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2009年7月 9日 (木)

想う

雨がよく降る朝で、少し遅れ気味に教室についた。
先輩たちが忙しく立ち動き、お菓子や花や湯の支度をしている。

ご挨拶をして、床を見てはっとなった。

観音様のお軸がかけてある。

その教室の先生の、お母様が亡くなられたあとの最初のお稽古だった。
先生のお母様にはお目にかかったことはないが、先輩たちはかつてその方に教えていただいていたそうだ。

薄い墨でそっと描かれた、やさしいお顔の観音様だった。

桑小卓の上に、天目茶碗が飾ってあった。

「では、どうぞ」、と若先生がおっしゃって、稽古が始まる。
「お茶湯(おちゃとう)をお願いします」、と。
一番茶歴が長い先輩が、わかりませんが教えていただいて、と水屋に向かった。

天目茶碗にお湯を張り、お抹茶を落として、点てずに床に供える。

お点前の途中、先輩はたびたび向こうをむいて、ハンカチで顔を押さえた。



ぼんやりと日々を過ごしていると、今の季節がどうなってるか、うっかり見逃してしまう。
それはうっかりではなくて、鈍感になっているからだ。
週に一度通うお茶室では、それに気づかせてくれる。

たとえば花、忍冬、なでしこ、鉄線。
たとえば軸、風にざわざわ鳴る草、峰をゆく雲、谷間にさらさら流れる水。

お稽古用で銘なんてない茶杓にも、亭主の機転でそのとき名付けられる。
「お茶杓は」
「田植え歌でございます」
その瞬間、なんでもない和室に爽やかな風が吹き抜けて、まぶしいような早苗の列が見える気がする。
そんな魔法が、お茶にはあるのだと感じていた。

そして今日は、かなしみを、こうして静かに、みなが想う。
ことさらに言葉にはしないが、だからこそ心にしみる。

先日、その方の葬儀に参列させていただいた。
先輩方に声をかけていただいたのもあるし、直接は存じ上げないが、教えていただいてる先生の悲しみを思い、伺うことにした。

そこで先生は涙声で参列者にご挨拶をされた。

「母は、お茶をしててよかったと。楽しかったと。お友達もたくさんできて、いろんなことを教わったと」

まだまだ、お茶の入り口でおそるおそるの若輩者です。
お点前も間違えずにできません。
席につかれる先輩たちの息を呑む感じでなんか違ったかと察知し、
なぜか毎度爆笑を誘うとんでも茶です。

だけど、想うこと、想いやること、想いあうこと、
その細やかな想像力は、お茶の世界の素晴らしさだと思います。

お目にかかったことのない方からも、たくさん教わる、ありがたさを想う。










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コメント

その訃報を聞いた時はそこにいた全員が悲しみ、とてもショックを受けました。
大きい方がまた逝ってしまわれました。
私はお通夜に参列させていただきました。

流儀に属しているからには手順も大切ですが、それが一番ではない、私は「おもいやり」を茶の湯から教わっていると感じています。
おもい、おもいやり、おもいあうこと
ほんとに素晴らしいことです。
そんな世界を感じることのできる環境に感謝し、一緒に歩んでいきましょう。

まとまりのないコメントでごめんなさい。

ご冥福をお祈りいたします。合掌

投稿: ichigo | 2009年7月 9日 (木) 午後 11時25分

ichigoさま
コメントありがとうございます。
お通夜に参列されたのですね。
お別れは本当に悲しいことです。

お茶の世界に片足をつっこませていただいて、ほんとうによかったです。多くのことをいただいています。
ichigoさまには感謝です。
これからもよろしくお導きくださいね。

投稿: はなみ | 2009年7月10日 (金) 午後 07時53分

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