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2011年2月26日 (土)

人生のスパン

 かれこれ1ヶ月前の話し。
 初釜の席におよばれしたときのこと。
 お床に「茶是長寿之友」という軸が掛けられていた。
 ご亭主の、ひいおばあさまの持ち物だったそうだ。
 「こうして、ひ孫がお茶のご縁で遊ばせてもらってます。好きなお軸なのよ。」

 いいなぁ。ひいおばあさまも、さぞお喜びだろうなぁと拝見する。

 ひょんなことから、お茶をしてる方はほんとに長寿の方が多いという話しになる。
 「お茶のカテキンがいいのかしらね。」

 ご亭主のお稽古場に通われている姉弟子には、90幾つの大先輩がいらっしゃるのだそうだ。
 もう目もお悪いそうだが、手で触っただけで「ああ、あのお茶碗ね」とわかり、お茶を楽しまれているという。そうありたいもんだと一同。
 その大先輩は特別だとしても、お茶の世界では60まだまだひよっこ、なんだそうだ。

 60ひよっこ、わたしたちなんざまだまだ尻の青い赤ん坊なんですな。

 そういう人生のスパンで考えると、まるで別の景色が見えてくるなぁ。

 などと思っていたのだが、
 先日書店店頭にて40代女性向けの雑誌の表紙に「40代女子」と書いてあるのを見てたまげた。
 ・・・いったい何歳まで女子ですか。
 いやまもなく自分も40代に突入なんですけどね、自分が「女子」というのは・・・なんか気持ち悪い。
 みんないくつになっても「女子」でいたいのかなぁ。

 まあ、たしかに、若さっていいよね。
 水着のお姉さんのはちきれそうな身体なんて、瑞々しい生命力がみなぎってるよね。
 死から遠く、輝いてるものを見るのは本能としていい。その最たるものは赤ちゃんだと思うけどね。

 そう、若さは、誰もがみな平等に持つものだ。

 しかしわたしにとって若さは残酷だったな。
 知識も経験も足りなくてうまくやれず、若さゆえに許される無鉄砲をぶっ放すほどの度胸も無邪気さもなかった。はやく年をとりたいとずっと思っていた。老け顔で、新入社員なのに「前職は?」と聞かれてたし。
 豊乳でスタイルがよくて髪さらさらなら、もてる資源を活かしてまた違った人生だったかもしれない。ただ若いだけでそういうものは持ち合わせてなかったので、非常に残念だ。


 お肌も角をまがり、白髪もめっきり増えた今、やっとなんだか自分にしっくりきた感じがする。
 腹の贅肉を気にしてみたり、新陳代謝の低下に逆らいたくもあるが、年をとるのは悪くないと思っている。おだやかに枯れていきたいと思う。あの頃に帰りたいなんてこれっぽっちも思わない。

 若さにあんまり未練はないが、人生はこれからだと思っている。
 物理的に肉体は衰えるが、頭の中は育ち続けると信じる。
 こんなもんじゃないだろうと、まだまだだろうと、
 自分はこれから一体何者になるんだろうかと、まだ思ってる。
 
 
 何度か手相を観てもらったことがあるが、毎回「あなた死ぬほど長生き」と言われてきた。
 そういわれると、なんだか死ぬまで長生きする気がする。
 何歳で、お迎えが来るのか。
 80として、残りは倍。
 肉体は衰えるとして、どこまで解り、知り、育てるかと思うとわくわくする。
 なんて、お気楽ですな。

 デザイナーの友人が、「自分の仕事寿命はあと10年あるかないかだと思ってる」と言っていたのが耳に残ってる。10年というリアルな時間にぎょっとした。
 あと10年だと思うのと、死ぬまでになんとかなどと思ってるのとでは、覚悟が違うよなぁ。
 
 いつかやれる、は嘘になる。今やりたいことをやれる実力と度胸でやりたいし、やりたいことがはっきりイメージできていたい。
 それがきっと、まわりのお役にたつことになるよね。
 そうやって日々生きて、気がつけばあら80さい、孫や友人と茶をすするひなたに座っていたいと思う。

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