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2009年5月31日 (日)

なにもないうみ

息子ちょび5さいと3か月。この春から年長さんになって、ぐぐっと背も伸びなんだかお兄ちゃんらしくなってきた。もう幼児というよりも、児童だ。
こないだまでふにゃふにゃかわいかったのに、もうなんだか男子になっちゃって、だんだん小学生っぽいバカさが備わってきた。なにしとん!?とあきれる回数が日に日に増えている気がしてこの先が思いやられる。


ちょびはいつも歌っている。
話しかけるとぴたっと止めるので、聞こえないふりして聞いている。
歌う曲はたいていオリジナル。
先日の歌は

「ちょびの〜おしごとは〜ほいくえん〜〜
 かあちゃんの〜おしごとは〜わからない〜
 かあちゃんの〜おしごとは〜、ときどきお茶〜」

よそで絶対歌わないでほしい。


つねになにか紙片を手にしているちょび。駐車券だったりレシートだったり、とにかくなにやら事務的に文字数字が書いてある紙が好き。
中でも最近のお気に入りは地図だ。パンフレットの裏に書いてあるアクセス図などを見ては、空想の旅に出かける。
最近では既成の地図では飽き足らず、自ら地図を書いて「ぼうけん」に出るようになった。
よぉーっし、船でいくぞ!おおー、などと言って段ボール箱にお尻をはめ、フローリング中をずりずり徘徊する。その手にもしっかり地図が握られている。
「あのねかーちゃん、いい?
 ここをーこういくとー、かーちゃんのおうちがあってー、
 ここをとおってー、おしごとにいくでしょー、するとここにはちょびのキチがあるの」
あっそー。長細い堤防のまわりはどうやら海らしい。なんか書いてある。
“なにもないうみ”?
「あーこれはねぇ、サメとかいたら食べられるでしょ、あぶないでしょ、だから、なにもないうみにしたの」
危険を排除した冒険はもはや冒険とはいわない。

200905311327000


最近星座に興味があるらしい。
朝のTVで占いを見ては、「みずがめざ勝った〜?」と聞く。
運勢は勝った負けたではないのだがまあ今日は勝ちっぽいなどと答える。
「かーちゃんはー、かにざ、
 パパちゃんはー、さそりざ、
 ゆーくんとはーちゃんは、ふたござ」
この保育園のお友達は双子の兄弟なので、本当に双子座かどうかはあやしい。

保育園でも、誰が何座かという話題で盛り上がるらしい。
「でもねー。たいちゃんはへびざ—、とか、らくだざーとか、ないのばっかり言うんよ」
星座にはあるかもしれないが星占いでは使わないね。

「たいちゃんはねー、ほんとうは、ほとけのざ」

ホトケノザ! 渋い!


とらじろうから毎月教材が届く。
6月号は「きみだけのおじぎ草を育てよう」という栽培キットがついてきた。
ポットに土をいれ、水をかけ、ちいさな種をそーっとまいた。
「おじぎ草に名前をつけよう!」
しまじろうは ぺこりん と名付けている。なるほどおじぎ草っぽい。
ちょびはなんて名前つけてあげるの?

「えっとね、ろーまくん!」

ローマくん!?なんでローマなの?

「かっこいいから!」

それから毎朝
「ろーまくーん、はやくげんきにめをだしてー、がんばれがんばれー」
と声援を送っている。

・ ・・ローマは一日にして成らず

って出来すぎだろオイ!


保育園にお迎えに行き、帰ろうとすると
「あ、しっこいってきます」  はいはい。

なにやら時間がかかるのでそーっとのぞいてみたら、ちん●んに添えた手がどうやら濡れたらしい。
しばらく考えて、その手を

ペロッ

ってなめるなあああ〜〜〜〜〜〜!!!!
驚愕のあまり声を失っていると、こっちに気づいて
「あはー」
と幸せそうに笑った。

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2009年5月22日 (金)

幸せの黄色い

朝、用事を済ませて帰宅中、近所の高架をぼーっと見ながら信号待ちしていると、鮮やかな黄色い新幹線が通過していった。

あ!ドクターイエローだ!

そう、その黄色い新幹線は「ドクターイエロー」と呼ばれ、線路の点検・保守整備のために走っているのである。

はじめて走ってるとこ見た!
あー息子に見せてやりたかったなと思うと同時に、可笑しくなった。

もし子どもがいなかったら、もしくは男の子を育ててなかったら、ドクターイエローなんて知らなかったよね。
あの黄色い新幹線なんだろうくらいにしか思わないよね。
バスや電車やパトカーやトーマスや、
絵本やミニカーやトミカやプラレールや、
そういうもので知らず知らず、かーちゃんは教えられてきたのだった。

わたし、ドクターイエローを知っている。

ドクターイエローだけじゃない、気がついてないだけで
たぶんかーちゃんはたくさん知ることができたのだろう。

とっても嬉しくて誇らしい気持ちになった。
ほめられた気がした。

ああ、かーちゃんでよかった。

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2009年5月19日 (火)

東京日帰り出張

東京日帰り出張でした。
新幹線で往復です。
日帰りはしんどい。行って、仕事して、トンボ帰り。

それにしても東京のマスク着用率の低さにびっくりした。
マスクしてるひとあんまりいないー。
屋外はともかく、駅でも、地下鉄車内でも。なんでなんで??

海外からや関西圏から、日々何万人という人が移動し入り乱れていて、隣の人がどうなのかわからないのが東京なんじゃないのか。
しかも間合いが狭い。パーソナルスペースが極端に狭い。息苦しいほどせまい。
この時期にハンカチも使わず咳する人も多い。
ええー??みんななんで平気なの?
この人の多さに慣れっこになってるんでしょう。東京の中の地方なんでしょう。
それともそんなことでびびってたら東京で生きていけないのか。
タマに当たったら当たったときのことよという戦場みたいなことなのか。
わたしはマスクが外せなかった。

ほんの2時間ほど自由になる時間があったので、銀座へ。

ボールペンと鉛筆の店 五十音というお店に行きたかったのです。

えーとここの細い路地を入って・・・・あった!が閉まってる。
痛恨の不定休。ほしいえんぴつがあったのに・・・

しょぼしょぼ歩いてうおがし銘茶へ。がー閉まってる。まあそんな日だ。

と顔をあげると、!!!あ、あの方は 森田空美さんだー。
わたしがぎょっとした顔をしたからか、はっとしてこっちを向かれた。
が、そそっと視線をそむけ、後ろ姿をそっと拝見する。
すてきー。爽やかな淡いグレーの織のきものだったような・・・
人ごみの大通りに消えていきつつ、日傘をすっと畳まれた。
生活の全部が美しくないといけないんだなあ、さすがです。

気を取り直して千疋屋でフルーツパフェを食す。高し。うまいけど。

あ、と思いついて地下鉄に乗って本郷三丁目へ。
東京大学の赤門入ってすぐのコミュニケーションセンターを見学。
東大オリジナルグッズを販売してる。
カップルがやってきてアミノ酸がどうの光触媒がどうのと話しながら、数点購入していた。学術研究の結晶が製品化しており、東大のロゴが入ってる。いいお土産になるしいい土産話とともに人手に渡る。国立大学法人の広告。

そこから田町へ。
3時間ほどミーティング。やっぱり会って話さないとわからないことはあまりに多い。

終了後速やかに通勤ラッシュにもまれつつ新幹線で帰る。
行きも帰りも富士山拝めた。きれいだー。
大阪駅に着いた時、混雑したホームにいるほぼ全員がマスクをしていて壮観だった。

行きに半分、帰りに半分、新書を読む。

ぱらぱらっとめくると内容が頭に入る、という人がいる。
速読っていうんですか、訓練次第でだれでもできるそうだ。うらやましい気もする。
わたしは読むのが遅いんです。ずっとぶつぶつ頭の中で声に出してるからか。
行きしで読破してもおかしくないボリュームだけど、途中で居眠りして、また追いかけて読み出して。
福山駅を通過したあたりで読み終える。

「周辺」という言葉が残る。
ほんとうに探しているものは周辺にある。
それはもう知っているのに言葉になっていないだけだ。

そんな一日。






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2009年5月 9日 (土)

フィッシュストーリー

遅ればせながら、シネツインで「フィッシュストーリー」を見てきました。

映画館で映画見るの久しぶり。ほんとに映画館から足が遠のいた。見たいなあと思うものはいくつかあったが、ちゃんと上映スケジュールを把握してなくていつの間にか終わっていたりした。

なのになぜこの「フィッシュストーリー」だけはちゃんと見たのか。

それは、伊坂幸太郎原作、斎藤和義音楽プロデュースだからだ。あーはん。

ひさしぶりのシネツイン、入場券に入場順番が書かれ、その順に入場する仕組みになっていた。前からこうだったか?忘れた。

入り口に貼られていたその仕組みを説明するPOPを何気なく見ると、半券の見本に「映画とは・・・」という言葉が書かれていた。
ふと自分の半券を見ると
「映画とは人間の業を肯定するもの」
と書かれていた。

えー、あなたのには何が書いてあるんですかとやみくもに近くの人に声をかけそうになったがやめた。映画を見るたび新しいメッセージを目にすることができるだろう。

平日昼間の映画館はすいている。ふかふかクッションに沈み込んで堪能した。

劇中、逆鱗というパンクバンドが登場する。
彼らの最後の録音、「フィッシュストーリー」という曲の一発録音のシーンはほんとうにかっこよかった。

なあ、これって誰かに届くのかなあ。

これって意味のあることなのかなあ
これって誰かの役に立つことなのかなあ
これって誰かが喜ぶことなのかなあ

逆鱗のメンバーだけじゃなくって、わたしだって、日々こんなふうに思っている。
思いは風のようにみえなくて消えちまうと感じている。

ストーリーはほんとにおとぎ話、でっかい魚がつれたぜっていう、大ボラ話だ。
そんなあほな、ってことだ。

でも、
だけど、届くんだぜ。
絶対誰かに届いてるんだぜ。

そう思えた。勇気が湧いてきた。

エンドロール
と、同時に斎藤くんの「Summer Days」が流れはじめる。

  ジャンケンポンあいこでしょ 泥んこまみれのともだち
  ファンタグレープはじけた まぶしい 青い太陽

じゃんけんぽんでこんな名曲をつくれるなんて、斎藤くんは天才だと思う。

斎藤くんは誰かのために曲を作ってるわけじゃないと言っている。
歌詞は愚痴みたいなもんで、と。
聞いてる方が勝手に共感して感動してるわけだ。
伊坂さんだってそうだ。
この映画を作ったひとだってそうだ。
きっとそうだ。

自分が一番いいと思うもの、命がほとばしるようにつくったもの
それが届くんだ。

そして受け取ったわたしは機嫌良く生きることができる。

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2009年5月 8日 (金)

乳がん検診

乳がん検診に行ってきました。

前、検診したのは2年前。
〈前回の検診の様子〉
息子の頭が胸にぐりぐりあたると痛くて気になっていたこともあり、予約して行ってきました。

広島八丁堀・福屋11階、新本クリニック。
生理後4〜10日後の検診適正日を狙って予約。

受付済ませて1時間くらい待ちます。雑誌がっつり読めます。

触診。

こう、あばらぼねに沿って指を動かすんですって。
タテになぞるとどうしてもゴロゴロ感じる。
ヨコになぞって指先にしこりを感じるようなら検診を。

前からずっとある左胸のしこりがコロコロして、あたると痛いのでしょうとのこと。

エコーでも
「ああ、これは乳腺の腫れですね、大丈夫」。

マンモグラフィーもタテヨコ撮影。

現像後再度先生のところへ。

2年前に撮影した自分の胸のレントゲン写真が残っていた。
比べても、そう変化もなく。
がんはなし!と太鼓判をいただきました。

支払いは3400エン。

「ありゃ〜寺本さん、もう通って16年も来よってんじゃね!」と受付の方。
えーそんなになりますか。
大学生の頃、しこりが気になって紹介されて来たのだった。そういうことになるか。。。

「そうやってマメにチェックしたら安心よ!気になったらいつでも来てね!!」

はやく見つけたらとればいいのです。
こぶし大のしこりになってやっと受診するような人もいるそうです。
早期発見が大事だと頭ではわかっていても、
風邪引いてしんどいとか、痛いとかないから、ついつい後回し。
自分の健康が、自分の大事な人のための愛です。
みんな検診に行こうー。






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2009年5月 7日 (木)

おこしやす納骨【5】

【京都2日目、怒濤のフィナーレ】

観光コース終了、やっと京都駅に到着、解散となったがなんと息子が下車直前に昏睡。起きろ〜〜〜〜!!

ひきずりおろし、駅ビル伊勢丹の入り口でベビーカーを借りる。
「基本的に12Kgまでのお子様が対象となっておりますので、なにかございましても自己責任と言うことで」あーもうなんでもいいから貸してくれ。でかすぎる幼児をどっかり載っけて、ベビーカーというよりネコ車のようだ。ひとまず上階の喫茶室へ逃げ込む。

京都のケーキ屋さんの喫茶コーナーなので、ケーキセットを注文。
ぱち。息子目覚める。なんだよ寝とけよもうちょっと!!
ちゃっかりかーちゃんのいちごパフェのいちごだけ食べてまたベビーカーに戻る。
じゃあこの勢いで錦市場まで行ってみますか、ということでベビーカーを返却、タクシーに乗り込む。
錦市場までお願いします。
「錦?錦のどのへん?」
えーと市場の入り口で。
「入り口ってどこもかしこも入り口よ。だいたいわしら錦市場なんか行かへん。錦のどこにつけたらええの」。
歩き続けて疲労もたまりにたまり、息子と母も体力限界。しかし新幹線の乗車時刻まであと3時間あまり。母もわたしも錦市場に行ったことがないわけでもなく、行きたいと熱望しているわけでもない。しかしなんとなく「京の台所」錦市場を歩いて見たということにしてやりたい。そりゃあ錦市場は観光市場で、地元のもんに言わせればうまいもんなんかないのかもしれない。もしこれが広島で、観光でくたくたになった新幹線乗車前の観光客に「お好み村まで」と言われたら、広島のもんはお好み村にはいかん、もっと美味いところがあるからと、へんぴな一軒屋に連れて行くのが果たして親切か?美味いお好みが食べたいのはもちろんだが、あのビル全部お好み焼き屋という他にない状況をこの目で見たいだけのことである。だから錦市場だってただきょろきょろ通り過ぎるのが楽しいのである。それが分かったらつべこべ言わずに市場のどっちかの端っこ直近まで行かんかい!!
と言いたいところだったがすでに気力も限界で、
もうどうでもいいからとにかくどっちかの端っこへ、それだけ言うと黙ってしまった。

京都のタクシーは運転が荒い。この滞在で何台かタクシーに乗ったけど、どれもなんだかラテンな運転で極端に車間距離が詰まってる。ひやひやするから前方は見ないで乗っていた。
ききーっ!!と止まったきり動かない。ぱか、とドアが開く。
「・・・ついたの?」つきましたのひと言もない。
メーターの料金を差し出すとぬっとおつりをよこしてくる。
ありがとうと言うのさえ嫌じゃ。
降りて、息子の手を引いて横切ろうとしたらそのタクシーに曵かれそうに。
充血気味の目で運転手にガンとばす。あやうくぼこぼこに蹴るところだったがそんな元気もなくてよかった。

さて夕方の市場は賑わってはいたけれどすでにお仕舞いモードであった。
それでも珍しい野菜や魚や、美味しそうなお惣菜などをひやかしながら歩くのは楽しい。
問題は息子である。
「ガチャガチャは?バトスピは?ある?どう?ねぇ、売ってる?」
あーよーくさがしてごらん、あるかもよー。息子もの凄い勢いで1軒ずつチェックして行く。「ない!ない!」あちょっとまってまって「だってそこには売ってないもん!」
ほらーおもしろい野菜じゃろー、あれ美味しそうなねなんて言っても聞く耳を持たない。
駆け抜けるように横目で見て錦市場は終わった。
「なかった・・・ガチャガチャも、バトスピも・・・」
疲労ピーク、息子泣きべそ
ええーい、そんなときは〜〜〜〜これだっ!
ほーらバトスピカードパックだーーー。もうこれで最後だーーー。
「やった〜〜〜〜〜!」

結局君は京都の何を見たのだ。京都じゃなくて近所のフジで十分じゃないか。
男子というのは5歳だろうが大人だろうが結局この程度なんだなと悟る。

駅に向かうタクシーの中で早速パックオープン、しかしどのカードもすでに持っていたり弱かったりでパッとしなかったようだ。ぐじぐじ文句を言っていたかと思うとまた寝た!!やめてーーー。もうほんとに起きてーーー。必死のこちょこちょ攻撃もむなしく本格的に寝てしまった。

駅に到着。
とにかく息子18キロをかつぎ、荷物を背負い、あとの荷物は母がかかえてタクシーを降り、這うようにして伊勢丹へ。入り口の椅子にへたりこんだ。
どっか喫茶店にでも入ろうかと言ったが、さっきのヘビーなケーキセットで満腹もうなにも飲みたくないと言う。動かすのがかわいそうじゃけぇこうしとこう、と。母は息子を横抱きにしてスカーフをかけ、とにかくちょっと寝かそうということになった。
のびのびのびた5歳児はでかい。ばーちゃんのうでにあり余るでかさだ。
もっとどこかゆっくり座れるところはないか見てくると偵察に行ったが、混み合ったカフェがあるくらいで、椅子のひとつもなかった。それより遠いところへはあれだけの荷物と息子を抱えては移動できない。
あきらめて戻る。息子は気絶したように寝ている。
疲れた・・・・黙って隣に座り込んだ。

しかし買いそびれたお土産があるということで、伊勢丹地下食品売り場に派遣される。
夕方ラッシュアワーの食品売り場は広い。砂漠のようだ。もうなにも目に映らない。
しかしいくつかお土産を買い、目覚めたときに食べさせるようにおにぎりを買って戻る。息子は寝汗をかいている。

そろそろ新幹線の乗車時刻になるから起こそうということになり、なにか目が覚めるようなおもちゃを買ってこいという指令がふたたびくだった。まじですかー。
幸いおもちゃ売り場が伊勢丹11階にあるぜ、カードパックのひとつかふたつ買えばいいだろうと思いきや、そんなカードは取り扱ってないという。げげーん。なにかやつの目がぱちーっと覚めるようなもの・・・とうろうろ探す。のきなみ3千円とか5千円とかのおもちゃばかりだ。目覚ましにそんなのアホらしい。あー足が痛い。ぐるぐる回って結局「シンケンジャーすごろく」(1500エン)というのをゲット。切ったり組み立てたり恐ろしく手間がかかりそうだが考えないようにして買って降りる。

「ほーらシンケンジャーだよーん」と顔の前でひらひらさせると不機嫌そうに目をあけた。
「・・・・のろ乾いた・・・」はいはいお茶ですねかしこまり、
しかし巨大な駅ビルのどこに自動販売機があるのか。さっき地下で買っとけばよかった。自販機くらいどこでもあるわと思っていたのが甘かった。広島駅のコンパクトさがしみじみ親切でありがたく感じた。都会は子連れの敵だくらいの理不尽な怒りが湧いてきつつ歩き回り、結局観光バス乗り場まで行きペットボトルのお茶ゲット。息子は一口飲む。

のろのろと歩き出した一行。人ごみをかき分けながら進む気分は、幾多の苦難を乗り越え巡礼の地を目指す修行僧のよう。しかし客観的に見れば平日働きもせずに観光旅行してる親子連れ、お気楽な身の上ですねと白い目で見られるのが関の山である。

やっと下りののぞみ号に乗車。
おなか空いたーという息子におにぎりを食べさせ、さっそくシンケンジャーすごろくの作成に取りかからされる。もうかんべんして・・・かーちゃん幽体離脱しそう。しかしつかの間の昼寝でエネルギー充填した息子は広島到着まで遊ぼうの手をゆるめてはくれませんでした。

父はこの旅にずっとついてきてて、ちょびがかわいそうな、早う寝かしちゃれぇとぷんぷんやきもきしていたに違いない。
聞こえるもんならわたしに文句のひとつも言いたいであろうが、もうケンカもできん。
父だったらどう思うかな、と、これからも聞こえない問答を繰り返して生きていくのだろう。

ちょびはもしかしたら父の加勢が聞こえてるんじゃないかと思うほど、あつかましくも元気です。

Photo_4

〈おしまい〉

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おこしやす納骨【4】

【京都2日目、京都観光の王道】

朝もやっぱり早く目が覚めるようで、すでに顔を洗いごそごそする母の気配で目が覚めた。まだ6時だ。しばらくして息子も起きた。普段あんなに起こしても起きないのにー。
「えーっと今・・・6じ半!かーちゃんすごい、ちょび、しまじろうより早く起きれたよ!」
しまじろうは7時起床。よかったね・・・

支度して朝食をとりにレストランへ。
これがまた素晴らしかった。
パンケーキを焼いてもらったら、息子のはミッキーの形に仕上げてあった。
ライスグラタンが美味かった。パンが全種類食べたかった。ずっと食べていたい朝食だった。ドライフルーツの中に、ドライバナナがあった。ねっとりと美味しかった。
「ああ、よく子どものときに食べたわ。昔はバナナが贅沢品でね、干しバナナを取り寄せよったんよ。それがくさくてね。でもいっつも沢山あったから幼稚園の帰りにみんなが食べにきて」。母の実家は商売をしていて、戦時中も戦後も、横流しの物資が豊富にあったらしい。粉も砂糖もあったので、よくカステラを焼いてもらっていたとか、それを学校に持って行けと言われるのがいやだったとか、祖父が母の友だちにまで下駄を買ってくれたこととか、楽しそうに話してくれた。

わたしは母の父を知らない。亡くなった翌年に生まれたんだそうだ。
「女の子がいるで、ってずっと言いよったけえ、見たかったろうと思う」。
こうしてわたしはいろんな人の生につながって生きている。

二日目は定期観光バスに乗ろうということになった。
京都の世界遺産登録15周年記念というコースがあり、東寺、二条城、下鴨神社を巡る半日コースに乗車した。
BRUTUSの仏像特集で予習していたので、東寺・講堂の立体曼荼羅の実物がぜひとも見たかったのだ。
修学旅行生も多く、中学生に混ざって説明を聞いた。
大日如来を中心に、五智如来、五大菩薩、五大明王、左右に天部を従えて、空海デザインのゴージャスな密教世界が展開している。
息子は「あれがいちばんえらいひとー?」と大日如来を指差し、いたく気に入った様子。
「大日如来、召喚!大日如来でアターック」とバトルを繰り広げる。そりゃ強いな。ブロックしたら仏罰が当りそうだ。
場内は撮影禁止のため絵はがきセットを購入。個人的には象にのっかった帝釈天が好みだ。イケメンありがたやありがたや。
五重塔の内部も見学した。出来た当時はさぞやサイケデリックな極彩色だったろうと思われる。
二条城近くの料亭で京会席弁当をいただき、休憩。
二条城ではうぐいす張りの廊下を渡り、雁行造りの二の丸御殿を見学した。歩くとひよひよ鳴る廊下をいそいそ歩いて、息子は「忍者みた〜い!たのしい!」と喜んでいる。
庭園を散策し、奥の茶室で一服いただく。息子も茶碗をおしいただいて、はいまわしてーと両手でぐるぐるハンドルよろしくふりまわし、ぐいっと飲んで顔をしかめていた。

Photo_3

下鴨神社では、普段は拝見できない「大炊殿(おおいどの)」見学。神社の台所だ。
広島の賀茂神社からも稲穂が寄進されていた。へー。

さてこの観光ツアー、けっこう歩く。参加者はみなご老体なのだがわたしより足腰は丈夫ではなかろうかと思えるほど、すごいスピードでガイドさんについていく。
だんだん息子の足がすり足になってきた。母も無口になってきた。
やっと京都駅に到着、解散となったがなんと息子が下車直前に昏睡。起きろ〜〜〜〜!!

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おこしやす納骨【3】

【京都1日目、息子夢のホテルへ】

タクシーをひろって、ホテルへ。息子はやっといきいきしはじめる。
御所の西、京都ブライトンホテル。JRとのセットプランで案外リーズナブルだったのでよさそうなホテルを選んだ。
チェックインすると、予約していた部屋もいいのだがプラス3000円でグレードアップできる部屋が空いている、その部屋はベッドがひっつけて置いてある。お子様と寝られるのならばそちらの方がよいのではないかと勧められた。
そりゃあそうしてくださいということで部屋へ。
吹き抜けの広々としたロビーには喫茶があり、いろんな人が会話に花を咲かせている。
「いっぱい人がいる!」息子大興奮。
部屋はちょっとした高級マンションのモデルルームのようであった。
息子はこんなところにこんなものがあるよ!ここが開くよ!と部屋中走り回って探検していた。きみのその元気はどこから湧いてくるのだ。

Photo_2

荷物を整理して、街にでてみることに。

四条河原町、南座の前の和装小物の店へ。
かわいらしい刺繍のものや、半襟、帯締めや帯揚げ、ああどうしましょう、梅のとび柄の帯揚げがやっぱり京都らしいなぁ、でも迷いに迷って生成りの柄無しの帯揚げに。
すると入り口付近で非常事態発生!息子がオネムだ!18Kg、ばあちゃんがだっこしたら腰が抜けてしまう。なぜこのタイミングでー!
お店の奥さんが「あああ、うちのも今4歳で、買い物してたらすぐ眠くなるんですよねー」と苦笑しながら奥の椅子を勧めてくれた。
もうだめだ、どうやっても起きない。ひきずるように店を出て、ひとまずだっこして歩く。
かー!18kgがみしみし。これはキツイぜ。
そこでかーちゃんは秘密兵器をとりだす。
あら?ちょびー、これなーんだ。
薄目をあけた息子の目がかーっと全開に。バトルスピリッツ(カードゲーム)のカードパックだ。1パックランダムに8枚入り200エン。こんな時のためのカンフル剤に、何パックか買っておいたのだー。
がっばーっと奪い取りまさに開けようとするので、ストーップ!デパートまで歩けたら開けていいよ、というとしゃんしゃん歩き出す。すごい威力だ。
大丸に着き、ひとまずイノダコーヒーで休憩。座ると同時にパックオープン。
「かかかかかーちゃん!!!これーーーー!!!」
イノダコーヒー中に悲鳴が響き渡る。なななんとXレアカードが入っていたのだー。
「英雄巨人タイタスだ〜〜〜〜!!」
よかったのう。
孫がうれしいとばあちゃんもうれしい。もう大丸はどうでもよくなり、タクシーでホテルに帰る。

夕食に行ってみたいレストランがあったのだが、予約で一杯だった。
ほかにも美味い店は山ほどあるのだろうが、いつ寝るかもしれない5歳児を連れ回すのはもう限界だ。ホテルのレストランでいただきましょう、ということで落ち着いた。

テラスレストランはカジュアルだけど気の利いたサービスが行き届いてとても気持ちよく、アラカルトで頼んだ品どれも予想をはるかに超えて美味しかった。スパークリングワインも花の香りがすばらしく、ずっとこうしていたいような夜だった。

そのままエレベーターで上がるとすぐに部屋、というのがこんなにほっとするもんだとは思わなかった。すぐにお風呂に入り、広くて快適な部屋でお茶を飲みながらだらだら過ごし、早めに寝ることにした。
ひっついてるベッドの真ん中で息子はXレアの興奮覚めやらず、ばーちゃんにごろごろ、かーちゃんにごろごろ、きゃっきゃとはしゃいで寝るどころでない。

母はここ数年、眠りが浅い。「もうトシよ」と笑いながら睡眠導入剤を飲む。
「おとうさんもなかなか夜が明けんかったじゃろうと思うてね」。
父も睡眠が不安定になり悩んでいたという。
母が「明日は○時に来ます」とメモを残して置いていた小さなノートに、父の字で「隣の人が寝るのと同時に薬を飲まないと朝帳尻があわない」という旨が書かれていたそうだ。いつも同室の人に気遣いばかりしていた。
仏壇がさみしくなるね。
今まではお骨がそこにあって、なんかまだそこにいるような気がしたけど、もう仏壇にはなんにもない。朝晩手を合わせる母は、さぞ寂しくなるだろうと思った。
そうよねぇ。ため息のような返事が返ってきた。

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おこしやす納骨【2】

【京都1日目、女子の買い物】

寺町通り入り口の老舗のお菓子屋さんでお菓子を買い、ぶらぶら歩いていくと、まぶしいような竹の子を山積みで売ってる店があった。塚原の朝堀りということで、一山2万円などという札が。切り口は真っ白く輝いている。
「あーっこないだテレビで見た店よ!」
名取裕子さんが向いの店で食べてたわ、ということで、昼食は竹の子づくし。
えぐみのないやわらかい竹の子が、上品な味付けでいろんな料理になっていた。
いやーしょっぱなから贅沢しちゃったねぇと言うと、こういう時期にこういうお店に巡り会うこともめったにないし、いい記念になるわと母も嬉しそうだった。

Photo

食後、寺町通りを御所に向けて北上。
今回の旅、自分によくよく言い聞かせてきた。
お着物。お茶。骨董。茶道具。旨いもの。酒。スルーしろよと。
母と息子連れなので、それ本位に。

とはいえ、道を歩けば触覚がぴーんと反応するような素敵なお店が建ち並ぶ。
これが広島にあったら、どっかの雑誌が記事で褒めちぎるような店がごろごろしている。
このまえの戦は応仁の乱どすえという連綿とした時間が創り上げたものだもの。焼け野原からたった60年ちょっとしか経ってない街と比べるのもどうかと思う。

しかしやっぱり、あ、ちょっと待って、が連発。
まずは清課堂。錫や銀製品のお店だ。
うわーうわーきれいーすてきーうわーうわーと黙って見る。
母が、「なにか記念に買ってあげる」と言い出した。
じゃあじゃあじゃあ茶入れをと言いたいのを飲み込んで、菓子切りを。
袋の柄も母が見立ててくれた。大事に使います。
「奥にギャラリーもございますよ」と声をかけていただいたので見に行く。
町家づくりというのか、長ぼそーい路地を抜けると奥に茶室と蔵があり、そこがギャラリーになっていた。西川美穂さんという作家さんのハコが美しく並んでいた。

はーすてき。京都万歳。
その先に鳩居堂が。母は友人にかわいらしい絵の便せんを求めた。
ややっ、ここはなんでしょう骨董屋さん?
「もうっ!はやくっ!ホテルにいこうよぅ!おかいものはナシ!」
息子はぷんぷんしている。まあ待て。
そこへあらわれたのが一保堂。ちょっと休憩して行こうかと中へ。
嘉木という喫茶室でお薄と自分で入れるほうじ茶セットを頼む。
なぜか息子はあんこが嫌い。「えーあんこー?いらなーい」
しかし急須にポットから湯を注ぎ、20数えて出すのがやりたくてしょうがない。熱いからと心配するばあちゃんを振り切って、いそいそと急須を持ちじょろじょろと茶を入れてくれた。なかなか手つきがサマになってる。かーちゃんがいつもお茶をいれるのがうらやましかったのだそうだ。そうかそうか、美味い茶を入れる青年になっとくれ。

ついでにもう一軒。御所の南、裁判所の近くにうるわし屋という骨董屋さんがある。
漆器を中心とした品揃えのセンスがいいとなにかで見ていたのである。
母と息子は外で待ってると言う。
そーっと中に入り、すぐ出て、息子と母を中に呼び寄せる。
いい天気なのに風が強くてえらく肌寒かった。外で待たせるのもしのびなく、第一素敵すぎて時間がかかると踏んだからだ。
中にはちょっとした椅子があったので、息子を座らせてもよいかとオーナーらしき女性に尋ねると、どうぞと言って招き入れ、退屈そうな息子に、なにか描いたらと紙とボールペンをわたしてくれた。
その隙にかーちゃんは目をサーチライトのようにして見る見る。
食籠のようなものがあればと思ったが思うようなものがない。しかーし!ぴかーん!見つけてしまった美しい茶托を。花のような形の銀の茶托だ。ああ綺麗・・・
いつもなら文句のひとつも言う母が「きれいね、記念に買ったら」と言った。
記念に。
今日母は何度この言葉を言っただろう。記念に。忘れないように。
父とお別れし、母と息子と旅したこの日を忘れないように。
銀のものなら割れないし、一生残る。迷わず買った。
息子は「これ、さかなつり」と、豪快にサメを釣る絵をのびのび書いて待っていた。

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おこしやす納骨【1】

【納骨/京都1日目】

父の納骨を済ませました。

よく晴れた日曜、朝10時からということで、現地(墓)集合だった。
もうすでに母と兄一家は到着していて、墓石屋さんが墓石を動かし開けていた。
墓の真ん中部分、花を生けるところがぱかっと手前に倒れて中が開くようになっているのだった。
墓の中を見るのはこれがはじめてだ。
中の底は土だった。古ぼけた白い骨壺が二つあった。ひいじいちゃんと、ひいばあちゃんだそうだ。
考えてみたらあたりまえだけど、墓の中に骨があるというのはなかなか驚きの事実だった。
骨壺から出して、ざらざらと入れるところもあるらしい。土に還すためだと言う。
「では入れさせていただきます」と、墓石屋さんが父の骨壺を袋からとりだし、二つの骨壺の前に置いた。ぞりぞりっという音がして骨壺は三つになった。
父の骨壺は濃いブルーに金彩で華やかに模様が染め付けてあった。
趣味が悪い、と母がぶつぶつ言っている。骨壺の柄を選ぶような余裕も選択肢もなかった。
皆が手をあわせ、墓石が元通り閉められた。
お坊さんにお経をあげてもらい、花を供えて納骨は終わった。

父は転院の時も従順だった。
時間に遅れては迷惑をかけると、きちんと支度をして車椅子に乗り、病院を移った。
新しい病院では大学病院から来た先生と、肺機能のリハビリをするんだと言ってはりきっていた。
転院すればするほどケアの質は落ちると聞いたことがあるが、やっぱりその通りだった。
おとうさんよかったねぇなんて連れてきたのに、酷い。
自宅で看るのを決心するまで2週間かかった。家に連れて帰ることを決めて主治医に話したその日、もう今から帰るなんて言い出したら大変だよといって父には伝えなかった。
準備がすべて整って話すつもりだった。その晩に父は亡くなった。
きっと絶望して死んだのだ。
どうして、ひとこと、もうすぐ家に帰れるよと言ってあげなかったのだろう。
そのひとことが希望になって、もう少しがんばれたら、父は家で死ねただろう。
父は黙って墓に入った。
おとうさんよかったねぇなんて、これで安心だねぇなんて、墓の中では希望もなにもない。

分骨、という風習があるそうで、ひいばあちゃんもばあちゃんも、京都に分骨したんだそうだ。だから父も、のどぼとけを小さな骨壺に分けてもらった。
それを納めるため、母と息子と京都に行ってきた。

小さな骨壺をどうやって運ぶか?と母は悩んでいた。
白い三角巾で息子の首からぶら下げたら?と言うと、おとうさんはそれが一番喜ぶかもねぇとため息をついた。
結局、白い大きなハンカチを買い、ふんわり包んでハンドバッグに入れたようだ。
「朝、おとうさん行こうかってハンドバッグに入れたらね、からんって。
まぁおとうさん、かわいらしい音させてから、ねぇ」。

息子は「ホテル」に泊まれるのでもうウキウキだ。「ホテル」が憧れだったのだ。
新幹線も大好きだが、もうお兄ちゃんだから、それよりも「ホテル」が楽しみなんだそうだ。「ホテル」に行きたいなんてよそであんまり言うなよ。

京都駅に着き、タクシーで大谷祖廟へ。祇園さんのそば、円山公園にある。
えーホテルじゃないのぅ?と息子は不満げだがこれがこのたびのメインイベントであるからにしてしっかり参拝するように。
受付を済ませ、待つ。骨壺と最後の記念撮影をする。
しばらくして名前を呼ばれ、その他大勢の参列者と講堂に入る。正面に骨壺が6つほど並び、読経が始まる。参列者が順に焼香する。その後、骨壺を持って数段石段を上り、廟へ。
骨壺を渡すと、廟の鍵をあけて裏手にまわり、「ただいまお納めいたしました」とカラのお盆を持ち戻ってきた。鍵が閉められ、納骨が終わった。

そこは親鸞聖人や歴代の遺骨が門徒の遺骨と一緒に納められてるんだという。
倶会一処〈くえいっしょ〉、死んだら右も左もみな一緒。
「きっと裏でじゃーっと骨うつしておしまいなんよ」。
母は、「わたしのときは分骨、しなくていいから」とぽつんと言った。

タクシーをひろい、とりあえず寺町通りへ。
ああここが四条、ここが南座、そういえば結婚前、父と母と独身最後の旅行に行ったのも京都だった。
おとうさんと京都、来たよねぇ。
「ああ、そうだったねぇ」。あれから10年。それきり黙って京都の街を眺めた。

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