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2009年4月 9日 (木)

親子

 今日がほんとうの四十九日ということで、実家にお寺さんが来てお経を読まれた。先日四十九日法要を済ませたので、焼香盆などとっくに収めていたらしく、あわててひっぱりだしたらしい。兄のところは本日末っ子の入学式で欠席。母と二人でお経にあう。

 ぽっかりといい天気で、じゃあお昼ご飯でもと食べにいく。

 今月末、納骨をしに京都に行くことになっている。
 母とわたしと、自動的にちょびもついてくる。
 日帰りもできるが、せっかくなので一泊しようということになった。

 「京都に行くのに、ちょびに着せる服がない」と母が言い出した。
 いや、ないことはないけど、まあ保育園っこのサガで、洗濯で薄くなったような服ばかり。背も伸びて、ズボンもちょっと短くなっている。先日の法事用にかっこいいシャツを買ってやったのだが、本人ボタンのついた服がだいきらい。
 「ええ〜〜〜〜バトスピのカード買ってくれたら着る」という悪知恵をどこで覚えたのか、取り引き成立、しかたなくカードを買ってやり当日はほくほくして着ていた。

 「洗い替えがいるよ」
 ということで、ちょびの服を買いにいった。
 なんでも、素敵なママが連れていたちょびくらいの男の子が、かっこいいラガーシャツを着ていたのだそうだ。
 「あーよなかわいらしい格好させればいいのに」。
 ということでそのブランドの子供服コーナーへ。

 「ああ、こういうのよ!これがかわいい」。ええ〜〜〜〜
 うちの息子はよく言えばしょうゆ顔だ。はっきり言って地蔵顔だ。だから袴がよく似合う。しかしこういう、古き良きアメリカ的なポロシャツが一向に似合わない。もっと赤ちゃんだった頃、横縞のポロシャツを着せていたら、「おるおるこういうおいさん、ゴルフ場でよー見る」とでっかいおいさんに言われたこともある。だからそういう、赤と紺の太いボーダーなんか似合わないんだってば。

 「じゃあどれね」
 うーん、こん中ならこれかなあ、と白地に細いストライプのシャツを手に取る。
 「ああ、これなんかどう?」と全く違うTシャツをこちらに向かってひろげる。

 要は、わたしの選ぶものが気に入らないのだ。
 昔からそうであった。

 小学校のころ、わたしはクラスで一人だけ異様にかっちりした格好をしていた。
 おかっぱ頭にタータンチェックのプリーツスカート、白いボウタイのブラウスに紺のブレザーで。超コンサバ。日々そうだ。それで鬼ごっこするのである。
 友だちはそのころ流行った、フリルがたっぷりついた大きな襟のトレーナーを着ていた。ピンクで、お花やかわいいうさぎなんかが描かれていて、スカートも裾にレースがフリフリしていた。いいなー、あんなのが着たい。
 「そんな安っぽい服」。
 母の悪口は黒帯級であった。

 冬に白い靴をはいていると、「感化院の子じゃあるまいし」。
 カンカイン?なんじゃそらと思っていたら、川端康成の短編で御者のおじさんが少女に「冬でも白い靴を履くのか」と聞いていた。「だってあたし、夏にここへ来たんだもの。」少女は靴を履くと、後をも見ず白鷺のように小山の上の感化院へ飛んで帰った、とある。冬に白い靴を履くものではないという古い常識は母の中にしっかり常識としてあるのである。

 そうやっていちいち、わたしが買うもの着る服にけちを付けていた。気に入らなかったのだろう。それは服だけじゃなかっただろう。大学を出て、つきあう男も、遊びにいく先も、就職先も、会社を辞めたことも、結婚しますと連れてきた人も、なにもかも気に入らなかったのだろう。それは言いはしないが、きっとそうだなんだろう。
 新しいマンションで暮らしはじめた時も、あれやこれやと必要なものを買いそろえてくれた。食器、バスタオル、洗面器、そういう生活に必要なものをわーっと届けてくれたので、食器棚も押し入れもすぐに一杯になり、不自由なく暮らせた。
 でもそれは母が気に入って買ったものだ。わたしが好きで選んだものではない。そんなものに囲まれて、ちぐはぐな暮しだった。今でも捨てられず使い続けているものも多い。旅先で気に入った器を見つけても仕舞うスペースがない。結婚したあとも母に縛られている。

 息子が生まれて少し変わった。収納スペースを確保するためにいろんなものを捨てた。新しく買うものは全部自分で選んだ。自分のものも、家族のものも、そうやって自分がいいと思うものを選ぶ自由があるのだと知った。やっと自分が自分であると思えるようになったのは、つい最近のことだ。
 今は自分に似合う服もわかる。母になんと言われようと気にしない。だから母と趣味があわないことも承知で、丸ごと受け入れることができるようになったのだと思う。母は孫と京都に旅行するのを楽しみにしている。母のために母が好きな服を選べばいいじゃないか。だったら一番初めに母が選んだポロシャツがいいんじゃないのか。しかしあんなの着せたくないし。

 母は母で、わたしは母が選ぶものはいつも気に入らないということを思い出したようだ。そして、そうはいっても娘の子どもだし、ママが着せたいものを選ぶべきだとも思い直したらしい。

 結局なんとなく、その売り場では少し地味目な、紺のギンガムチェックのボタンダウンシャツで折り合いがついた。
 「これなら似合うかもしれんね」。

 しかし息子は服なんか買ってやってもちっとも喜びはしない。ましてやボタンがついている。おとなしく着てくれるかすらあやしい。

 けさ、保育園ではお散歩に行く日だった。水筒持参で早めにきてねということだった。
 早く支度しなさーい!!とどやしつつこっちも髪振り乱してばたばたしていると、上半身裸でつったっている。なにしてんの、トレーナー出してあるでしょ、早く着なさいというと、
 「かーちゃんあのちょびのすきなあの青いふくがきたーい」という。青い服???
 「あのもこもこしてあったかいあおーいふく」
 !!!
 あんたそれユニクロのフリース・・・・あほか!!このええ天気にあんなもん着たら大汗かくわ!しかしガンとして出してある服は着ない。見かねたパパちゃんが青っぽい長袖Tシャツを出してほーら青いよといって着せていた。ちょびはこっちをにらみつつ渋々それに袖を通していた。

 どうせその程度である。
 なんでも好きなものを着なされ。どこへでも行きなされ。
 気に入るも気に入らないも、それがあなたの人生だから。
 かーちゃんは今からそう自分に言い聞かせるようにしている。

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2009年4月 7日 (火)

ひとりはなみ

はなみというハンドルネームは、そもそも「花見で一杯」だった。
短くなって、えらくかわいらしい名前になった。

ことしも桜が満開だ。

先日からずっと花見をしている。

友人と、子どもと一緒に。
青草の上を満面の笑みの子どもが転げ回るのをサカナに一杯。いのち。育つものが暴れまわる。細胞が音をたてて分裂していくような勢いを感じる。自分の衰えをしばし忘れる。

オットとちょびと。
家の近所がすでに桜満開で、適当におにぎりや卵焼きを籠に詰めてぶらぶら歩いていく。車で出かけないので酒が飲める飲めるぞー。息子は弁当もそこそこに、ボールを追いかけて走り出す。「きれいなのがあったよ」と、はなびらをそっとてのひらに包んで持ってくる。

200904071558000

先日、父の四十九日を無事済ませました。
実家で法要を執り行い、ホテルの日本料理屋に移動。
「こういうときは乾杯じゃないね、献杯か」
けんぱ〜い、と言ってビールを飲み干す。

去年の春、兄がレンタカーで大きめの車を借り、父母とわたしと兄夫婦とで、土師ダムの桜を見に行った。もうそのころはすでに外出を億劫がっていた父も「おお、見に行ってみようか」と腰を上げた。あいにくの雨だったが土師ダム湖畔は一面桜色だった。
「これが最後の桜になるかのう」と言っていたが、やっぱり今年の桜に間に合わなかった。
「今とても桜がきれいです。父も今年の桜が見たかったと思います。ぜひ帰り道、みなさま父を想いながら桜をみあげてください」という兄の挨拶でおひらきになった。

ホテルの隣の神社の桜が、もう散りはじめていた。
喪服の家族が、散る桜を眺めている。
子どもたちは落ちてくる花びらをつかまえようとしてはしゃぎ回っている。

今日ももったいないくらいのいい天気で、昼ご飯をあたためて、お箸を添えて、お茶を水筒につめて、籠に入れて、土手にシートを敷いてひとりお花見をした。
作業服姿のおじさんたちが、仕事よりも真剣な表情で炭に火をおこしている。
チャリで通りがかった人、始業式終わりの小学生、思い思いに花の下で楽しんでいる。
日差しがあたたかいので靴下を脱いだ。
四十九日が過ぎたので、ペディキュアを塗った。濃いめのピンクだ。
冬を抜けて初めての日差しに、足の甲が生白かった。
「爪つんでくれんか」と父に頼まれ、病院から一時帰宅した実家のベッドで父の足の爪をつんだ。白くて厚いつめはしかしもろくて、落雁を崩すように切れた。
「つんだよ」というとまだ不満そうな顔をしている。
視線の先には、硝子の爪ヤスリがあった。はいはい、死にかけても几帳面はかわらんなと思いながらしゅっしゅと爪にヤスリをかける。
「よおなった。これでよおなった」
なめらかに整えられた爪は、生気のない細い足の先でちんまりと丸まっていた。
わたしの親指の爪は祖母に似たんだと、いつも母が言っていた。
無遠慮にそりかえって、上を向いている。靴下は決まって親指の先から破れる。
我が強いのが足に出とるとずっと言われてきた。
今見る爪もやっぱり反り返って、ピンクのネイルが光って、反抗しているようだ。

今はなんなく生きている。
死にたいとも死にたくないとも思わない。
父はずっと死なんで、わしゃ生きるでと言っていた。
四十九日の間は、あの世とこの世を行ったり来たりしているんだそうだ。
これでやっと、父は極楽に行ったのだろうか。
そう思うと葬儀よりもさみしくなった。

実家の仏壇には線香が絶えることがなくて、かっこいい父の遺影があって、まだ墓に入らないお骨があって、その現実があるのだが、暮らす家が違うので、普段は忘れて暮らしている。父を、生きているとも死んでいるとも思わず暮らしている。
そうでないと、見ない振りをしないと、この喪失感にのまれそうだからだ。

でも桜を見ると全部思い出す。
柔らかな草に投げ出した白い足は生きていると言っている。まだ当分死なないと言っている。でも生きていても死んでいてもあまり変わりがないと思う。

今はこのやさしい感傷に埋まれていさせて。
すこしだけ自分を甘やかしてやろうと思う。

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