満月の裏側は闇
どうしようもないくだらない話なので。
斎藤和義の13枚目のアルバム「月が昇れば」が発売になり、早速買って車で聞いた。
ちょうど往復2時間のドライブがあり、爆音で鳴らしながら聞いた。
昨年、アリナミンのCMタイアップで使われた「やぁ無情」という曲が大量にオンエアされ、話題にもなり、レコード大賞優秀作品賞も受賞し、年末のゴールデン番組で歌う姿を見た。
「フィッシュストーリー」という映画のエンディングテーマやNHKのドラマエンディングテーマ、タイアップも露出度もだんだんと増えたし知名度も上がったと思う。ファンクラブから届くメディア関連情報も怒濤のようで、新譜発売に合わせ、毎日のように掲載雑誌や出演番組の情報が送られてくる。「情熱大陸」にまで出演した。斎藤史上最高の露出度ではなかろうか。働くなー。
いろんなインタビュー記事も読んだ。そこでは繰り返し繰り返し繰り返し新譜について聞かれる斎藤さんがいて、きっとうんざりしながら繰り返し繰り返し繰り返し同じようなことを話しているのだろうと思った。なぜならどのインタビュー記事も同じだからだ。同じことを聞かれれば同じことを言うだろう。同じことを聞かれたのに毎度違うことを話したら公平でないし申し訳ないということもあるのだろう。だからどの記事を読んでも同じだし、どの記事の写真もギターを抱えて笑わない、かっこいい表情の写真があり、キャッチコピーには「孤高の天才ソングライター」とある。
孤高ってなんだ?「ひとり超然として高い理想と志を保つこと」と辞書にはある。あてはまっている。当然だ。そうでなくてはここまでたどり着けていない。だけど孤高を売り物にすることをかっこわるいと一番思っているのが本人だ。淡々と、それがこれまでの15年だと思う。インタビューの中でも、視点を変えたものもある。猫と斎藤くん、ギターと斎藤くん、好きなものを好きなように話す斎藤くんはうれしそうで、自由に思いを羽ばたかせて話す。そういう記事は読んでいてもうれしくなる。
とにかく、多くの人が知ることになり、多くの人が斎藤くんの音楽をいいと思い、秋から始まるツアーは史上最長、これで全国制覇となる。大きな町や小さな町のあらゆる斎藤くんファンがライブに行ける。すごくいいことだ。売れることはみんなうれしいことだ。みんな喜んでいると思う。
そして新譜も、あかるかった。明るい曲が多いという意味ではない。たぶん本人の気分がそうだったのではないかと感じたのだ。それは気軽という意味ではない。曲の作り方どうやってこの曲はできたかというインタビューで曲によっては4時間くらいで作りましたと話しているが、その曲が何時間で完成したかということは問題ではなく、心の中からどうとりだしてどう聞こえるものにするか、そこには時間ではカウントできない深さがある。心の深海、無意識の海からなにをとりだしてきたのか。今回はそれがあかるかったと思ったのだ。でも浅いのではない。
2年前、「I♥ME」というアルバムを聴いたとき、とうぶんこっちの世界に戻ってこられない感覚にとらわれた。繰り返し繰り返し繰り返し、身体に染み込むように聞いてそこから動きたくなかった。その中から、世界をその音色で見ていた。それはどういうことだったのか。そこにはなにか得体の知れない、海溝のような闇があった。それが自分の闇をじょうずにのみこみつつんでくれた。真っ暗なその心地よさはもうそこから出るのをあきらめさせるのに十分だった。
新譜のインタビュー記事で、インタビュアーが「このアルバムが一番好きです」と言っていた。
それは最高の褒め言葉だ。アーティストにとっての最先端は今で、ニューリリースのアルバムですら過去だ。直近の過去が最善でなくては、進む意味がないのだ。だからその言葉は最も正しい褒め言葉だし、実際今までわたしもほんとうにそう思ってきた。毎回新しいアルバムが出るたびにこれがベストだと。いつも彼の今が見たいと思った。もちろん過去の曲にも好きな曲はいっぱいある。どの曲もその頃の自分がそこにいて聞き返せば蘇ってもう戻らない時間を十分に分からせてくれた。
「月が昇れば」もほんとうにいい曲が多い。繰り返し繰り返し繰り返し聞くだろう。しかしあかるい。それはそこできらきらとしていて、わたしとは違う場所にある。わたしのなかの闇は置き去りにされた感じがする。この感じはなんなのか。前作と何が違うのか。
売れてない時代から追っかけ続けていたのに売れちゃって遠い存在になっちゃって嫌的なファン心理なのか?彼をとりまく大きなものの気配が気味悪いのか?彼は変わっていないのに?変わっていないのか?変わらない方が不自然では?変わることが悪いことなのか?わたしは変わっていないのに?変わっていないのか?わたしが変わったのか?わからない。
アーティストが幸せかどうかなんて、本人にもよくわからないだろう。ファンとしては、幸せであってほしいと願う。しかしもしかすると、どろどろに悩んでいるのではないかと思われる音がすることがある。その歌声の中にそれを感じることがある。それは危険で、自分を与えたくなってしまう。飲み込まれることでそれが救われるのならば自分なんかいらないと思う時がある。しかしそれは相手のためになんかならないということも痛い思いをして分かってきたはずだ。「I♥ME」にはそれがあった。
自分が幸せでないと人を幸せにできないという。それは本当だと思う。飲み込んだり飲まれたりする関係は病んでいる。正しい距離で互いに立ち、手を取り合う関係が正しいと思う。「月が昇れば」はそれに近い。多くの人が見えない手をつなぎ、心をふるわせ、勇気をもらうと思う。
それがさみしいと感じるわたしは。
わからない。
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