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2006年1月30日 (月)

お稽古で学んだ

昨日は久しぶりにお煎茶のお稽古だった。

今年初めてきものに袖を通す。
月に一度のお稽古には、きものを着るようにしている。
本当はもっときものでお出かけしたいのだが、なかなか。
こう、未だに好きで完全なるコーディネイトが
できていないせいかもしれない。
あー、きものがほしい、帯がほしい、帯締めがほしい、
だめだ考えだしたらキリがない。
だって第一カネがない。

今日は柔らかいきものが着たかったので、黒地に色とりどりで
茶屋辻が描かれている小紋にした。
帯は黒白ストライプの半幅の裏を使った。
水玉の織柄がある黒の無地。
後ろでストライプを表にしてくしゃくしゃに結ぶ。
ピンクの帯締めをアクセントに結ぶ。

裾をあわせればかくれんぼの如く、
帯を結べば綱引きの如く、
きゃあきゃあじゃれてくる息子をいなしながら着る。
多少のよだれは見なかったことにする。

そうやって「お稽古コスプレ」も完了し、
お稽古仲間のべっぴんさんをお迎えに行き、
ちょびは実家によろしく預け、
しばし幽玄なる煎茶道の世界へ。

といってもできの悪い弟子たちゆえ、お稽古は和気あいあい、
お師匠お手製のおまんじゅうに幸せな舌鼓を打ち、
とめどない会話に花が咲くのであった。

お稽古のあとのくつろいだ時間に、いろんなお話をした。
皆様当ブログをご覧でいろいろとご心配してくださる。
順を追って説明しながら話しをするのだが、
この「人に分かるように話す」作業が、ものすごく効いた。

だって、自分で分かってないと人に分かるように話せない。
というより、話しながら自分で自分の気持ちに理解が追いつく、
そんな感覚だった。
ああ、そうだ、私はそう思っているんだ。
話しながら自分の気持ちに整理がついていく。

そして、それに反応して話しをしてもらうことで、
新たな気づきがいっぱいあった。

「でもそれはものすごい勉強よ」。
そうなんです。
嫌だ嫌いだで逃げるのは明日にでもできる。
でも、同じ辞めるにしても逃げるのではなくて、
自分が決めてそれを達成する形で辞めたいなあ。
1ヶ月?3ヶ月?半年?1年?
自分で考えて決めないと。

示唆にとんだお話をいただけてありがとうございました。

やっぱりこう、話しをして分かる、分かってもらうという
基本のこの作業が、なにより一番楽しくて大切なんだ。

自分の直感に正直に。
かつ、
常に得るものを念頭に。
しかも、
まわりのみんなに幸せを。

がんばりますー。

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2006年1月27日 (金)

おっぱい

最近悩ましいのはおっぱいである。

息子ちょび、もうすぐ2さい。
まだかーちゃんのおっぱいに吸いついているのであります。

同じ日におんなじ産院で生まれた「節分組」の二人は、
随分前にすんなりおっぱい卒業したらしい。

ちょびと同じくらいに生まれた子がいる保育園の先生も、
「うちお正月におっぱいバイバイできたんですよ〜」
と報告してくれた。

別に長い人生のうちの2年や3年くらい、ちち吸っててもいいや、
と思っていた。

でも・・・

保育園から帰り着くともう、カバンを置くのも着替えるのも待てず、
「ちちちちちち〜〜〜〜!!!!」とまとわりつく。
で、ちちにむしゃぶりついて飽きるまでちゅうちゅう、
「ばっば〜い」と仕舞ってもうかたっぽのおっぱいへ。
気が済むまで30分くらい、右左右左ちゅうちゅうちゅう、である。

ご飯を食べていても、飽きてくると
「だこちて〜、ちちちち〜〜」と甘える。
仕方なく、ユーカリの上のコアラの親子のような状態で
かーちゃんは黙々と食べる。

ちち無くしては寝ることもままならない。
熱心にちゅうちゅうちゅうちゅう、という口の動きが次第に鈍り、
眠りの淵にあやうく落ちそうになるとあわわわっと強くちちを吸い、
それでも抗えずふーっと口がゆるみ、くるり、と背を向ける、
がしかしやっぱり慌ててこちらに向き直り、はふはふとちちを探し、
またちゅうちゅうちゅうちゅう・・・
これを2、3セット繰り返して、やっと眠りにつくのだ。

そして夜中、必ず目を覚ましてちちを探す。
かーちゃんは常にパジャマの第2第3ボタンを開けているので、
セルフサービスでちちを出してちゅうちゅうちゅう。
そして朝までにもう2、3回寝ぼけてちちをする。

これがたまらん。

贅沢は言わない。
ああ、朝まで熟睡したい。

かつては2、3時間おきに授乳して、夜中たびたび起きても平気だった。
しかし、今はもう細切れ睡眠はつらいでごじゃるよ。

普段保育園で一緒にいられないし、
やつはやつなりのストレスもあるだろうし、
最後のとりでというか、安心のかたまりみたいなものが
おっぱいなんだろうからなあ。

最近オットが「2さいになったら止めるんよね!?」と
言い聞かすようになった。
「ちち〜・・・」と言い出すのも、なんか恥ずかしそうで、
「ええーっ?ちちするの?」と聞くと、
ぶっさいくな顔ででへへへと照れ隠しに笑う。

ちちするなんておかしい、といわれること、
おっぱいバイバイしなくてはいけないかも、ということを
なんとなく察するのであろうか、
ここのところかえっておっぱい依存が強まったように思う。

この調子じゃ2さいの誕生日に止めるのも無理そうな気がする。

気が済むまで吸わせるか。うーん・・・

しかし、眠い。

それになんだかんだいいながら、おっぱいしてるときの
上目遣いで見るお顔がたまらんのだ。
おっぱいやめるの、かーちゃんもちょっと
心残りだったりするのだ。

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余命

「あなたはあと長くて3年の命でしょう、
仕事はやめて、あとは好きなことをして、
心安らかに過ごしてください」

と医者から言われたら、どうするだろう。


先日取材でお話を伺った岡山のベンチャー企業の社長は、
起業したきっかけをこう、話してくれた。

40歳の時に大学病院の権威にガン告知され、
冒頭のセリフを聞かされたのだと言う。

抗がん剤の副作用の中で、激しい幻覚を見た。

会社で、自分を含めた数名で会議をしている様子を
俯瞰で眺めている。
すうっと、自分が消える。
それなのに誰もそのことに気がつかない。
なにもなかったように会議は進行してゆく。
自分は、いてもいなくても一緒なのだ。
自分の存在などなんの意味もないのだ。

「これほどつらいことはないよ。
何度も涙があふれて、なにも考えられなくなった。
それから逃れるにはもう、“飛ぶ”しかないんだよ。
病気を苦に自殺、その気持ちは、こういうことなんだ」

今、自分がいなくなっても誰も困らない。
誰も気がつかない。
生まれて生きた痕跡がすべて消えてなくなる。
そんな悲しいことがあるだろうか。
想像は及ばないが、泣きそうになるのをこらえて聞いた。

「あなたは余命が3年と聞かされて、なにをしたいと思う?
本当にやりたいことはなにか深く考えた。
残された人々にいい人だったと言ってもらいたい、
この時代に誰だか知らないがこの人がいてくれたおかげだと
思われるような仕事がしたい、と思った」

真実を、歪みなく限りなく正確に記録し残す、
その技術に固執したのは、そういう理由からだった。

会津の100歳近いおじいちゃんが、民謡を歌う。
決して朽ちない、歌声と姿という重要な民族学的資料。

「100年先もこうしていつでも歌うおじいちゃんと会えるんだよ」

後世に伝えること。
命の執念。

わたしがあと3年しか生きられないとしたらなにをするだろう。

南の島で遊び暮らすほどのお金もないし、
どうしたらいいかわからなくなるだろう。
かといって死ぬこともできずに、泣くんだろう。
そして息子に手紙を書くだろう。
毎年誕生日に開封して読むように、
3さいから、20さいか、30さいか、
そんな息子を想像しながら、体に気をつけろとか
そんな手紙を書くんだろう。
それは未練。

未練のない、今死んでもいいと思える毎日を過ごすのは、
口で言う程簡単ではない。

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2006年1月26日 (木)

写真をいれてみよう

自転車さんがブログで携帯写真館をはじめた。おもしろい。
こう、人が見た映像が見られるというのは、なかなか興味深いものですね。
ということで、調子にのってわたしも写真を載せてみた。

momohiki

記念すべき1枚目、「ももひきの愛」である。

パッと見盗撮写真みたいでいやらしいが、
よくみてほしい、画像中央ももひきの干し方を。

普通、片方の足を竿に通せば、
もう片方の足はぶらーんとなるのである。
しかし、これを干した人の細やかなる技!
輪っかのついた洗濯ばさみで、「自然な広がり」を
サポートしているのである。
しかも、足の付け根部分と先では、その洗濯ばさみの数を
微調整までしている。

ももひきの主のおとーちゃんはきっと、お洒落にうるさい
のであろう。
びよーんと股がのびてしわになったももひきなど、
決してはかないのであろう。
それに応える献身的なおかーちゃんの愛!
いや、もしかしたらおとーちゃん自身が干さなくては
気が済まないのかもしれない。

いずれにしてもグッと来た場面を車窓から激写したのであった。

案外、楽しい。

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2006年1月25日 (水)

すごい人と会った

昨日は岡山に取材に行ってきた。

岡山市郊外の小さな会社の社長さんに、
なぜ起業したのかをインタビューする仕事。

「IBMですらできないことが、なぜお前のところでできるのか?」
といぶかしがられるほどの、ものすごい技術を持つ会社。
簡単にいえば、古文書や歴史的民族学的資料、
紙に書かれたもの、写真、映像、音声などをすべて
デジタルで保存し、WEB上で公開できるようにする技術。

事務的に事業内容を話しはじめた社長であったが、
話しが転がりに転がって、4時間ぶっとおしで話しを聞くことになった。

私が行く予定ではなかったのに、
なぜかこの日に限ってライターさんたちの都合がつかず、
しぶしぶやってきたのだった。

しかしこれは、目に見えない力が私をこの人と引き合わせてくれたとしか考えられない。

会話をしていて、気持ちがシンクロする瞬間が何度もあった。
涙が浮かんだ時もあった。
心の中でへぇ〜ボタンを連打し続けた。

4時間の会話の中身は、自由に枝葉を伸ばし、
もうこの木なんの木気になる木どころの騒ぎではなくなった。

手元のノートは書きなぐったメモとぐるぐる丸でかこったキーワードで真っ黒だ。

もっと話していたかったけど、次の取材先に行かなくてはならなくてインタビューを終えた。

すごいすごいすごい。
すごい!と思ったことがもう書ききれない。

とにかくこうやってあの人に会えて、
話しができた私は幸せ者だ。
いただいた示唆を、あふれてこぼれる前に一生懸命にノートに書いた。

とにかく、私はびしっと頬をなぐられたような気がしたのだ。

欲しくてたまらないのに、なかなか手にできぬものを
そんなものつまらないとか、そんなもの存在しないとか
言っちゃだめだ。

すっぱいぶどうはもう喰い飽きた。

さあ、いただいた力をどう活かすのか。

ああ、今もまだ反芻している。


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2006年1月19日 (木)

おしごと

ということで、今年から個人事業主となった。

表向き、とある会社の社員として名刺を持つが、
給与ではなく「報酬」として、毎月定額支払ってもらう契約だ。

フリーのような収入の浮き沈みはない。
売掛金を回収するリスクもなくて月々定額現金払い。
しかし、
額の大きな仕事を動かしても報酬は変わらない。
社員のようにベースアップも約束されていない。

個人経営者というのは全部自己責任で、全部やらないといけない。
報酬は収入ではなく、経費の管理も必要だし、納税手続きもある。
いままでみたいに、振り込まれた金額を無頓着に使えないのである。
いやー、当たり前のことなんですけどね。
今まで、どっか人任せだったんでしょう。

しかし、こうやってあらためて自分の少ない稼ぎをマネジメントする必要にせまられたことで、背筋がシーンとなる感覚を覚えた。

さて、その少ない報酬で飼われている私。

なぜか腑に落ちないものを抱えて沈んでいるです。

転職してこの会社におしかけた目的は、たしかにあった。
でも、それは、なんというか、
そこにあると思ってようやくたどり着くと消える砂漠の蜃気楼のようなものであった。

がっかりしてばかりいても始まらないんだけどな。

人間は、二足歩行をすることで、狩りで得た獲物を、
洞窟で待つ家族のもとに楽に持ち帰ることができるようになったんだそうだ。
自分1人の空腹を満たす歓びよりも、
自分以外の、誰か大切な人が喜んでくれることを
成し得た快感の方が強いということが、
わたしたちには深く刷り込まれているのだ、と
村上龍は言っていた。

そういうものを、仕事に求めるのは無理なんだろうか。

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あんま堂

昨年末、仕事関係の知り合いの間でひとつのブームが起きた。
それは、「あんま堂」。
熊野にあるあんま屋さんなのだが、あんまをすることで
その人の“オーラ”を見てもらえる、というもの。

そのオーラというのはその人に固有の色で、
その色によって性格や考え方が十中八九分かってしまう、のらしい。

あまりの的中率(?)に驚愕し、「あんたも行ってみんさい!」になり、
次から次へと広がっていった。
で、はなみあんたも絶対行け、と手書きの地図を渡された。
ので、先日友達と行ってきましたとさ。

頼りなげな手書きの地図も案外ツボを押さえていてすんなり到着。

部屋に案内されるとそこにはあんま台が2台あり、さっそく横になれと言われる。
私はおかーちゃんに、友達はおとーちゃんに、さっそく按摩してもらう。
「たくさんしゃべってね。その声を聞いて目の中にオーラが色で見えてくるんだから」
と言われて・・・ボソボソ話しだす。

名前にも色があるらしく、わたしたちは二人とも「紫」
墓守を意味し、先祖を供養する役割があるんだそうな。
他の占い師の人にも「あんたは墓参りすることで運がひらける」と
いわれたこともあったなあ。

仕事は?なにやってるの?と聞かれるままに答えていると、
「ああ見えてきた、あなた、青!」
はあ。
「ああー青はね、ソンか得かの女よ!」
はー。
なんでも青の人は損得勘定で立ち回り、自分に不利なことは絶対しない、
バカを相手にしている時間がもったいないのでバカは相手にしない、
上から命令されるのを嫌い、嫌なものは嫌だと切り捨てることで伸びる、
んだそうだ。
なんだか冷血女みたいだなー。
横で聞いている友達は腹かかえて笑っている。
そういうやつは
「あなたも強い色よ、赤です」
赤の人は目の前の障害を蹴散らすパワーを持つ、
とにかく自分がおもったようにしないと気が済まない親分肌、
しかし案外慈悲深く、ダメな子ほどかわいいという面もあるので
先生には向いている(彼女は高校の先生)。
ということであった。

ほかには、一つのことに抜きん出た才能を発揮する宇宙人型の水色、
天然ボケのオレンジ、おしゃべりな黄色、緑、グレーなど、数色あるらしい。

表になったりひっくりかえされたり、全身くまなく揉んでもらいつつ、
いろいろと相談する。
「あなたはねー、嫌なものは嫌なんよ。うじうじ考えてもだめよね、
ぱっと切り替えて次に進んでこそ生き方の器があうんよね」
と、いわれた。
「転職したばっかしなんですけどねえ」
「そこも長うないね」
キッパリだ。

うーん。当たってるような、だからどうしろというのか、
そうですかそうですか、と複雑な気分。

しかし確かなのは、「じゃああいつは何色なのか」気になること。
人に勧めたくなるのは確かだ。

あなたもぜひ!
行った人はここで色を報告のこと!

●あんま堂
広島県安芸郡熊野町中溝3263
082-854-0817

要予約

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2006年1月10日 (火)

ちょび連休

正月明けの3連休、息子と寝たきりで過ごした。
金曜日に発熱し、土曜日も下がらず、日曜元気になったところで
今度はかーちゃんがダウン。
かーちゃん寝てたいのに復活した息子は容赦なく遊びを要求する。

しかしまー、ちょっと目を離したスキに脳細胞が増えてるというか
シナプシスが手を結んでるというか、
いろいろと見せつけてくれるのであります。

ちょびは独占欲が強くて、自分のことをひたすらじーっと見ていてもらいたいのである。がしかしかーちゃんは本も読みたいし新聞も見たい。

クリスマスにじーちゃんに買ってもらった「トミカ峠ドライブ」に
夢中になって向かっている。
「こえわ?(これは?)」とまるでチェックするかのように時々振り向き尋ねるちょび。
「えーっとそれはパトカー」「ぱっとかー」
しめしめとそのスキに本を開くのだが、たちまち見つかる。
すごい勢いで「こっこ〜こここここここっこ〜!!」と本をむしり、だんだんと床をたたく。
ここに本を置け、の合図である。
従わなければ号泣に変わるので、はいはい、と本を伏せる。
ブツ切れの読書ほど体に悪いものはない。

今度は木製のレールをつないで「ちちここ」である。
しゅしゅっぽっぽが言えず、「ちちここ」になった。
しかし「ちんちんここ」も同様「ちちここ」である。
じろじろじろと機関車が走る。
その走路に積み木を積んで行く手を阻むという
乗組員の人命をも無視した壮絶な遊びを展開している。
しばらくして、たたたた、とどこかへ消えた。

はて?
たたたたと戻ってきて、わたしの手を引いて「あちーあちー」と
あっちを指差す。
どっこいしょとついて行くと、戸棚の前でもじもじしている。
手には機関車。
はて???

あーわかった!電池が切れたんじゃねー!
以前ここの戸棚から工具と電池を取り出し、電池交換したのを
こいつは覚えていたんだ。
なんてかしこいのおまえはっ!
さっそく電池交換してやろうと手に取ると、
じじ・・じじじ・・・
まだ動くじゃないか。
ということでのろのろの機関車を返されるちょび。

つけっぱなしのテレビ、やつはCMにだけなぜか反応する。
CMになるとぱっと見て、番組が始まると遊びに戻る。
しかしニュースやドラマに出てくる乗り物にはめざとく、
「あ、きゅきゅしゃ!」
「あ、ぱっとかー!」
「あ、ばふー!おおきいばふ!」
といちいち教えてくれる。
そして番組のエンディングにテロップが流れ始めると、
必ず画面に向かって手を振り、お別れの挨拶をする。

ある番組のコーナーにちょびが反応した。
画面から数十センチの距離でじーっと見つめている。
「ちょびーっ、近いよー、離れてー」と声をかけるが動かない。
と、ダッシュでおもちゃ箱に行き、ごそごそ探して
うちわとプラスチックでできたレモンを持ってきた。
???
やつが釘付けになっていたそのテレビでは、
シャラポワがテニスをしていたのであった。
そしてうちわでテニス大会である。
末はボルグかマッケンローか。
咳き込みながらレシーブさせられるハハであった。

だんだん使えるようにもなってきた。
「おみかんとってきてー」と頼むと、
しばらく考え、ドアを開け、閉め、たたたたと別の寒い部屋に行き、袋からみかんをいっこだけ取り出し、ドアを開け、また閉め、
「あい!」と差し出すのである。
この技はひとえにやつがみかん好きだから可能にしたもの。
複数個はまだ無理なので、人数分調達するにはこのお願いを繰り返すしかないのだが、たいてい2回までが関の山。
すぐに「おまえが手に持っているそのみかんを今すぐむいて食わせろ」とやいやい言われることになる。
食べた後の皮は自らすすんでゴミ箱に「ぱい」できる。
サル並みにかしこくなったものである。
オットはもうすぐ冷凍庫からアイスを取り出して
届けてくれるようになるのを夢見ている。

言うことも発音もいっちょまえになって
「あでぇ?あでぇー・・・?」と探し物をする。
なんとも物悲しい、感情一杯の声である。
たいていたいした探し物ではないが、ヒントをやる。
見つけると「あたー!」と、顔を輝かせてほんとうにうれしそう。

一日中部屋の中で二人きり3日間という閉塞状況にあったが、
たびたび吹き出しそうになったり、本気でムカついたり、
だんだんヒトとしておもしろくなってきたせいか、煮詰まりもしなかった。なんてインドアな親子。

舌ったらずな言葉が、心地よく耳をくすぐる。
だっくー、ちっちー、えへへー。
柔らかいのう。あったかいのう。

思う存分息子を堪能した連休でありました。


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2006年1月 5日 (木)

いちねんのはじまりはじまり

正月休みが終わったが、まだ本格始動してない会社で書いている。

いいお正月を皆様お過ごしでしたか?
わたしは究極の寝正月で体内時計狂いっぱなしであります。

しかし、オットと息子とべったりな数日、愛しい日々でした。

普段は毎日が戦いのようで嵐のようで、
会話も抱擁もままならない夫婦ですが、
ここ数日の休みはたっぷりと交わしました。

ああ、悩みが消えてゆく。

単純だけど、これがしあわせ。

そして日々「・・・しなくちゃ」だらけで
ろくにかわいいと思う暇もないような息子でしたが、
改めて、かわいいなー、と思うバカぶりでした。

元旦の朝は遅く起きて、お雑煮を作っていただきました。
うちの雑煮は、はまぐりの澄ましに菠薐草と厚焼き、
煮たお餅が入ります。これはわたしの実家の雑煮。

冨久長の、幻の八反草から醸した純米大吟醸「妙花風」を
白磁の猪口でいただく。
あー、今年も酒がうまい。

午後、のろのろと支度して実家に行く。
両親、兄家族と夕食を囲む。
母もだんだんおせちの準備がしんどくなってきたのか、
ことしはお取り寄せしたお重だった。
それでも、かぶの膾漬け、黒豆、数の子は作っていた。

毎年、父がつける角寿司もない。
ウズラ豆、人参ごぼうぜんまいなどを焚いた具を
すし飯で包み四角い木型で抜いて「つける」寿司。
上には〆鯖、人参葉、香茸の塩漬け、かまぼこを飾る。

毎年年末には私と父がタッグを組み、大量生産していたものだ。
今年は父も体調が悪く、お声もかからなかった。
ちょっとさみしい。

それにしてもうちの実家の正月の宴は飲むわ食うわ、
深夜まで延々なにかつまみながらしゃべるのである。
オットは適当に息子の相手をしながら、にこにこ黙って見ている。

酒が醒めた頃帰宅。
深夜の映画を見ながらだらだら夜更かし。

2日はオットの実家へご挨拶。
ここでもおせちをつまみながらだらだら。
しかしここには会話がほとんどない。
男3兄弟、たまに会うんだからなんか話ししろよと思うが、
みんなだまーってテレビ見てる。
義母と義姉としゃべっても、話題は子供らの話に終止する。

息子は小学生のお兄ちゃんに遊んでもらってご機嫌。
お兄ちゃんのあとをおいかけてまねっこする。
単純に、あどけなくてかわいい。

引き上げて就寝。

3日は恒例の宮島初詣。
しかしお屠蘇気分で昼寝をしてしまい、出発が4時。
ついた頃日没、ライトアップされた世界遺産に参ることとなる。
今年1年、家内安全、健康でありますように。
本殿ももうバタバタと片付けていて、おみくじもセルフサービスになっていた。
ちょびと私は吉、オットは凶!
オット、「ううーちょび〜、おまえの吉をわけて〜」
とチューをせがむがこばむちょび。「けち〜!」

日没後の海辺は恐ろしく寒く、大聖院へのお参りは見送り、
早々に帰る。
「お好みたべたいね」
おせちに飽きた人々の思いは同じで、どこもすごい待ち。
ごはん難民となり、結局アルパークのレストランになんとか入る。
2歳前の怪獣を連れて入れる店は限られるしねえ、
とオットともさもさ食べる。

4日は逓信病院へ。
昨年川崎病を患った息子の心臓その後を検査するためだ。
なかなか寝ないので、座薬を2種類も入れられ、泣き叫びながら沈没。
心エコーの結果は異常なしだった。
よかったね〜。

近所のラーメン屋でつるつるっとすすって帰宅。
夜まで爆睡すると思っていた息子、がばっと起きる、
が、足ふらふら。あちこちぶつけて爆泣きする。
酔っぱらいのような息子を持て余しつつごはん。
テレビでお茶を濁して就寝。

そして今日かーちゃんはお仕事、
まだ休みのオットとちょびはいまごろ爆睡中であろう。

新しい1年はこうやってだらだらはじまりました。
みんなが健康で、やりたいことやれて、おいしいものたべられて、
幸せだったらいいな。

今年もよろしくお願いします。

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