ひとりはなみ
はなみというハンドルネームは、そもそも「花見で一杯」だった。
短くなって、えらくかわいらしい名前になった。
ことしも桜が満開だ。
先日からずっと花見をしている。
友人と、子どもと一緒に。
青草の上を満面の笑みの子どもが転げ回るのをサカナに一杯。いのち。育つものが暴れまわる。細胞が音をたてて分裂していくような勢いを感じる。自分の衰えをしばし忘れる。
オットとちょびと。
家の近所がすでに桜満開で、適当におにぎりや卵焼きを籠に詰めてぶらぶら歩いていく。車で出かけないので酒が飲める飲めるぞー。息子は弁当もそこそこに、ボールを追いかけて走り出す。「きれいなのがあったよ」と、はなびらをそっとてのひらに包んで持ってくる。
先日、父の四十九日を無事済ませました。
実家で法要を執り行い、ホテルの日本料理屋に移動。
「こういうときは乾杯じゃないね、献杯か」
けんぱ〜い、と言ってビールを飲み干す。
去年の春、兄がレンタカーで大きめの車を借り、父母とわたしと兄夫婦とで、土師ダムの桜を見に行った。もうそのころはすでに外出を億劫がっていた父も「おお、見に行ってみようか」と腰を上げた。あいにくの雨だったが土師ダム湖畔は一面桜色だった。
「これが最後の桜になるかのう」と言っていたが、やっぱり今年の桜に間に合わなかった。
「今とても桜がきれいです。父も今年の桜が見たかったと思います。ぜひ帰り道、みなさま父を想いながら桜をみあげてください」という兄の挨拶でおひらきになった。
ホテルの隣の神社の桜が、もう散りはじめていた。
喪服の家族が、散る桜を眺めている。
子どもたちは落ちてくる花びらをつかまえようとしてはしゃぎ回っている。
今日ももったいないくらいのいい天気で、昼ご飯をあたためて、お箸を添えて、お茶を水筒につめて、籠に入れて、土手にシートを敷いてひとりお花見をした。
作業服姿のおじさんたちが、仕事よりも真剣な表情で炭に火をおこしている。
チャリで通りがかった人、始業式終わりの小学生、思い思いに花の下で楽しんでいる。
日差しがあたたかいので靴下を脱いだ。
四十九日が過ぎたので、ペディキュアを塗った。濃いめのピンクだ。
冬を抜けて初めての日差しに、足の甲が生白かった。
「爪つんでくれんか」と父に頼まれ、病院から一時帰宅した実家のベッドで父の足の爪をつんだ。白くて厚いつめはしかしもろくて、落雁を崩すように切れた。
「つんだよ」というとまだ不満そうな顔をしている。
視線の先には、硝子の爪ヤスリがあった。はいはい、死にかけても几帳面はかわらんなと思いながらしゅっしゅと爪にヤスリをかける。
「よおなった。これでよおなった」
なめらかに整えられた爪は、生気のない細い足の先でちんまりと丸まっていた。
わたしの親指の爪は祖母に似たんだと、いつも母が言っていた。
無遠慮にそりかえって、上を向いている。靴下は決まって親指の先から破れる。
我が強いのが足に出とるとずっと言われてきた。
今見る爪もやっぱり反り返って、ピンクのネイルが光って、反抗しているようだ。
今はなんなく生きている。
死にたいとも死にたくないとも思わない。
父はずっと死なんで、わしゃ生きるでと言っていた。
四十九日の間は、あの世とこの世を行ったり来たりしているんだそうだ。
これでやっと、父は極楽に行ったのだろうか。
そう思うと葬儀よりもさみしくなった。
実家の仏壇には線香が絶えることがなくて、かっこいい父の遺影があって、まだ墓に入らないお骨があって、その現実があるのだが、暮らす家が違うので、普段は忘れて暮らしている。父を、生きているとも死んでいるとも思わず暮らしている。
そうでないと、見ない振りをしないと、この喪失感にのまれそうだからだ。
でも桜を見ると全部思い出す。
柔らかな草に投げ出した白い足は生きていると言っている。まだ当分死なないと言っている。でも生きていても死んでいてもあまり変わりがないと思う。
今はこのやさしい感傷に埋まれていさせて。
すこしだけ自分を甘やかしてやろうと思う。
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コメント
私も今日ひとり花見してきましたよ。
好んでか好まざるなのか、花見は一人が多い。
桜をじっと見上げていると、今まで生きてきたことが不思議で…
来年もまた見れるのかなぁなんて心細い気持ちになるのはなぜでしょう。
投稿: シリウス | 2009年4月 7日 (火) 午後 10時23分
はなみはひとりしかいません。
先日は、贅沢な時間をありがとう。
本当に楽しかったよ。
子供が毎日
「こーちゃんとちょびくんというおはなし して」
とせがみます。
その日あったことを物語調で話してやるのが最近の彼のブーム。
お父様は残念でした。
私は、はなみみたいに暖かく送ってあげられるだろうか。
私の、これからのテーマですな。。。
投稿: たまご | 2009年4月 7日 (火) 午後 11時49分
シリウス嬢
大勢でわいわいもいいが、一人で花の下ってのもいいよね。
来年も再来年も絶対桜が見られる、死ぬまで生きてると思っているけどそれは単なる勘違いで、若くても年取っててもみんな等しく明日はわからない。
刹那い桜がそう教えてくれるような気がする。
とはいえ、これで80回目の桜だわと、元気でひとり酒が飲めるおばあちゃんになりたいものだ。
たまごちん
「こーちゃんとちょびくんというおはなし」!かわいい〜〜〜〜
むかぁ〜しむかぁ〜しあるところにこーちゃんという若者がおりました。村におじいさんとおばあさんと住んでおりましたが、その村にはちょびくんという悪い鬼が出てきては、若い娘をさらっていくのでした〜、というホラーにたちまちしてしまう悪い母。ぎゃはは。またあそぼう〜〜
親を送るのは寂しいものですな。
しかしどんな親でも、最後まで教えてくれる存在だとしみじみ思ったよ。よくも悪くも。だから、親にしてあげようなんて思ったって無理なんだと思う。ありのまま、それしか子にはできません。まあ、楽しく、長生きしてほしいと願います。
投稿: はなみ | 2009年4月 9日 (木) 午後 03時41分