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2006年10月19日 (木)

父のテレビ

実家に立ち寄ると、どでかいテレビが鎮座していた。

前のテレビも地デジ対応薄型大画面だったのに
なぜ買い替える必要があるのか。

昔から父は新しもの好き、かたちから入る凝り性だった。
ゴルフのクラブだって、車だって、デジカメだって、
とにかくカタログを山のように集めて研究し
一番いいものを買う人だった。


なんでもまだ発売になる前で、
広島ではうちが初めての納品じゃそうな、
と得意げな父。
52V型のそのデジタルハイビジョン液晶テレビ、
どこから見ても「近い近い目が悪くなる」くらいのでかさである。

すかさず父がチャンネルを変える。
デジタル放送のその番組は、
どこか外国の、ミロのヴィーナス像を作る工房を紹介していた。
それは驚くほどきめ細かく美しい映像で、
石膏のにおいが感じられるほどだった。



父が特発性間質性肺炎と診断されて数年経つ。

定年を経てもなお乞われて仕事を続けてきて
2年前やっと放免された。
退職後は、母とのんびり旅行でもと思っていたようだが
そのころから、息切れ、咳がひどくなった。
ネクタイを外すと同時に、みるみる老けていった。

具体的な治療法があるわけでもなく、
ゆっくりと悪化してゆくのを待つだけ。

今では在宅酸素療法をしており、鼻チューブにつながれている。
外出するときには酸素ボンベを引きずってゆく。
デパートのエレベーターで中年女性に
あからさまにいやな顔をされ息を止められて以来
外出するのを厭がるようになった。

だから、一日中、家のソファでテレビを見ている。
父にとってテレビは、唯一
外界とつながる窓なのだ。

「先生あとどのくらい生きられるんでしょうか」
と聞いたらしい。
発症後5年生存率は20%、
すでに発症して5年だから、
死ぬんならもう死んどるんです。でも生きとる。
残りの20%の人たちがどのくらい生きたかというデータはない。
だから、気をつけて、がんばりましょう、
風邪をひくと急激に悪化するので、風邪をひかないように
ということだったそうだ。
これから寒い季節が巡る。


父の日や誕生日に、なにが欲しい?と聞いても
なにもいらない、という。
服も、モノも、もういらんと。

どうしたらいいかわからなくて、
せいぜい
息子の顔を見せにいくことしかできない。


父の横でぼんやり眺めていたテレビで
新番組の告知が流れた。
そのBGMを聞いて、
「ああ、道だ。フェデリコ・フェリーニの」。
機械ばかり愛した父がそんな映画を見ていたなんて
ちょっと意外だった。
その映画のサントラを探したけど、廃盤でなかった。

わたしは、父のことをどのくらい知っているのだろう。


秋晴れの休日、ドライブに出かけた時
魚切ダムにある古いレストランのそばを通った。
ああ、いまでもやってるんだ、
昔おばあちゃんが元気だった頃
みんなで時々来たことがある。
あの頃の父と母の気持ちが、
今分かる。
順送り
という言葉が浮かぶ。
あふれるように涙が出た。


父と母がいなくなり
子どもでなくただの親になり
年とって老いて
息子に
何か欲しいものがあるか
と聞かれるようになるのだろう。
そのときわたしはなにが欲しいのだろう。

それが今わかれば
父にかけるべき言葉が見つかるのに
と思う。

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コメント

 俺は色々なくして、失くしてはじめて、
 在ってくれてるだけが、どんなに救われることなのか、
 また実感しました。

 ただ、そこに居ていてくれてるだけが、どんなに、ありがたいことだろう。

 何も出来なくても、同じ空間に、居ていてあげたら?
 言葉なんてなくてもいいんじゃないかな。

 お父さん、お大事にね。
 いつまでもお元気でありますように。

投稿: うか | 2006年10月21日 (土) 午前 08時19分

うん、そうだね。
在ってくれるだけでいい、
そうかもしれないと思う。
なるべく顔のぞかせようと思う。
ありがとう。

投稿: はなみ | 2006年10月24日 (火) 午後 05時56分

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