お客のことをみる
茶の湯の稽古でのこと。
薄茶の丸卓点前。
やっと点前の手順も覚えてきた。えーっと次はと考えなくてもすっと手が動くようにもなった。
しかし棗を置く位置や、茶筅を畳目5つ離して置くことなどなど、ぽかんとしてあやふやになる。
その日も、手のかたち、置く位置、意識しながらもほぼ頭はからっぽで、薄茶はさらさら点てるのよという先生の言葉をそのままに、さらさら点ててお客にお茶を出したのだった。
すると、
「お客のほうを気にかけましょうね」という先生の声。
お菓子は「水辺の蛍」、村雨製で、ほろほろ崩れて食べにくかったらしい。
お正客は、口をもぐもぐしながらなかなかお茶をとりに来られなかった。
あー
ぜんっぜんお客のことなんか考えてなかった。気にもしてなかった。
最低の茶だ。
手順を間違えるよりも、なんかこぼして粗相するよりも、お客のことを気にしない茶は最低の茶だ。
なんのために茶を点てたのか。
客がいて、美味しくくつろいでもらうためだ。
自分が正客になって窒息しそうになった。
そぼろ餡の主菓子は・・・たべにくい。口の中の水分がすべて吸い取られるようで、茶をくれ〜〜って感じで、さっそくいただいた薄茶の旨かったこと。荒手のもてなしだわい。
いや実はこのところ常にこうだ。
さらさらと流れていって、ちっとも客を見ていない。
自分の流れが清いことを一番に思って、客を置き去りにしていこうとしていた。
清濁合わせ飲むって言いますけど、たいていのことじゃないっす。
なかなか難しいっす。
まだまだっす。
お座敷芸者なら、
勝手に三味線ならしてるだけじゃだめってことで、
一座を盛り上げ楽しませるためによく見なきゃ感じなきゃ。
いったん、自分の中にいれて考えるってことで
清いだけでは魚も棲まん。
濁流で洪水で、そのくらいでちょうど良くて
やっとそこに文明が生まれるんだろう。メソポタミア的な。
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