本日息子の保育所で「保育参加」があった。
幼稚園と違い参観日はないし、忙しい父兄の役員活動などもない。
保育所での息子の様子を伺えるのは運動会と年に2度の保育参加だけだ。
保育参加というのは何をするのかというと、保育に参加するのである。
1,2歳児クラスの頃は、なんとベランダ側のガラス窓をすべて紙で目隠しし、水玉状にあいた穴から中をのぞき、まさかかーちゃんがのぞいてることなど全く気づかない子どもたちの様子を観察するのだった。家での様子と全然違う我が子の姿に、笑ったりはらはらしたり感心したり。なんだしっかり生活してるんだなぁと妙に納得し安心したのだった。
親が外からのぞいてることがすぐバレる年になると、親子で一緒に工作をしたり体操をしたりするようになる。
今年は親子ふれあい遊びだった。ひとつ下の年中さんクラスと合同でホールで行う。
体育の先生が外部からやって来て指導してくれた。紺ジャージ白ポロシャツに身を固め、よく通る大阪弁で参加者をどんどんのせていく。
親子で向き合ってタッチゲーム。親は窓を拭くように手のひらを上下左右に動かす。子どもはその手のひらを追っかけてタッチ、ぱちん!これをどんどんスピードを上げて繰り返す。最初のうちは、さっと動く手のひらのスピードを目で追えない。しかしだんだん目がくるくる動き、予測して動くようになる。動体視力にスイッチが入ったのだ。右手を使うと左脳が、左手を使うと右脳が働くのだという。
「お父さんお母さんにはこれダイエットにぴったりです。子どもは発達と言いますが大人はリハビリと言います」などと大笑いを誘われながら楽しく身体を動かす。
さて次は鉄棒だ。
まずは鉄棒にぶらさがって足ぶらぶら〜〜、年長さんから順番にみんなやる。
次に鉄棒にぶらさがったまま足で、グー、チョキー、パー!すごい、上手!次々やる。
「ハイ次は逆上がり!みんなできるよね!
鉄棒苦手やしできひんと思うけどがんばってやってみようか思う人!」
ハイハイハイハイ!!!みんな勢い良く手が挙がる。先生は普段の子どもたちを知らないので、どうやら保育士さんに鉄棒苦手な子を指名してとお願いしていたらしい。
「ハイ、じゃあ○○くん!」手は挙げたもののいざ前に出されると明かに表情が曇る。首が傾いでる。かわいい。
「じゃあやってみよか。はい脇閉めて、手ギュッ!足鉄棒よりちょっと前、もう一つの足ちょっと後ろ、この足をここまで蹴り上げる、いくよ、よいしょ!!」
ぜんぜん足があがらない、が、先生が腰にてを当てて、くるりっとサポートする。
そして先生は言った。
「そーだこれが逆上がりだよ、どう?もういっかいやってみる?」
うん、と頷く。
よいしょ、足があがってきた!よいしょ、すごいここまでできた!よいしょ、ああもう僕の手に1kgも乗ってない、すごいやんできたやん!はいタッチ!
その子は1回転ごとにみるみる顔が輝いて、ものすごくいい笑顔で先生とハイタッチして戻っていった。
さあ、じゃあお家の人が補助してあげてください、と全員で親子ペアでやってみた。
「あのー鉄棒で逆上がりできなくても人生どーってことないんです。できた!って思わせることが大事、おまえもっと足をこう上げろとか、がみがみ言っちゃだめ。とにかくすごいーってほめてください!」
ついつい、あーもっと脇をしめてとか、もっとこうとか言ってしまいそうになる。
「ああ、もっと腕をのばしたらいいのにと思ったら、わあすごい、腕のびてきてる!とそうなってほしいことを先に言って褒めるんです。これを『さきほめ』といいます」
そして一通りおわって、先生は息子を前に呼んだ。
「逆上がり、できるようになったら、くるっくる回れるんです。みなさん補助のしかたよーく見ててくださいね、ボク、ほないくで」
うちの息子は鉄棒が得意だ、というのは保育士の先生から聞いていた。
「はいよいしょ!そのままちーさくしがみついててんか!そ!はい!そーよはい!はいそーーーすごい!!できた!!」
息子は地面に足をつかず、先生の手に支えられてくるくる3回転した。
会場中おーーーーすごい!!と大拍手が起こった。
息子のあんなうれしそうな顔を見たことがなかった。
子どもたちはそれから休憩し、給食を食べた。
親たちはその間、ホールでその先生の講演を聞いた。
ちっちゃい子クラスの親たちも合流したので、ここまでの年中年長クラスでのできごとを説明し、なんのためにやったのか、と話してくれた。
「保育所に通う年齢の子どもたちは、実体験をすることで脳がどんどん学んでいきます。
テレビゲームがいけないなんて思いません。ただ、モニターの中だけしか視線が動かないから、視野が狭いんです。さっきのタッチ遊びをすれば、遊びながら動くものの予測をして身体が動くようになる。車がとび出してきたら、友だちとぶつかりそうになったら、どうしたらいいのか。大けがしないうちに、ちっちゃいタンコブやスリキズいっぱい作りながら覚えていってほしいんです」
「そして、今絶対に身につけてほしいのは『根拠の無い自信』だと思っています。なんやできるできる、楽勝やんといろんなものにぶつかっていく自信を育ててほしい。将来そうやってどーんとぶつかって成功するかしないかは、社会が教えてくれます。しかし失敗してもどかーんと落ち込まない、おっかしーなーなんでやろできるはずなのに、と思える心の強さにもつながると思うんです」
その自信は、脳が喜ぶことでしか育たないんだという。
できた、ほめられた、嬉しい、わあなんか気持ちがいい、もっとできる、やろう、そういう気分にうまく乗せられるのは、大好きなおうちの人のにこにこ褒めパワーなんだと。
それも、ただすごいすごいではなく、さっきより手がのびたとか、昨日より上手になったとか、わぁもっともっと上手になるんやもっとしたいと思わせるのがポイントだそうだ。
「最近、2、3歳のお子さんで女優か俳優かというくらい上手にころんで泣く子がおられます。よちよち歩きますね、不安定で手をついてころびます。もう本人びっくりして頭真っ白になります。そこにおうちの方の大丈夫!?という悲痛な顔。大変なことが起こったと思います。泣きます。おうちの方が駆け寄って、優しく抱いてよしよし痛かったねーと。ああ泣いたら笑顔がでるんやなと刷り込まれます。そうじゃなくて、ころんだら、うわ上手!じょうずに手がつけた!おいで!とにこにこする。そうするとこともなげに立ち上がって歩いてきます。本人がこんなもんたいしたことない、と思えるかどうかなんです」
ほんとにそうだ。
ちゃんと育ってほしい。怪我してほしくない。つらい思いはさせたくない。それが当たり前の親心だ。だから先回りして先回りしてあぶない、ダメ、やめなさいと保護して保護して、それが学び育つ芽を摘んでいることになるなんて。
息子は恥ずかしくて知らない人に挨拶ができない。
ちょびこんにちはは?ちゃんとしなさい、なんで言えないの?(・・・はあ、ダメだ)
その繰り返しでは「ボク元気に挨拶できるできる」なんて絶対思えないだろう。
私だって実は自信がない。社会に出て褒められた経験がちっともないからだ。
だめだだめだといわれ無視され続けて、ほんとにだめなんだと思ってきた。
だけど、ちっちゃいころにたぶん親は無条件に褒めてくれたはずだ。どう褒められたかなんて覚えてないけど、親のことを思うだけでがんばれるからきっとそうだと思うのだ。
息子はどうやったって私の手から離れていく。その時までにどんな力を育ててやれるのか。
それはたぶん、苦しまなくていいように環境を整えてやることではなくて、どんな世の中でも自分を信じて駆け出せる力、それだけ、それこそ、必要なことなのではないか。
それは保育所でも幼稚園でも小学校でも塾でも教室でも家庭教師でもなく、親が、しなくちゃいけないし親にしかできないことかもしれない。
保育所の親たちには、多かれ少なかれちょっと負い目があるように思う。
ちっちゃい頃は、一緒にいてやれないとかこんなに嫌がってるのに預けて働くことへの罪悪感に悩む。大きくなってからは、幼稚園での手厚い教育や習い事に行かせることのできない後ろめたさに悩む。
だから今日来た保護者たちはこの先生の講演に耳を澄ませた。
今の状況に後ろめたさを感じるということは、どこかに甘えがあるというか、誰かに子どもをまかせてなんとかしてもらいたいという気持ちがあるからじゃないのか。
そうじゃない、自分が関わるんだ。
今日から、息子といっぱいタッチ遊びしょう。歯が浮くくらい褒めまくろう。息子の前で疲れたって言わないようにしよう。笑顔でどーんとしていよう。
あの、くるくる3回転逆上がりができたときの息子の笑顔。空まで飛べそうだった。
キラキラと本当に輝いていた。あれだ。ああやって育っていくのだ。
今日いちばん育ててもらったのは私かもしれない。
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