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2006年2月25日 (土)

晴れて自由の身


2/24(金)、お勤め最後の日である。
給与計算の〆日が25日なので、24日で退社(正式には契約終了)。
そんな日に限って、どやどやと問題が起こり、
立つ鳥としてはなるべく後を濁さないようにやっつけた。

保育園のお迎え時間ギリギリになってなんとかカタがつき、
私物を車に積み込み、ロッカーとデスクを拭き、
「それじゃ、短い間だったけど、ありがとうございました」
と女子たちに挨拶する。
みんな、入り口まで出て見送ってくれた。
社長は出張、奥さんは出社しなかった。

ひとりの女子から、手紙をもらった。
パンダの親子が、ぺこりと頭を下げる仕掛けのカードに
「はなみさんが会社に入ってからずっと風が吹いていて
心地よかったので、やめてしまうのがすごく残念」
と書いてあった。

そっかー、よくわからんけど、風をふかせたかー、
それはすごく嬉しい餞の言葉であった。

さらば、会社。
さらば、ハローワーク。

次の会社を探すのはもうやめた。
ないものは、つくらなくては、ないのだ。
さあ、けものみちをゆこう。

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2006年2月23日 (木)

断乳一部始終【前篇】


とうとう、おっぱいを止めた。
息子ちょび2さい、生まれてはじめての試練であった。

おっぱいを止めるにも、卒乳と断乳とがあって、
読んで字の如く、
卒乳とはだんだんおっぱいへの執着を減らし、
自然とバイバイする方法、
断乳とはある日突然おっぱいを絶つ方法、である。

まーいつかそのうち卒乳するでしょうとタカをくくって
まもなく2さいの誕生日を迎えるころとなる。

おっぱいちゅうちゅうする顔がかわいかったし、
ムキーとなったらサッとちち、ですべて解決していたし、
いつまでも続けていても構わないとも思っていた。

が、しかし、夜中に何度もちちを求めて目を覚ますので、
ちりも積もって寝不足がきつくなってきた。
しかも、ちちがないと寝られないので、
わたしが出張等で不在の夜、
号泣し家中ちちを探しまわる息子の後をなす術もなくついてまわるオットとの壮絶な修羅場が朝まで続くこととなる。

これに懲りたオットが、こう言いはじめた。
「2さいになったら、おっぱい止めるんよね?」

ちょびは「あははは、ま〜さか〜」という顔で
げししと笑っておっぱいに顔を埋めていた。
わたしも「そうよもう2さいじゃもんねー」
などとからかっていた。

言霊というのか、そう言い始めるとだんだんそんな気になってくるから不思議だ。

迷った。ほんとに止めるのかどうか迷った。
あの、おっぱいしながら上目遣いに見つめるサル顔がもう見られなくなると思ったら、たまらなく切なくなった。もうちょっといいじゃないかとも思った。

でも、いつか止めなくちゃいけないなら、それは今ではないか、
そう自分を納得させ、オットにも「誕生日でやめる」断乳宣言をしたのだった。

節分の日の誕生日まであと1週間となり、おっぱいをせがまれるたびに
「ええっ?もうすぐ2さいなのにもしかしておっぱいするの?」
「げししー。ちちしてーぃ」
「もうあとちょっとでバイバイよ、しっかり飲んどいてー」
「でへへー」はむっ ちうちうちう・・・
という儀式を繰りかえしていた。

そして、2月1日の朝、
ちちばっかりせがんでごはんを食べようとしない息子を見て、
なぜかわたしはかたくなに、おっぱいをさせなかった。
2月3日の、お誕生日のうれしい日に、断乳というつらい儀式をするのもいやだったし、なんだかそのとき、もう、ちち出しちゃだめだと思ったのだ。

もちろん、息子はわけが分からず号泣する。
なんで!?なんでよ!?昨夜までポロリとでてきたちちがなんででてこないのよ!?ここにあるのにどーして隠してるのよ!?意味わからん!?なんでなんでなんで〜〜〜〜!!!???
「もうね、おっぱい、バイバイ、なの!」
!!!
もうパニックである。

それでも保育園に行かさねばならぬ。
野生化して暴れる息子をオットと二人で羽交い締めにして服を着替えさせ、パトカーやらわんわんやらきゅーきゅーしゃやらなんやらを持たせたり投げられたり拾ったりしながら、なんとか車に詰め込んで連れて行ったのであった。


そして、その日の夜。
いつも通り保育園に迎えに行き、帰宅すると、もうカバンを置く間もなくちちちちちち・・・

と、思いきや、これが静かなのである。
しょんぼりと、うらめしそうに、胸のあたりを見つめ、
「ちち・・・」とつぶやきながら、そっと触ったりするだけだ。

あれま!すんなりあっさりあきらめたねえ。
「ちょびはええ子じゃねえ。もう、2さいじゃもんねぇ」
目をほそめるかーちゃん。

しかし、そうは問屋がおろさない。
そんなに簡単なもんじゃなかったのである。

《続く》


おまけ


ai-n


きゅ〜〜っとね。プハー =3

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2006年2月17日 (金)

「ミースタジオ10年分のデザイン展」


大学を卒業して社会人になりたてのころから
そのお仕事ぶりを拝見し、時に非常にお世話になった
Jさんの過去のお仕事大放出展、が開催されていたので
仕事の合間にダッシュで行ってきました。

その展示の詳細はこちらのJ's通信をご覧ください。

ota1


コンパクトに整理されて壁面を飾る作品の数々は圧巻です。
10年という月日の、一言では語り尽くせない思いが
あふれて聞こえてきそうでした。

なかにはかつてパシリだったわたしが
新聞社に持ち込んだ広告原稿もあった。
今見ても美しいと思った。
そのときの社長はたしかにすごくて、
アイデアをシャープに切り取る鋭さがあって、
それをデザインするJさんがいて、
端で見ながらわくわくしたし、嫉妬もしたのでした。

さて、こちらがJさんのいわばデビュー作、
1977年、27歳の時に手がけられた中国郵政局キャンペーンポスター。

ota2


わたしが6歳の時の作品ですが、ぜんぜん古びてない。
手紙を書くって、こういうことですよね。
アイドルがにっこり、もいいけれど、
もっとこう情緒をくすぐる、ノスタルジックなものが、
人に手紙を書かせるのだと思う。

じっくりじっくり拝見し、自分の10年先を思ったりしたのでした。


そしてここに、Jさんからのメッセージを引用させていただきます。
ーーーーーーーーーーーー
最後にひとこと。デザインはクライアントの目的を
制作者の仕掛けや持ち味で、消費者を振り向かせるという
「正義」も「使命」も含む、二律背反をはらんだ仕事です。
したがって理想と現実のはざまで絶えずのしかかるジレンマ
に対峙しなければならない───そんな試行錯誤の後に、
デザインが製品化されたときに訪れる達成感と安息感、
それがつくることの喜びにほかなりません。
ーーーーーーーーーーーー

好評につき、展示は4月まで延長!
ぜひ足を運んでみてください。

「ミースタジオ10年分のデザイン展」
Design Work of Ten Years in Me Studio2006年
穴吹デザイン専門学校 1Fギャラリー

穴吹デザイン専門学校
広島市南区松川町2-24
tel 082-263-7077
http://www.anabuki.ac.jp

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2006年2月16日 (木)

新しい音楽

車のCDチェンジャーに入れっぱなしにしていたCDをかえた。


冬を流し春を洗う雨がしょぼしょぼと降っている。


走り出したとたん、新しい音楽が鳴る。


ああ、それはまさに今この瞬間の気持ちにぴったりくる曲だった。


次の曲も、次の歌詞も、新鮮に心に響く。


ちょっと違う道にそれてみる。


新しい景色、新しいリズム、ハンドリングするのは自分。


春が来たのだ、と思った。

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2006年2月15日 (水)

閉じてるか ひらいてるか


と、キムタクがつぶやくCMが昔あった。

閉じてるか、ひらいてるか、
なんかわかったようでよくわからなかったが、
今はそれが痛いほどわかる。

今まで何度か会社を変わった。
そのたびにいろいろ見てきたが、
どこも全く同じ反応を示すのが、おもしろくて哀しい。

ちっこい広告代理店や制作会社だと、
仕事は会社で受けつつも、実は人につく。
だからその人がいなくなると、その会社に発注する意味がなくなる。
でも、その会社の社長は、自分の仕事だと思い込んでいるから、
人は離れても仕事だけは離れないように
囲い込みの、保身の行動にでる。こっそり。
(それは主にお客さまに直接会い、担当者の悪口をさりげなくいいつつ、
 引き続きよろしくとお願いするパターンが多い)
もちろん社長は、担当者がいなくてもなんとでもできると思っている。
もちろんその人じゃなきゃできないこともない。

だけど、お客さまはそれを望んでいない。
だって、信用は、人についているから。
仕事を重ねてきた中で培われた、阿吽の呼吸の関係が
なにより大事だということを
社長はまったく考えていない。

で、仕事がその人についていっちゃうと、
「あいつは仕事を盗んで行った」と言いふらすんだよな。

あー閉じてるなー。

でも分からなくもない。
売り上げの見込みを立てて経営をする立場からしたら、
レギュラークライアントが落ちるのは致命的だと思う。
残った社員を喰わせなくてはいけない、借金もある、
そしたら必死になるのも分かる。

でも、必死の方向が、「閉じてる」よなあ。

今後、独り立ちして仕事をする私は、肝に銘じなくてはならない。

閉じたり、独り占めしたり、搾取したり、うそついたりしても
なにも呼ばないってことを。

よく、win-winの関係、なんていうけど、あれもやな感じだ。
わたしはあなたにwinを差し上げられますよ、
だからあなたもwinをちょうだい、なんて、
ちょっといやらしい感じ。

いいな、すごいな、あの人にもそれを伝えよう、
そういう「ひらいた」心が人を呼ぶのではないか。
1人では絶対なにもできないから、
これはとっても大事なことだと思うのだ。

村上龍は「人生における成功者の定義と条件」において
“成功者”のことを
「生活費と充実感を保証する仕事を持ち、かつ
信頼できる小さな共同体を持っている人」
と定義づけている。

小さな共同体かー

ゆるやかに、信頼でつながる、ひらかれた人々

これからたくさんいろんな人と会うだろう、
ひらいた心でその機会をよろこびたい。
上手く言えないけど、すごい人に会ってその人の虎の威を借りるのではなく、仕事をねだるのでもなく、自分を押し売りするのでもなく、つないでひろげてふくらませていきたい。

昔お世話になったNHK教育テレビの
「ひらけ!ポンキッキ」

ひらけ!?
さっぱり意味が分からなかったが、
ものすごく秀逸なタイトルだったと今思う。

ひらけ!はなみ

ということで、
もともとあけっぴろげではありますが、
ますます鼻の穴膨らませてまいりたいと思います。

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2006年2月14日 (火)

ちょびとパパちん

月曜日、ちょびとパパちんは一緒に過ごす。
帰宅後、一日の出来事を聞くのが楽しみだ。

昨日は春のように晴れたので、
公園で遊んだんだそうだ。

ちょっとカゼ気味で、ハナが出るちょび。
それを手の甲で左右にぶにぶに拭くもんだから
顔中てかてかまっくろで、野良犬みたいな顔をしている。

「なんか犬みたいな顔になってるね」
「この顔のまんま公園に行ったけど」
「・・・・(拭いてやろうよ)」

「ブランコにのせたんよ。
ぶーらぶらゆらすとね、
きゃははは〜って笑うんよ。
鼻水がひかりにキラキラ〜ってして、
ちょっぴり鼻ちょうちん。
きれいだったねぇ〜」

キラキラ〜っとね。
鼻ちょうちんね。
きれいだったかー。


オットとちょびは仲良しで、まるで兄弟のように遊ぶ。
ご飯支度してると、
「いっちにっ、さんしっ、にいにっ、さんしっ」
とかけ声がきこえてきた。
見れば、奇妙な体操をしている。
でっかい37さいのすることを、ちんまい2さいが横目で見て、
おんなじ動きをしている。
「はい、ぶらぶらぶら〜〜〜〜」
仰向けになった両手両足合計8本がぶらぶら〜。
かーちゃんはもう、包丁落っことしそうになる。

ちょびはここのところオムツかえたりお風呂に入るのがいや。
なだめすかしてだまくらかして
どーにかしようとするのだが、
こいつが猛烈にガンコで「にゃっ!」と言いながら逃げまわる。

大、が出たまま逃げまわるのはたまらん。
「ちょっと〜〜〜くちゃいくちゃいよ〜〜〜」
と追いかける。
逃げる息子にオットが説教する。
「そのままじゃおまえ、くさいままで終わってしまうよ」


くさいまま終わらすなー!!


こうやってなんともくだらないことをだらだらして
ゲラゲラ笑うのだ。

これが我が家の「家風」です。

【おまけ】


hattori


お風呂クレヨンでオットが書いた
忍者ハットリくん

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2006年2月11日 (土)

かあちゃんが働くと

先日三越の占いに行ったときのこと。
わたしの前に占ってもらったのが、40代後半くらいの女性だった。
相談内容は、息子の心配事だった。
福岡の大学に通う長男の就職が心配でたまらない様子。
聞くまいとしても漏れ聞こえる相談。
先生の声もでかいのでよく響く。
「大学の3年でこの春4年になるんですけど、経済学部に行ってるんですけど、銀行の残高を記帳しなさいって言ってもしないし、連絡もしてこないし、ちゃんとしないんですあの子は。先生どんな仕事に就いたら適正でしょうか。ちゃんと広島に帰ってくるんでしょうか」云々。
すがるように切々と悩みを話す。
「広島に帰すとだめになりますよ」
「営業が向いてますね」
などと先生もいろいろアドバイスをしていたが、食い下がるおかあさんにだんだん声が大きくなって
「あなた、チョー過保護!だめです!」
チョー!? はともかくとして、確かにそうかも。

息子が心配で心配でたまらない、それはよく分かる、
でも3さいや小学生ではなく、もうハタチすぎた青年なんだし。
それより彼女はさむいのに素足でスニーカーを履き、
サイズの合わないジャケットの背中が、なんだか哀しかった。


この前、おーきいおいさんが私にこう言った。
「できれば、仕事より息子との時間を大切にしてほしい。
おまえはかーちゃん家におったけ分からんと思うけど、
わし保育園で、ものすご寂しかった。
家に帰ってもかーちゃんおらん寂しさ、
自分の息子にもちょびにも、おんなじ思いさせとーないんよ」

未来の息子から言われたようで落ち込んだ。
寂しい思いは、わたしだってさせたくはない。

「おまえがやらんといけん、世の中に必要じゃ、
いう仕事じゃないんなら、息子との時間を優先すべきじゃないか」

わたしじゃなきゃいけん仕事なんかこの世にない。
息子に寂しい思いをさせて、わずかばかり稼いで、
家の掃除もご飯もままならんで、
そんなんで働く意味があるんか。

母親の責任とは?

胸が塞いだ。

その気持ちを、素直にオットに話してみる。
「おれも家に帰ったらとーさんがおったけえ、
その気持ちはようわからんけど・・・
あんたは家におる人じゃないでしょ」

うーん。
仕事をやめて家にいて、
息子と毎日一緒に過ごす日々はどうなんだろう。

それで充足感があれば問題ない。
しかし産休の1年、じりじりと焦がれるように過ごしたあの時間を思い出せば、わたしは仕事を持たない状態でいるほうが精神状態が不安定になるのではないかと思う。

なにか、こう、
影響を及ぼしたい、もっといいと思えるものに出会いたい、
素晴らしいものをつくりたい、それがすげーと知らせたい、
よくわからないけどそんな思いが走って走って、
たぶんそれを閉じ込め家にいたら
むしろ息子にゆがんだ接し方をしてしまいそうな気がする。

叶えられなかった自分の思いを、息子に託しそうな気がする。

自分以外の人間の人生を思い通りにしたいと思いそうになる気がする。

それは不健康なことだと思う。

もしかしたら、三越の占いに来ていた、あの母親のように
わたしもなってしまうかもしれない。

オットを、息子を、家庭を大事にするには、
まず自分の人生を大事に、充実させることが近道なんじゃないかと
そう思うのだが・・・

その答えは数十年後に出る。

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2006年2月 9日 (木)

三越印鑑占い

えらそうなことを言っていても、
先行きの見えない不安に立ちすくんでいる。

こういうときは人生の先輩方や友人たちに話しを聞いてもらうに限る。
話せば、ああ、自分はこう思っていたんだなと整理がつく。
金のようなアドバイスをいただき、それを咀嚼してじっくり考える。

少しずつ少しずつ、自分の中に結晶ができてゆくんだと思います。
貴重な時間を割いて話しを聞いてくださった皆様、
ほんとにありがとうございます。

こういうときはワラにもすがりたくなるもので、
ちょっくら占いに行ってきた。

広島三越8階、印鑑コーナーの占いであります。

ここはもう古くからある印鑑屋さんで、
かつて母が私の銀行印を作りに行った際、
「お嬢さんはおなかの中にちんち●を忘れてきたようです」
などといわれ、性格判断の的中率にハラ抱えて笑って帰ってきた
といういわれのある占いである。

結婚を機に銀行印を作り直すとき、オットが開業するとき、
息子の命名、そういえばいろんな折々に見てもらっている。

先日11時頃行くともう「本日の受付は終了しました」
という札が立っていた。
今日は勇んで10時前に三越到着。
開店を待つ人々に熱いほうじ茶が振る舞われる。
老舗デパートのホスピタリティかーなどと感心してると開店。
エレベーターにどやどや人が乗り込む。
8階に到着したとたん、みな走り出す!
私もつられてダッシュ。
「いらっしゃいませ」と頭を下げる店員さん達の前を印鑑コーナーめがけ走り抜ける人々。
異様な光景である。
が、そうも言ってられないので走る。4着であった。
あっというまに10人が後続の椅子に座り、開店後15分少々で
「本日の受付は終了しました」であった。
この人気ぶりは占う先生によるものか?
月曜と木曜は、ややご年配の先生なのだ。
他の曜日は、ちょっと若い方。年の功で年配の先生の方が人気のようだ。

若い女子二人組のライトな恋愛相談と
40代くらいの女性のヘヴィーな息子の就職相談の後、
私の番がやってきた。

名前と生年月日を書いて、相談内容を告げる。

「ん〜、平成19年2月、会社を起こすならそこですね」
「いやいや、あの〜この2月に辞めるんですけど」
「ありゃ、もう言うたんね。ん〜
 ほいじゃが今年は破壊の年じゃけえね、なにをやってもうまくいかんよ」
「はは〜〜・・・」

どうやら今年前半は乱気流らしく、
コトを起こすなら来年から、らしい。
それまでにプランを練ったり、人とのつながりを持ったり、
そこにむけて地盤を作る年らしい。

いろいろと話しを聞いた後、先生が紙に、こう書いた。


 急がない
 あせらない
 腹をたてない
 
 
「これに気をつけて、がんばって」
「うわーやっぱりこういう傾向があるんですか」
「あんた一匹オオカミじゃけえねぇ」
「はは〜〜・・・」
「どっちかというと黒幕じゃね、裏で糸をひくのが上手」
「ははは〜〜〜・・・」
あんま堂でもそう言われたなー。

ということで、焦らずじっくり考える時期なんじゃそうです。
そういう時間も大事ということです。

「でも家にとじこもっとってもだめよ」
「はははは〜〜・・・」
塩梅が難しいでござる。

毎年4月5月は用心しろ、体調を崩すよと言われた。
「じゃあ体力がないんですね、わたし・・・」
「うんにゃ、あんた丈夫よ。よー食べるじゃろ」
「なんで分かるんですか!!!」

これは占いではなく見た目判断である。

所要時間10分少々、鑑定料1000エン也。
はんこを作る方は順番待ちしなくてもいいそうです。最優先。
はんこは柘の認め印8,400円〜あり。
「もってるはんこ一度持ってきなさい、
使えるのはそのまま、中にはよーないのもあるけえ、
見た方がええですけぇ」
とのこと。
興味のある方、はんこ作りたい方はぜひ。(まわし者?!)

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2006年2月 7日 (火)

さらば会社

取材から帰ってきたスタッフが、お土産をいただいてきた。
織部最中だ。

女子たちの表情が華やぐ。

手があいていたので、美味しいお茶をいれる。
最中とお茶を配りながら、心の中で
「みんながんばってね」とつぶやく。

昨日、社長に2月一杯で退職する旨を告げた。
もともと正社員ではないので、退職というより契約終了だけど。
二の句も告げない社長。お世話になりました。

昨年9月に押しかけ、年明け2月でさようなら。
倫理的道徳的常識的観点からすれば、
「石の上にも3年」だし、
「まだ勉強するべき余地があるはず」だし、
「合わない人と上手に合わせて行くのも努力のうち」だし、
その思いが自分を縛って年を越した。

でも、自分が仕事において大事にしたい価値観が存在しない場所では、もう難しく、それを変えてやろうというのはおこがましくかつ大きなお世話であることをしみじみ理解した。

わたしは次に進まなくては。

この会社には女子社員しかいない。
彼女たちの最初の印象は「草食動物みたい」ということだった。
モニター見つめて反芻する、静かな生き物たち。
一人一人はいい人だし、かわいいし、それなりにおしゃれもして
趣味もあれば恋もして(たぶん)、知的だしグルメだ。

だけど、どうしてそんな印象を受けたのだろう。
たぶん、自分で考えて表現して動くことが、少ないからじゃないか、
そう推測する。
与えられた仕事を、勤勉に仕上げてゆくその丁寧さはすばらしいが、
そこにあなたはいるのか?
こういう仕事をする人がいなければ、世の中の大半は成り立たない。
大切な役割かもしれない。
でも、群れのリーダーが喰われれば、みな喰われるのだ。たぶん。

この会社で10年近く働いている彼女の技術はすばらしい。
だけど、外を知らない。
社長の言うことは正しくて、社長の判断が常に基準だと思っている。
かつて私もこうだった。
知らない方が案外幸せということもある。

経営者は自らリスクを背負って従業員を養い、
なんらかの信念で仕事をしているのである。
それはそういう立場に立つものでしか分からないし、
そういう立場にないものがとやかく言う資格はない。

この牧場に突然やってきたチンパンジーは、さっそく飽きて、
どこかに行こうとしている。
でももうどこの牧場にも豊かな世界はないことを
うすうす気がついてしまった。
森へ、分け入ろう。
そこにはヘビがいるトラがいる暗くて怖い。
だけど輝くような果実が実る木は
そこにいかなくては見つけられないのだろうと思う。

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2006年2月 3日 (金)

ちょび2さい

誕生日おめでとう。×2 ♪

愛するちょびちゃん。 (はあと)

誕生日おめでとう。 ♪

ハッピーバースデーの歌詞/韓国語バージョン→日本語直訳

をハムニダ薫がメールで送ってくれた。

ありがとニダ!!

そう、2年前の今日、息子ちょびは産まれたのであった。

明け方破水して入院、午前中から陣痛促進剤を服用、

午後から点滴に切り替わり、

寄せては返す日本海の荒波のような陣痛に翻弄され、

心身ともに衰弱し切ったその最後の力を振り絞って

この世に産み落としたのであった。

じ〜ん。

今も鮮明に甦るよ。あのときの景色、音、におい。

ちょうど夕方から雪が降り始めた。

あの夜、仕事を終えて駆けつけたオットの肩には雪が積もっていた。

なんにも言葉にならず、

にぎり合った手は氷のように冷たかった。

月日は流れ、ちょび、2さいであります。

指をピースして「2しゃい!」ができるようになりました。

ちゃんと育ってくれてありがとよ。

さて実家のじーちゃんからとてつもないプレゼントが届いた。

はい、こちら。

mini



ばば〜ん。

ぜんぜんミニじゃないMINIのミニカーである。

かつて兄が小さい頃、父は若く貧乏で、

こういうのが買ってやりたかったのに買えず、

小さな国産スポーツカーのミニカーを

親戚に借金して買ったんだそうな。

兄が自慢げに乗っていた赤い車、写真で見覚えがある。

その積年の思いを晴らすかのように、

こういうのを方々で探し求め、どこにもなく、

先日の輸入車ショウで運命の出会いを果たし、

タクシーに詰め込んで凱旋帰宅したんだそうだ。

息子は「ひょ〜〜ウ!!!」と小躍りして喜んだ。

じーちゃんはさっそく工具を出してきて

チューンナップに余念がない。

うち、マンション狭いんですけど・・・

とは言えず、後部トランクに押し込んで

やっとの思いで持ち帰ったのであった。

息子はリビングに鎮座するこれに乗ってテレビを見ている。

ちっと迷惑だが、父の気持ちを考えると

ちょっとジ〜ンときたりもするのであった。

おめでとうちょび。これからも周りの人を喜ばせてあげてください。

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2006年2月 1日 (水)

きちんと

心を入れ替えたのであります。
もうかつてのわたしではないのであります。

きちんとごはん、つくってるぞ。

というのも、月々のエンゲル係数の高さに
愕然としたからであります。
(ほら個人事業主になったしシビアにいかねば)

外食をしてうまいものを喰っているならともかく、
日々粛々と家メシなのにどうしたことか。

それは計画性のない買い物と、ドタンバの総菜頼り
にあると見た。

かつてオットと2人だったころのごはん作りは楽しかった。
いいかげんにじゃじゃっと作る日もあれば、
レシピと首っ引きで渾身のメニューに取り組む日もあった。
時間も中身も気侭でよかったなー。

しかし今、そもそも「料理をする」時間の捻出に往生しているのだ。
保育園の帰り、疲れて眠くて空腹な幼児をつれて
買い物をするのもかなりのパワーを消耗する。
帰宅後ちちちち〜〜とまとわりつく息子にちちをして、
やっと落ち着いたころごはん支度にとりかかるのだが、
もう、ぐったり。
それを思うとつい、できあいのお惣菜に頼ったりしてしまう。

それじゃいかん!と手に取ったのは「魔法使いの台所」

“まとめづくりと手早い料理で夕食用意が30分”
これは魅力的。
さっそく読んでみたが、結局
「すべては綿密なる事前準備がモノをいう」
ということであった。
保存が利くお惣菜をつくっておく、まとめて下ごしらえしておく、
・・・
そんな時間がそもそもないんじゃ!!

と放り投げていたんだが、先日もう一度読んでみた。
そして謙虚に、できるところからやってみた。

「煮干しの頭とはらをとっておく」
あら、ほんとだ。
味噌汁作るのが簡単になった。

「じゃがいもを洗っておく」
あら、すぐに使えていいな。

そんな主婦1年生レベルのことをいまさらやってみた。
ほんと便利だった。
冷蔵庫の中身をいつも把握できるよう、メモをとり、
1週間の献立をたてた。

すると買い物が週に一度でよくなり、
ついでに明日のメニューの下ごしらえもできるようになり、
帰宅後あたためればすぐ食べられるものが鍋にあるようになり、
その安心感は想像以上の余裕を生んだ。

計画性、という言葉の意味を改めて知る34の冬。

晩ご飯だけではない。
それはすべてにあてはまることを、
薄々勘づいてしまった。

さて、来月のわたしはどうしているか、
来年のわたしはどうなっていたいのか、
そのために今下準備をすべきことは。

冷蔵庫の中身を把握するべく、
自分のクォリティに「問いをたてる」。
きちんと生きようと、
ここんとこ思いはじめている。(遅いか!?)

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