ことば
雨がしとしと。息子風邪ひき。仕事一段落。
きょうは保育園を休ませ自宅で養生。
やっといま、お昼寝した。
先日、年配の方と話しをしていて、
とあるニュースキャスターが自らの癌克服体験を
手記にまとめて出版したことに触れ、
「自分の体を売りものにして、」と言われた。
ちがう、
同じ癌と戦う人にとって、それは勇気づけられる本
なんじゃないですかね、
と言い返せなかった。
だらだら眺めていた新聞に、
文章を書くなんて、人を楽しませるということでいえば
売春の方がはるかにましだ、というようなことが書かれた
小説の書評が載っていた。
その小説も書評もろくに読んでないけど、
目に触れて胸にささった。
売春以下か。
こう、たとえばこうしてここにこんなふうに
かいたりしてるけれど
内省というか、
じぶんに折り合いをつける作業であるにはあるけれど
誰か、読んでくれている人がいて
その人にも
そのときの思いが
へーとか、ふーんとか、ホロリとか、がははとか、
そういうことがすこしでも
伝わればいいと
思うから書いているのだろうと思うのだが、
それは売春にもならない
自慰でしかないのか。
人に伝えたいだと?
それは常に「大きなお世話」に立脚した作業だと
自虐的に思う。
だけど、
迷い果て悩んだときに、
誰とも知らない人の書いたものに
勝手に救われたことは何度もあるし、
いつも世界を拓いてくれるのは言葉だったし、
すげえ、いいな、と思わせるのも言葉だ。
だから、憧れるんだ。
雨の降る荒野に、ひとりぼっち、
誰が聞くとも分からぬ遠吠えをする犬。
停滞するとろくでもないイメージに巻き取られる。
はばたき続けなくては失速する鳥、
こぎ続けなくてはずり落ちてく坂道の自転車のような
わたしの性分。
雨があがったら、動きますか。
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