想う
雨がよく降る朝で、少し遅れ気味に教室についた。
先輩たちが忙しく立ち動き、お菓子や花や湯の支度をしている。
ご挨拶をして、床を見てはっとなった。
観音様のお軸がかけてある。
その教室の先生の、お母様が亡くなられたあとの最初のお稽古だった。
先生のお母様にはお目にかかったことはないが、先輩たちはかつてその方に教えていただいていたそうだ。
薄い墨でそっと描かれた、やさしいお顔の観音様だった。
桑小卓の上に、天目茶碗が飾ってあった。
「では、どうぞ」、と若先生がおっしゃって、稽古が始まる。
「お茶湯(おちゃとう)をお願いします」、と。
一番茶歴が長い先輩が、わかりませんが教えていただいて、と水屋に向かった。
天目茶碗にお湯を張り、お抹茶を落として、点てずに床に供える。
お点前の途中、先輩はたびたび向こうをむいて、ハンカチで顔を押さえた。
ぼんやりと日々を過ごしていると、今の季節がどうなってるか、うっかり見逃してしまう。
それはうっかりではなくて、鈍感になっているからだ。
週に一度通うお茶室では、それに気づかせてくれる。
たとえば花、忍冬、なでしこ、鉄線。
たとえば軸、風にざわざわ鳴る草、峰をゆく雲、谷間にさらさら流れる水。
お稽古用で銘なんてない茶杓にも、亭主の機転でそのとき名付けられる。
「お茶杓は」
「田植え歌でございます」
その瞬間、なんでもない和室に爽やかな風が吹き抜けて、まぶしいような早苗の列が見える気がする。
そんな魔法が、お茶にはあるのだと感じていた。
そして今日は、かなしみを、こうして静かに、みなが想う。
ことさらに言葉にはしないが、だからこそ心にしみる。
先日、その方の葬儀に参列させていただいた。
先輩方に声をかけていただいたのもあるし、直接は存じ上げないが、教えていただいてる先生の悲しみを思い、伺うことにした。
そこで先生は涙声で参列者にご挨拶をされた。
「母は、お茶をしててよかったと。楽しかったと。お友達もたくさんできて、いろんなことを教わったと」
まだまだ、お茶の入り口でおそるおそるの若輩者です。
お点前も間違えずにできません。
席につかれる先輩たちの息を呑む感じでなんか違ったかと察知し、
なぜか毎度爆笑を誘うとんでも茶です。
だけど、想うこと、想いやること、想いあうこと、
その細やかな想像力は、お茶の世界の素晴らしさだと思います。
お目にかかったことのない方からも、たくさん教わる、ありがたさを想う。
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コメント
その訃報を聞いた時はそこにいた全員が悲しみ、とてもショックを受けました。
大きい方がまた逝ってしまわれました。
私はお通夜に参列させていただきました。
流儀に属しているからには手順も大切ですが、それが一番ではない、私は「おもいやり」を茶の湯から教わっていると感じています。
おもい、おもいやり、おもいあうこと
ほんとに素晴らしいことです。
そんな世界を感じることのできる環境に感謝し、一緒に歩んでいきましょう。
まとまりのないコメントでごめんなさい。
ご冥福をお祈りいたします。合掌
投稿: ichigo | 2009年7月 9日 (木) 午後 11時25分
ichigoさま
コメントありがとうございます。
お通夜に参列されたのですね。
お別れは本当に悲しいことです。
お茶の世界に片足をつっこませていただいて、ほんとうによかったです。多くのことをいただいています。
ichigoさまには感謝です。
これからもよろしくお導きくださいね。
投稿: はなみ | 2009年7月10日 (金) 午後 07時53分