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2007年1月25日 (木)

「不都合な真実」を見て、やる

きのう、フジグラン緑井のTOHOシネマズ緑井で
「不都合な真実」を見てきた。


あの、「地球温暖化」って言葉がいけないんじゃないかと思う。

温暖な気候、などというと、ぽかぽかとあったかく
気持ちいい感じがする。
地球が温暖化、なにがいけないの?という感じがする。

むしろ
「地球熱破壊化現象」とか
「地球大災害化現象」とか
もう、イタズラに「こわい!」と思わせるくらいの言葉が
ぴったりなんじゃないかと思った。

とにかく、いろいろな原因によって
CO2がものすごい増えている。
発電だったり、車の排気ガスだったり
貧困故の焼き畑だったり。
これが地球を覆って温室のようにどんどんあっためている。
スイスやパタゴニア、ほとんど氷河が溶けちゃった。
広島のスキー場も今年は営業できないくらい、暖かい。
南極や北極のものすごい氷が溶けている。
広島県どころか、四国くらいの面積の氷が
どんどんとけてどかーんと海に沈む。
科学者たちもその溶解スピードに息をのむ。
ちびちび浸食しある日どかーんと溶けて沈むのだが、
いつか
グリーンランドとか、北極の一部がどかんとなくなったら、
世界の水面は6m上がる。津波となって押し寄せるかも。
広島市は、中区、南区、西区、東区のほとんどが
海抜5m以下。
うちは確実に海に沈む。
いつなのか?どうなるのか?推測の域を出ないが
このままだと、いつかそうなる。
(というのが、ゴア氏の丁寧な説明と正確な観測結果で
 淡々と語られる。ことさら恐怖を煽るようなものはなく
 ただひたすら真実を伝える。それがこわい)

まっさかあ。

信じられない。

だったらどうすりゃいいの?電気使うな?
そんなの無理だ
どうしようもないじゃないの。

へーと知っても、なにもしない。

それで、私たちの親の世代は、きっとまだ大丈夫
畳の上で安らかに死ねるでしょう。

でも、わたしが60になったころ(もっと早いか?)
世界がある日激変し家を無くし食べ物をなくして
だれからも救援されず
サバイバルに適応するほどの体力も知恵も無く
後悔しながら死ぬことになるのかもしれない。

そのころ息子は今のわたしくらいで
ただ生き延びることすら難しい世界を
生きなくてはならないのかもしれない。

そんなのはいやだ。
息子も、社会に影響を持つ仕事をして夢を持ち
気持ちのよい山や川や海で
愛する妻や子と弁当ひろげてゆっくりできる
そんな当たり前のことが当たり前である世界を
存続させねば。


一番の敵は、「無力感」と「あきらめ」だと思う。
フロンガスだって規制できた。
やってできないことはない。

ただひたすら、C02排出をくいとめること。
どうすりゃいいんだ?
と思って「ハチドリのひとしずくーいま、私にできること」
を読んだ。
日本のC02排出は約40%が産業、20%が運輸、
13%が家庭からのものだといわれている。
でも、産業のつくりだすモノを消費し、運輸のサービスを
直接・間接的に利用しているのは結局わたしたち一人一人。
わたしたちが暮らしの中で起こす変化が
産業のあり方や社会のあり方を変え
それがどんなにささやかに見えても
確かに地球を冷やすことにつながる、とかいてあった。

たとえば、

日本人は一人一日平均7000gのC02を出しているんだって。
C02 、どうやったら減らせるか

・3Km移動を車じゃなくて電車にすると 1200g減らせる。

結構減らせるな〜

・レジ袋1枚、マイバッグもってって断ると
 レジ袋作る過程で出るCO2 を 90g 減らせる。

スーパーでけっこう買物してると、積もり積もる数字だ。

・エアコンの設定温度を1度下げたら 150g減らせる。
・石油ファンヒーターの使用時間を1時間短縮すると 240g減る。

電気代の節約=C02の削減なわけね。こりゃうれしいわい。

例えば、輸入の食べ物も輸送の際にCO2を出す。
フードマイレージキャンペーン 参照
http://www.food-mileage.com/


・オーストラリア産アスパラ1本、国産に変えると 340g減らせる。

地産地消、近くで採れた旬のものを食べるってのが
おいしいし体にもいいしCO2も減らせる。
しかし、スーパーには全国の名産品や輸入食品がいっぱい。
自給でききれない日本は輸入に頼らないといけないらしいけど、
そう?
わたしたちの口が、知らず知らずそうしてるだけじゃないか?

これだけ、ざっと足しても、えーと 2020g減らせることに。

京都議定書の一日一人あたりの目標は 1500g減らすこと。

案外、そう大変じゃあ無いのだった。

今日から、上記の項目、やりますよ。
息子の将来の「環境貯金」です。
学資保険よかよっぽど大事かもよ。

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2007年1月24日 (水)

中四国子連れ450Kmの旅(3)


瀬戸大橋に別れを告げ、いよいよ四国。

「こんぴらさんに、お参りしたい」
と言い出したのはオットであった。
金比羅大権現、死ぬまでに一度はお参りしたいって言うじゃない?
とえらい古いことを言いなさる。
こんぴらふねふね〜くらいしか知らなかったのだが、
ちょうど通り道、行ってみることにする。

それに、このあたりうどん屋多発地帯でもある。
本場さぬきのうどんを食べねば
つーつー好きの親子が泣く。
ということで昨夜ネットで調べたのだが、うどん屋多すぎて迷う。
それこそネギもセルフで摘んでくるような店に行きたいが
ちょびを連れての移動である。
駐車場があって、席もけっこうあって、あんまり並ばない
てなところはないもんか、と探して行ったのが
善通寺市の「長田in香の香」。
善通寺I.C.を降りて、案外すぐのところにあった。

でもやっぱり並んでる!
まあここまで来たんだし、並ぶとするか。

Photo_20


さて待つ間も息子はやかましい。
「次どこいく〜ん?」と聞いてくる。

今まで、どこに連れて行っても時間の観念が希薄で
連れて行かれるがまま、その場その場で楽しむだけだったが
今回はちがう。
「今日どこいく〜ん?」とスケジュールを聞いてくる。
「ん?おっきいぼちゃぼちゃ入りにいくんよ」
と適当に言っていると
「ねえ、おっきいぼちゃぼちゃは〜?」
と不服そうである。
「あのね、今からつーつー食べてぇ、こんぴらさんに
お参りしてぇ、それからおっきいぼちゃぼちゃよ」
と正確に伝えないと怒られる。めんどくさいのう。


並んで待つも、うどん一杯、回転は速い。
すぐにレジに到達。
名物の「釜揚げ」を頼む。
番号札をもらって着席。
とっくりに入った出汁を蕎麦猪口についでなめる。
うわー、いい香りだあ。
出汁ちびちびやりつつ待つ。
10数分後、番号を呼ばれるので元気に返事。
もちもちの美しいうどんがお湯につかってる。
それにしてもちょび、もんのすごい勢いですする。
この息子、うどん大好き。
箸を巧みにあやつってズバッ、ズバッとすすっていく。
かーちゃん大盛りにしといてよかった・・・
ものの数分で完食。ごちそうさまでした。

さて、本場のうどんも食べたし、次はお参りだー。
そこから車で20分ばかり、
金毘羅宮はわりと近いところにあった。

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中四国子連れ450Kmの旅(2)


出発の朝。

最近北向きのベッドルームの寒さに耐えかねて
遮光カーテンを2重にしたのだが、
これが災いしてこの部屋はいつも夜。
朝になっても一向に目覚めず。
「おきて、もう、昼になっちゃうよ」
オットの声で目覚めると10:00過ぎ。
・・・今日、徳島まで行くのである。
普通出発はもっと早かろうに??
「ま、夜までに着けば・・・」
・・・ほんとに夜になっちゃうよ。

急いで支度。
オットもわたしも荷物は少ない。
替えのパンツさえあればよい。
問題はちょび(もうすぐ3さい)である。
保育園ではすっかり布パンツで失敗もないのだが
親の都合で旅はオール紙パンツで臨む。
旅の日数分の紙パンツ、
どうせ食いだれなんかでどろどろになるので余分に着替え、
宿には食事も布団もいらないと伝えているので
バスタオル数枚(敷いたりかけたりできる)、
パトカー、救急車、その他手当り次第におもちゃ。
あとは細々、薬だとかおやつだとかお茶だとか・・・

いやあ、車での旅は気軽でよい。
必要と思えばぽいぽい放り込んでおけばよい。
車に積み込んだ荷物の山を眺めて
「公共交通機関での旅行はいまさらできない・・・」
荷物とちょびを身につけて移動となれば、
中身も相当厳選せねばなるまい。
あー車って楽だなあ。移動リビングだよ。
この装備一式で、3日間の旅行でなくても
数ヶ月はサバイバルできる自信がある。

準備万端、出発〜。
行きしに給油も済ませ、高速に乗ったのが12:30。
正月だから混むかと思ったが案外空いている。
一路、瀬戸大橋へ。
オットは「集中力のあるうちに距離稼ぐ」といいながら
がんがんぶっ飛ばしてゆく。

倉敷JCTから瀬戸中央自動車道へ。
「せっかくだから、瀬戸大橋見ながらお昼にしよう」
ということで、腹ぺこを我慢して鴻ノ池SAへ。
しかしここはまだ児島の手前で橋は見えない。

ここまできたら意地でも橋を見ながらお昼ご飯!
ということで、売店のお姉さんに聞いたら
瀬戸大橋の真ん中、与島PAが綺麗です、とのことなので
そこまで行くことにする。

車に戻ろうとすると、息子がいない。

あれっ!?ちょび〜〜〜〜!!
いたいた。まんまと罠にかかっていた。

頼むから、子どもの目線におもちゃを並べて売らないでほしい。
「トーマスいる〜〜〜〜」
あほか!トーマスなら家に腐るほどあるじゃろうがい!
引き離そうとしても激しい抵抗にあう。
「ド〜〜〜マズ〜〜〜〜ド〜〜〜マズ〜〜〜〜」
機関車トーマスと仲間たちセット、2890円。

「ああっ!!ちょび、あそこ見て!すごいよ!!」
出口のガチャガチャ。
街のミニカーシリーズ、200円。
これで手を打つとする。
丸いカプセルを手に上機嫌のちょび。
これから随所でこういう罠が待ち構えているかと思うとぞっとする。

しばらく走って、見えた!瀬戸大橋!
オットとちょびは初めて見る景色。
「わ〜〜〜〜しゅご〜〜〜〜い!」

Photo_21


与島PA到着。さすがに正月休みで人がごった返している。
屋台で、飯蛸の天ぷらを揚げつつ売ってるのを買い、
瀬戸大橋が美しく見える、端っこのベンチへ。
持参して来た巻き寿司やおせちの残りを広げ、遅いお昼ご飯。

風はつめたいけど気持ちがいい。
ちょびは橋を通るトラックや電車を見ては大歓声。
写真を撮ったり、犬と遊んだりしてゆっくり休んで
また、出発。
さて、いよいよ四国上陸である。

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中四国子連れ450Kmの旅(1)

正月はいつも元旦はなみ、2日オットの実家でそれぞれ過ごす。
結婚してからずっとそう。
毎年変わらぬ顔ぶれで、子らだけは毎年見違えるほどになり、
食って飲んでしゃべってだらだらと過ごす。
で、3日はたいがい宮島に初詣に行き、
4日は家でごろごろして、5日仕事初め、だった。

が、今年はちと事情が違う。
夫婦揃って自営だ。昨年末は死ぬほど忙しかった。
新年はちょいとゆっくりしたってバチは当たるめぇ
ということで、3、4、5とプチ旅行に行くことにした。

どこ行く?

旅の相談をし始めたのが2日夜。明日の話しである。

「うーん、祖谷(いや)とか」。
以前仕事でそのあたりのことを調べたことがあって
「秘境」って感じで行ってみたいなあと漠然と思っていたのだ。
でも、徳島県。地の果てである。無理よね。

と、オットがばばばっと本をめくりだした。
決定版!温泉&宿中四国版。
オットの頭の中にも、祖谷、かずら橋、秘境、温泉・・・
と憧れイメージが浮かんだらしく乗り気だ。
「あ、いいね、単純硫黄泉、源泉に加温のみだ」。
そのホテルはネットでの予約ができなかったので
直接電話してみる。無理よね。
「あ、明日でございますか、大丈夫でございます」
「あ、では2名+ちびでお願いします」
「どちらから?」
「あ、広島です」
「え!広島ですか! お気をつけて・・・・迷ったらお電話ください」

わーい取れちゃった。
地図を見ると・・・ほんとに秘境だ。
「遠いねぇ・・・」
もう遅い。行くしか無い。
ま、夜までに着けばいいんだし、ゆっくり行きましょうや。

ということで、行き先は祖谷!
その周辺になにがあるのかあわてて調べる。
旅の支度もそこそこに、風呂に入って寝るとする。
「明日はおっきいぼちゃぼちゃだよ!!」
「うわーーーいい!」

風呂好き一家の大旅行の始まりである。

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2007年1月10日 (水)

脳内ストリップ・初夢篇

明けましておめでとうございます。

新年早々見た夢はなんだか訳の分からないものばかりだった。

元旦の朝に見たのは、アルフィーのコンサートの入場列に並ぶ夢だった。
なぜアルフィー・・・
二日の朝に見たのが正式には初夢と言われている。
それはこんなのだった。
はたして今年はどんな年になるのであろうか・・・・謎である。



なにかの広告の撮影をしないといけないのだが、
手配のモデルが間に合わず、止むを得ずわたしが代役となる。
そりゃ無理だろうと思ったが、遠目の後ろ姿というから、しぶしぶ
衣装に着替える。ご丁寧にメイクまでしてもらう。

撮影は屋外という。2時間後に集合と言い渡され解散。
その場所まではなんだか険しい道が続き、とんでもない山奥にある。

メイクさんととぼとぼ歩き出すと、彼女の師匠とばったり会う。
「ちょっと直すわよ」と、そのひとがわたしのメイクを直す。
彼女は屈辱的だったのだろう、むっとしていた。

その腹立ちまぎれで彼女は「チャリで行く」と言い出した。
もはや日は暮れかけている。今こんな山道にチャリで入ったら遭難する。
必死で彼女を説得し、スタッフの車に乗せてもらうよう頼んだ。

車が到着したのは山奥に似つかわしくない、ガラス張りの部屋だった。
そこでなにか、新年を祝うパーティーのようなものが始まっていた。
撮影スタッフもみな、そこで楽しそうに酒を飲んでいる。
どうやら今日の撮影は流れたらしい。
なんだよ、と思いつつその場所を離れる。

すると、見知らぬなれなれしさで体格の良い男性が近づいてくる。
施設の中をあれこれ案内してくれる。
そこは古い小学校のような陸上競技施設で、
グラウンドが見えるロッカールームに着いた。
彼は、世界大会に出場するんだ、全国ではなくて世界ですよ、と
自分が棒高飛びのすごい選手であることを自慢する。
鳩が求愛する時に、羽根をふくらませて大きく見せて
ぐるぐるとわたしのまわりをまわるような目つきだ。
僕の練習するところを見てくださいよ、と言われグラウンドに出る。

グラウンドには恐ろしく高い棒高飛びのバーが設置されていた。
数人の選手が助走して長い棒をしならせてはきれいに飛び越えてゆくのが見えた。
手前に小さなバーがあり、あれっと思ってみると、
小さな子象が、バーを飛び越える練習をしていた。
首をふるふる振って、あとずさりしては、どどどどっと走ってバーをなぎ倒す。
あの象、たしかテレビで見たけど、芸をさせられて見せ物にされていた象だ。
「ああ、あれ、可愛そうだということで、うちの財団がひきとったんですよ」
ひきとられてなお、こうして芸をしこまれてるじゃない、
と言おうとして止めた。

ぼんやり眺めていると、彼方から真っ白いものが覆いかぶさるように来た。
砂嵐だ。
みるみる景色が白く濁ってゆく。
まわりの人はみな、やりすごそうと地面にしゃがみ込んでゆく。
いやだ、と思っていると、その男性がわたしを抱きしめた。
肩から頭を、両腕にすっぽり抱き、しゃがみ込む。
汗のにおいのするTシャツ一枚で、肉体を近くに感じる。
まわりはもう何も見えない。
砂の、ちりちりいう音だけが聞こえる。
息もしたくない。
抵抗せず、おとなしく抱かれながら
川端康成の小説でこういうのがあったなと思い出す。
その少女はオパアルの指輪を自慢したい幼稚さで、
裸の体のまま湯の中で男に抱かれるのだった。
抵抗しなければ、きっとこの男はわたしがまんざらでもないと
勘違いするだろう。
そう思いながら、抗うでもなく、じっとしていた。

しばらくして、遠くの空に青みが戻り、
すこしずつすこしずつ、嵐は収まっていった。

腕の力を緩めると、髪やスカートについた砂を
その大きな手でやさしく払い、
なにか自信に満ちた目で見て、グラウンドに向かっていった。

練習を見る気はさらさらなく、
しかし真っ白になった道をたどって帰ることができるだろうかと
足下の砂をざらざらと蹴った。

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