年末来年
気がつけば大晦日。
毎年そうだが、今年は特に年末感が薄い。
まだ年賀状もできていない。
だって息子のいいお顔が撮れないんだもん!
ということで今年も暮れようとしている。
振り返ってもあんまり思い出せないほどの、1年だった。
年明け、仕事復帰に向け、息子を保育園に通わせ始める。
さっそく風邪ひいて、病院通いの日々が始まる。
2月、雪の中保育園に連れて行き、泣き叫ぶ息子を振り切って出社、
しかしそこにはなんにもなかった。
何のためにこうやって息子をかわいそうな目に遭わせてまで働くのか?
考え続ける日々。
答えの出ないまま煮詰まって数ヶ月、
桜が咲き、あたたかくなり、ようやく息子も風邪ひかなくなったころ、
いよいよ煮詰まって臨界となり、心がもろもろと溶け出した。
それを見透かしたかのように、息子が病気になった。
川崎病。
ちいさな手に点滴をつながれ、泣く元気もないほどぐったりとした息子を見て、
一瞬にして仕事を辞める決心がついた。
付き添って入院、ガンマーグロブリンの点滴の滴下を見つめて寝られない夜。
幸い、軽くて10日ほどで元気になった。
それから会社に行かなくなった。
息子と久しぶりにゆっくりじっくり過ごした。
息子の表情が曇りなく、よく笑うようになった。
7月末、退職。
8月、息子を連れて、初めての海へ家族旅行。
頭をからっぽにして、体を放して、海にゆられていると、
心の底に眠らせていた思いがむくむく目を覚ました。
自分の使命は、なんなんだろうか。
それで役に立ち喜んでもらえて褒められることがしたい。
9月、それがやりたいです、という手紙を書いてその会社に入る。
信頼がゼロの土俵で、仕事をしなくてはいけない。
どこの馬のホネともわからぬおばはんが、どれだけのもんか、
まわりが興味津々で遠巻きに見ている。
やれることをやれるだけやる日々。
そして、よくあることだが“ふたをあけてみれば”が、
やっぱりあった。
びっくりしたし、がっかりしたし、憤りを感じたし、しょんぼりした。
一方で自分に足りないものもよく分かった。
これは、ものすごく過酷な、勉強のステージなんだろう、とも
あほくさ、やめたろか、とも
交互に思い、心がざわざわした。
そして12月。
草食動物のような社員の女子たちに、ちょっと変化があった。
「はなみさん、お忙しい時、言ってくださいね、
わたしたちでできることがあれば、お手伝いします」
と言ってくれたのだった。
ちょっと、嬉しかった。見ていてくれたんだなあ。
外部スタッフからも、
「これからが楽しみですね」と言われた。
みんな同じようにつまんなかったんだと思う。
新しい風が吹くのを待つしかすべがない人々だったんだと思う。
もーほんとに頭にくるけど、
もーほんとに情けないけど、
でも、出来上がったものを見て、単純に、うれしかった。
作る過程は、ものすごくおもしろかった。
あー、ほんとにおもしろかったんだ。
じゃあ、ひとつ腹をくくって、やってやろうじゃないの。
どこまでどうなるかわからないけど、
おもろいことを、ぞくぞくするようなことを、
やってみようじゃないの。
笑いと、感動と、歓びと、
プラスのエネルギーが、日陰を照らしますように。
その役目を私は果たせますように。
がんばります。
なんだかんだ言っても、こうやってじたばたしてないと
気が済まない人なんだ、わたしって。
それがよくわかった1年だった。
来年はどーんな年になるんでしょうね。
願わくば無病息災、これがいちばん。
ちょびはいきいきとヒトとして成長して欲しいし、
オットは新しいスタッフと一緒にやりたいようにやって欲しい。
わたしももう、うだうだ言ってないで、
そろそろちゃんと、役割を果たしたい。
いい写真を見る目を養い、ぐっとくる企画を生み出せるように
たくさん本当を見たい。この目でみたい。
どうせ死ぬまでの暇つぶしなら、スパークしてやりたい。
明日死んでも悔いぬような
疾走する毎日で、来年は、ありたい。
どうか争わず、穏やかで、愛に満ち豊かな世界でありますように。
みなさまも、どうか、健やかに。
来年も勇み足はなみ、がんばります。
もーちょっと頻繁に更新します。
それじゃ、よいお年を!
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