親子
今日がほんとうの四十九日ということで、実家にお寺さんが来てお経を読まれた。先日四十九日法要を済ませたので、焼香盆などとっくに収めていたらしく、あわててひっぱりだしたらしい。兄のところは本日末っ子の入学式で欠席。母と二人でお経にあう。
ぽっかりといい天気で、じゃあお昼ご飯でもと食べにいく。
今月末、納骨をしに京都に行くことになっている。
母とわたしと、自動的にちょびもついてくる。
日帰りもできるが、せっかくなので一泊しようということになった。
「京都に行くのに、ちょびに着せる服がない」と母が言い出した。
いや、ないことはないけど、まあ保育園っこのサガで、洗濯で薄くなったような服ばかり。背も伸びて、ズボンもちょっと短くなっている。先日の法事用にかっこいいシャツを買ってやったのだが、本人ボタンのついた服がだいきらい。
「ええ〜〜〜〜バトスピのカード買ってくれたら着る」という悪知恵をどこで覚えたのか、取り引き成立、しかたなくカードを買ってやり当日はほくほくして着ていた。
「洗い替えがいるよ」
ということで、ちょびの服を買いにいった。
なんでも、素敵なママが連れていたちょびくらいの男の子が、かっこいいラガーシャツを着ていたのだそうだ。
「あーよなかわいらしい格好させればいいのに」。
ということでそのブランドの子供服コーナーへ。
「ああ、こういうのよ!これがかわいい」。ええ〜〜〜〜
うちの息子はよく言えばしょうゆ顔だ。はっきり言って地蔵顔だ。だから袴がよく似合う。しかしこういう、古き良きアメリカ的なポロシャツが一向に似合わない。もっと赤ちゃんだった頃、横縞のポロシャツを着せていたら、「おるおるこういうおいさん、ゴルフ場でよー見る」とでっかいおいさんに言われたこともある。だからそういう、赤と紺の太いボーダーなんか似合わないんだってば。
「じゃあどれね」
うーん、こん中ならこれかなあ、と白地に細いストライプのシャツを手に取る。
「ああ、これなんかどう?」と全く違うTシャツをこちらに向かってひろげる。
要は、わたしの選ぶものが気に入らないのだ。
昔からそうであった。
小学校のころ、わたしはクラスで一人だけ異様にかっちりした格好をしていた。
おかっぱ頭にタータンチェックのプリーツスカート、白いボウタイのブラウスに紺のブレザーで。超コンサバ。日々そうだ。それで鬼ごっこするのである。
友だちはそのころ流行った、フリルがたっぷりついた大きな襟のトレーナーを着ていた。ピンクで、お花やかわいいうさぎなんかが描かれていて、スカートも裾にレースがフリフリしていた。いいなー、あんなのが着たい。
「そんな安っぽい服」。
母の悪口は黒帯級であった。
冬に白い靴をはいていると、「感化院の子じゃあるまいし」。
カンカイン?なんじゃそらと思っていたら、川端康成の短編で御者のおじさんが少女に「冬でも白い靴を履くのか」と聞いていた。「だってあたし、夏にここへ来たんだもの。」少女は靴を履くと、後をも見ず白鷺のように小山の上の感化院へ飛んで帰った、とある。冬に白い靴を履くものではないという古い常識は母の中にしっかり常識としてあるのである。
そうやっていちいち、わたしが買うもの着る服にけちを付けていた。気に入らなかったのだろう。それは服だけじゃなかっただろう。大学を出て、つきあう男も、遊びにいく先も、就職先も、会社を辞めたことも、結婚しますと連れてきた人も、なにもかも気に入らなかったのだろう。それは言いはしないが、きっとそうだなんだろう。
新しいマンションで暮らしはじめた時も、あれやこれやと必要なものを買いそろえてくれた。食器、バスタオル、洗面器、そういう生活に必要なものをわーっと届けてくれたので、食器棚も押し入れもすぐに一杯になり、不自由なく暮らせた。
でもそれは母が気に入って買ったものだ。わたしが好きで選んだものではない。そんなものに囲まれて、ちぐはぐな暮しだった。今でも捨てられず使い続けているものも多い。旅先で気に入った器を見つけても仕舞うスペースがない。結婚したあとも母に縛られている。
息子が生まれて少し変わった。収納スペースを確保するためにいろんなものを捨てた。新しく買うものは全部自分で選んだ。自分のものも、家族のものも、そうやって自分がいいと思うものを選ぶ自由があるのだと知った。やっと自分が自分であると思えるようになったのは、つい最近のことだ。
今は自分に似合う服もわかる。母になんと言われようと気にしない。だから母と趣味があわないことも承知で、丸ごと受け入れることができるようになったのだと思う。母は孫と京都に旅行するのを楽しみにしている。母のために母が好きな服を選べばいいじゃないか。だったら一番初めに母が選んだポロシャツがいいんじゃないのか。しかしあんなの着せたくないし。
母は母で、わたしは母が選ぶものはいつも気に入らないということを思い出したようだ。そして、そうはいっても娘の子どもだし、ママが着せたいものを選ぶべきだとも思い直したらしい。
結局なんとなく、その売り場では少し地味目な、紺のギンガムチェックのボタンダウンシャツで折り合いがついた。
「これなら似合うかもしれんね」。
しかし息子は服なんか買ってやってもちっとも喜びはしない。ましてやボタンがついている。おとなしく着てくれるかすらあやしい。
けさ、保育園ではお散歩に行く日だった。水筒持参で早めにきてねということだった。
早く支度しなさーい!!とどやしつつこっちも髪振り乱してばたばたしていると、上半身裸でつったっている。なにしてんの、トレーナー出してあるでしょ、早く着なさいというと、
「かーちゃんあのちょびのすきなあの青いふくがきたーい」という。青い服???
「あのもこもこしてあったかいあおーいふく」
!!!
あんたそれユニクロのフリース・・・・あほか!!このええ天気にあんなもん着たら大汗かくわ!しかしガンとして出してある服は着ない。見かねたパパちゃんが青っぽい長袖Tシャツを出してほーら青いよといって着せていた。ちょびはこっちをにらみつつ渋々それに袖を通していた。
どうせその程度である。
なんでも好きなものを着なされ。どこへでも行きなされ。
気に入るも気に入らないも、それがあなたの人生だから。
かーちゃんは今からそう自分に言い聞かせるようにしている。
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コメント
ちょびくんも はなみさんに負けず しっかり自分を持ってるね~。
大人の、そして、自分の思うようにならないのが子どもなんだと時々、自分に言い聞かせるようにしております。
投稿: こぐまちゃん | 2009年4月 9日 (木) 午後 11時08分
>おかっぱ頭にタータンチェックのプリーツスカート、白いボウタイのブラウスに紺のブレザーで。超コンサバ
はなみさんとは何かと共通項が多いが、これもそうだね。
私もクラスメイトが流行のフリルの服を内心「安っぽい」と見下しつつ、着てみたいと思っていた。
そして大人になっても、はなみさんのいうように、母の影は付きまとう。
やっとこの年齢になって「自分は自分」という当たり前の感覚を身につけたが、
今度は老いていく親に対して、サービス精神で母色に染まってあげなきゃなという呪縛も出てきた(苦笑)
投稿: シリウス | 2009年4月16日 (木) 午前 10時48分
こぐまちゃん
「はなみさんに負けず」!?
あたしゃそんなにガンコじゃないと思うが・・・やっぱ親子?
シリウス嬢
「サービス精神」!わかるー。
老いて行くもののわがままには負けるよね。だって死んだら後悔するのは自分だもんね。思い通りにならないのは子どもだけど、親もそうだす。しょうがないものですな、こればっかりは。
投稿: はなみ | 2009年4月16日 (木) 午後 12時50分