言葉の呪縛
まだまだ、
ぜんぜん、
どうして、
そういう言葉をいつもいつも頭の中でつぶやいていて、
それに呪縛されていたのだと気がつく。
先日最終回を迎えた「コピーライター養成講座」で、
先生(山本高史⇒天才コピーライター)に質問した。
(経験は自分から取りにいくもんだ、おまえらまさか質問しない気かと恫喝されて死ぬ気で質問した)
わたしは先生のように大手代理店ですごい先輩たちに育てられることもなく、机をたびたびひっくり返して独立してこうしてひとりでやってます。判断はすべて自分、
すごい人に会って話をして聞くことで得られることがあると思っていましたが、そのたびに
すごいなーとは思うけど、かえって自分を省みて自分に確信が持てない。
どうやって、自力で育てばいいのか。自信をつければいいのでしょう。
先生は
「あなたの言うすごい人って誰」
えーと、最近で言うとコピー講座の各先生とか、ブルータスのフクヘンとか、大学の先生方や、ガラス作家さんや・・・・
「すごい人っていうのは、一芸に秀でた人だけじゃないでしょ、
すごい図書館員も、すごい窓口係もいる。
すごいのは、その人の何なのか、
集中力なのか、打たれ強さなのか、
その人的なものは何なのかをちゃんと把握しなさい。
すごい人、という全人的なものに圧倒され傾倒する必要はない。
いい大人なんだから、選びなさい。
それを自分と比べずに、自分に取り入れて
「経験データベース」に仕舞いなさい」。
自分で質問し、その回答を聞きながら思った。
わたしはなにを「すごい」と思っていたのだろう。
すごい、って何だ?
その道一筋につきつめて成果をあげている人、
すごいなー
それは、その重ねた年月に、太刀打ち出来ないものを感じているのではないか。
このひとは、それを10年前から始めてる、30年も続けてる、わたしには叶わない、そういう敗北感が「すごい」と言わせてるのかも。
だったらそのコンプレックスは、今日明日で解消する訳がない。
しかも、続け始めなければ蓄積しない。
気がつかなかったら一生、人のことをすごいすごいと言い続けて終わったろう。
もう、「すごい」に縛られるのはやめよう。
「すごい」禁止。
すごいって便利な言葉なんよね。
すごいんよ!もうすごい!←終了。
なにも言ってないよねそれじゃ。
なにが、すごいん?
どうして、すごいと思ったのか。
ひとつひとつちゃんと説明できないと、
それは自分の糧にならない。
あ、「ちゃんと」っていうのも曖昧な言葉だ。
ちゃんとって、なに?
そういう、曖昧だけどイメージを縛る言葉を乱発して
自分で自分に暗示をかけている。
そういう負の蓄積はやめましょう。
具体的に、ことこまかく、理由を考えるようにしよう。
なぜ?と考えよう。
今から始めて80まで生きるとして(もっと生きそう)
あと34年。
少なくとも屁理屈の達人にはなれる。
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コメント
ン?
80-34=
なんかまちがってますよ多分。
投稿: ドゥジエム/山村 | 2008年4月 3日 (木) 午後 06時48分
!!!
あんざんできない36さい、
ってどーなの!?
ってハナシですよ。
むしろ小学生からやりなおせってハナシですよ。
そんな自分にあらためて驚きです。
大丈夫か自分?
ご指摘ありがとうございます>同級生
投稿: はなみ | 2008年4月 4日 (金) 午前 10時55分