斐川 ひまわり祭り
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ツイ友(というのだろうか)に子育て中のママがいて、いつも微笑ましいつぶやきが流れてきてうれしくなる。
こう、会ったことない人なんだが、親戚のおばちゃんのような気分で「おーきゅうなってから」などと目を細めている。
そのつぶやきに、
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最近私がお風呂入ってるときにベビーラックで待機させてたら、もうあり得ないくらいぎゃん泣きされる。窓開けてるから、マンションの人達に虐待⁈って思われてるんじゃないかと心配になるくらい…もう待機は無理なお年頃なのかしらねー?バンボで洗い場に座っててもらうかな。
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とあった。
すーーーっかり忘れてた数年前の記憶が蘇る。
のど元過ぎたらすっかり忘れてるけど、息子もどうしようもなくぎゃん泣きしたした。
おっぱいしてもダメ、抱いてもダメ、外見せてもダメ、寝かせてもなおダメ、
万策尽きてなおヒステリックな泣き声をぼんやり聞きながら
ああもういやだ、どうせわたしなんかダメ母だと、深い深い自己嫌悪に落ちていた。
バタバタ泣き叫ぶ息子も疲れ果て、電池が切れたように寝てしまって
涙の筋がいっぱいの顔をぼんやりみてたら、部屋の電気つけるのも忘れてて、いつのまにか部屋は真っ暗で、もうなにもかもいやになって息子だっこしたまま闇の真ん中に座り込んでた。
オットが帰宅して電気をつけ、ギョッとした顔で立ち尽くしていたな。
そんな気持ちを当時はおっぱいの時間を記録する日記にえんぴつでしょろしょろと書いては自分を慰めていた。
ひとりしか赤ちゃんを育てたことないのだが、子育ては楽じゃない。
もちろん身に余る幸福感にしびれる瞬間もあるから、しんどい時をやり過ごしていける。
幼児虐待のニュースもよく耳にする。
どうしてそんなことになったのか、わからないけど、
あんなに柔らかでかわいい命がと思うと言葉もない。
息子が赤ちゃんだった数年間も幼児虐待のニュースはやっぱりあって
なんか人ごとじゃない気がした。
泣き叫び続けられたあの瞬間、もしかしたら自分がニュースになったかもしれない、そうならなかったその見えない境界はなんだったのか今でもよくわからない。
そんなだったから、バスの中やデパートで泣き出すと、周りの目が冷たくて怖かったなー。
公園で大きな声で叱っただけで、鋭くにらむ人もいた。
おかあさんは寛大でやさしくてちゃんと子供を愛するものだ
そんなこたあわかってるけど、そうできない時もある
なのに、すこしの間違いもゆるされない「おかあさん」ってつらい。
自分以外の、曖昧な世間が、いいおかあさんになれとプレッシャーをかけているような。
だからなんだろうか
あの、2児をおきざりにしたママもブログで、かわいい♡しあわせ♡と
人が見てる日記だから
幸せな自分を見てもらいたいよね。
理想のママでいたかったよね。
もうしんどいですと、言うことやそれをゆるしてあげられる近しい人がいたら
やりきれない思いの矛先が子供に向かわずに済んだかもしれん。
なんかもうちょっと、ダメだったりゆるかったりするものに、寛大になりつつ、しょうがないねぇとひょいと抱っこするような、やさしさがあったらいいのにと思う。
そういえば妊娠中、しんどいときに電車やバスで席を譲ってくれたのはたいがい若い男性だった。
おばさんは、自分がしんどいの経験してるのになんで!?と思ってたけど、それは要は周りへの配慮が衰えてて気がつかないだけなんだと最近気がついた。
なので、立派なおばさんであるわたしは、おせっかいと思われようが妊婦と子連れにはやさしくするよう努めている。
ということで、子育てに疲れた方、お茶でも飲みにいらっしゃいねー。
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