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2007年4月26日 (木)

ちょびの南京玉


仕事で、山口県・仙崎の金子みすゞ記念館に取材に行った。

金子みすゞというのは、仙崎で生まれ育ち
大正時代、ハタチで童謡雑誌に初投稿した詩を
西条八十に大絶賛されてデビュー、
輝かしい童謡を次々と発表したものの
26歳の若さで世を去った「幻の」童謡詩人だ。

なぜ世を去ったかというと、自死したのだった。
好きでもない人と結婚させられ
その夫には女遊びされ
離婚を考えたが子どもを身籠り
子が生まれても夫に郭病をうつされ
詩をつくるな手紙を書くなと
その翼をもぐような仕打ちをうけ
挙げ句に離婚後娘をとられることになり
自ら命を絶ったのだそうだ。

記念館でみすゞの人生年譜を見ていて切なくなった。
自殺したとき、娘は3さいだったんだ。
ちょうど今のちょびと同じだ。
これを残して死ぬなんて
みすゞさん、死んじゃだめだよう。

死ぬ前、作詩を禁じられたみすゞが唯一
息継ぎのように書き綴ったのが「南京玉」だ。
南京玉とは、かわいらしいガラス玉のことで
小さい娘のかたことの言葉を
ガラス玉をつなぐように、綴ったのだった。

「アメチャン ナメタラ オメメ デキタ」
(飴をなめてできた空洞を見て)
子どもの無邪気な声が聞こえてきそうだ。

ちょびも、おかしくてかわいい南京玉を
いくつもいくつもぽろぽろこぼす。
その声、いい方、表情、
残らずとっておきたいと思う。
ああ、かわいいこというなあと思っても
次の日には忘れてしまう。
だから、みすゞさんを真似して
綴っておこうと思う。

かーちゃん死にはせんけどね。


えーとじゃあまずは最近の保育園ノートから。

「お散歩に行きました。
川沿いの道をのんびり歩いて
小学校の横を通って帰りました。
途中、マンションを建てているビルの上を見上げて
クレーン車を見ているとき、お友だちが
『ぼくクレーン車の運転手になる』というと
ちょびくんは
『ぼく、はたらくくるまになる』
と言っていました」。

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コメント

伊藤家嫁、でもある母ちゃんは、今日は飲んでいます。
というのも、最近コピーの仕事を再開して、それが
終わった自分への祝杯ですです。
はなみさんは、いつもいつも、
「ははああ」と、嫁が平伏せざるを得ない
文章に驚かされます。ありがとうございます。
もっともっと書きたいことがあったのですが、
今日は酔ってますゆえ、股の機会に。
いや、又の機会に。。。

投稿: 伊藤家(嫁) | 2007年4月27日 (金) 午後 07時24分

嫁さま!お仕事再開されたんですね!
おつかれさまでございます!祝・再開。
ちちも終わったことじゃし、飲みなはれ飲みなはれ。
平伏せんでくだされこんな書き捨て御免に。
股、だんちょーんとこででも密会しましょうぞ〜!

投稿: はなみ | 2007年5月 8日 (火) 午後 06時07分

私もここへ行きました。
金子みすゞさんの生い立ち見て涙が出ました。
昔の女性は千差万別あるにしても、こんな差別を受けることがあったのですね。
才能のある方をなくしてとても残念です。
確か娘さんは今館長さんをされているんだったですよね。
元気に育ってくれて、みすゞさんも喜んでおられるでしょうね。
出来ることなら、自分で育てたかったでしょうね。。。

投稿: ジロー | 2007年5月19日 (土) 午後 12時24分

ジローさん、ご覧になったのね。
やっぱちっこい子の親なんで、自分とだぶらせちゃうねえ。
娘さんは、やっぱり、自分を捨てて死んだんだという思いがあって
複雑だったようだけど、今は分かると言われているそうです。
館長さんはね、みすゞを発掘した人(矢崎さん)がやってます。

投稿: はなみ | 2007年5月25日 (金) 午後 12時29分

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