京都、恵文社一乗寺店
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息子ちょび、6さい、春から1ねんせい。
元気に学校通ってます。
■ちょびくんからてらもとへ
保育園のときは「ちょびくん」と名前で呼ばれていた。先生からも、お友達からも。
小学生になったら、「てらもとくん」と名字で呼ばれるようになった。
しかもはじめは「てらもとちょびくん」と、上下セットで呼ばれていた。
ちなみに女子は「○○○○さん」だ。ちゃんではない。
ここんとこ、友達同士では「てらもとー」とよばれ、息子も呼び捨てで呼んでいる。
そして、なぜかやたら、肩を組みたがる。
男同士の友情ってやつが芽生えているらしい6月。
□替え歌
昔から作詞作曲していたのだが、ここのところぐっと小学生らしいアホさが際立ってきた。
「あーからはじまるイヤなことー、いーやーいーやーよー。
あーりにさされてイッテッテ、いーやーいーやーよー。
いーからはじまるイヤなこと、いーやーいーやーよー。
イーカーたべてはらいたい、いーやーいーやーよー。
・・・」んまでエンドレス。
そりゃ一郎さんの牧場でだろうよ。
いやなことの概念が、たいがい「食べ過ぎて腹痛い」。しあわせなやつよのう。
■長いものに巻かれる
一人っ子だからだろうか、兄弟とバトルの必要もなく、家庭内にガマンがあまりない。
そのせいか、状況をなんとなくぼんやり受け入れるタチであるらしい。
先日、お休みのパパちゃんと近所の公園で遊んでいると、同じ小学校の同級生たちが数人で遊んでいた。
パパちゃんとキャッチボールなぞしておったが、「いれてもらえ」と、その中に入っていった。
しばらくして野球がはじまった。息子はセンターを守っていた。
同じ子が、ずっとバッター。
他の子も「かーわって」と言うが代わらない。
結局息子はずーーーっとセンターで、飛んでこない球を待ち続けてみんな帰っていった。
見ていたオットは切なくなり、「・・・キャッチボールして帰るか」。
帰宅後それを聞いたかあちゃんはふがいなくて憤慨した。
「ずっとやってずるいよ、みんな順番こよ、代わってってちゃんと言いな!なんで言わんかった!?」
とせめると
「だって、センター守るれんしゅうもだいじじゃろっていわれてそうだなっておもったけー・・・」
「」
自分の思いをちゃんと言わないと、ソンをします。
それどころか、抹殺されることすらある。
長いものに巻かれるなよ息子、自分の思いを獲得しろよ。
こんこんと言って聞かせたかったが息子は疲れて眠ってしまった。
□やりたい!
学校から帰宅し、ランドセルをおろすのももどかしく、かーちゃんにチラシを突き出して息をきらして話しはじめた。
「あのね、ちゅうしゃじょうのところでね、お兄さんがこれくれてね、やきゅうすき?っていうけーちょび、うん、っていったらね、こんどれんしゅうがあるからおかあさんときてねって。ちょびいきたい!ねえ、いいでしょ!」
みれば、このたび近くに開校する少年野球クラブの入会案内だった。
なんでもこんどの土曜、無料体験会をするから申し込めとある。
「ああ・・・ざんねんちょび、こんどの土曜はかーちゃんサイエンスカフェだよ。お仕事だ。ちょびは留守家庭だよ。」
「ええーーーーっ!!!!」
ガックシ・・・
昔、小学校の近所であやしげなおばさんが話しかけてきた。
「ほうら、この教材を申し込むと、こんなに楽しいおもちゃがもらえるよ、お母さんに言って申し込んでね」
すごい!楽しそう!お勉強ならいいでしょ!?
急いで帰っておかあさんにお願いしても、「だめ!」と聞いてもらえない。
おかあさんのけち!バカ!
すねて、ごはんも食べない!って泣きながら寝た
ような記憶が底のほうにある。
とにかく、子供は不自由なのだ。
なんだって自分の思う通りになんてならない。
会いたい人に自由に会えない。
行きたいとこにも行けない。
わたしは二度と子供になんか戻りたくない。
仕事がなければ、連れてってやったのになあ。
そのクラブに入るかどうかは別として。
連れてってやれない。泣き顔の、小学生の自分が、おかあさんのバカ!とわたしをせめる。
泣きたくなって息子に「だってしょうがないでしょ!」と当たった。
息子も泣きそう。
「パパちゃんも、みんなお仕事なんだし、無理だよ、」
あ、仕事ないひとがいる・・・母だ。
「電話してたのんでごらん!」
ぶっきらぼうにダイヤルした受話器を渡す。
「ばあちゃん、あのね、ちょびね、ぽるていきたいんじゃけど、どようびは留守家庭なんよ。かーちゃんはおしごとで・・・ちょびね、いかれんのよ。・・・ちがうよ、ぽるてよ。うん、グスグス、ちがう。かーちゃんはおしごと。」
電話のむこうの母はチンプンカンプンであろう。
助け舟を出してやる。
「あ〜〜そういうことね。ええよね、土曜なんにもないけぇ行ったげるよ。ちょび、安心しんさい、ばーちゃんが行ったげる。ごはんたべて安心してねるんよ。」
自分の気持ちを上手く伝えられないもどかしさで泣きじゃくるちょび。
「えっぐ・・えっぐ・・・ば・・ばあぢゃん・・・なんでえっぐ・・ちょびのいうことえぐ・・わからんかったんじゃろ」
「そりゃああんた、ポルテがなんか言わんにゃわからんでしょうに」
「ああ・・・えっぐ」
もう泣かんでええ。体験会ばあちゃんが行ってくれるって。よかったね。
なぐさめればなぐさめるほど、ちょびの泣き声はおさまりがつかず大きくなった。
あとは、土曜日が晴れることを祈るだけである。
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茶の湯の稽古でのこと。
薄茶の丸卓点前。
やっと点前の手順も覚えてきた。えーっと次はと考えなくてもすっと手が動くようにもなった。
しかし棗を置く位置や、茶筅を畳目5つ離して置くことなどなど、ぽかんとしてあやふやになる。
その日も、手のかたち、置く位置、意識しながらもほぼ頭はからっぽで、薄茶はさらさら点てるのよという先生の言葉をそのままに、さらさら点ててお客にお茶を出したのだった。
すると、
「お客のほうを気にかけましょうね」という先生の声。
お菓子は「水辺の蛍」、村雨製で、ほろほろ崩れて食べにくかったらしい。
お正客は、口をもぐもぐしながらなかなかお茶をとりに来られなかった。
あー
ぜんっぜんお客のことなんか考えてなかった。気にもしてなかった。
最低の茶だ。
手順を間違えるよりも、なんかこぼして粗相するよりも、お客のことを気にしない茶は最低の茶だ。
なんのために茶を点てたのか。
客がいて、美味しくくつろいでもらうためだ。
自分が正客になって窒息しそうになった。
そぼろ餡の主菓子は・・・たべにくい。口の中の水分がすべて吸い取られるようで、茶をくれ〜〜って感じで、さっそくいただいた薄茶の旨かったこと。荒手のもてなしだわい。
いや実はこのところ常にこうだ。
さらさらと流れていって、ちっとも客を見ていない。
自分の流れが清いことを一番に思って、客を置き去りにしていこうとしていた。
清濁合わせ飲むって言いますけど、たいていのことじゃないっす。
なかなか難しいっす。
まだまだっす。
お座敷芸者なら、
勝手に三味線ならしてるだけじゃだめってことで、
一座を盛り上げ楽しませるためによく見なきゃ感じなきゃ。
いったん、自分の中にいれて考えるってことで
清いだけでは魚も棲まん。
濁流で洪水で、そのくらいでちょうど良くて
やっとそこに文明が生まれるんだろう。メソポタミア的な。
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愛車はなみ号の走行距離が、66666kmを超えた!
息子が生まれた4ヶ月後、ろくに比べもせず大根でも買うように買ったはなみ号。家族を乗せて走って走って6年。
66653km、くらいから気になってしょうがない。
いったいいつ、66666kmになるのか。
じりじりカウントが変わるのを、ちらちら見ながら高速に乗る。
きた、きたきた、きたーーーーーー!!
6がこうずらーーーっと並ぶと達成感あるな。
その瞬間グーーーンと踏み抜いて加速した。気持ちよかった。
その2日前、息子をチャイルドシートに載せようとして、長いパールのネックレスが切れてはじけた。
ぱーーーーーーーっ。
ちりちりちりと、はじけながら散らばるパール粒。夜の、ヘッドライトに映るどしゃぶりみたいだ。
ああ、
惨めな思いでひと粒ずつ拾う。
息子もちっちゃい指で拾ってくれた。
泣きそうだったけど、そうだ、おちゃわんとか割れたら、縁起がいいのよと笑い飛ばしていた母を思い出した。
そうだそうだ、厄落とし。これで腐れ縁も切れる。
今朝は、昔の彼の夢を見た。
都バスに、家族で乗っていた。娘と息子、子供も2人いて、奥さんとなにやら話していてこちらには気がつかない。
ああ、あのひとも子供がうまれて、よかった。幸せそうでと思って目が覚めた。
ほんとはどうなってんのかわからない。
普段思い出すこともなかったのにね。
ということで、つないだり切れたり、思い出したり忘れたりしながら生きている。
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先日からほんとうに外が気持ちよかった。
高宮のテージャスランチという牧場の高台の草地で、日没までねばって気持ちのよい空を撮影した。
日の加減や雲の様子を待つ間、いいにおいの風の中でぼけーっとしながら、だらだら話して笑ったり、ホバリングするひばりを眺めたり、その直下に巣と、ちいさな卵を見つけて息をのんだり、伸びすぎた蕨のあしもとに、それでも食べられそうなのを見つけてぽくぽく折ったりして遊んだのだった。
遊びじゃなくて仕事なんだけど、そういうみんなの気分が写ったように、素晴らしい写真が撮れた。
今朝も、起きたら気持ちのよい晴れだった。
息子と寝坊した布団の上でだらだらしててももったいなくて、そうだ、母を誘ってドライブに行こうと思ったのだった。
父と母と、晴れた日曜はドライブによく出かけた。
母がつくったお弁当を持って、山に行って、みんなで草の上で食べた。
母を誘うのに、美味しいレストランがあるよ行って見ない?ということにした。
福富町のカドーレだったら、1時間くらいのドライブで、息子も母も飽きずに着くだろう。
後部座席で、母は嬉しそうに話をする。
友人の話、近所の人の話、趣味の話、娘には気安くて、愚痴まじりの話が途切れず続く。
高速を降りて、大きな道から折れて細い道を行きはじめると、したたるような緑の中だった。
田んぼには水が入って、早苗が整列していて、山はほんとに美しかった。
しかし母の目に映るのは昔の記憶で、
「きのうね、スイスを旅するテレビやりよってね、お父さんと行ったところをね、女優さんが旅するの。そこが曇ってて見えないけど、本当ならこんな景色ですっていうその映像がね、お父さんと見たまんまよ。わたしら、運が良かったんじゃろうと思ってね。お父さんが生きてたら、あんな景色、まだまだ一緒に見れたのに、ちいと早かったよねぇと思うてね。ええ人じゃったのに、ええ人ほど、早う行くようねぇ。」
カドーレは土曜なのに案外人も少なくて、レストランは並ばずに入れた。
自家製のモッツァレラチーズや、近くで育った野菜、美味しくて満足だった。
レストランの側の馬や牛を息子が喜ぶかと思ったのに、遠巻きに見てるだけだった。
新しくできたケーキ屋さんをのぞいて、おみやげ買って帰った。
帰りの車内で息子は大はしゃぎし、緑茶のペットボトルをシャカシャカ振り回して、ぶくぶく泡を立ててきもちわるい〜ばあちゃん飲んでみて〜〜いやよ気持ち悪い!と賑やかなこと。
「もう誰がこうよなことしたんね。」
「んーと、じいちゃん!」
「あぁ、・・・・じいちゃんかもしれんねぇ。じいちゃん、ちょびのこと大好きじゃったから・・・」
母の、あぁ、という声に、うろたえを見た。
見えない夫が、この車の中に、いるのではないかという、そんなわけはないと思いながらも、そうだったら、なぜわたしには見えないのだろうという、うろたえだったと思う。
田舎道の新緑が流れていく。誰の目にも映ってない景色は美しすぎる。
遊びすぎた息子は夕方の変な時間に寝てしまい、夜中に目を覚ましてパパちゃんと風呂に入った。
6歳、
大きくなって、もう赤ちゃんじゃないんだなぁ。
乳歯が、やっと1本ぐらぐらしてきた。大人の歯になるんだな。
ベッドに入って、眠れなくて、かーちゃんに抱きついてきた。
よしよしして、チュッチュして、にっこりした。
いつまで、こうして眠るんだろう。
風のようにすり抜けていくものを今わたしは抱いている。
母の年になったとき、母の気持ちはやっとわかるのかもしれない。
父の気持ちは、死なないとわからないかもしれない。
ずっと苦しかった。
会社をいくつも辞めてきた。いいわけのように子供を産んだ。
ひとりになって、自由になって、楽になるはずがまだならない。
長い時間の来し方と行く末を考えるだけで立ちすくむ。胸を掴まれるほど苦しくなる。
草を摘んだり、卵をみつけたり、風のにおいを胸一杯吸ったりしているときが一番苦しくない。
昨日も、明日も関係ないから。
目をつむってあの草原を思う。
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どちらかというと熱心な占い好きだ。
新聞の3行占いも、わけがわからなくてもなんとなく見るし、
息子が登校した後にふとつけるテレビの占いカウントダウンには聞き耳をたてる。
カツ丼が今日のラッキーメニュー♪などといわれてもカツ丼喰ったりしないけど、あなたの今日は、と言われるとやっぱりどこか気になる。
ざーんねーん!今日の最悪最低絶不調の星座は〜蟹座のみなさんです!!
なんていう日には、蟹座に生まれたことを若干呪う。
占いにも行った。
三越印鑑占い
あんま堂 熊野町
などは、当ブログ検索フレーズのランキングに常に入ってる。
みんな占い好きなのね。
筋トレ、という星占いもちょいちょい見てる。
これがまた、漠然と詩的な表現で、思い当たるようなそうでもないような
運がいいとか悪いとか言わず、
「今週貴方は新しい「行き先」を得るかもしれません。」
みたいな表現なので、
ふむー新しい行き先?どこだろ?などと期待してしまうのであった。
しかし
日々淡々と過ぎてゆき、新しい行き先は見えてこず、というか、期待するような輝かしい世界でないだけですでに新しい荒野を進んでいるのかもしれず、当たってるのか外れてるのかよくわからない。
誰かに、わたしの明日を教えてほしいとずっと思ってきたのだった。
だーれも教えてくれる奴なんかいない。
ってわかった。
それに明日がどっちだろうが、あんまりどうでもよいのだ。
今がどうなのか。
それは自分さえわかっていればよい。
よって、占いはもう見ないことにした。
明日になればわかることだから。
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