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2010年8月22日 (日)

夏の悲劇・金魚編

夏の悲劇・金魚編
【その1】

 昨夜、実家の近所の地蔵尊夏祭りに行ったときのことだった。
 くじびき、ヨーヨー釣り、わたあめなど、祭りの定番をいとこたちと楽しんだちょびは
 「きんぎょすくうー」と言い出した。
 いとこたちのママは「うちは飼えないからダメ!」

 そう、わたしも幼い頃金魚すくいは親にいい顔されなかった。
 庭に池がありコイが泳いでいたので、すくったヒブナはそこに放したが、日に日に数が減る諸行無常を眺めていた。

 うちには池はない。
 しかし金魚すくいはさせてやりたい。
 金魚すくいはやっぱりしたいよね。
 ということで毎年数匹すくってきては、広口花瓶で数日飼って冥土に送っていたのであった。

 強い紙500円、はおこづかいに苦しかったようで、普通の紙300円のポイを受け取り構えた。

 なんでも、NHKかなんかの番組で、金魚すくい名人の技を見たのだそうだ。
 イメージトレーニングの成果か、水の抵抗を最小限に、切るように大胆にポイを動かし、金魚を追いつめていく。 
 が、見るとやるとでは大違いで、めしっと穴があいて終了。
 それでも3匹すくっていた。すごいじゃないか。

 しかしやつのイメージでは、おわんに水より魚が多いくらいすくうつもりだったらしく不満そう。

 もういっこください!とサイフを空にして挑戦。
 
 が、今度は1匹しかすくえず。チーン。
 黒いでめきんと赤いヒブナをおまけしてもらって、都合6匹獲得したのだった。

 お祭りを満喫し、車で帰宅。

 前に急に割り込んできた車に強めのブレーキをかけた。

 「あ!そういえばきんぎょどうなったかねぇ」
 というマヌケな声がきこえた。

 はあ?

 「きんぎょ落ちちゃった」

 袋を手に持たず、ドアノブに適当にひっかけていたから外れてフロアマットに落ちたらしい。

 「バカーーーーーーー!!!」
 猛スピードで帰宅しボウルに水を汲んで降りて床を見ると、ぴしゃぴしゃと弱々しくはねてる金魚が見えた。
 1匹ずつ手でつかまえて水に放すと、ほっとしたように泳ぎ出した。よかった。
 1234・・・・5匹。1匹足らん。。。
 暗くてよく見えない。
 手探りで探してもいない。
 「懐中電灯もっといで!!!!」
 ダッシュするちょび。


 遅い!!!
 やっとでっかい懐中電灯をひっぱりだして持ってきた。
 てめーいっつもちっちゃいライトを光らせて遊んどるだろうが。それ持ってこいや応用の効かんやつめと心の中で悪態をつきながら床を照らすと、座席のレールの隙間に黒い尾びれが見えた。

 残念ながらそこは高温で、すでに湯だって死んでいた。
 水にぷかーーーんと浮いていた。

 帰宅して、
 ちょびが手に持っててあげたら死なずにすんだのに。自分でとった金魚の命に無責任すぎる。と叱った。

 5匹、なんとか泳いでいる。
 1匹、黒いでめきんを、ベランダの空いた鉢に埋めて「ごめんね」とお葬式をした。

 ごはんをたべていると、じわじわと涙がにじんでひっく、ひっく、といいだした。
 だんだん勢いがついてぶえ〜〜と上を向いて泣いた。
 「き ヒック きんぎょが じんだーーーー」

 もう、しょうがないよ。残りの5匹を大事に飼おうねと頭を撫でた。


夏の悲劇・金魚編
【その2】

 広口花瓶ではすぐ死んじゃうので、水草を買いにペットショップへ。
 すると、濾過装置や空気ポンプなどがオールインワンになった金魚飼育スターターキットの小さいアクリル水槽があったのでそれを買った。水草も、砂砂利も買った。

 帰宅してちょびははりきって準備する。

 説明書が読めないので、読めとせがむ。

 まず、器具を洗います。「はーーーーい!」
 砂利を洗います。「はい、おこめとぐのといっしょね」
 水草を植えます。「じゃくじゃく」
 水を入れます。「だばだばだば」
 カルキ抜きを入れて、電源オン。「うわーーーうごいた!くうきがはいりよるよ!」

 はい、じゃあしばらくしたら金魚を移します、が、かーちゃんはちょっとお買い物に行ってきますので待っててね。
 「はーーーい!」


 ということで近所のスーパーにちょいとしたものを買いに行き、数分後に戻った。

 玄関を開けると猛スピードで走ってきた息子が手をうーーーんとのばし、わたしの口に手をあててこう言った。

 「かーちゃん!!!おこらんといて!!
 あのね、だいじけん!!!」

 なんなのーーーーー!!

 なんでも、かーちゃんの帰りを待たずに金魚を移そうとし、水槽をひっくりかえしそうになってぶちまけ、またもやそこいらじゅうに金魚を放したらしい。ぴちぴち。

 見ると、見事に現状復帰してあり、金魚は新しい住まいで悠々と泳いでいた。

 「で。なにがどうしてどうなったの?」

 「まずー、きんぎょいきなりいれるとびっくりしますってかーちゃんがいいよったけー、びにるぶくろにーきんぎょをいれてすいそうにいれたらー、みずがばーってなってー、びっくりしたらびにるぶくろがおちてーきんぎょが、ぴちぴちーってはねたんよ!でー、きんぎょをてでひろってー、すいそうにいれてー、ゆかをふいたんよー。たいへんだったー」

 「 そうですか・・・」


 ひとまず、電話の子機がずぶぬれであった(涙)
 コンセント付近をぞうきんで拭いたかと思うとそっちがゾッとしたので感電死したらかーちゃん叱っても生き返らないよと言って聞かせる。

 水槽をちゃんと設置し、のろのと片付けていると
 「・・・すん・・すん・・・ごめんなしゃい・・・」
 「はいはい。おつかれさまでした」

 まあ、残った金魚、気持ち良さそうじゃない。よかったね。




夏の悲劇・金魚編
【番外編】

 片付け終え、やれやれと洗面所で手を洗いタオルで手を
 拭くと、

 重く濡れていた・・・・・・・

 「あのー、ちょびさんや。これ、どうしたの?」

 「あー、おそとのふきんでふいたけどたりなくてー、それでもふいた」

 「・・・・・・あのさー
 床ふいたタオル、ここにかけといちゃだめでしょうよ。」

 「あー・・・・」

 なんだか生臭いタオルを洗濯機に投げ込み、石けんで手を洗うもののなんだか流しきれない疲れを感じた。

 夏休みはもうしばらく続く。
 
 


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2010年8月20日 (金)

冷え冷え

冷え冷え
阿蘇の湧き水で冷やしてあるラムネ。こっちの水はあーまいぞー。セルフ流しそうめんも美味い。

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やせうま

やせうま
幼い若殿が「八瀬、うまをくれ」と乳母にせがんだおやつなのでやせうま。

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阿蘇、根子岳

阿蘇、根子岳
雄大にゃー。

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白水ダム

白水ダム
あのCMのロケ地。

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2010年8月18日 (水)

阿蘇!

阿蘇!
世界はほんとに美しい。生きててよかったと思う。

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地獄蒸し

地獄蒸し
ここでは入浴者が勝手に蒸気蒸しできるのだ。コッコファーム卵やトウモロコシ、シュウマイなどを仕込んで入浴。隣のおじさんは蒸し器に鯛の酒蒸し!只者でないですねと聞くと板さんだった。鶏肉はポン酢と柚子胡椒だそうな。

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豊礼の湯

豊礼の湯
塩化物泉で青いのだ。
九重の山々見ながら温泉じゃー!

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2010年8月17日 (火)

コッコファーム

コッコファーム
まだあったかい!

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平山温泉

平山温泉
家族温泉ひらおぎ。アルカリ性弱放射能硫黄温泉。「ぬるつる」の美人湯!さらさらあふれるかけ流し。

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広川SAに

広川SAに
水森あどちゃんの直筆イラストが!
何故

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旅のはじまり

旅のはじまり
遅い夏休みをいただいて、九州に行って参ります。

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2010年8月11日 (水)

父の携帯

 先日実家に遊びにいって、息子が戸棚をなにやらごそごそしていた。
 そこはまるで宝の山で、行くたんびになにかゲットして帰ってくる。
 じいちゃんが使っていた巻き尺、使いかけのテレホンカード、名刺、そんなものをうきうきと手にして、ばーちゃんに「これちょーだーい」とせがむ。
 そんなガラクタ、なんで欲しいかねぇ、ええよ持って帰りんさい、ということで自宅にガラクタの山ができる。

 このたび、やつが手にしたのは、父が使っていた携帯電話だった。

 「じいちゃんのけーたい!これちょーだーい」

 母もわたしもぎょっとした。それは・・・

 「ええよ」
 母はあっさり持って帰らせた。

 昨年父が亡くなってから、一度も電源を入れていない携帯だった。

 息子は大得意で、もしもし、かーちゃん?あのね、うんうん、と電話をかける真似をして遊んでいた。

 FOMAなので、私の昔の携帯の充電器が使えた。
 ちょっと、充電をしてみたのだった。

 みんなが寝静まって、電源を入れてみた。

 まだ幼い息子の写メが待ち受け画面になっていた。

 履歴を、見ると、亡くなる前の日の夕方、母の携帯にかけたのが最後だった。

 母、母、私、兄、母、帝人在宅医療ボンベ注文、
 あのときの記憶がざーーーーっと蘇った。

 大学病院から転院し、あまりの扱いの粗雑さに、自宅で看ようと相談していたときだった。
 肺の病気で、酸素吸入をしていたのだが、その病院では、酸素ボンベを使い切るまで交換してくれなかった。父は、最後の頃、寝ている間に酸素が切れたらという強迫観念にかられ、まだ残量のあるボンベも交換してくれと何度もナースコールをしたらしい。それでも交換してもらえず、在宅医療時、酸素ボンベを注文していたセンターに、夜中に電話をかけていた。

 苦しくて、不安で、それが正常な判断を超えていた。

 最後の、私への電話も覚えている。

 「しおりちゃんや、つれてかえってくれぇ・・・」と、早朝にかかってきたのだった。

 うん、週末にはおうちに帰ろうね、まだ今木曜日、ね。金曜日の夕方、行くからね、

 どうして連れて帰ってあげなかったか。すぐに。

 着信履歴は貧しいものだった。
 呼吸が苦しい父に電話をかける人はいなかった。

 几帳面な父は、それでも常に、手の届くところにこの携帯をきちんと置いていた。
 寝ていて落としてはいけないからと、ベッドの柵にストラップをきちんと結んでいた。

 どうしてメールを送らなかったか。
 たとえ読まなくても、見なくても、気にかけている人がいるという心のささえになったはずなのに、その着信が。
 
 父は我慢強い人だったので、大丈夫と思いたかった。
 甘えていたし、現実をしっかり受け止めたくなかったし、正しく認識するのを避けていた。

 おとうさん、ごめんなさい。

 荒々しい呼吸で、無精髭も剃れずに、それでも家に帰ることを楽しみに、わたしに手を振った父の、最後の顔が。


 先日墓参りに、父の実家に行ったときのこと。

 叔母が、

 「ちいさいあなたに水着をきせて、小学校のプールに抱いて連れて行きよったのに」
 と父のことを話した。

 父はわたしを可愛がってくれて、大事にしてくれて、小さい私をだっこしてくれて、
 なのに、大きくなった私はなんて父に冷たかったか。

 取り返しがつかない。


 どうしたらいいか、わからない。

 取り返しがつかないことばかりで生きているのかもしれない。

 今も、そうかもしれない。

 今を粗末にして
 いつか今をふりかえって、取り返しがつかないと思うのだろうか。

 母を看ること 
 息子と一緒にいること
 夫と過ごすこと
 きょうのばんごはん
 きょうはもう二度と無い。


 父の携帯は電源を切った。もう二度と着信は無い。

 毎晩、きょうはよしとしようと思えるように
 それしかやりようがない。

 1年以上もたつのに、後悔は薄くならないどころか、鋭利に蘇る。

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2010年8月10日 (火)

きすけん

■8月6日は登校日

 ということで、息子ちょび(小1)は7時50分までに登校し、みんなで平和式典を見て、黙祷して、話を聞いて昼前に帰宅した。

 どうだった?となにげなく聞くと、本人なりにいろんなギモンがあったのだろう、制服をぬいで着替えながらいろいろ聞いてきた。それはねぇ、と用事を済ませながら答えていたのだが、

 「あのーひこうきがいっぱいきて、ばくだんいっぱい、雨みたいにふらせたんでしょ?なのになんでげんばくは1こなの?」と。

 うーん、

 「広島はね、爆弾雨みたいに降らなかったんだよ。近くのね、呉とか、福山とか、あと東京とかね、あちこちの街は爆弾いっぱい降ったんだよ。で、いっぱい街がやけて、いっぱい人が死んだよ。
 でもね、ひろしまは、空襲なかったんだよ。」

 「くうしゅう?」

 「うん、爆弾、落とさなかったの。あたらしくできた、原子爆弾がどのくらいすごいか、広島で実験するために空襲しないでおいたんだよ。」

 「じっけん。。。じゃあ、わざとじゃないから、いいんだよね」

 実験、
 
 最近、雑誌のふろくで実験キットを手に入れたのだった。
 「じっけんって、どういういみ?」と聞くので、一緒に辞典をひいたのだ。

 「結果がどうなるかを知るために、実際に試してみること。」とあった。

 だから、ちょびは実験はいいことだと思ったようだ。

 「うん、もしこの広島にだれもいなくて、なんにもないところだったらよかったけど、こうやって、65年前の今日もちょびとかーちゃんみたいにこうして普通に話をしてた、その上に落としたんだよ。
 ご飯食べてたり、お仕事に行く途中だったり、普通に暮らしてた人の上に原爆落としたの。そんな実験、だめだよね。」

 生きてるひとの上に爆弾をおとすじっけんなんて
 息子の顔色が変わった。

 「だれがわるいの・・・じっけんしたひと、しんだ?」

 「だれが悪いんだろうね・・・
 アメリカと戦争してて、アメリカが原爆落としたんだけど、アメリカの、普通の人たちだってたくさん死んだんだよ。自分の大切な人を殺された恨みで、敵国を殺せって、お互いに殺し合ったんだ。
 だけど、そうやって殺し合いをさせた人は、絶対に死なないとこにいたんだよ。」

 「もうやめて・・・そんなおはなししてたら、せんそうになるから、もうやめて・・・」

 パンツ一丁のちょびが泣いた。

 ちょび、そんなお話をしないと戦争になるんだよ、と思いながら、ぎゅーと抱いて
 「大丈夫、ぜったい戦争なんかしないから。ちょびが人を殺すような殺されるようなことにはかーちゃんがぜったいにさせないからね」と言った。

 息子にうそをつくわけにはいかない。かーちゃんは、絶対に戦争を許しません。
 と、言いながら、今も戦いがあり人がたくさん死んでいることを思う。
 無力さを思う。
 どうしたらよいのか、わからない。わからないけど、考え続けたい。


■歯がぬけた!

 はやいお友達は保育園の時にもう前歯が無い子もいたけれど、ちょびはなかなか抜けなかった。
 それより先に6歳臼歯が生えた。
 というか、生えたいけどはぶ(はぐきのこと)が邪魔して生えられず、痛くていたくて、歯医者さんで切開してもらった。
 それから、まるで朝顔の芽が出るみたいな勢いで、にょきにょきと生えた。

 「まえばがぐらぐらするから、たべにくいー」と言っていたが、
 このたび、たくあんをかじっていてガリッ、というものすごい音とともに下の前歯が抜けた。

 下の歯は、屋根裏めがけて投げるんだ
 ねーずみさん、ねーずみさん、いい歯にかえとくれーと言いながら。
 ある日ベランダで人の歯を発見するとぎょっとするだろうなあ。マンションでは無理だ。

 ひとまず、ちいさなビンに入れている。

 もう、大人の歯が顔をのぞかせている。


■きすけん

 「ああ、ちょび、“しんせつ”がしたいなぁ」

 と遊びにいった車の中で薮から棒に言い出した。

 「は?親切??」

 「そう。かーちゃんがおねつだしたとき、ちょびしんせつしたでしょ?そしたらかーちゃんすごくうれしかったでしょ?だったらー、おこらんですむけー、しんせつがいいでしょ?」

 要は怒りんぼのかーちゃんをなんとかしたいらしい。
 だったらキミが怒られるようなことをしなければいい話だ。
 しんせつで誤摩化されても困る。

 ということで帰宅後、さっそく机に向かいはじめた。

 しばらくして、

 「じゃーーーーーん!はい、これかーちゃんの。これは、ぱぱちゃん!」

 と、折り紙を何枚かくれた。

 そこには

 「かたもみけん」
 「おさらをあらうけん」
 「おてつだいけん」
 などがあった。

 「これはー、1かいつかうごとにスタンプをひとつおします。でー、それが20こになったらー、またあたらしいけんをあげます。」
 というシステムらしい。ほほー。

 ほかにも

 「すごいけん」
 「なんでもけん」
 てのもある。

 「これはー、もうすごいよ。このけんをわたすとー、なんでもしてくれる。しかもーそれはすごい。2まいいっしょにつかうと、こうかてき」

 ほほー、一体何が起こるのであろうか。使うのがちょっとこわい。

 「きすけん」
 というのもあった。なんですかこれは

 「ちゅーできるけんよ」
 ・・・ちゅーですか。

 いつでもいいけぇ、つかってね!と自慢げである。
 パパちゃんもにこにこ
 「有効期限は?」
 「ありません。しぬまでゆうこう」

 ということなので、オットは30年後、70のジジイになった頃36の息子に「きすけん」を行使するつもりらしい。

 わたしは、老後「なんでもけん」をそっとだし、小遣いをせびろうと思っている。


Photo


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2010年8月 8日 (日)

夏野菜!

夏野菜!
モロッコ豆。

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2010年8月 6日 (金)

8月6日

Love_2


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2010年8月 3日 (火)

明日オープン!

明日オープン!
抹茶の贅沢、茶の環本店が紙屋町に明日4日オープンします。いよいよだー!

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