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2007年8月 8日 (水)

ケンカ祭り


昨日は、近所の公園で盆踊り大会があった。
「みんなきてネ〜!」
という宣伝カーまで走っていたもんだから
今年は連れて行ってやろうと思った。

保育園のお迎え時間ぎりぎりにすべりこみお迎え。
「きょうどこいく〜ん?」
いつもこう聞く。
たいがい
「家」
「え〜〜〜〜〜かえりたくな〜い」
「ほじゃ帰るなや」
「かえりゅ」
という会話になるのだが

「お祭り」
「お、おまちゅり!?やた〜〜〜!」
小躍りするとはこういうことを言うのだろう。
マンガのような喜びようだ。


一旦帰宅し、荷物を置いて、小銭入れだけ持っていく。
「ふっふふんおまちゅり♪ふっふふんおまちゅり♪」
うきうきである。
「あ、なんかおとがしゅるよ、きこえる!」
「あ、ひとがいっぱいおるよ!おまちゅりだ!」

いよいよ公園に到着。
いつも慎重派で、かーちゃんの後ろから様子を見て
決して走り回らないこいつが、
手を離して飛び出した。
「あっ!!」
かーちゃんの声におどろいて
止まろうとして、コンクリに乗った砂にすべって
じゃじゃ〜っとこけた。
「・・・・・」
あ〜あ、大丈夫?
立ち上がらせ、砂をはたいてやる。
テンション一気に下降。

常々、わたしはこいつをコントロールしすぎているのかな
とちょっと思うことがある。
公衆の場で騒ぐ子どもが嫌いだったこともあって、
食事の場や電車の中など、
「ちゃんとして」「すわって」
がみがみはいわないけど
従わないとどうなるか覚悟はできてるんだろうな的な
無言の圧力でわきわきを征してきた。
おかげで、どこに連れて行ってもさほど苦労はしない。
いわゆる、いい子だ。
慎重でおとなしくて手がかからない。
もちろん、持って生まれた性格も大いにあると思う。
「無言の圧力」が通用しない、鉄砲玉のような子もいるし。
それにしてもちょっと心配になる。
保育園でも、ずっと我慢してんのかな。
保育園の先生は「そんなことないと思いますよ、
おもちゃとられたら取り返しに行くし、いやなことは
いやって言います。やさしいですけどね」。

お祭りのわくわく感で思わずかーちゃんの手をふりほどいて
走り出した。
でも、かーちゃんの声が聞こえてハッと我に返り
「だめだいっちゃ!」とあわてて止まろうとして、こけた。
・・・いいのに。走り回っても。
きっとかーちゃん「こらーーーー!」って言うと思うけど。

ちょっとしゅんとなったちょびの手をひいて、
行ってみようか、と歩き出す。

本格屋台がものすごい熱気の中、
唐揚げを揚げてたりたこ焼きを焼いてたりする。
「つーつーたびたーい」
というので焼きそばを買う。
仮設ステージではフラダンス。ここはにわかハワイ。
石の上に座ってビールとお茶で乾杯して、焼きそば食べる。

屋台の熱気が風に乗ってやってくる。
ステージはいつのまにか沖縄民謡に。
ゆかた着た小学生たち。高学年の子ともなると
淡い色気も感じさせる。かわいいねえ。
小学生男子が走り回る。
きらーーん。ちょびが反応した。
「あのおにいちゃんが持ってるばんばんがほしー!」
ばんばんとは、水鉄砲のことだ。
「いってみりゅーー!」
はいはい、と残りの焼きそばをかっこんで立ち上がる。

もう屋台も商品や景品も出尽くして、店じまい寸前。
どうやらくじ引きの景品に水鉄砲があったらしいが
今やシールくらいしか残ってない。
100エンでくじを引かせたが、シールじゃ納得しない。
よその屋台では光る玩具を売っていた。
「これがほしい〜〜〜〜」
ひも引っ張ると光って走り出すカブトムシ型玩具、300円。
こんなもんに300円、くだらない、
でも水鉄砲はなかったし、なんにも買ってもらえない祭りほど
面白くないものもないので、買ってやる。
だがどうも納得がいかない様子。

沖縄民謡のステージが終わった。
さよなら〜〜
「ね、もうお仕舞いって。帰ろう」
「かえらない・・・・」
もういじゃないか。かーちゃんは飽きている。
これ以上いたって、なんにもないってば。
ちょびを置いてすたすた歩き出す。
「かえらない!!!うえ〜〜〜〜〜〜〜」
泣きながら追っかけてきた。
かーちゃんを止めようと手を引っ張り服をひっぱり
わたしもいい加減疲れたので止まる気もない。
ずるずる子どもを引きづりながら歩く。
「うえ〜〜〜〜〜〜」
あきらめて、泣きながら手をつないで歩き出した。
あーうざい。
こんなことなら連れてこなきゃよかった。
「うえ〜〜〜〜〜〜」
カブトムシの玩具を投げた。
かーちゃんキレる。
「これ欲しいって言ったのだれ!?これお金だして
買ってやったものじゃないか!捨てるんなら欲しい言うな!」
「う”え〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
夜の住宅街に響き渡る怒声と泣き声。もうすぐ通報される。

「もう泣くな!」
「えぐっ、ひっく、が、があちゃんが、お、お、おこった」
「何で怒ったんか」
「ちょ、ちょびが、おもちゃ、なげたけ、えぐっ、おご」
「なんで投げたん」
「ひっく、が、がえりたく、えぐっ、だかったがら」

なんてことない祭りである。ひと回りすりゃあだいたいわかる。
ビールひっかけて、ちょっと眺めて、なんか買って、
それで仕舞いである。大人にとっては。
だけど、ちょびにとっては未知の世界、夢の競演であって、
場のきらびやかさに興奮してずっといたかったのだと思う。

わからんでもない。

祭りは楽しいが、そういえば
思い出してみれば切ない思い出ばかりだ。
買ってもらえず泣いた、帰りたくなくて泣いた。
歴史はこうして繰り返してゆくのであった。

ふたりともしーんとなって、とぼとぼ歩く。
「・・・かーちゃん、コーラがのみたいよぅ」
「コーラ???」
どこでコーラの味なんか覚えたか。
自販機に寄り道して、小銭を入れる。
「あ、やっぱりこれがいいの」
熊だか犬だかのキャラクターの絵が描かれたリンゴジュースにした。

自宅に帰ってリンゴジュースを飲む頃には
すっかりなんにもなかったかのように
ご機嫌もなおっていた。

子どもはこうして、忘れながら育って行く。

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コメント

厳しさとは
妥協しないことだ、と
私も子どもに教えられました。

力に頼った瞬間、
どこかの右傾化した人々や
暴力革命を唱える極左の人々を
責められなくなる。

目の前にぶら下がっている刀に
手を出してはいけないのですな。

お祭り、いいですなぁ。
最近お祭り行ってないなぁ。

投稿: 自転車 | 2007年8月 9日 (木) 午後 08時23分

自転車さま

「目の前にぶらさがってる刀」に手をかけてるのではないか、
それは目に見えない、言葉の姿をしていて、
息子をばっさり袈裟懸けにしてるのではないか、
右や左をとやかく言う資格はわたしにはないのではないか
などと逡巡します。
小さい頃に受けた親の影響というのは恐ろしく大きいと思う。
自分やまわりのいろんな人を見ても思う。
だから息子には
どうしたらいいのだろう。
どっちにしろ誰よりも親密で濃い関係が刻々と続く。
その瞬間すべてが積み重なって息子の未来になって行く。
そう考えたら怖い。なにをするのも怖い。
こんな母親でごめん、とも思う。
それでもかーちゃん大好きと言う。
選べない母親、それなのに好きだといって無条件で信頼している。
すごいことです。

投稿: はなみ | 2007年8月10日 (金) 午後 05時48分

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