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2010年6月17日 (木)

お客のことをみる

 茶の湯の稽古でのこと。

 薄茶の丸卓点前。

 やっと点前の手順も覚えてきた。えーっと次はと考えなくてもすっと手が動くようにもなった。
 しかし棗を置く位置や、茶筅を畳目5つ離して置くことなどなど、ぽかんとしてあやふやになる。

 その日も、手のかたち、置く位置、意識しながらもほぼ頭はからっぽで、薄茶はさらさら点てるのよという先生の言葉をそのままに、さらさら点ててお客にお茶を出したのだった。

 すると、
 「お客のほうを気にかけましょうね」という先生の声。


 お菓子は「水辺の蛍」、村雨製で、ほろほろ崩れて食べにくかったらしい。
 お正客は、口をもぐもぐしながらなかなかお茶をとりに来られなかった。


 あー
 ぜんっぜんお客のことなんか考えてなかった。気にもしてなかった。
 最低の茶だ。

 手順を間違えるよりも、なんかこぼして粗相するよりも、お客のことを気にしない茶は最低の茶だ。

 なんのために茶を点てたのか。

 客がいて、美味しくくつろいでもらうためだ。


 自分が正客になって窒息しそうになった。
 そぼろ餡の主菓子は・・・たべにくい。口の中の水分がすべて吸い取られるようで、茶をくれ〜〜って感じで、さっそくいただいた薄茶の旨かったこと。荒手のもてなしだわい。


 いや実はこのところ常にこうだ。
 さらさらと流れていって、ちっとも客を見ていない。
 自分の流れが清いことを一番に思って、客を置き去りにしていこうとしていた。

 清濁合わせ飲むって言いますけど、たいていのことじゃないっす。
 なかなか難しいっす。
 まだまだっす。

 お座敷芸者なら、
 勝手に三味線ならしてるだけじゃだめってことで、
 一座を盛り上げ楽しませるためによく見なきゃ感じなきゃ。
 いったん、自分の中にいれて考えるってことで
 清いだけでは魚も棲まん。

 濁流で洪水で、そのくらいでちょうど良くて
 やっとそこに文明が生まれるんだろう。メソポタミア的な。


 


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