« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年6月26日 (金)

美のツボ?

切りっぱなしの髪がわさわさになり、クセがすごくて常時寝癖みたいになった。
あんまりひどいのでぎゃあぎゃあ言い、やっとストレートパーマをかけてもらった。
するとストレートすぎて、あごまでの髪が顔の輪郭にはりついた。
「かあちゃんのかみ、のりみたい」
と息子に言われた。黒く染めてるしマジックで塗ったようだ。

それにしても自分に手をかけていない。
若さがあったころはそれでもなんだかよかったが、今や放置された牧場みたいで、荒んだ感じが中年らしい。
そういえば化粧品のたぐいをここ数年購入していない。
アイシャドウなんて、ドラッグストアで適当に選んだチープなやつを延々使ってる。
先日所用でデパートに行った時、いまごろはどんな化粧品があるもんだかと化粧品売り場をのぞいてみた。美容部員さんはみなきれいだ。どうやったらあんなふうに塗れるのか。
へーなんつって手の甲に試し塗りをしていたら、「お試ししてみられますか」と声をかけられた。え、じゃあせっかくなのでお願いします、と腰掛ける。
いっぱいいろんな色がある。
「どの色がお好きですか」と言われるので、「奥二重でも目が大きく見えるやつ」と答えると相当悩まれる。
ひとまず、濃い紫がかった茶色と、薄い茶色と、シルバーと、ピンクのやつを塗ってもらう。4色もセットになってて、こりゃあどこにどうやって塗ればええんですか。
きれいな女性と息がかかるほどの間合いでメイクしてもらうといのは恥ずかしいものだ。ずーっと息を止めていて死にそうになる。
「いかがでしょう」と鏡を見ると、今どきの目をぐるっと黒くふちどるメイクが仕上がっていた。なるほどこのように塗るのですか。しかしデスメタル? というよりちょっとホラーか。似合ってる以前の問題だ。
などと思いつつ気がついたらお買い上げになっていた。

翌日、そのアイシャドウをつけてみる。さすがに自分で手加減して塗るのでデスメタルほどではない。なかなかよいのではと機嫌良く支度していると、オットが「あ、アイシャドーがいつもとちがう?」と聞いてきた。あ、わかる?昨日思い切って買っちゃった、どう?と聞くと、「うん、グロテスク」
よくよく聞いてみると「グラマラス」と言いたかったらしい。大違いだ。

そしてその日はすとんと1枚で着れるワンピースを着ていた。カットソーでらくちんで、黒いギャザースカートがひっついている。それにレギンスというのか、ステテコの黒いやつみたいなのを履いて出勤した。
で、化粧室に立ち、自分の姿を大きな鏡で見てなにかに似ている、と思った。
今いくよくるよのくるよ姉さんだ!

笑いをこらえて部屋に戻り、若い女子に「ねえねえ!わたしって今いくよくるよのくるよ姉さんに似てない!?」と言うと、彼女は今いくよくるよを知らなかった・・・
持って行き場を失った自虐ほど苦いものはない。

こうして世間の美から遠ざかっていく37歳。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年6月16日 (火)

蛍の光

梅雨に入ったがここ数日よい天気が続く。

保育園生活ことし最後のちょびをつれて、ほぼ毎週山に遊びに行っている。
家族の今を、二度と戻らない時間を噛み締めるように遊んでいる。

今回は六日市インター近くの「ゆらら」の温泉プールで遊び、府谷ほたる村に蛍を見に行こうという計画だ。

行きの車の中で、うきうきと鼻歌を歌い、くだらない話をしてげしげし笑い、お菓子たべたりお茶飲んだりしていると、ふと息子がこう言った。

「あのじいちゃんがまだいてびょーいんにいたとき、ちょびとばーちゃんとかーちゃんがいて、かーちゃんがじいちゃん怒ったでしょ、あのときじいちゃん、まくらなげたよねぇ」

突然なにを思い出したのか。
それは父が亡くなる2日か3日前のことだった。
病院が冷たくて酸素ボンベを貸してくれない。
仕方なく自宅から自前の酸素ボンベを持ち込んだ。
しかしそのバルブがきつく閉まって開かなくなった。
父は病院のスタッフへの不信感をあらわにして「誰かがきつく閉めたんじゃ」と泣く。
そんなことはないよとなだめても心が荒ぶって言うことを聞かない。
新しい酸素ボンベを明日用意してあげると言っても今用意してくれと言ってきかない。
「今じゃないとだめなんじゃ!」
そういって父は枕を投げたのだった。
頭に来て、実家に車で戻り、父の工具箱からでっかいヤットコを持ち出し病院に戻り、堅く閉まったバルブを力任せにこじ開けた。
これでいいでしょ!自分でもう開けられるよね!
そう言い捨てて帰った。
物わかりが良くて頼りになる父が父じゃなくなった。病院もなんでちゃんと看てくれないのか。いろんな思いがないまぜになって、悔しくて涙がでた。
もう自宅で看ようよ。母も同じ気持ちだった。そしてたった2日後にその病院で亡くなった。

「ああ、そうだったよねぇ」
あのときの思いがあふれて涙が止まらなくなった。
父が亡くなって4か月もたつのに、まだ傷は生乾きだった。

玖珂の山賊ででっかいむすびを食べて、錦川沿いに北へ向かう。
六日市の「ゆらら」はいいですよ。入り口にちょっとした産直市があって、野菜なんかを冷やかして入る。なにが良いかというと、水着で入れる温泉プール。家族みんなで入れるのがいい。25mコースの他に、浅いチビッコ用プールと、様々なジェットバスのあるスパスペース、決まった時間になるとアロマオイルを使って実演してくれる北欧式サウナがある。
ちょびは浮き輪持参で、きゃーきゃー言いながらあっちにばちゃばちゃこっちにばちゃばちゃ。親も適当に遊びながらカエルのように浮いている。極楽。
ふやけるほど堪能したら、それぞれ別れて温泉。お風呂へ。
広い露天風呂で空を眺めながらつかる。最高。38℃の源泉風呂もよい。お湯と自分の身体の境目がわからなくなる。どこまでもほどけて帰って来れなくなりそうだ。

風呂上がりは牛乳。
さて、蛍見にいきますか。

実はオットも私もまともに蛍を見たことがない。もちろん息子もだ。

その府谷というところは、錦川沿いの187号線から山に入って行く。ホタル祭りがあったばかりなので、道路に白い矢印が書かれ細い道だがちゃんとナビしてくれる。延々一本道を進むと、突然田んぼが開け、そこが「府谷ほたる村」だった。
日暮れ、まだほの明るい。どこで見られるんだろうとのろのろ進んで行くと人影が。
P、と書かれた道路脇に駐車してライトを消したとたん、見えた!

すごい!すごい!細い道を降りて川沿いに行くと、もう一面蛍が明滅していた。
「ほたる~~~~~!すごい~~~~~!」
なにやら川の中程に直立した人が数人見える。隣の人が懐中電灯をつけると
「こら!つけるな!」と怒る。写真を撮っているようだ。知るか。

ほわほわーんと飛んでくる蛍に手をのばすと、ふっととまる。

あっちに行ってみよう、と田んぼ沿いのあぜ道を降りて行った。

もう、田んぼの脇の川はすごかった。
「蛍川」って本がたしかあった。宮本輝だったか。読んだこと無いけど。
まさに蛍川だと思った。

山際はかなり高いところまで飛んでいて、黒々とした木がクリスマスツリーのようだった。

空にはいつのまにかものすごい星が出ていて、あ!流れ星!と思ったら蛍だった。

時間を忘れて見ていた。
ぼーっと見ていると、どこかで光るとそれがふふふふ、と呼応してひろがっていくように光る。その光全体が息をしているようだ。

「蛍ってなんで光るか知っとる?」
「くらくて前がよくみえないからじゃない?」
「わはは。あれはね、結婚相手を探しよるんよ。“俺ってかっこいいじゃろう”って光りよるんよ」
「へー。ほたるけっこんするんじゃね」

どうやら蛍はオスもメスも光るらしい。2週間ほどこの世にいるあいだに交尾して卵を産んで死ぬんだそうだ。

闇の中で光る小さな光そのひとつひとつが命。
生きていて、命をつなぐための必死の光なのだ。

その光をつつむ闇の中に死を思う。

父よ。いただいた命はここでこうして元気に生きています。





| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年6月14日 (日)

育つ力

 本日息子の保育所で「保育参加」があった。

 幼稚園と違い参観日はないし、忙しい父兄の役員活動などもない。
 保育所での息子の様子を伺えるのは運動会と年に2度の保育参加だけだ。

 保育参加というのは何をするのかというと、保育に参加するのである。
 1,2歳児クラスの頃は、なんとベランダ側のガラス窓をすべて紙で目隠しし、水玉状にあいた穴から中をのぞき、まさかかーちゃんがのぞいてることなど全く気づかない子どもたちの様子を観察するのだった。家での様子と全然違う我が子の姿に、笑ったりはらはらしたり感心したり。なんだしっかり生活してるんだなぁと妙に納得し安心したのだった。

 親が外からのぞいてることがすぐバレる年になると、親子で一緒に工作をしたり体操をしたりするようになる。

 今年は親子ふれあい遊びだった。ひとつ下の年中さんクラスと合同でホールで行う。

 体育の先生が外部からやって来て指導してくれた。紺ジャージ白ポロシャツに身を固め、よく通る大阪弁で参加者をどんどんのせていく。

 親子で向き合ってタッチゲーム。親は窓を拭くように手のひらを上下左右に動かす。子どもはその手のひらを追っかけてタッチ、ぱちん!これをどんどんスピードを上げて繰り返す。最初のうちは、さっと動く手のひらのスピードを目で追えない。しかしだんだん目がくるくる動き、予測して動くようになる。動体視力にスイッチが入ったのだ。右手を使うと左脳が、左手を使うと右脳が働くのだという。
 「お父さんお母さんにはこれダイエットにぴったりです。子どもは発達と言いますが大人はリハビリと言います」などと大笑いを誘われながら楽しく身体を動かす。

 さて次は鉄棒だ。
 まずは鉄棒にぶらさがって足ぶらぶら〜〜、年長さんから順番にみんなやる。
 次に鉄棒にぶらさがったまま足で、グー、チョキー、パー!すごい、上手!次々やる。
 「ハイ次は逆上がり!みんなできるよね!
  鉄棒苦手やしできひんと思うけどがんばってやってみようか思う人!」
 ハイハイハイハイ!!!みんな勢い良く手が挙がる。先生は普段の子どもたちを知らないので、どうやら保育士さんに鉄棒苦手な子を指名してとお願いしていたらしい。
 「ハイ、じゃあ○○くん!」手は挙げたもののいざ前に出されると明かに表情が曇る。首が傾いでる。かわいい。
 「じゃあやってみよか。はい脇閉めて、手ギュッ!足鉄棒よりちょっと前、もう一つの足ちょっと後ろ、この足をここまで蹴り上げる、いくよ、よいしょ!!」
 ぜんぜん足があがらない、が、先生が腰にてを当てて、くるりっとサポートする。
 そして先生は言った。
 「そーだこれが逆上がりだよ、どう?もういっかいやってみる?」
 うん、と頷く。
 よいしょ、足があがってきた!よいしょ、すごいここまでできた!よいしょ、ああもう僕の手に1kgも乗ってない、すごいやんできたやん!はいタッチ!
 その子は1回転ごとにみるみる顔が輝いて、ものすごくいい笑顔で先生とハイタッチして戻っていった。

 さあ、じゃあお家の人が補助してあげてください、と全員で親子ペアでやってみた。
 「あのー鉄棒で逆上がりできなくても人生どーってことないんです。できた!って思わせることが大事、おまえもっと足をこう上げろとか、がみがみ言っちゃだめ。とにかくすごいーってほめてください!」
 ついつい、あーもっと脇をしめてとか、もっとこうとか言ってしまいそうになる。
 「ああ、もっと腕をのばしたらいいのにと思ったら、わあすごい、腕のびてきてる!とそうなってほしいことを先に言って褒めるんです。これを『さきほめ』といいます」

 そして一通りおわって、先生は息子を前に呼んだ。
 「逆上がり、できるようになったら、くるっくる回れるんです。みなさん補助のしかたよーく見ててくださいね、ボク、ほないくで」
 うちの息子は鉄棒が得意だ、というのは保育士の先生から聞いていた。

 「はいよいしょ!そのままちーさくしがみついててんか!そ!はい!そーよはい!はいそーーーすごい!!できた!!」
 息子は地面に足をつかず、先生の手に支えられてくるくる3回転した。
 会場中おーーーーすごい!!と大拍手が起こった。
 息子のあんなうれしそうな顔を見たことがなかった。

 子どもたちはそれから休憩し、給食を食べた。
 親たちはその間、ホールでその先生の講演を聞いた。
 ちっちゃい子クラスの親たちも合流したので、ここまでの年中年長クラスでのできごとを説明し、なんのためにやったのか、と話してくれた。

 「保育所に通う年齢の子どもたちは、実体験をすることで脳がどんどん学んでいきます。
テレビゲームがいけないなんて思いません。ただ、モニターの中だけしか視線が動かないから、視野が狭いんです。さっきのタッチ遊びをすれば、遊びながら動くものの予測をして身体が動くようになる。車がとび出してきたら、友だちとぶつかりそうになったら、どうしたらいいのか。大けがしないうちに、ちっちゃいタンコブやスリキズいっぱい作りながら覚えていってほしいんです」

 「そして、今絶対に身につけてほしいのは『根拠の無い自信』だと思っています。なんやできるできる、楽勝やんといろんなものにぶつかっていく自信を育ててほしい。将来そうやってどーんとぶつかって成功するかしないかは、社会が教えてくれます。しかし失敗してもどかーんと落ち込まない、おっかしーなーなんでやろできるはずなのに、と思える心の強さにもつながると思うんです」

 その自信は、脳が喜ぶことでしか育たないんだという。
 できた、ほめられた、嬉しい、わあなんか気持ちがいい、もっとできる、やろう、そういう気分にうまく乗せられるのは、大好きなおうちの人のにこにこ褒めパワーなんだと。
 それも、ただすごいすごいではなく、さっきより手がのびたとか、昨日より上手になったとか、わぁもっともっと上手になるんやもっとしたいと思わせるのがポイントだそうだ。

 「最近、2、3歳のお子さんで女優か俳優かというくらい上手にころんで泣く子がおられます。よちよち歩きますね、不安定で手をついてころびます。もう本人びっくりして頭真っ白になります。そこにおうちの方の大丈夫!?という悲痛な顔。大変なことが起こったと思います。泣きます。おうちの方が駆け寄って、優しく抱いてよしよし痛かったねーと。ああ泣いたら笑顔がでるんやなと刷り込まれます。そうじゃなくて、ころんだら、うわ上手!じょうずに手がつけた!おいで!とにこにこする。そうするとこともなげに立ち上がって歩いてきます。本人がこんなもんたいしたことない、と思えるかどうかなんです」

 ほんとにそうだ。
 ちゃんと育ってほしい。怪我してほしくない。つらい思いはさせたくない。それが当たり前の親心だ。だから先回りして先回りしてあぶない、ダメ、やめなさいと保護して保護して、それが学び育つ芽を摘んでいることになるなんて。

 息子は恥ずかしくて知らない人に挨拶ができない。
 ちょびこんにちはは?ちゃんとしなさい、なんで言えないの?(・・・はあ、ダメだ)
 その繰り返しでは「ボク元気に挨拶できるできる」なんて絶対思えないだろう。

 私だって実は自信がない。社会に出て褒められた経験がちっともないからだ。
 だめだだめだといわれ無視され続けて、ほんとにだめなんだと思ってきた。
 だけど、ちっちゃいころにたぶん親は無条件に褒めてくれたはずだ。どう褒められたかなんて覚えてないけど、親のことを思うだけでがんばれるからきっとそうだと思うのだ。

 息子はどうやったって私の手から離れていく。その時までにどんな力を育ててやれるのか。
 それはたぶん、苦しまなくていいように環境を整えてやることではなくて、どんな世の中でも自分を信じて駆け出せる力、それだけ、それこそ、必要なことなのではないか。

 それは保育所でも幼稚園でも小学校でも塾でも教室でも家庭教師でもなく、親が、しなくちゃいけないし親にしかできないことかもしれない。

 保育所の親たちには、多かれ少なかれちょっと負い目があるように思う。
 ちっちゃい頃は、一緒にいてやれないとかこんなに嫌がってるのに預けて働くことへの罪悪感に悩む。大きくなってからは、幼稚園での手厚い教育や習い事に行かせることのできない後ろめたさに悩む。
 だから今日来た保護者たちはこの先生の講演に耳を澄ませた。
 今の状況に後ろめたさを感じるということは、どこかに甘えがあるというか、誰かに子どもをまかせてなんとかしてもらいたいという気持ちがあるからじゃないのか。
 そうじゃない、自分が関わるんだ。
 今日から、息子といっぱいタッチ遊びしょう。歯が浮くくらい褒めまくろう。息子の前で疲れたって言わないようにしよう。笑顔でどーんとしていよう。

 あの、くるくる3回転逆上がりができたときの息子の笑顔。空まで飛べそうだった。
 キラキラと本当に輝いていた。あれだ。ああやって育っていくのだ。

 今日いちばん育ててもらったのは私かもしれない。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

« 2009年5月 | トップページ | 2009年7月 »