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2006年3月30日 (木)

茶芸デビュー

今から4年ほど前、友人の家で中国茶をいただき、
その味と香りに驚愕し、夢中になった。
ボンターヂという中国茶のお店でお茶会に参加し、
「飲めるものならみんな好き」な、
素晴らしき茶馬鹿友達に出会った。
類は友を呼ぶ勢いでのめり込み、中国茶アドバイザーの
試験を受験しに東京まで行った。
テイスティング、茶芸実技の特訓は、得難い経験だった。
おかげで自分の中に経験値がそろった。
東京では、素晴らしい茶飲みの先達に出会った。
試験?資格?そんなの茶を楽しむのに必要なものなの?
風流で茶を沸かし、仙境に遊ぶ彼らのスタイルに憧れた。
茶飲み仲間にお抹茶・お煎茶のお師匠がいらして
「お茶、やってみない?きもので。たのしいわよ」
とうまいこと誘われて、下手の横好き、
月に一度のお煎茶の稽古は出産前後の2、3ヶ月を除いて
ほぼ毎月通わせていただいている。
そうして、日々お茶を楽しむ暮らしを送るようになった。
隙あらばお茶で遊んでやろうと、そういう計画だけは
ばばばっと決まり、お茶会や野点や、いろいろ遊ばせていただいてきた。


そんなある日、散歩コースのとあるアンティーク着物屋さんを
覗いた時のこと、なにげない会話でお茶の話しになった。
「ええ、お煎茶のお稽古に通っているので、月に一度はきもの着るんですよ」
「・・・お煎茶されてるの・・・!」
時は3月、もうすぐ花見、花見遊びの宴に
お茶席があったらいいねえ、と話していた矢先のことだったんだそうだ。

そのお店では着付け教室をされていて、着物が着られるようになったらば、やっぱり着物でおでかけしたい、そこでお食事会をしたり、お祭りにいったり、お花見したり、いろいろ着物遊びをされているんだそうだ。

お店の中には、いろんな写真が貼られていた。
みなさん、色とりどりに上手に着物を着こなしてらっしゃって
なんとも楽しそうだ。

「よろしかったら、お花見でお茶席出していただけたらと思うのですけど・・・」
「ええっ! はーい喜んで!」
こういう楽しそうな話しには超尻軽。
そう、茶飲み連はちょっとずつお道具を増やし鍛えられ、
水さえあればどこででもお茶会を開けるスキルをも
身につけていたのであります。

今までは気の置けない仲間うちでのお茶会ばかりだったけど、
今回は、しらないお客様に楽しんでもらうのであります。
うわー、わくわくする!
おいしいお茶を入れて、その香りをかいだ瞬間の
「!!・・わぁ・・・」
あの表情、たまりません。しめしめ!!です。

しかし同時に悩みも深い。
お茶好きの程度によって、どこが「ツボ」なのか
探らなくてはいけないから。
茶飲み馬鹿一代の皆さんは、本当にお茶が好きで詳しいから、
茶葉の品種や育った環境、焙煎の程度や果ては肥料のことまで
興味の先は果てしなくマニアックだ。

しかし、中国茶に興味はあるけれど、よく知らない人に
どうやったら興味の先鞭を付けられるか、
へえ〜、もっと知りたい、もっと飲んでみたい、
お茶を買ってみようか、自分で入れてみようか
そういうところまでどうやったら連れて行けるだろうか
そんなことを考えている。

お茶2種類、それぞれせいぜい3煎くらいの短い時間で
押しつけがましくても、難しすぎてもいけないし、
説明不足でも消化不良だ。

楽しみの本質を、知らない人に伝えるという作業は
簡単なようでいて実に難しい。

なーんて言いながら、「どう?(しめしめ)」と
茶を飲む人々を眺めて、実は自分が一番楽しいのかもしれない。

お時間あれば、ぜひ覗いてみてください。

ANTIQUE らく・たいむ
 広島市中区白島九軒町15-4
4月1日(土)午後2時〜 中国茶のお茶席
4月8日(土)午後2時〜 お煎茶のお茶席 です
 

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2006年3月20日 (月)

断乳一部始終【後編】

2さいの誕生日2日前の朝、突然訪れた「断乳」。
昨日までポロリちゅーだったちちが出てこない、
この驚愕の事実を受け入れられずパニックとなったちょび。

しかし、保育園に行って帰ってきたその晩、やつは激変していた。

さー帰ったらまたちちをめぐって激しい攻防が・・・と思いきや、
さっぱり、しょんぼり、静かなのである。
どことなーく恨めしげな目で、じーっとちちをにらみ、
「・・・ちち・・・」とかすかにつぶやくだけなのである。

あらー、よかった。もうあきらめた?えらいねえ。
ほっとしたのもつかの間、あれ?なんかへんだ。

おいで、と言ってもこない。
だっこしようとする腕をすりぬけてゆく。
部屋の隅でやさぐれた目でうずくまる息子は、
まるで捨て犬だった。

ひょっとして・・
もしかして、お前、
かーちゃんに嫌われたと思ってる??

おっぱいダメ

お前なんぞに飲ませるちちはねぇ!

もうかーちゃんワシのこと嫌いなんじゃ

そういう図式になってる??

いかんいかん!そうじゃないんだようう〜〜
慌てて息子を無理矢理抱きしめた。
「あのね、おっぱいはもう、バイバイなんよ、
でもね、かーちゃんちょびのことはだーいすきよ!
ちょびのこと嫌いじゃけおっぱいせんのんじゃないんよ!」
そう、何度も何度も、耳のところで話して聞かせた。

かたくなだった表情がふとゆるみ、泣き顔になって、
「ぢぢ〜〜〜〜〜ぢぢ〜〜〜〜〜〜」
おっぱいもみもみしながら号泣である。

おっぱいって、こんなに大きな存在だったんだなあ。
おっぱいやめることって、ものすごいことなんだ、
改めて思い知らされたのだった。

かといって、もう後には戻れない。
どんなにせがまれても、おっぱいは出さなかった。
そのたんびにギュ〜〜〜ッとして、しゅきしゅきしゅき
ちゅ〜〜〜の嵐でかわした。

普段はなんとなく理解できていても、
眠さで理性が吹っ飛ぶと抑制がきかない。
寝入りばな、夜中、明け方、何度も何度も泣きながら目を覚まし
「ぢぢ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」とちちを探す。
そのたびに抱きしめて、呪文のようにしゅきしゅきしゅき・・・
それを繰り返した。
ちちしていたときよりも寝不足である。

そんなことが3日も続いただろうか。
だんだん、あきらめかけてきたそのころ、
こんどはおっぱいに異変が。
吸われないおっぱいが、パンパンに張ってきたのである。
もうほとんど出ていないと思っていたけど、
やっぱりおっぱい出ていたんだな。
仕事中も胸が痛い。
センチメンタルになっているのではなく、
ガチガチになったちち、触るのも痛いのである。
トイレで乳しぼりして圧抜き。
あんまりしぼるとまた作られるので、そっとしぼる。
久しぶりに乳パットでこぼれるおっぱいを受ける。
うう、こんなことなら吸ってほしい・・・
夜中の風呂で吸うあてのなくなった乳をしぼるのは
さみしいものだ。
じぶんのちちにむかって「あきらめろあきらめろ」
と言い聞かすのだ。
ちちは、涌き溢れる愛を与える対象を失い、
戸惑い、悲しみ、白い涙をこぼす。

徐々におっぱいはあふれなくなり、
やがてしょぼーんと、あきらめてしまった。
息子も、「えへへ、おっぱい?」とおどけながら
パジャマのボタンをちゅーちゅーしたりするけれど、
お風呂でちちを見ても、吸いつこうとはしなくなった。


ちちを止めるということは、
ちち以外の、愛を与える方法を新しく模索する、
二人の関係を再構築することでもあった。

今までなにか哀しいことや腹が立つことがあっても、
ぜんぶちちが解決してくれた。
しかし、ちち無き今、それに変わる解決法が必要で、
今まで以上に大声で泣くことが増えたし、
じだんだも踏むし、やり場のない思いが度々爆発する。
そのたびに、わたしもちちのかわりに
ギュ〜やちゅ〜や、あるいは絵本やおもちゃや
時には逆ギレなどで受けて立つようになった。
ちち以外の、コミュニケーションをせざるを得なくなったのである。

ああ、もう赤ちゃんではなくなったんだなあ。
こども、になった瞬間である。

ちちをやめて、やつは俄然まんまをたくさん食べるようになった。
夜は一度寝たら朝まで起きない。
朝になっても起きない。
ちゅ〜の味をしめて、かーちゃん化粧がなくなるほどちゅ〜される。
笑いながらちゅ〜するので、ほぼ噛まれている状態である。
言葉もどんどん増えてきた。もう止まらない。

断乳、どうやら乗り越えたようです。
よくがんばったね!

これから、いろんな「心の断乳」がたびたびあるんだろう。
そのたびにぶつかり合いながら、超えて行くんだろう。
息子は、案外強い。
かーちゃんも、一緒に強くなっていくよ。

こうしてはなみ家の断乳儀式は幕を閉じたのでした。

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2006年3月11日 (土)

おかまパトカー

それはいつもの慌ただしい朝の出来事だった。

寝ぼけた息子を着替えさせカバンに荷物を詰め込み
いってきまーす!と愛車はなみ号で保育園へ。

自宅車庫を出て最初の赤信号、小雨の今朝は混んでいるな、
と止まりつつバックミラーをなにげなく見た、その時

あ、   これ止まらんわ、わわわ、

どんガシャ!

・・・やった〜〜〜〜・・・・

見事におかまを掘られたのであります。

ハザードを点灯させて、右車線から歩道へ。
左側の車のサラリーマン風の方、「御愁傷様」というように
頭を下げてどうぞ、と道をあけてくれた。

ぶつけたのは営業車の軽ミニバンで、前はぐしゃっとつぶれていた。
運転手さんは申し訳なさそうに頭をさげ、警察に連絡。
こちらは保育園に「遅れます」と連絡。
連絡先を交換し、しばし呆然と待つ。
幸い息子は平気のようで、運転席でハンドルをにぎりご機嫌である。

と、ウウ〜〜、パトカー到着。
はっ!!と振り向いた息子、表情がぱああっと輝く。
「ぱ、ぱとかーだっ!!」
その手にはトミカのパトカーが握られていたのであった。
「ぱとかー、いしょ、いっしょ!ぱとかぱとかぱとか」
大興奮の息子をだっこしてパトカーの側へ。
おまわりさんに一通り状況を話し、事故処理車が到着するまで
車内で待っててくださいといわれる。
しかし、息子はパトカーの側から離れようとしない。
憧れの、あのパトカーが今目の前にこうして止まっているのだ、
自分だけのために!!
めらめらした目で見つめる息子に気がついたおまわりさん、
手に握りしめたパトカーを見て、
「お、パトカー、好きなの?じゃあ、乗ってみる?」
と後部座席を開けてくれた。
「あらーよかったねーうれしいねー」といいつつ息子をだっこして
わたしまでもが乗り込む。
親子して「わーパトカーの中だねぇすごいねえ」と興奮。
車内では警察無線が流れている。「えーマルツウは・・・」
おおう、業界用語だわー。
息子も緊張の面持ちで座席をなでたりきょろきょろしたり。

そうこうしているうちに事故処理車が到着。
ニュータイプのパトカーの登場にまたもや興奮の息子。
至近距離からなめ回すように見つめる息子をよそに
淡々と調書をとられるかーちゃんであった。

ひとまず調べも済んでとりあえず解散。
ああああっ!パトカーが行ってしまったあああっ!!
「ばどが〜〜〜ばどがあ〜〜〜〜〜」
号泣する息子をチャイルドシートに無理矢理押し込んで
保育園へと向かったのだった。

すっかり遅くなってしまって、ちゅうりっぷ組さんはすでにみんなお散歩にでてしまっていた。
ピンクの帽子をかぶせて後をおいかける。
日向であそぶ友達の群れに合流。先生にことの顛末を報告。

その日の帰りには「ちょびちゃんパトカーに乗ったんだって?」
保育園中の有名人になっていた。

ニガテな野菜のおひたしも、「パトカー乗ったんだって?すごいね!」
とおだてると、勇んで完食したのだそうだ。ありがとうパトカー。


はなみ号は修理に出され、代車としてプリウスが来た。
わーいハイブリッドだー乗ってみたかったんだーとのんきに喜んだが、
まずエンジンのかけかたがわからない
ブレーキがどこにあるのかわからない
取説読んでなんとか車庫入れ。

それにしても電気とガソリンを使い分けている様子がモニターに出るのだが、おもしろいですね。
信号待ちで止まると音もしなくなる。
ほんとに電気自動車、という感じでエコです。

整形外科には行くにはいったけど、たいしたムチウチにもならず、大丈夫でした。

しかしみなさん、セイフティードライブ、
車間距離は十分に、です。はい。

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2006年3月 2日 (木)

自宅仕事はじめ

さて、会社を辞めたわたしは、出社すべきところがない。
ということは、自宅で仕事をするわけである。

週明け月曜、さっそく自宅勤務が始まる。
しかし、オットは仕事休み、息子も保育園お休み、みんなおうち。
実質家族団らん状態であった。

いやしかし今日中にどうにかしなくてはいけない企画書がある。
調べものの仕上げをして、もうちょっとなんとかしたい。
息子がいてはわきわきと仕事にならない。
オットは「ちょっと買い物に行ってくるね」
と息子を連れて近所の日用雑貨店に出かけた。
ありがとうオット。
お昼頃帰宅。みんなでご飯。しかしまだできていない。
今度は、
「ちょっと公園に行ってくるね」
と息子をつれて近所の公園に出かけて行った。
すまないオットよ。
暦の上では春とはいえ、まだまだ寒風ふきすさぶ公園である。
走り回る息子はよしとしても、
曇天の公園に佇むオットの心境はいかに。
毎週月曜日は、わたしが出かけなくては。課題だ。

火曜日。
ここは安息くつろぎの自宅。
仕事場ではない。
ちょっとでも仕事場にすべく、片付けはじめる。
どこか一部屋、仕事部屋と割り切れる場所があればいいのだが、
あいにく狭いマンションのどの部屋もがだらだら空間である。
リビングの、ダイニングテーブルを仕事机に兼用させるべく
その周囲を徹底的に片付けはじめた。
やりはじめると歯止めがきかない。
最後の掃除機をかけ終えたころ、保育園お迎えの時刻となる。

水曜日。
朝、保育園に息子を送り、帰宅する。
ほんのり朝の支度のかおりが残っているリビング、
まずは掃除機をかける。
パン屑をひろう程度にしとけよ、と言い聞かせる。
そして、湯をわかし、コーヒーを入れる。
コーヒーの香りが生活のにおいを消し、
ひとりの空間ができる。
パソコンに向かうと、案外集中はできる。
ふと気がついてベランダに出て、枯れたビオラの花殻をむしる。
その足で洗濯機をまわし、本を片付ける。
気がついたら、台所でごぼうをささがきにしていた。
いかんいかんいかーん!
ぜんぜん仕事にならーん!
元来切り替えが苦手でダラダラしたがるわたしに
自宅勤務は至難の業である。
気持ちを切り替えるために書類を持って確定申告へ。
クレドホールにて人生初めての確定申告。
入れ替わり立ち替わり税務署の方々が教えてくださって、
無事終了。
リッパな還付申告となった。
・・・これはしょげる。
来年は「くっそ〜こんなに税金むしりやがって!」と憤るくらいの
収入があるのだろうか。
家でひなたぼっこしてたら、絶対無理である。

木曜日。
朝、Jさんの事務所に伺う。名刺のデザインをお願いするためだ。
たかが名刺ではあるが、唯一の営業ツールでもあるので、
その印象はただしくわたしがよしとするものを伝えたい。
なーんてごにょごにょ考えていて、活版印刷で刷れないかとか、
エンボスはできないかとか、さんざんメールでJさんに相談して、
活版印刷は広島にはもうないよとか、
エンボスの名刺の失敗見本例を持ってるよとか、
いろいろと教えていただいていたのであった。
そのやり取りも楽しく、どんなにしようかなーなどと考えるのも楽しいが、
アンタはやくそれもって挨拶にまわりなさいよと良心が訴えるので、
そろそろちゃんとお願いしようと思って行ったのだった。
しかし、書体というものは奥が深い。
素人のわたしがこんなのがいい、と気軽に言うそれは
一見そっけないが実に計算され尽くされた書体だったりした。
そういうものの持つ雰囲気について、枝葉をのびのびと伸ばして話し、Jさんの頭の中の膨大な資料庫の引き出しからいろんなものが出てくるのを見るのはとても楽しい。
お昼に、ひとみさんお手製のアンチョビとブロッコリーとお豆のパスタをご馳走になった。
車でJさんを送り、帰宅。
そしてこれを書いていたりする。

重い腰を上げて動かんにゃあ!
わたしの踵はなかなか減らない。

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