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2009年12月25日 (金)

ばあサンタとゆかいな息子さん


 クリスマスであります。

 1ヶ月も前から新聞には各おもちゃ屋さんのチラシがどんどん入り、そればかり集めては、マジックで○をつけたり消してみたり、選定に余念がない息子であった。

 サンタさんに何お願いするの?

 「それがこまっとるんよ。2こあるんよ、ほしいものが」
 じゃあさ、いっこはばあちゃんにお願いしたら?
 「そうか!じゃーあー、ばあちゃんにかめんらいだぁのかぶとむしがけーたいになるやつでぇ、さんたさんには、ぼうえんきょおねがいする!」

 ぼ、望遠鏡!?

 母仕事でサイエンスカフェのお手伝いをしており、家庭内に星座早見盤や宇宙地図、木星とガリレオ衛星の模型や星座図鑑なんかがごろごろしていて、えらく興味津々で眺めていたのだった。

 5歳児に芽生えたサイエンスの灯は大事にしてやりたい。が、望遠鏡なんか高いんちゃうん!?


 そしてクリスマスの数日前、ばあちゃんはもうクリスマスを待ちきれずに
 「もう買うてやるけぇネバーランドで待ち合わしょう」と、デオデオのおもちゃ館に行ったのだった。

 「ひょわ〜〜〜〜!!」
 普段おもちゃ屋なんか連れて行かないから、目をぎらぎらさせて走り込んでいった。
 どこだ、どこだ、かめんらいだぁのかぶとむしがけーたいになるやつ。
 しかし、なんと仮面ライダーコーナーはほとんど売り切れ。恐るべし!
 ないねぇ・・・。
 納得いかないばあちゃんは店員さんに取り寄せはできないのか次の入荷はいつかと食い下がっている。あーもう無理だよ、いいよ。

 じゃあさ、この中でいっこだけ、好きなの持っといで。
 ということで悩む5歳児は店内をかけずり回る。
 孫が欲しかったものが手に入らないことで落胆したばあちゃんはもう、なんでも買ってやると鼻息も荒い。

 あら、子供用のギターがある。エレキで。しかもZO-3みたいに音も出るぞ。これがいいんじゃない、ちょっとー、ちょびーーー、これ!これにしようよ。1万円。かーちゃんも弾きたいし!
 などとうきうきしてる母の元になにやら抱えて走ってきた息子。ん?

 その手には「徳川脇差しセット 印籠つき」が握られていた。

 おもちゃの刀かよ〜〜〜〜!
 ばあちゃんも「ええっ!?それ!?ほかにもっといいものあるでしょう!?」

 しかし息子は刀を握りしめて離さない。
 結局ばあちゃんからのクリスマスプレゼントはこれになった。680エン也。

Katana


 もうずっと離さない。
 家のいたるところに身を潜めて、かーちゃんはいつも辻斬りにあう。


 さてクリスマスイブ。
 サンタさんくるかなぁ。
 「ああっ!さんたさんにおてがみかかんにゃ!」
 とあわててなにやら紙に書き出した。


 さんたさんえ
 ぼえんきょうください。


 そんだけ!?つーか今頃書かれてもサンタも困るよ。
 あのさー、くださいって一方的に書いて、それ読んでサンタ喜ぶかね?
 もっとこうさー、ああ!ちょびに望遠鏡持ってきてよかった!とか思ってもらえるように書いたほうがよくない?

 んーと悩み、サンタとトナカイの似顔絵を描いていた。喜んでもらえるだろうか・・・


 そして夜。
 はやく寝ないとサンタさん来ないよ。

 「ああ!あのおてがみさぁ、みえるところにはらんにゃあ、さんたさんわからんよ」

 ということでベランダのガラス戸に、外向けに張り付け就寝。
 と思ったら起き出してきて、

 「やっぱりさぁ、はいってきたとき、ちょびがかいたんだなってわかるほうがいいから、こっちにはったほうがいいとおもうんよ」
 と、ベッドの枕元に張り紙していた。
 うちのサンタは煙突からでなく、鍵のあいたベランダから進入してくる予定である。


 朝。寝ております。

Netemasu


 サンタがなにやらいっぱい包みを置いていったらしい。

 ちょびー!サンタさん来たみたいだよ!!

 がっばーーーっ!!と起き上がり、「やったーーーーー」とガッツポーズ。
 さっそくばさばさと包みを開けていく。

Wai

 「ぼえんきょうだーーーー!わーーーい!」
 他にも、星座カレンダーやデラックス星座早見盤など、かーちゃんもちょっと嬉しいものが入っていた。

 「かえってきたら、もくせいみようね!!」
 と保育園に行ったが、どうやら今夜は星も出そうにないぞ。

 メリークリスマス。みんなしあわせなクリスマスでありますように。

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2009年12月21日 (月)

おしらせ

携帯変えました。番号はそのままです。

携帯メールアドレスが変わりました。

@より前は変わりません。@以下が

@softbank.ne.jp

になっとります。

ゆかりの皆様にはメールにてお知らせすべきところ、
ドコモからあいほんへのアドレスのインポートを断念したため
ぼちぼち電話帳登録してゆく所存であります。
これもひとえに低スキルのもんがこんなもんを持ったからであります。

ご迷惑はあんまりかからないとは思いますが、今後ともよろしくおねがいします。

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2009年12月18日 (金)

乳がん子宮がん検診

 極寒でしたね。
 朝窓から見た遠くの山は東北かと思った。

 そんな日にかぎって西条行き。昼の移動だったのでなんとかノーマルタイヤでも大丈夫だった。
 そう、乳がん検診のためだけに大学に行った。
 「はなみさんも受けられますからちゃんと受けてくださいね」とスタッフに声をかけてもらったので、じゃあ、と職場集団検診に参加したのだった。

 乳がん検診は自腹で行っている。左胸の乳腺がしこるから気になるからだ。
 八丁堀福屋の新本クリニックで定期的に検診しているが、マンモグラフィーは全然痛くないので、なぜ人はみな乳がん検診をいやがるのかわからなかった。

 で、保健センターで問診票に記入し、まずは触診。誰のセレクトかしらないが、やけに陽気なクリスマスソングがががんかかる診察室へ。白髪の体躯のいいお医者さんがぶすっと座っていた。
 「はい両手を後ろに組んで」
 触診を受けながら先生の背後の本棚に「自分の心の中の怒り」という本を見つける。
 
 続いて上着を一枚羽織って外の検診車へ。さぶっ!!!

 マンモグラフィー、両方のおっぱいをそれぞれ左右・上下方向から挟んでレントゲンを撮る。
 結論から言うと痛い。
 なんであんなに押しつぶす必要があるのか!
 いででででとさりげなくつぶやくが標本のようにはりつけられる。
 今までのマンモグラフィーと機械が違うの?技師の腕?わからん。

 続いて子宮頸がん検診。
 ズボンとパンツを脱いで、かわいいギンガムチェックのスカートに履き替えて診察台へ。
 それにしても産科のあの診察台は一体誰が考えたのか。
 機能的なのかもしれないが非常に屈辱的である。
 腹のところのカーテンで向こうは見えない。
 寝た状態で足を大きく開き、左右の台に足をのせる。
 まあこの体勢で出産もしたしべつに珍しくもないが慣れない。
 自分が許したものでないものが体の中に入ってくるのはいやなものだ。
 胸で手を組んでリラックスしろといわれても力が入る。
 もし暴力的な行為、強姦なんかされたら、自分でもわからない、奥深くに眠る凶暴さに火がつくと思った。たぶん許さないしなにをするかわからない。
 そういうスイッチには一生手をかけなくてすむように願う。

 さて検査結果は約1ヶ月後。来年ですね。異常無しでありたいがいかに。

 しかし自分の体なのに知らないところがいっぱいあるな。
 食べたら勝手に消化してくれるし、メンテもしないのによく働く体だ。
 あと何年駆動するのだろうか。
 自分の体は自分の心の責任。静まる心と体で生きていきたい。


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2009年12月14日 (月)

おたんや

〈ツイッターから採録〉

おたんやって謎語に出会う。広辞苑にはのってない。ググると中国新聞サイトがヒット。「おたんや」は浄土真宗・安芸門徒に守り継がれてきた習慣です。1月16日は親鸞聖人の命日で、肉や魚を食べないで精進するというものです。「おたんやの市止まり」と言って、昔は市場もお休みになっていました。

「逮夜(たいや)」とは亡くなられた人の命日の前夜のこと。親鸞聖人は、今の暦で1月16日に亡くなったので、毎月15日が「逮夜」。「大逮夜(おおたいや)」は、親鸞聖人の祥月命日の前夜。「おたんや」とは、「大逮夜(おおたいや)」が訛(なま)ったものといわれています。(要約してみた)

あれ、分かりにくい。毎月15日が「逮夜」、特別に1/16(祥月命日)は「大逮夜」と呼ぶ。大晦日とおんなじ理屈ですね。なるほど。

とあるお菓子展で「おたんやにいただく「煮込め」をイメージして・・・」という下りがあったのだ。ちなみに煮込めとは昆布や根菜や椎茸などをさいの目に切って炊いた筑前煮っぽいもの。実家では「八寸」と呼んでいたな。


八寸って、会席でいうと大皿(24cm)に2、3品酒の肴を盛ったものだと思うがなぜ小煮物が?たぶんでかい鉢皿でどーんと出してたからではないか。

ーーーーー

こうして見ると字数少ないといろいろはしょるな。
でもまあ、へぇーと思った骨子はこれで伝わるか。

どーでもよい他人の事情を刻々と眺める、風変わりなメディア。ムダ8割、でもたまーに「へぇー!」が飛び込んでくる。
能は拍手をしない芸能、なぜなら夢うつつに演目が始まり終わるものだから、というようなことも初めて知る。

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斎藤和義ライブ@広島ALSOKホール09.12.14

10月から始まった斎藤和義ライブツアー「月が昇れば」。
本日は20カ所目、広島ALSOKホール(旧郵便貯金会館)。
先日3月の日本武道館、大阪厚生年金会館2daysを含む追加公演が発表になり、今回のツアーは3月末まで、全国43公演となった。デビュー以来史上最長最大。大丈夫なのだろうか。

昨日からメンバーは広島入りしているはずで、もう生活圏内に斎藤和義がいると思うと落ち着かない。

さて本日。午後息子を祖母に預け、自宅で開場を待つ。(徒歩5分ゆえ)
博多からご家族で神戸ルミナリエを見に行った帰りのMOMちゃんと合流。
開場を待つ列に並ぶ。久々の再会なので話に花が咲きつつ。

16:30開場。グッズに関して言えばCDジャケットのデザイナーにデザインをお願いしてほしいといつも思う。しかし売れてる。ツアーパンフのみ購入。

着席。5列目下手側スピーカー群の真ん前だ。近い、と思っていたがフラットなので案外舞台は遠い。客席案外年齢層が高い。ここはチューリップのコンサート会場か?しかも前方視野に入る男性が多い。

17:00開演。派手なライティングの中、ゆっくりとその人斎藤和義が登場。
最新アルバム「月が昇れば」1曲目「COME ON!」でスタート。いきなり会場総立ち。2階席まで満員、立ち見席も出たという。
そのまま「LOVE&PEACE」と続きアルバムの流れを踏襲。
それにしても前列にでかい男性2人。もう遮られてちらちらしか見えねぇ。

曲は続く。
なんだろうか。遠い。5列目なのに。まだこぶし振り上げるテンションがこない。

ん?ああっ!
最前列ど真ん中の男性、赤ちゃんだっこしてる!2、3さいか。背中のちいさい手がリズムにあわせてとんとんしててかわいい。となりのお母さんと交代でだっこして見てた。幼児の記憶に刷り込まれるせっちゃん。そして幼児を目前に歌うせっちゃん。どうなんだろう。近所には小学生らしき男の子の姿もあり。どうだギターやってみるか?

途中舞台セットででかいでかい満月が出た。わあ、と思いつつ、何かが違うと思った、というよりもまるで違う。月をまねて作っているけどあまりに海やクレーターの位置が違う。ティコクレーターから伸びる放射状の線もない。赤いライティングで陰影を浮き上がらせるためにクレーターのように凹凸をつけた塑像なんだと思うが、いつも見ているものと違うとなんかへんだ。まあせっちゃんがスターだから月はフェイクでいいのかなどとくだらないことを考えながら見る。

懐かしい曲もあり、恒例のエロトークもあり、会場は微笑み、笑い、盛り上がる。
「きのうここでスカパラのコンサートがあって。見に来たんですよ、2階の最後列で見たんですけど、案外近いですね。2階の人あんまり見ないでください」。
「ここは音がいいって他の人に聞いてたんで楽しみにしてきました」
いつもホールは厚生年金会館なので、ここでのライブは初めてだ。
そう、ここは音響がよいと評判のホールで、劇団四季もここでしかロングランしないらしい。郵政民営化の折り、老朽化などの理由により一時は廃止が決まった。でも、多くの声が存続を望み、名前を変えて今もこうしていい音楽を響かせ続けている。

せっちゃんも「ここ気持ちいいね」と言っていた。

ほんとに今日は(も)ギターがよく鳴った。ギターのネックの付け根ギリギリんところで切なく鳴らす高音がたまらなかった。

だけど、声が。疲れてるんだと思う。って絶対言われたくないと思う。
ツアーはまだ半分。もちろん連日ではないけれど、続いている。続こうが空こうがハコがでかかろうが小さかろうが関係なく、最善、全力でやるはずだ。それが彼の15年だ。だから疲れてるなんて絶対感じさせたくないと思う。でも声帯の筋肉疲労というか、響き渡る張り上げる声はもう、魂が出しているのだと思う。
振り絞るように、しぼってもでなくてもまだしぼるように、ギターを弾き歌う。

ああ、わたしは今マラソンランナーを見ているのだと思った。
ペースを落とそうとしたら足がもつれる。だからこの瞬間にも手加減はなく、全部出すつもりで歌い、ギターを弾く。


昨年から本当によく露出した。CMタイアップ、レコード大賞、映画音楽、テレビ出演、雑誌にもたくさんたくさんインタビュー記事が載った。
売れるって褒められることだ。みんな嬉しい。だからこうして今日このホールも一杯になったのだし、全国で43回もライブができる。動員もある。

でも、ちょっと休ませてあげて。もう、たくさんはいらないから、ちょっとでいいから、みなぎるような命の、炸裂するような歌を聴かせてほしい。

だけど、今のこの風が吹いてる状況で立ち止まってどうする。もう、やるしかないんだ。
体力を温存してどうする。今やらなくていつやる。
停まれば失格だ。マラソンは続く。

そういう思いで見ていた。わたしは沿道で小旗を振る傍観者に過ぎない。
ほんとは水やらバナナやら渡してあげたいのに。無力だ。

あと半分、年を越えて来年もツアーは続く。大阪城ホール単独弾き語りや武道館も控えている。
しぼっても出なくてもしぼり、燃やしながら歌う。
このツアーが終わる頃、もう真っ白な灰になってしまうのではないかと思う。
しかしそこからまたピカピカの命が蘇る。フェニックスのように。まだ誰も見たことのない、本人さえ知らない斎藤和義が生まれるんだと思う。だからその先を見たい。今はまだ旅の途中だ。


後半。挑発されて身体が動き出す。「社会生活不適合者」、“なにをそんなに怒っているの?きれいなものに出会いたいだけ”そうだそうですそうだったよ。笑って生きるのさそれの何が悪い?頭の中から言葉が消えて、やっと音に取り込まれる。
「歩いて帰ろう」、ギターを弾きながら上手花道へ。観客が殺到、来るか、こっち来るか、きたーーーー!!下手花道に来た!左側の人々が席を離れてせっちゃんの足下に群がる。あああ、わたしも行きたいが行けず、と、モーゼの十戒のごとく目の前の人垣が消え、えらく視界がひらけた。そのさきに、ステージに戻るせっちゃんがいた。だれもいなくなった客席をなぞり、わたしを、かすめて見た(と思いたい)。せーっちゃんせーっちゃんといいながらジャンプしていた。その跳躍力はニカウさんもびっくりだったと思う。

アンコール2回。最後は「アンコール」をエレピ弾き語り。

やっぱりアンケートは書かなかった。
こんなくだらないことを書いたって、たとえそれを読んだって、それはせっちゃんを励まさない。今は「最高!」「せっちゃん大好き!」「今夜もよかった!」そういう声援が必要なんだ。それが水やバナナのように今の彼の栄養になり、次のポイントまで走る力になる。

「いややっぱり歌うたい(のバラッド)やったね、あれやらないと怒ったりする客もいるんだろうね」
「まあ矢沢でいうところのタオル投げる曲ですからね」などと話しながら会場を後にする。


しかし、自分が変わったんだろうか?
心があふれてどうしようもない瞬間は今日はなかった。
沿道で眺めている気分だった。高速で走り去っていった。

ボリュームやスピードやマスやその他大勢や
そういうものが過ぎた頃の、新しいせっちゃんがはやく見たい。


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2009年12月 8日 (火)

晴天なり

晴天なり
おでんも食べた。ダシ真っ黒、引き上げないとなんのネタかわからない。甘め、旨い。付近には醤油蔵、蒲鉾屋さん、骨董屋さん、楽しいぞ。

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今治でうどん

今治でうどん
手打ちよりうまい自家製麺。いい湯かげんでいい腰。

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2009年12月 2日 (水)

テレビに出たのだった

 先週の放送から1週間経ち、見ていただいた旧知の方々からメールをたくさんいただきました。会う人にも「見たわよ!」「お母様おきれいね!」などとにこにこお声がけいただきました。
 母はデパートで見知らぬ人数人から「あら!テレビにでてらした!?」と声をかけられて参ったと言っていました。
 息子の保育園の彼女は「あー迷う」と。同じ時間帯に嵐の番組があったらしく。おまえね、嵐とどっち見ようかなんて迷われるようなことは一生ないと思うぞ。
 翌日彼女からは「あまえんぼさんじゃったね」とお言葉をいただいとりました。

 母と息子とわたしが出た番組はこのようなものでした。

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