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2005年7月10日 (日)

誰も教えてくれない出産:9.満足な出産とは〜産み方選び篇〜

(2005年01月14日に書きました)

産前のわたしが吟味して選んだ産院、スタッフの方々はみんな親切だし、個室はきれいだし、ごはんもおいしいし、大満足だった。

でも、大満足したのは「母親になる以前の自分」だった。
母になってみて、いかに「産むこと」の意味を知らなかったか痛感する。

出産が、まるでゴールのように思っていた。
それは大間違いで、出産は、あかちゃんとの生活の大事なスタートなのだった。
それが分かって産院を選んでいたとしたら・・・
産院選びはもう少し違っていたかもしれない。
よりよいスタートをきれる出産、それは一体どんな出産なのだろうか。


■産み方も、いろいろ選べるんだ

産後、ふと立ち寄った本屋で「贅沢なお産」というタイトルの文庫本が目に止まった。
漫画家の桜沢エリカさんの本だ。
おしゃれな彼女の“贅沢”なお産って、さぞやゴージャスな産院なんだろうな・・・と思いつつ手に取ると、帯にはなんと「セレブなエリカは自宅出産を選んだ」とあるではないか。

自宅出産!?
自分のうちで産むってこと!?

一昔前はみんなそうだったかもしれないが、今や病院で産むのが当たり前と思っていたわたしはびっくりした。
しかしさっそく読んでみて、納得。
病院での機械的な処置(会陰切開は当たり前、とか)に疑問を抱き、いろいろ調べて自宅出産にたどり着いたのだそうだ。

そしてその“贅沢”さは、産んだ後にあった。
それは、出産の翌朝、もうすでに家族の日常が始まっているということだった。

産んだあかちゃんが、そばにいて、ずっと一緒に過ごすということ。
誰からもなんにも指図されず、なんのスケジュールもなく、すべてあかちゃんと自分の都合だけで時間が過ぎていく贅沢。
これは考えてみれば当たり前のことだけど、ああ、うらやましいなあ、と思ったのだ。

わたしの場合、産み落とした後しばらく胸の上でだっこし、産湯をもらってさっぱりした息子にはじめてのおっぱいを含ませた。それはどのくらいの時間だったか分からないけど、その後息子は新生児室に連れていかれてしまった。
その晩は分娩台となったベットで一人、呆然として過ごしたのだった。

翌日も身体がしんどいのを理由に離れて過ごした。
その次の日も、夜は新生児室に預けた。
それは一見、疲れた身体にありがたいようでいて、実はわたしを母親になかなかさせなかった。
気持ちのどこかで、あかちゃんとずっと一緒にいるのがこわくて逃げていたといっても過言ではない。

もし、産まれてすぐの興奮状態からずっとそばにいたなら、はじめてみる息子の顔をもっともっとよく眺め、いとしい気持ちになって、母になる強い気持ちが産まれたのかもしれない。

それに、母乳スタートもつまづいた。
吸わせないからおっぱいも出ず、初乳もそこそこに新生児室でミルクを飲まされていた息子。

後に読んだ本には初乳の大切さが書かれていて、腸管をペンキのように初乳が覆うことで、アレルギーを起こす抗原が体内に入るのを防いでくれるのだという。その防護壁ができる前に、ミルクのような人間のタンパク質とは異なるものを吸収すると、アレルギーを起こしやすいのだとあった。
(参考文献:「育児の原理−あたたかい心を育てる−」内藤寿七郎 著 アップリカ育児研究所刊)

それを知ったからといって「ああッ!息子がアレルギーになっちゃう」などと神経質に考えたりはしないけれど、やっぱり息子の消化管をはじめて通るものは自分のおっぱいにしたかったなあ、としみじみ思う。

「あかちゃんは弁当と水筒を持って産まれてくるんだよ。だからさいしょはおっぱいでなくても大丈夫。とにかく出るまで吸わせてごらん。ミルクなんか足す必要はないんだよ。3時間おきなんて守らなくても、泣いたら吸わせる、でやってごらん」
そう誰かが教えてくれていたら、(そしてそれを実践するサポートをしてくれていたら)どんなに心強く、自信を持っておっぱい生活をスタートできただろう。


産み方に関していえば、他にも考えるべき点がたくさんある。

たとえば、陣痛促進剤の使用について。
これには様々な考え方があると思う。
ベッドの空き具合や勤務時間など、医者の都合で出産をコントロールされ“産まされる”感じがしていやだという人もいる。安全性に疑問を抱く人もいる。
しかし、ちゃんとした管理の元で適切に使えば問題なく、陣痛が微弱な場合、母体もあかちゃんも消耗してしまうことを考えれば母児安全のため使用すべきだと考える人もいる。

わたしなんか破水後数時間待っても自然な陣痛がつかなかったので、錠剤→点滴ともうバンバンに促進された。促進されまくって一挙に産んだ、という感じだった。
それがよかったのか悪かったのかはよくわからない。

以前テレビで見た「自然な分娩」をモットーとする産院での出産ドキュメンタリーでは、陣痛が始まったのに微弱で行きつ戻りつし、結局出産まで70数時間かかった。おかあさんとなった彼女は衰弱しきっていた。

ぎゃー・・・あの陣痛に耐えて丸三日。衰弱もするわな。
それを思えばがんがん促進してもらって早く産めてよかったかも、とも思う。


今、ほとんどの産院では、「自然な分娩」というより「管理された分娩」が主流だと思う。
分娩を管理するということは、方法も処置も画一的で一方的なことが多い。
それぞれの産院ではそれぞれの方法で、ほぼ全員に決まったやりかたで決まった処置をする。
日々出産を迎える多くの入院妊婦をサバくには、当然のことだろう。
それをよくよく承知の上で、そこからプラスオンのサービスや処遇を勝ち取るのは妊婦自身の責任と権利だと気がついたのも、これまた産後ずっと後になってからである。

たとえば、わたしが産んだ産院では、分娩待機時、胎児の心拍モニターの端末をおなかに巻き付け、機械につながれた状態で過ごす。
これは、先生が離れた場所で診察している時も常に陣痛の様子が監視でき、安全確実を目指す分娩管理としては当然の処置だ。
でもわたしとしては、ほんとは陣痛でもがき苦しんでいる間、部屋をうろうろしたりうつぶせになったりして、少しでも楽な姿勢を探したかったのだが、機械につながれて自由がきかなかったのであきらめ、ベッドの上でじりじりと過ごしたのだった。
今考えれば「これ、はずしてもらえますか?」と聞けばよかったのだ。
歩きまわりたいんです、うつぶせになりたいんですと要求すればよかったのだ。
でもしなかった。
出産という未知のトライアルは全部不安だ。だから全部“おまかせ”してしまった。
一事が万事、そうだった。ただ一方的に受け入れてしまった。

もっと疑問を持って、聞いて、納得したり改善してもらったりすればよかったのだ。
初めてのことだからこそ、自分のことだからこそ、受け身じゃだめなんだ。

出産は、自然か自然でないかが問題ではなく、どこで産むかが問題でもなく、
自分が理解して納得しているかどうかが重要なのだ。

そしてなにより、産んだ喜びをかみしめ、あかちゃんを心ゆくまで眺め、さわり、自信を持って子育てをスタートすること、これこそが出産にとって一番大事なことなんじゃないだろうか。
自宅出産とまではいかなくても、疑問を持って相談すれば説明して改善してくれるところが、そういう贅沢を許される産院が、探せば広島にもきっとあるはずだと思う。

産む前にこのことを知り、本当に満足な出産を手に入れられる人が一人でも増えればいいと思う。

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