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2009年7月16日 (木)

成長してる

最近怒ったことってあんまりないのですが、先日来ちょこちょこわたしをイラッとさせるおっさんがいて、今朝も出がけの忙しいときの朝一の電話で不快指数が一挙に上がった。
「FAX送りますからっ!」と逆切れされて電話を切られた。
で、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、ガシャ、 トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、トゥルルル、ガシャガシャ、トゥルルル、トゥルルル、・・・・と何度も送信を失敗する。

FAXも満足に送れんのかい!!!とキーキーいいながら玄関の鍵を閉めていると、息子が
なにー、どうしたのーと聞いてくる。

うーんとね、ちょっといやなおじさんがいるんだよ、と言うと

「おじさんにでんわして、やめてくーだーさい っていえば?」

と言われた。

そうか。そうだね。言おう。やめてくーだーさい。

保育園で息子は殴られても蹴られても、先生にいいつけもせず、反撃もせず、「おとこのこだから」と泣かず、我慢してときどきぽろっとかーちゃんに告白するのだった。
そんな息子がふがいなくて、
「やられたら、やめて!いたい!っていいな!あいてはわざとじゃなくても、結果的に痛い思いをさせたんなら謝らんにゃいけん!ちゃんと自分の気持ちを主張して伝えなさいや!」
とぎゃあぎゃあ言っていたのだった。

だから息子は、「やめてくーだーさい っていえば?」
とかーちゃんに言った。

わたしは、
今までいやなことは我慢するか、我慢の限界になったら断ち切るか、そうやって排除してきた。我慢したことはいつか忘れるし、断ち切ったものとは顔を合わせなくてすむので忘れていく。

だけど、やめてくーだーさい って、言ったことあるか?
相手に、なんで嫌か伝えたことがあった?

かーちゃんが、できてませんでした。

逃げてばかりで、変わらない。自分の思いを伝えて相手に分かってもらわないと状況は変わらない。
よくしゃべるけど、コミュニケーション能力が低いのは、母をみていてもよくわかる。
さしさわりのないことばっかり楽しげにしゃべって、ほんとの思いを誰にも伝えないのだ。
それは、自分のほんとの気持ちを無視してるからだ。いざ伝えようにも、自分の気持ちがわからない。それは自分を大切にしているとは言えない。

自分のことは自分じゃわからんもんだな。

こうやって、自分を息子に映してみてわかる。母に映してみてわかる。人はいろんな人に教えられて生きる。

やめてくーだーさい って言える38さいになりたいと思います。

今日は誕生日。自分が好きで食べたいもんばっかし作って、泡のボトルを盛大に抜いて、おうちでお祝いします。
今週末は海にいくぞー!
10年ぶり(!)に水着買ったぞ。年増の黒ビキニだ。どうだ迷惑だろー。

さあ、気分よく生きていきましょう。

 

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2009年7月 9日 (木)

想う

雨がよく降る朝で、少し遅れ気味に教室についた。
先輩たちが忙しく立ち動き、お菓子や花や湯の支度をしている。

ご挨拶をして、床を見てはっとなった。

観音様のお軸がかけてある。

その教室の先生の、お母様が亡くなられたあとの最初のお稽古だった。
先生のお母様にはお目にかかったことはないが、先輩たちはかつてその方に教えていただいていたそうだ。

薄い墨でそっと描かれた、やさしいお顔の観音様だった。

桑小卓の上に、天目茶碗が飾ってあった。

「では、どうぞ」、と若先生がおっしゃって、稽古が始まる。
「お茶湯(おちゃとう)をお願いします」、と。
一番茶歴が長い先輩が、わかりませんが教えていただいて、と水屋に向かった。

天目茶碗にお湯を張り、お抹茶を落として、点てずに床に供える。

お点前の途中、先輩はたびたび向こうをむいて、ハンカチで顔を押さえた。



ぼんやりと日々を過ごしていると、今の季節がどうなってるか、うっかり見逃してしまう。
それはうっかりではなくて、鈍感になっているからだ。
週に一度通うお茶室では、それに気づかせてくれる。

たとえば花、忍冬、なでしこ、鉄線。
たとえば軸、風にざわざわ鳴る草、峰をゆく雲、谷間にさらさら流れる水。

お稽古用で銘なんてない茶杓にも、亭主の機転でそのとき名付けられる。
「お茶杓は」
「田植え歌でございます」
その瞬間、なんでもない和室に爽やかな風が吹き抜けて、まぶしいような早苗の列が見える気がする。
そんな魔法が、お茶にはあるのだと感じていた。

そして今日は、かなしみを、こうして静かに、みなが想う。
ことさらに言葉にはしないが、だからこそ心にしみる。

先日、その方の葬儀に参列させていただいた。
先輩方に声をかけていただいたのもあるし、直接は存じ上げないが、教えていただいてる先生の悲しみを思い、伺うことにした。

そこで先生は涙声で参列者にご挨拶をされた。

「母は、お茶をしててよかったと。楽しかったと。お友達もたくさんできて、いろんなことを教わったと」

まだまだ、お茶の入り口でおそるおそるの若輩者です。
お点前も間違えずにできません。
席につかれる先輩たちの息を呑む感じでなんか違ったかと察知し、
なぜか毎度爆笑を誘うとんでも茶です。

だけど、想うこと、想いやること、想いあうこと、
その細やかな想像力は、お茶の世界の素晴らしさだと思います。

お目にかかったことのない方からも、たくさん教わる、ありがたさを想う。










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2009年7月 7日 (火)

はなみさんはいいですね、悩みなんてないでしょうといつも言われる。
そんなことないですよーといいながら実はあんまり悩んでいない。
悩まなくていいように環境を整えてここ3年はやってきたからだ。
しかし先週一週間は、自分が自分でないような一週間だった。
別に許せない事件があったわけではない。
しかし身から出たサビに身動きが取れなくなり、なんとも言えない日々だった。

その最終日、たまらなくなった。涙も出ない。
夕方、車で帰宅途中、息子は車内で寝てしまった。このまま家に帰りたくない。
海がみたい。
ロマンチックな感傷でもないんだが、喉が渇いた、と思うような気分で海が見たかった。
海ならどこでもよかったので宇品に向かった。
元宇品のシーサイド病院前の堤防に車を停めて海際に出た。
夜が海をのみこんでいく。
しかし海を感じる間もなく蚊に襲われた。5分でぼこぼこにされたのでムヒを塗りながら車に戻った。

と、オットに話すと、「海にいこう」と誘われた。


朝食を済ませて、浜田道を通り、一気に山陰・福光海岸へ。
海岸にひらいて建つレストラン「ラウ」があった。

夏前の、まだ誰もいない海というのはそれだけでわくわくする。
天気もなんとかよくなって、青空がのぞいた。
テラス席でランチをいただく。

Photo_2

だはーーーー。
グラスを通して見る海。
もうこれだけでいいですな。

Photo_3

どこからかにゃんこがやってくる。
ピザの耳をあげて喜ぶうちのにゃんこ。

食事中ずっとわたしの足下にいて、サンダル脱いだ裸足でにゃんこの背中をこちょこちょしていた。けものの暖かさというのは心地よいものだ。

デザートを食べ、庭のデッキチェアに寝転んだり、ぼんやり時間が過ぎていく。
テラス席から芝生の広い庭を超えて、直接海岸線に降りられる。

Photo_4


海の水はもう冷たくない。泳げそうだね。
砂山をつくったり、貝殻を拾ったり。



ぼちぼち移動。9号線を北上して出雲・多伎へ。いちじくの産地で有名ですね。
ここのキララ多伎という道の駅の手前に「マリンタラソ出雲」はある。
はじめて行ったんですが、ここはいいですよー!!

目の前の日本海から汲み上げた新鮮な海水を温めたミネラルたっぷりの「元気海プール」。
水着着用で、家族みんなで遊べる。
水につかったデッキチェアに寝転んでジェットを感じながら海を眺めたり、
海岸にせり出した露天ジャグジーは一生つかっていたい気持ちよさだ。

不感温度というのか、絶妙の温度の海水に浮かんで海を眺めていると、不思議な気持ちになった。

まんまるの、ぼんやり光る玉があって、そのまわりにこびりついたがさがさの黒いものが、つるん、とはがれて消えていくのが見える。
この光る玉は心なのかな、魂なのかな、
そうか、こんなふうに白くてあたたかくてきれいだったんだなー。
変な重いものをいっぱいくっつけて、不自然だったな。
そんなイメージを見た後は、もう大丈夫だと思えた。

ちょびとパパちゃんが遊んでいる間、かーちゃんは特別にトリートメントをひとつ受けた。
「エアロゾル」というもので、海底をイメージした暗室内に充満したミスト状の海水を深く吸いながらリラックスするもの。
暑くも寒くもなく、ブラックライトの中に白いバスローブの自分が浮かぶ。
ざわざわいろいろ考えていたけど、潮が引くように意識が遠のいていった。
海の底で30分。

外は夕日だった。
日本海に夕日が沈む。厚い雲にはばまれて、ぼんやりと紅だ。
線香花火の先っちょのようだ。
海に触れたらちゅん、と音がする。世界一小さな日没の音をお届けしますと言うラジオCMがあったような・・・


ふやけた身体をさっぱりさせるべく、「出雲駅前温泉 らんぷの湯」へ。
その名の通り本当に駅前にある。駅のアナウンスが聞こえてくる。
露天風呂は竹林に向かって一人サイズの湯船。
茶色く濁った含鉄塩化物泉がとろとろとかけ流しで、つかるともったいないほどにざばーっとあふれる。
薄暗い空間にランプの明かり。熱い湯が心地いい。

湯上がり、隣の居酒屋で軽く食事。
窓の外には満月。
トビウオの刺身で一杯やって広島へ。
54号線を南下して3時間で帰ってきました。
ずっとオットが運転してくれた。ありがとう。




ふやけた身体で考えた。
過ぎたことは海に放そう。
なるべく心が曇らないように。

身体がおかしくなるほど不快だったことも、こともなげな過去になった。

おかげさまで、悩みの無いはなみに戻りました。





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