんばれる。だってわたしはおかあさんじゃもん!

実家で暮らした1ヶ月。
そろそろ自分の家に帰らなくちゃな、と思いはじめていた。

《つづく》

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