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2005年9月21日 (水)

頭の中のひとりごと

ま、個人のブログですし、べつに断わりもいらないとは思うのですが、
読んでくださっている方々、今日のコレは独り言なので、
主語がなくなんのことやらわからないと思いますが
かんべんしてください。

とってもくたくたなんだけど、頭が冴えて眠れない。
たぶん、こうやって書いて整理しないと、
過去にならないからでしょう。

わたしの力は、たぶん、バランス感覚、だと思っている。
それを仕事に応用するなら、交渉力や調整力、横文字で言うならば
ディレクションの分野において発揮できるものと思っている。

腰は低いけれども頭は下げない、なんとなくそんなスタンスである。

たとえば、広島弁もバリバリに使う。
ともすれば下世話な会話もする。
それは、ちょっと安心させてぱくりとやるための手段であって、
いつのまにか身につけたやりかたである。

それはしかし、媚びのように見られる場合があることを知る。
そう見られたということは、まだまだよのう。

で、八方美人の悪い癖で、その時感じたいやなことを、
その場で言えない。

それは遠慮して、ではなく、「なにが嫌な感じだと思ったのか」
すぐには判断しかねているからだ。

よくよく考えれば、狭い考えなのがいやだったんだなあとか、
そのことをその場でいえばよかったと思う。

たとえば、インターネットはだめだ、という人がいる。
掲示板などで卑怯ないやがらせをうけたことによるのだが、
たしかにそういうこともあろうけれども、
そうではないところも、あなたが知らないだけで、
確実にある、といえばよかったのに。

東京の高名な人と仕事してみたものの、がっかりだ、
だから東京のモンはつまらん、などというのは、
ものすごく数の多い「高名」を名乗るパチモンの人
だったのだろうから、くくってしまってはだめだ、と
いえばよかったのに。
あなたが出会ってないだけで、もう切れそうなほどの
凄い人はいるのに、といえばよかったのに。
そんな人と出会ってないことを公言するようで、
その行為は恥ずかしいものなのに、と
言えばよかったのに。

知らないことは恐い。
恐いことを知らないことが恐い。

おやまのたいしょうでは、いけないのだ。
まだいける、まだできる、まだ、もっと上がある、
雲に隠れて見えないくらいの高い高いところを
ここから登っていくのはぞっとする。
だから見ないようにするのが一番楽なこと。
今の自分を認め誇ることと、上を見ないようにするのは
紙一重、
はるか上ばかり見て憧れることと自分を卑下することは
紙一重、
日々自分がおおきくなったりちいさくなったり、
している。

そんなことを、今日は感じたのだった。
その感じを、自覚することもむずかしいのに、
人に伝えわかってもらうことは、もっとむずかしい。

ものすごいパワーがいる。
よく寝てよく食べて、生活の基礎をきちんとしなくては無理だ。
こうやってくよくよ眠れないのでは、
あすは鈍って使えない。

こころをつよく。

すんません、書きちらしで。おやすみなさい。

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2005年9月18日 (日)

いくつになっても基本は色気

今日はお休み。心身の疲れを癒してのんびり。

さて、ぼんやりテレビをみていたら、夏の日比谷野外音楽堂が映った。
ブルース&ロックンロールフェスタ、の様子。
で、目に飛び込んできたのは、シーナ&ロケッツのシーナだった。

相変わらずぴったぴたの黒いミニワンピースにピンヒール、
豊かな黒髪をわさわさとゆすりながら「サティスファクション」
を絶叫していた。ロックだぜ。

い、いくつなんだこの人。
なんというか、傍若無人ともいえる特異フェロモンにやられた。

チャー(ローマ字表記がよくわからない)もいた。
なんというか、上品で知的なロッカー(?)ですね。
チャーが好きだという女性を結構知っているが、
なるほどステージの彼はぞくっとするほどセクシーだ。

たまたま手元に「LEON」なる雑誌がある。

「小僧にはまねのできないコヤジの魅力で」
「機嫌をそこねたニキータをやさしくエスコート」

すべてはモテたい、ただそのためだけにあるスタイルブック。
リッパだ。

「LEON」の女性版「ニキータ」なる雑誌も、
「子娘にはかなわない艶女(アダージョ!)の魅力」炸裂です。

なんだかいくつになっても枯れないのね、みなさん。

たしかに色気は必要だ。
だけどムンムンしているのは色気とはいわないような気もするが。

一方近ごろ接する20代にそういうムンムンがまるで感じられない。
こうこざっぱりとしていて、性欲うすそうな感じだ。
えー?生物学的にはヤリたい盛りなんじゃないのぅ?

さっぱりしすぎた若者と、やけにぎらつく中年と、
足して2で割ったらちょうどよかろうに。

かくいうわたしはどーなのか?
男子にまじって「やっぱ車って女だよね」などと盛り上がるようでは
アダージョにはなれんのう。

シーナに負けんようにミニスカでもはいてみまスカ。(落ちてない)

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2005年9月16日 (金)

しびれる日々

はあああああああ・・・・。
まだ終わらないけど、ともかく1週間が終わった。

今週月曜ロケハン、火曜日初出社、昨日は尾道で撮影でした。

もう、なにがなんだか、ものすごい日々です。しびれます。

実質的かつ自主的な転職は初めてなのだが、こう、先輩社員たちの
「お手並み拝見」な、興味津々な感じが、もうしびれる。
いや、みんないい人ばかりなんです。社長もいい人。
だからこそ余計に期待を裏切りたくない。

で、井戸から這い上がってみればそこは抜けるような青空で、
自分がいかに長年ちっちぇえところで泥水をすすっていたか
涙がでそうになった。

いいものをつくりたいという執念で心を通わせあう、
そんな現場に加われてほんとうにぞくぞくする。

でも、自分の無知や怠慢もいやってほど思い知らされるわけで、
もう、日々しびれる。

昨日の撮影の現場でも思い知ったのだが、わたしはこのように
ハッキリしているように見えて実は最後の最後で迷う。
決断を、瞬時に下さなくてはいけない場面で人に頼るくせがある。
だめだなあ。
ここは、こうだ、と、自分を信じて瞬時に判断する、
それがもう何よりも一番肝心なのだ、この仕事は。

よわい心は、自信で強くしていくしかない。
それは、これからの仕事の実績で評価されるしかない。

まわりにね、もうなんだかこわいひとがどっと増えた。
百戦錬磨のライター、広告賞をとりまくるデザイナーやコピーライター、
なんだかすごそう、としりごみする自分がいる。
そこそこ年とってるのに、ノータイトルの自分に引け目を感じたり。
そんな賞がなんぼのもんじゃ、と思ったりもしてみるが、
わたしは八方美人の気配り上手なだけじゃないかとか、
なんでもこなすゼネラリストは結局スペシャリストに叶わないとか、
そういう具合にめそめそ考えたりもするのです。

しかし、落ち込んでる暇はなく、もう一挙手一投足がラストチャンス。
まだモノサシやコピー用紙の在り処も知らない会社で、
もうフル稼動を余儀無くされています。

身体はへとへと。朝コンビニで栄養ドリンクを飲み干し、
「ビン、捨ててください」とおねーちゃんに手渡す日々。

でもなんでこんなにわくわくするんだ?
疲れているのに目が冴えて眠れないのはなんでだ?
ああ、生きている、そう思える。

息子も延長保育となり、日々疲れがたまっているみたい。
オットも疲れが抜けないという。
はなみ家大疲労。
でも、大声でうたいながら親子チャリで疾走しておうちに帰れば、
ああ、幸せだとほんとうに思う。

これからが勝負だ。もう、時間がない。
はやく自信がほしい。信頼がほしい。
攻めなくては。
はなみ、いきま〜す!

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2005年9月11日 (日)

高級肌布団

結婚のときに実家から持ってきた肌布団がだめになった。

何度も洗濯してくったくたになった布が実は好きで、
その肌布団もいい具合にくったくたになってきていた。

やわらかーいくったくたに包まって、くったくたの体を丸めると
やすらかに眠れるような気がするのだった。

しかし、ある夜、寝返りの勢い余って「ばり」
・・・裂けた。
これはもう、修復不可能であった。

ということで、もうちょっと持ちそうなオットの布団も一緒に
この際新調することにした。

そういえばチラシが入っていたな、
がさごそ、これこれ。
「布団お買い上げの方、古い布団お引き取りします」
わたしのように無精者で月に2回の資源ゴミの日を
よくうっかりスキップしてしまう人間にとって
これはありがたいサービスである。

さっそく息子と古い肌布団を風呂敷に包んだのを車に積んで
出発。(あ、息子は風呂敷には包んでいない)

もう、夏の肌布団なんてセールの出がらし状態で、
あんまり数もないなあ。

そこのおばさんがいろいろと広げて説明してくれて、
「これ、いいんですよー、真綿のお布団。
 しっとり体に添ってね、いいんです」

そのおばさんおすすめの真綿、つまりシルクのわたの布団、
なるほどしっとりしてよさそうである。
おそろいで2枚そろうし。

値段は・・・

2万1000円、

が、

セールで、3000エン。

・・・これ2枚ください。

そうして我が家にやってきた真綿の肌布団であるが、
オットは値札を見て爆笑した。

「これ、おかしいじゃろ、元の値段が」

うーん、布団の相場ってさっぱりわからんけど、
この異様な値引率はどうなんでしょう。

その夜。

「どう?2万円の寝心地は?」
「うーん、なんかせんべい布団ってかんじ」
「失礼な!昔は殿様しか使えんかったんよ!(口からでまかせ)」
「あー、どおりで時代劇で見る殿様の布団はせんべい布団じゃ」

そうねえ、たしかにこう、しっとり、というか、
はっきり言って、重い。
せんべい布団、そうかも。

・・・これはやっぱり3000エンの寝心地なのかもしれない。

早くも買い換えが頭をよぎる。
安物買いの、を地でいったハナシであった。

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2005年9月10日 (土)

わたしって変態

先日のタナカ社長主催、大握り寿司パーチー参加者の
某デザイン事務所社長N氏との会話。

「はなみさん会社辞めちゃったんとねぇー」
「はーそーなんっすよ」
「え、今は?」
「はあ、ながーい夏休みですわ」
「次は?なんか仕事してんないん?」
「あー、そろそろねえ、しようかと思ったり」
「え、何をしてんです?」
「ちょっと編集のね、仕事とか・・・」
「まーまたドSな仕事を・・・あんたほんまにMじゃね」

あはは〜。わたしって真性マゾだったのね。

ねえ、仕事なんてねえ、そこそこ自分の時間を売って、
ちっとばかしお役に立って、食えるだけ稼げば、
それでええじゃないの。

なのにわたしは、「もっと!もっとぶって強く!」
みたいな仕事を自ら選ぶわけです。

ああ、馬鹿ねわたし。

自らの底の浅さをまじまじと見つめ、
自らの無能にじりじりと唇をかみ、
どーちて?どーちて?どーちてできない?
と、もがき苦しむ道を喜んで歩むなんて。

そんな日々がもう、はじまりました。

いきなりぶっといムチがびしぃいいっと!
はうっ!!
馬鹿馬鹿わたしの馬鹿!

でもそれがたまんないのよね。
わたしって変態。

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2005年9月 2日 (金)

大!寿司握りパーティー

かつて机を並べて世界一のバカ話しに花を咲かせていた
“おっきいおいさん”ことタナカ社長の会社がこのたび
めでたく1周年を迎えられた。
おめでとうございました。

で、社長渾身の創立1周年記念パーティーがとりおこなわれ、
はなみ家お招きいただいたのであった。

それは
「自分で握ろう! 寿司パーティー」。

手巻き寿司パーティーはよく聞くが、手握りパーティーである。

案内状に、「食中毒は、自己責任」とある。

そんなあぶないもの息子には食わせられんので、
自宅でおにぎりほうばらせて出発。

到着した会場はすでに宴もたけなわで、各自が、握っている。
ほんまに握っとるわー。

「ほら〜、シロウトは手水でシャリべったべたにするじゃん?
 だからほれ、これ着用ね」
と渡されたのは透明ビニールグローブ。

壁には「寿司の握り方」という紙が貼ってある。

さっそくかーちゃんもチャレンジ。
シャリをまず右手にとって、と。
「あ、これもう24グラムじゃ」

わさびは本物のわさびを鮫皮おろしでおろしたてで。
ついっと人差し指でネタにとり、きゅきゅっとね。

こりゃ〜ええ。
気分はもう梅さんである。

自分で自分に握るから、ネタもわがまま放題。
うにうにイクラ、えーいウニにイクラのせちゃる!
貧乏人のはしゃぎっぷりはこんな調子である。

みなさんめったにない「握り体験」で、にぎやかにぎやか。
中にはそれってむすび?というサイズのにぎりを
次々こさえてはぱくつく御仁も。

にぎやかに握られる中、
「は〜いちゅうも〜ぉ〜く!
 スペシャル創作寿司タ〜イッム」
という社長のかけ声で始まったのが、くじ引き。

くじで当たった特選素材の握りをいただくという趣向である。

なにがでるかな〜なにがでるかな〜、じゃじゃん!!

「はい、パンの耳〜」

シャリの2倍の長さはあろうかというパンの耳が
あなごのように長々とのっている。
当たった人はちょんと醤油をつけ、一口で・・・

ちょっと、特選素材って。

ちなみにわたしが引き当てたのは、パルマ産生ハム。
これはなんというか、
凄腕の全日空のパイロットをつれてきて、
宮島行きフェリーを操縦させるような感じ?

息子が引き当てたのはなんとフォアグラ。
シャリにのっけて食べたことがある方は何人いらっしゃるだろうか。
しかしこれがけっこういけたのである。
わたしのグルメ度もこんなもんである。

ほかにも、キャビア、フカヒレの姿煮などの贅をこらしたものから、
かまぼこ、とうふ、カープカツ、プリン・・・
プリンに醤油つけて食ったらウニの味なんだって。

それを食した方は絶句の後「ウニじゃない」。

寿司職人が聞いたらひっくりかえりそうな、
これほどまでにボートクの限りを尽くした握り寿司があっただろうか。

あー握った握った。わろーたわろーた。
飲んで食って、楽しい時間でした。

タナカしゃっちょサンのマスマスのご発展をお祈りしつつ、
満腹満足家族は帰宅したのでありました。
ごちそうさまでしたー。

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2005年9月 1日 (木)

奄美大島三昧

ここんとこ、猛チャージでテンションあげて、就職活動、

しとりました。

で、今、気が抜けてショボーンとしとります。

昨日は、気分をかえて、「奄美大島三昧」ってイベントに

行ってきました。

4ヶ月無料着付け教室を開催している日本和装主催のイベント。

この日本和装っていうのは、きもの文化をもっと広げたい

きもの業者の団体で、まずは自分で着られるようになってほしいと、
無料着付け教室を全国で展開している。

で、ほんとにタダで良心的なんだけど、時々開催される

きものセミナーで、本物の帯やきものの勉強をしつつ、

特価で購入できる仕組みになっていて、

ま、授業料がわりに生徒さんはそこで買ったりするわけです。

わたしも渡文の帯クイックローンで買いましたとも。

今回もそういった趣旨のイベントだったんだけど、

本場奄美大島から、あの大島紬の作者さんがやってくる、

それだけでもちょっと行ってみたかった。

絶対買わないぞと自分に強く言い聞かせて参加。

前裕和さんという作家のおじさんが、資料にそって

「大島紬とは」の講義を2時間ほど。

綾小路きみまろよろしく、参加者のおば樣方のハートを

トークとだじゃれでぎゅっとつかんでゆく。

奄美の方言もいくつか教えてもらった。

挨拶の言葉は「ウガミショウラ」、字を当てると 「拝み紹ら」

美人のことは「キュラムン」は「清ら者」

丁寧でうつくしい、古い日本の言葉がのこっている。

おじさんの弾くサンシンの音色にあわせてみんなで

「島育ち」を合唱。(わたしは知らない)

会場は一挙に奄美大島気分。

そして、大島紬ができるまでの工程を解説してもらう。

50以上もの工程があって、デザインから織つけまで

半年もかかるんだそうだ。

絣もようを作って染め、こまかな柄を合わせて織る。

気の遠くなるような作業をいくつもいくつも経て、

この一反の着尺ができあがるんだ。

「2大紬といえば、大島紬と結城紬ですが、結城の方が

 高いでしょ?それは内地で工賃が高いからです。

 大島はね、一日中泥田の中で作業しても、

 日給せいぜい5千円くらい。だってそれでもしなきゃ

 あとはさとうきび作るしかないんだから。

 その工賃の安さで、この値段になってるんです」

それはぐーっと胸にささる言葉であった。

そうやって低賃金の過酷な労働の末に、この美しい織物がうまれ、

それをお金持ちがしゃなりと着て遊ぶのだ。

だけどそんなことより、低賃金でもなんでも、

これほどまでに緻密に、技の鋭さだけに腐心して織る

その職人さんたちの働くたましいに尊敬。

仕事もせずにこーして昼日中からあそんでる、

わたしなんかと精神構造がちがうのだ。

ペンをもつ手もうなだれつつ、山のようにつまれた

大島紬がよりいっそう輝いて見えるようだった。



お昼休憩は、そごう食堂街の日本料理屋さんでランチ。

昼食代の1000円にしてはコストパフォーマンスのよい

お昼御膳でした。

午後から大島をお買い求めになる方のおごりだな。

ごちそうさまです。

そしてお待ちかね、いよいよ「大島紬触り放題タイム」

山のように積まれた反物の数々を、片っ端から広げてみてヨシ!

のサービスタイム。

こんなに一堂に大島紬を見るチャンスなんてめったにない。

おば樣方もわっと散り、思い思いに広げ始める。

するってーとスタッフの動きもいっそう慌ただしくなる。

試着用の全身鏡がどかどか登場し、あててみるための

美容襟や腰紐がどどっと配られる。

反物を肩にあてただけではよくわからないが、

プロの手によってみるみるまるで着つけているかのように

仕上がっていく。

すると「やっぱりいいわねぇ〜!!」となるわけだ。

それに合う帯や帯締めなんかもコーディネイトされてね。

あなたこれがいいわよ、着て見なさいよ、

これは珍しいのよ、ちょっと試してみなさいよ、

あっら〜よく似合うわよ、色がいいわよ〜・・・

おば樣方もトランス状態。

今日はたして何反売れるのであろうか。

ちなみに、反物には値札がない。

かわりに符号のような札がついていて、そこに値段が隠されている。

その隠され方がわかってしまって、値段と見比べながら

じっくり見学。

やっぱり値段は正直だなー。

こ、これはすばらしい!と思ったら120万だった。

なかなかそんなもの、怖くて普段は触れないよ。

しみじみじっくり見て、さわって、

遠い南の島の織子さんに思いをはせつつ、

熱狂する会場からそーっと抜けて帰ったのでした。

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