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2005年7月10日 (日)

誰も教えてくれない出産:2.これがわたしの出産

004年05月31日
冬のいちばん最後の日、2962gの元気な息子がこの世に産まれた。

・・・そう、出産なんてこうして書けば1行で済んじゃうのよね。
でも、実際にはおっそろしく長くて苦しくてびっくりする、激動の時間がそこにはあったのです。

■予定日より早く、とうとうそれはやってきた

2004年2月。出産予定日は2月10日。臨月を迎え、もうこれ以上ないほどのでっかいハラをもてあましつつも、それまでなんにも異常もなく順調に妊娠期間を過ごしてきたわたしも、さすがに予定日が近付くにつれてだんだんそわそわし始めた。毎晩「うーんまだ産まれない」という夢にうなされ、ああ陣痛って痛いんだろうなぁ恐いなぁとそればっかり考える日々。気を紛らわすかのように連日遊び歩いて予定もぎっしり。予定日の1週間前くらいからはおとなしくしておこうと思っていた矢先だった。

2月3日、節分の日の明け方3時40分ころ、ちろっと流れ出る感じにハッと目がさめる。
まさかと思いながらトイレに行く。うすいピンクの水がおりてくる。これはきっと破水だ。
「・・・始まった・・・」
あれだけ出産コワイと思っていたのに、その瞬間すーっと冷静になっていく自分がいた。
「“産まれる”んじゃない、今から“産む”んだ」
なんだかぴたっと覚悟が決まった。
破水したら即入院といわれていたのでさっそく仕度にかかる。
節分だしちらし寿司でもつくろうと思って買っていたあなごなんかの食材をすべて冷凍庫へ移し、ハラがへっては戦はできぬとばかりにおにぎりをつくり、洗濯物をかたづけ、早めの朝食をとり、入院グッズをつめたカバンの中身を確認した。
そして寝ていたオットに「あのー。今から入院するけど」と声をかける。
陣痛にもがき苦しむツマを支えながらタクシーに乗り、と想像していたオットは私のなんでもなさそうな様子に「・・・ぼく、寝とく・・・」。寝ぼけとる。
あーそーですかそうですか、もう勝手に入院しちゃうからね。
憮然としてタクシーを呼んでると、さすがに状況が飲み込め目がさめたオットがあわてて出かける準備をしだす。
しんしんと冷え込む未明に大荷物を抱えた妊婦とそのオットをのせたタクシーは一路産婦人科へ。
午前6時30分ごろ、病院に到着。
さあ、夜が明ける。今日、いよいよ産むんだ。
前代未聞の一大イベントの幕開け、なんだか妙な高揚感でワクワクしていた。


■はい、ナメてましたーすいませーんもう許してー!!!

案内された陣痛待機室は、リビングルームにベットが置いてあるような普通の部屋だった。差し出された出産服(?)に着替えてベッドに横になるも、肝心の陣痛は一向に来ず。
朝食が出され、さっき食べたけど、また完食。オット帰宅。
なんかこう、やる気まんまんなのに待つ時間というのは手持ち無沙汰だ。
予定日まだ先だし、その週は遊ぶ予定をびっしりいれていた。かたっぱしからメールで断る。
自然な陣痛が来る気配がないので、9時ころから陣痛促進剤の錠剤を1時間に1つ服用。
・・・き、きた。きゅーっときてる。これか陣痛って。うう、痛いもんだな。
などと言ってるうちに昼には10分おきに陣痛が走るように。
「ほんとは今入院だから。これからが本番よ」と先生爽やかに笑い去る。
うわー、こんな状態になるまで自宅待機か、こりゃしんどいわい。破水して余裕のあるうちに入院しといてよかった。
お昼ご飯は節分にちなんで巻寿司。すでに恵方にむかってかぶりつく余裕もなく食べられず。(でもケータイのカメラで撮る元気はまだあった)

午後、いよいよ陣痛促進剤の点滴開始。「え、まだ促進すんの?」 
看護師さんが来るたびに点滴のペースがあげられていく。
滴下の目盛りを増やすと確実に痛みも増し、間隔も狭まっていく。
それまではメモ帳に痛みが来る間隔を書き留めていたけど、2時過ぎからもうペンも持てなくなった。
夕方4時過ぎから1分おきの陣痛に。1分ですよ1分。1分ハアハア肩で息をして、ぐぎゅ〜〜〜ッっとものすごい痛みが30秒から40秒続くのをこらえる。また1分ハアハア息継ぎをして・・・壁の時計の秒針だけを見つめて過ごす。
こっからはもう、地獄のような痛みとの戦いである。
波のようによせては返す恐ろしいほどの痛み。骨盤の内側がめりめりきしむような痛さ。脂汗。
その痛みで徐々に子宮口が開かれていくんだそうだ。
5時すぎ、内診で「うーんまだ3センチくらい」などと言われて絶望。子宮口全開大というのは約10センチ。まだ!まだたったそんだけしか開いてないの!?あとどれだけ耐えればいいのだろう。もうごめんなさい、ナメてました、こんなに痛いとは思いませんでした、すいません、許してください、もう腹かっさばいて出してください・・・誰に向かってか知らないがなんだか謝ってみる。ただひたすらこの痛みがなくなってくれるのを祈る。
痛みを少しでも散らそうと、リクライニングのベットを起こしたり倒したりして楽な姿勢を探す。点滴やあかちゃんの心拍をモニターする機械なんかにつながれているので自由に動けない。散々もがいて楽な姿勢なんかないのを発見。「お尻の穴にテニスボールをあてて圧迫するとよい」となにかで読んだことがあった。テニスボールはないので自分のかかとをぐーっとあててみる。少しはマシなような気がしたがそのうち足がつった。最悪である。

そんなものすごい痛みに悶絶する娘の腰を、母がずっとさすってくれた。
昼過ぎから産まれる寸前までの約6時間、ずっと立ちっぱなしで腰をさすってくれたのだ。指紋がつるつるになったんじゃないかと思うくらい強く。「もういいから」と言ってもやめない。そのうち甘えて「もっと下の方をぐーっと・・・」などと注文をつけたりした。それで陣痛が軽くなるわけじゃないけど、あたたかい手が触れていてくれるのは心強くて、なによりありがたかった。

途中何度か先生が様子を見に来てくれた。最初は「痛いです・・・」とか訴えていたが、そのうち虚ろな目でうらめしそうに見据えることしかできなくなった。先生もまぁ、「がんばって」としか言いようがないわけで。

痛みに耐え続けてもう何時間経っただろうか。心も体ももう、限界に近かった。意識も朦朧、弱り切って涙もでなくて、つけっぱなしのテレビの明滅をぼーっと眺めていた。
ふと、モニターする機械から流れてくるあかちゃんの心拍音が耳に入ってきた。
ふごっふごっふごっと、かなりのハイペースで鼓動するおなかの中のあかちゃんの心臓の音。

産まれる時、あかちゃんもただ産まれるのを待つのではなく、自分でも産まれようとしてがんばるんだと聞いたことがある。あごを引いて、体をぐぐっとよじりながら狭い産道を自力でおりてくるんだそうだ。

そうだ。しんどいのはわたしだけじゃないんだ。
痛いからって息を止めれば、あかちゃんも酸欠になって苦しいはず。
あかちゃんもがんばってるんだ。
そう思った時から、また冷静になれた。痛みから逃げるんじゃなくて、「こいッ!」と受け止める気持ちになった。
ちきしょー痛みやがれ!んで子宮口こじあけてくれ!


■ 産まれた、産まれた!

6時過ぎ、ふと隣の部屋が慌ただしくなる気配がした。可動式の薄い壁を隔てたそこは分娩室。しばらくして苦しそうな声が聞こえてくる。やがて絶叫ののちに産声が聞こえた。
ああ、産まれたんだ・・・よかった・・・ 次はわたしだ。
内診でもいよいよ十分に子宮口が開いてきた。さあ、分娩室に移動か、と思いきや、またもや誰かが先に運ばれた様子。
え!タイミングかぶってんじゃん!どーすんの!? は、早く産んでくれ、後がつかえてるんだよぉ〜などと狼狽。かなり苦しそうなうめき声がこだましている。

そうこうしているうちに、痛みだけじゃなくてたまらなく“いきみ”たくなってきた。
それは不思議な感覚だった。きゅうううっと、出そうな出なさそうな、「出たい」という表現が近似か。
うわ、これもう出ちゃうよたぶん、どうしよう!!! そんなタイミングで先生内診、
「はい、ここで産みましょう!こっちが先だ!」
その一声で助産師さん動く。
ベットからしゃきーんしゃきーんといろんなパーツが出てきてたちまち分娩台に早変わり!
え、イルカ見れないじゃん!!
この病院の分娩室はなんと巨大プロジェクターに映るイルカの泳ぐ姿を見ながらの出産がウリなのだ。陣痛にあわせて色が変わる照明にあわせてイキんだりするのだ。
イルカ代まけてくれー、などと心で叫びつつ、準備が整うのを待つ。
まあしかし後になって冷静に考えると、陣痛も極まっていきみたくなってるのに小走りで移動して分娩台に飛び乗るなんて、かなりつらい。移動せずに済んだのは、それはそれでよかったのかも。

準備が整った分娩台で剃毛。え、剃っちゃうの?知らなかった・・・ あまりに助産師さんの様子が「あたりまえ」な雰囲気だったのでなにも言えず聞けず。そういえば浣腸すると聞いていたけどここではしなかった。産院によって事前準備も様々なのだろう。

「ううう〜〜〜いきみたい〜〜〜」
「まだいきんじゃダメっ!はっはっはっって息して逃してっ!」
そして先生再登場、とうとう麻酔をして会陰切開。
普通だったらそんなデリケートなところに刃物をあてると想像しただけでゾッとするのに、その時ははーもうどーとでもしてくれ、切るならばっさりいってくれと豪快な気分。
そんなことよりもう一刻も早くゴーサインをくれ!!
「立ち会いは?!」
「ありません!」
「え、ほんとに立ち会いなし?!」
「ないですっ!!」
かなり何度も念を押されたということは、今やむしろ立ち会い無しの出産のほうがめずらしいくらいなんだろう。うちのオットはたぶん血を見ると気絶する。以前オリンピックの柔道の試合中、選手の腕がありえない方向に折れるのをテレビで見て、この人はほんとうに気絶してぶっ倒れたことがある。一緒に入院するハメになるのは明確なので、お互い無言のうちに立ち会い出産はしないと了解していた。

「それじゃいくよ!はい、イキんでー!!」 先生のかけ声。いよいよ産む!
出産の少し前、福岡の友人から電話でアドバイスを受けていた。
「誰も教えてくれんばい言うとくけど、産む時はウンコ出すとこに力入れんと産まれんばい!」と。
彼女は「ウンコでたらごめんなさーい!」と絶叫しながら出産したらしい。
その心づもりでイキもうとすると、ずっと介助してくれていたかわいい助産師さんが
「はい、でっかいかたいウンコだすつもりでーっ!!」
!!!
そうなのか。
モノの本にははばかって書いてなかったけど、これが出産の真実だ。
もう失うものはなにもない。
なにもかも出すつもりで渾身の力をふりしぼっていきむ。
まだまだーっ!もっと力入れてーっ!と激を飛ばされ、体中の毛細血管がぶちぶち切れるほどさらにイキむ。
その時、つっかえてる感じとともにギシギシきしむ感じがした。
あっ!これ、あかちゃんの頭蓋骨だ!
あかちゃんの頭蓋骨はパーツに分かれてぴったりくっついておらず、狭いところを通れるように変型しつつ出てくるらしい。
うわ、頭きしんでるよ!早く出さんと!!
いきみの波にあわせて、息を大きく吸い込み、あごを引いて、息を吐かずに、渾身の力を込めて、その空気の圧力をおなかに向けて押し出すようにいきむ、いきむ。
今わたし、全世界でいちばんぶっさいくな顔してる、などと余計なことがちらっとよぎった頭はもうほとんど真っ白。
引き続きでっかいウンコー!の大絶叫に導かれ、3回か4回のいきみののち、午後7時55分、息子はこの世に産まれ出たのだった。

産みおとした次の瞬間の記憶がない。
ほんの1、2秒か、1、2分か分からない。
気がついたら、逆光の中、自分の足と足の間からぬうっと差し出された息子の姿が見えた。
「しっかり抱いてあげて」

はじめての彼の声を聞き、産まれたままの彼を胸に抱いた時、
もう、いままでの死ぬ程の苦しみはチャラになった。
滝のように涙があふれて彼の名前を何度も何度も呼んだ。

よくがんばったねぇぇ。かあちゃんだよ。
びしょびしょでふやけてふにゃふにゃの息子はわたしとおんなじ体温だった。


■感動で頭も体もくーらくら

しばらくして息子は産湯をもらい、いっちょまえにかわいい産着を着せてもらってやってきた。
目を開いてはじめてかあちゃんの顔をじーっと見る。
前をはだけておっぱいを含ませる。疲労困ぱいの様子でくわえたまんま吸おうとはしなかったけど。
これかー、あんたがさっきまでおなかの中にいたわたしのあかちゃんかね。
なんだかすんごいことをやり遂げた達成感と、陣痛から解放された安堵感と、初めて見る息子への説明のつかないたまらなく酸っぱいような思いとで、もう胸はごうごうと渦巻いて苦しく、涙は引き続き止めどなく流れ、世界中の誰も彼もにありがとうと言いたいような気持ちだった。

押しつぶされそうな高揚感に呆然としながら息子を見つめていると、となりの分娩室でも元気な産声があがった。ほんの数分の差で、息子の他に2人も産まれたんだ。喜びもなんだか3倍になるような気分だった。

おなかを押されて後産。胎盤を産み落とす。
先生が銀色のトレイに入れて運び出そうとしていたので、
「あ、先生、胎盤ってどんなんですか」と呼び止め見せてもらう。
「余裕じゃね〜」と先生苦笑い。
だってついさっきまでわたしの体の一部だったものだ、見たいのが人情だ。
「でっかいキノコみたいたい」福岡の友人の言葉がよみがえる。連れていかれる胎盤に「おつかれさま」とそっとつぶやいた。
引き続いて会陰縫合。「ご主人今日は?」「何のお仕事されてるの?」先生は世間話で気をそらそうとしてくれてるようだが、これが痛い。麻酔も切れたようで、陣痛の痛みとは違う、ちくちくという痛みはこれまた堪え難し。

さて、このあたりで親族がみんな入って来て、産まれたばかりの息子と記念撮影、のはずだった。しかし先生たちがあわただしく何度も出入りし、おなかを押したり処置したり、いつまでたっても親族は入れてもらえない。
処置と後片付けに時間がかかったらしい。
出血がひどくて、通常500ml程度の出血なのだが、1Lくらい出血したと後から聞かされた。
そのうち息子は新生児室に連れていかれてしまった。
しばらくしてやっとばあちゃんたちが入ってきた。ばあちゃんと疲れ果てむくんだ顔の経産婦のツーショットというなんとも地味な写真だけが残った。

仕事を終えたオットもやってきた。息を切らしてチャリぶっとばしてきたオットの肩には、うっすら雪が積もっていた。なんにも言わずに手を握ってくれた。ふたりして涙があふれてあふれて、でもそれだけでもう、よかった。

夕食を出してもらい、味もよく分からなかったけど、とにかく食べた。
そしてそのまま誰もいなくなって明かりを落としたその部屋で、一晩過ごす。
空になった子宮と泥のような疲労とアイスノンを抱いて目をつむる。
頭の中で長かった一日がぐるぐるよみがえる。
ともかく、今日は終わったんだ。
明日からは息子との新しい日々が始まる。


ここまで読まれた方、まるで1人産んじゃったような疲労感でしょう。
お疲れさまでした。

この疲労感、2、3日で癒えるものと思っていました。
ところがところが・・・・
さらなる「聞いてないよ〜!」の日々が待っていたのでした。

(つづく)

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