蹴りたい背中
ご存知、2004年芥川賞受賞作だ。
作者の綿矢りさは当時19歳、史上最年少受賞ということでずいぶん話題になったのを覚えている。
前世で何があったのか知らないが、
賞、とか、名誉、というものに訳もなく腹立たしい自分がいる。従って、どんなものにしろ賞をとりたがってる人間を見るのも腹が立つ。それがなんぼのもんじゃいと唾する気持ちが常にある。そしてそれは、無冠の自分への劣等感の裏返しであることをいやというほど感じている。昔っからそうだった。だから、ベストセラーも大嫌いだったし、日の射さない方へ日の射さない方へと根を伸ばし、こんなわたしになっていた。
そんなひねしょぼったわたしもええ大人になり、劣等感こそ消えないが、賞を取るものにはそれなりの理由があることをやっとこさ認めることができるまでにはなった。
「蹴りたい背中」が文庫になっていた。
本屋で立ち読みして、理由が分かった。
380円出して買って帰って続きを読んだ。
ああ、こうだった。中学、高校、こんなふうにこうだったよ。しかし、その自分のありようをこんなふうに書き下すことができるほど強くはなかった。むしろそんな思いを早く上書きしてしまいたくて日々を重ねて薄めていった。
あの時の自分がこう聞いていたこう触れていたというのを、こんなに。
これを才能というのだろうと思った。
文章というのはおそろしくて
人のたましいをあからさまに写すような気がしてならない。こうして不用意に書いているこんなものにも、わたしのよこしまな心が漏れだしてシミを作っているような気がしてならない。だからといって書くのを止めようとも思わない。どうして書いているのだろう。誰のため?何のため?わからないけどこれだけは言える。書いている時だけ息ができるんだ。
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コメント
ある人は作家に。
ある人はコラムニストに。
ある人は記者に。
ある人は先生に。
それぞれの思いを秘めて、人はブログという自由な空間を使って表現する。
そこには誰にも邪魔されない自分だけのフィールドがあるから、人はブログに惹かれるのかも知れない。
投稿: ジロー | 2007年4月24日 (火) 午後 06時00分
そーかも知れない。
あでも邪魔してもいいっすよ。異論反論オブジェクショ〜ン。
投稿: はなみ | 2007年4月25日 (水) 午後 05時00分
汚い部分が滲み出るのは
ええことです。どば~と出るのは醜いですけど。
剥き出しの欲望は、ただの動物。
抑制された欲望は、色気。
投稿: 自転車 | 2007年4月26日 (木) 午後 06時37分
自転車さんありがとう。
色気でありたいです。ちょっと、うれしかったです。
投稿: はなみ | 2007年4月26日 (木) 午後 09時29分