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2007年4月25日 (水)

雑感


 化粧水がなくなったのだが買いに行けず、過去にもらったサンプルなんかをちまちま使い続けていたのだが、やっぱり肌に如実に現れてきたのでようやく化粧品カウンターに行った。化粧水4,000円少々って高いのか安いのかわからない。エステにいくより化粧水を惜しみなくたっぷり使うほうが効果的で安上がりだと勝手に思い込んでいる。
 忘れた頃にやってくる客なのでビューティーアドバイザーも戸惑いつつ、美しい作り笑顔で化粧水を用意してくれた。なにげない会話から、ファンデーションはやっぱりリキッドを使った方がよいと言われた。朝は慌ただしい。パウダーファンデをばばっと塗って終わりだった顔を見破られた。「試しにつけてみましょうか」ということでベースメイク部分をクレンジングで落とし、乳液、下地、リキッドファンデーション、粉、と丁寧に重ね付けして仕上げてくれた。「いかがですか?やっぱり綺麗ですよね」といわれた鏡の中には40を前にした女の顔。どうやっても隠せないものがあるとしみじみと思いながら、サンプルだけはもらって帰った。
 
 

 えらく風邪をこじらせてまったく嗅覚がバカになっていたのがだんだんよくなってきた。いつものスーパーで息子をトーマスのカートに乗せて買物をしていると、上から降ってくるようなにおいを感じた。においのない世界の、暗幕を払うような新鮮さで感じたそのにおいは、白粉のような濃密な甘い香りだった。どこから?なに?その細い香りの筋を吸い込みたぐりよせてゆくとそこに、鉢植えが並べて売ってあった。そのなかの一つ、ニオイバンマツリという花の咲いた鉢植えがその香りを発していたのだった。この花、おばあちゃんちにあった。なんで白い花と紫の花が一緒に咲いているのか不思議だった花だ。毎日観察して、どうやら花が咲いた直後は紫で、だんだん白く変わっていくらしいということを突き止めた花だ。その記憶もにおいが連れて帰ってきた。迷うことなくカートに乗せてレジに向かい、自宅に連れて帰った。ベランダに近い明るい窓辺に置くと、部屋中がいい香りでいっぱいになった。
 翌日、いつものように机に向かい仕事をしていると、猛烈な眠気が襲ってきた。珈琲を飲んでもどうしようもない。昨夜はよく眠れたのに、どうしたんだろう。ちょっとベランダに出て空気を吸おうとして気がついた。部屋の中に充満した香りの濃度に。これだ。どうりで頭が重いはずだ。鉢を外に出し、窓を開けて換気した。
 そういえば、息子を出産後実家に戻っていた時、母が枕元に白い百合を生けてくれたことがあった。いい香りがして綺麗だったが、その晩息子は尋常じゃない泣き方をしてなかなか眠らない。どうしたんだろうと新米母は悩み、ひとつひとつ考え、もしやとその百合の花瓶を部屋の外に出してみたら、すとんと眠ってしまったのだった。花の香りはいいにおいだけど、つまりそれは軽い毒なのだと思った。
 
 
 
 とんでもない間違いが発覚した。会ったこともない人にこうして迷惑をかけている。善意が知らずに悪意に変わる瞬間の恐ろしさを知る。どうしてそんなことになったんだろう。直接的にはわたしの責任ではない。だがしかし仕事の進め方に根本的に瑕疵があることは明確だ。それもわたしがコントロールできることではないにせよ、わたしの名前でやっていることにわたしが責任を取れないのならばわたしが一番悪い。お詫びの手紙を速達で送る。謝罪すれば手紙を投函すればなにか許されたような気になるとでも思っているのかと誰かが自分の中で問う。

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コメント

40前の女の化粧顔、強い花の匂い、善意と悪意…
これだけで小説が書けそうです。

投稿: 尻臼 | 2007年4月29日 (日) 午前 11時24分

しかしフィクションの文章なんか、とても書けそうにない。
だって書くものどーやったって全部じぶんじゃん!?

投稿: はなみ | 2007年5月 2日 (水) 午後 02時32分

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