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2011年2月17日 (木)

参観考

 息子の参観日だった。
 1年生最後の参観ということで、1年間にいろいろできるようになった、その成果の発表会だった。
 なので、いつもの参観よりも父兄の数も多く、おとうさんも何人か来ていた。
 今日は来られないパパちゃんに見せたいから、ビデオとってねと息子に頼まれた。そんなの初めてだったので、奥からビデオカメラをひっぱりだして、バッテリーを充電して臨んだのだった。

 みんなぐーんと背も伸びた。漢字もいっぱい覚えたし、足し算も引き算もできるようになった。
 入学の頃のことを思い出して泣きそうになるかーちゃんであった。

 全員の合奏ののち、個々の発表が続く。
 緊張する子平気な子、失敗する子おお〜と歓声があがる子、いろいろだ。

 さて息子の出番だ。
 もう一人の男の子と、なわとびを披露するらしい。
 「交差とびをします!」
 ぴょんぴょんぴょんぴよん   あれ、ずっと前とびだ。
 ・・・交差とびって言ったよねとみんなが思いはじめた頃、やっと交差して、1、2、3、4、・・・8かい。
 もういちど、ぴょんぴょん、やっぱり前とび。交差とびがうまくできない。
 はいありがとう〜、時間切れ、さいごはひっかかって大げさにコケて笑いをさそって引っ込んでいった。

 最後は合唱。友達の間から顔を出したりひっこめたり、リズムに合わせて白目をむいていた。

 参観の後の懇談を済ませ、児童館の息子を迎えに行く途中、友達のお母さんから「ちょびくんておもしろいよね!」といわれた。
 えぇ、そうですかね。。。笑いながらも複雑な思いだった。

 オット帰宅し、「パパちゃん、見て!」とビデオを見た。
 「・・・おもしろいなおまえ。」

 ビデオを見て、改めてなんだか気分が暗くなった。なんでだろう。

 こいつ、国会議員なみにヤジを飛ばす。ナイスタイミングなのでみんな笑う。ちょいちょいふざける。コケる。白目むく。先生に怒られるほどじゃないけど、なんかしないと気が済まない。

 保育園のときはこんなキャラじゃなかったんだけどなぁ。

 場を和ませる才能がある、といえばまあ、そうなんだけど・・・

 一生懸命、やると決めたことをやる、失敗したら悔しい、そういう素直さが欠けてる。
 やるにはやるが、なんというか、その集中力と努力が、いいわけのおちゃらけに割かれてる気がしたのだ。
 そんなの、だめだよね。
 
 なんでそうなっちゃったかな。

 保育園のお友達だれも一緒の小学校じゃなかった。知らない子だらけ。おまけに放課後は留守家庭。勉強もはじまって、この1年間息子なりにストレスフルな環境だったにちがいない。
 そういう中で、友達と関係を築く、彼なりの方法がそういう「笑い」だったのかもしれない。
 そう思うと、おちゃらけることでなんとか自分の立ち位置を獲得した息子がいとおしい。
 「おわらいげいにん、ってよばれてるの」と息子に聞いた時に、なんかちょっとふびんだった。

 だから、今日も自然と笑いをとる息子を見て、がんばってるんだなと思ってやりたいのに、なぜか気分が暗い。


 お茶のお稽古場に新しい方が入られた。
 先生のところに以前通われていた方で、再開されたのだそうだ。
 その方の息子くんが、お稽古場についてきていたらしく、
 「かわいいのよ、せんせいきょうのおかしはなんですかっ!ってきいてね、ちゃーんとお扇子を前に置いてご挨拶もできて、炉縁にごろーんとして、興味津々でねぇ。」と目を細められていた。

 そう、そういう子はかわいがられる。
 もしうちの息子がその場にいたら、離れたところで面白くもなさそうな顔でじっと座って、あんこきらいなどと言ってお菓子も食べず、お茶をいただく際にわざと茶碗を3回くらいまわして怒られるに違いない。目に浮かぶようだ。ああ。

 子供らしい子供が大人には好かれるし可愛がられるよね。
 こんにちは!って無邪気にあいさつができて、瑞々しい興味をむきだしにしてぶつかってくるような子が。
 「おかあさんのにがお絵」だって、原色で紙からはみだしそうにのびのび描かないと賞ももらえない。

 息子には、そうあってほしかった。人に可愛がられる方が得だからだ。

 そう考えていて、自分がまさに、かわいくない子だったっことを強烈に思い出した。

 愛想の良い友達はうまくやるのに、大人に気に入られて可愛がられるのに、自分はそれができなかった。
 だから、子供なんかいやだな、はやく大人になりたいなとずっと思っていたのだった。

 息子に、自分を見ていた。


 だんだん年をとって、自分に折り合いがついて、今の自分は好きになってきたんだけど、小さい頃の自分はまだ許せないし嫌いだったんだな。
 だから、息子に小さい頃の自分を見て、なんか許せなかったんだ。

 息子は、わたしと違う。
 そして、もう数十年も前の自分を、許して抱きしめてやれないか。
 それはそれで、いいじゃないかと、小さい自分に言ってやれないか。
 それで、いいのだと。

 フタをして忘れていたけど、箱がひらいた。
 息子が成長していくのを追いかけるように、息子と同い年だった自分を見るのだろう。
 息子が今の自分と同じくらいになったころ、つまり、死ぬ間際、やっと自分を全部許せるんだろうか。

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コメント

こんばんは。Twitterからきました。今日はとっても考えさせられる日だったんですね。私の息子はまだ11ヶ月なのでこのような思いをすることは今のところありませんが、成長するにつれて、社会(学校)に出て考えることがたくさん増えていくのでしょうね。
はなみさんはお子さんのこと良く見て良く考えていらっしゃいますね。息子さんはとっても繊細なお子さんなんでしょうね。他人だから言えるのだと思いますが、彼が作り上げたお笑いというポジション、それはそれで才能だと思いました。それをやっても受け入れてもらえない子だっているだろうし、なりきれない子だっていると思う。
そして子供らしい子供って何でしょうね?子供は個性色々、おりこうさんじゃなくても可愛いし、無愛想でもそれが可愛かったりもする。
中途半端なコメントでごめんなさい、心の中で色々と思いをめぐらして、そのことを記録していることが素敵だと思いました。

投稿: atsulion | 2011年2月17日 (木) 午前 01時25分

atsulionさん、コメントありがとうございました。

ほんと、子供らしい子供って、なんでしょうね。それは勝手にイメージした都合のいいかたちでしかないのでしょうね。
やつにはやつの魅力があるんだと思います。
今息子くんは11ヶ月なんですね!甘い匂いのやわらかな、愛のかたまりみたいな可愛さですよね。
そのころも、離乳食だおっぱいだなかなか立たないだと、いろいろ不安があったなぁ。悩む総量は変わらず、質が変わっていく感じですね。
まあ、悩んだってしかたないしね!
ありがとうございました!

投稿: はなみ | 2011年2月21日 (月) 午前 12時34分

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