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2011年3月22日 (火)

母の防災袋

 先日、母が突然
 「ねえ、いらないリュックサックとか、持ってない?」
 と言った。
 聞いてみると、非常用持ち出し袋を作るのだという。

 たまげたと同時に、そんなにまでと思った。

 母は常々「広島は災害にはあわんよ。だってもうあんな災難にあってるんだから。」と言う。
 「あんな災難」とは、原爆だ。母は6歳のとき被爆した。
 災難の大きさで自然災害の割引があるとは思えないが、おだやかな瀬戸内海に面した広島に住んでいるとそんな気分にもなる。
 
 だから、非常時に備えて、なんてことこれっぽっちも気にかけなかった母だった。
 まあ、心配性の父が家中に懐中電灯を備え付けたりしていたから、ちょうど良かったのかもしれない。

 父もいなくなり、今回の震災のニュースを繰り返し、ひとりで見ていた母は、さすがに不安になったんだろう。

 いらないリュックなんてないので、母を東急ハンズに連れて行った。「あらいいのがあるじゃないの」と、軽くてかわいいのを見つけ購入した。

 「何入れたらいいかしら。替えのパンツと・・・」
 旅行に行くんじゃないんだから。

 実は、わたしも怖くなって息子のリュックを非常持ち出し袋にした。
 母同様、なんの備えもないのはどうなのか、イザというときどうするんだと不安になったのだ。
 息子のリュックに、家の中にあるものをまとめた。ラジオ、軍手、ゴミ袋、新聞紙、カイロ、水、チョコ、ラップ、割り箸、とにかく、神戸の震災の時に役に立ったと聞いたものを詰めた。すぐにいっぱいになったのに、あれも足らない、これもないと、不安ばかりがふくらんだ。
 で、ふと、いったいわたしはこれで何を守りたいんだ、と思った。
 いつもと変わらない暮しを守りたいのか?
 アホらしくなった。もしこの袋をつかんで家を飛び出ることになったら、いつもと変わらぬ、そんなわけないじゃないか。
 とはいえ、家中にちらばってたものをひとつにまとめて枕元においておくと、まあできることはやっといたという安心感はあるね。なんの役にたつかはわからないけど。ひとまず花札もいれといた。

 そんなことした後だったので、えらそうに、ゴミ袋は便利らしいよ、新聞も保温に役立つそうなと母に教えていると、
 「はぁ、もうようわからんわ、適当につめとくわ。まあ、なんとかなるじゃろ。」

 一緒にお茶を飲んでいた義姉が聞いた。
 「それにしてもおかあさん、原爆の後学校とか勉強とかどうされたんですか?」
 「うーん、やりよったよ。新学期の9月にはもう、近所に集まって勉強していたねぇ。寺子屋みたいに。先生がガリ版でプリントを刷ってね。」
 「すごいですね・・・あんな焼け野原で・・・」
 「そんなこと言っててもしょうがないからねぇ。」

 母の家は爆心地から2、5Km、家は半壊。全身火傷して戻ってきた母(母の母、わたしのおばあちゃん)をつれ
て祖父祖母と逃げた。
 1ヶ月ほどして戻り、近所の大工さんがほったて小屋を建ててくれた。秋の台風で川があふれて、壊れた家から持ち出した荷物もほとんど流された。「立派な宮がついていてねぇ、おとうちゃんがマルタカで買ってくれたのよ」お雛様が流れていったのがとっても悲しかったようで、毎年春になると思い出している。
 ほったて小屋はすきまだらけで、冬には吹き込んでくる雪が見えたという。

 そのほったて小屋からどのように復興したのか。
 子供だった母は知らないという。
 
 当時の広島市長だった濱井信三氏の著書がある。「原爆市長 よみがえる廃墟広島の記録」。濱井市長の娘さんが母と同級生なので、自費出版した本をもらったのだ。

 そこには、被爆当日からどこにいてなにをしたか、財源はどうした、都市計画はこう考えたという回顧録がある。
 立派な公会堂や、テニスコートや、病院や、ナイター球場や、そういう「明るい建設」にこぎつけるまでの当時の大人たちの働きが記録されている。大人たちは皆、お金を工面して、すごく働いたんだと知る。

 読んでみたい方はお貸しします。ぜひ読んでみてください。


 原爆と震災を一緒に考えるのは無理もあるけど、立ち上がる力が必要なことにかわりない。
 母の話しを聞いても、祖母のことを教えてもらっても、つくづく明るくて強かったと感心する。

 粛々と下を向くのではなく、明るくしたい。 そう先人から教えられている。


 

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2011年3月13日 (日)

「いつも通り」 わたしたちは生きていく

 3/11(金)、広島はよく晴れたおだやかな日だった。

 翌日の「話す温泉♨いい茶だな」の準備のため、84ハチヨンさんに立ち寄り、いろいろ話しをして「じゃあまた明日!」と笑顔で別れ帰宅した。

 先週今週とおたふく風邪で休んでいた息子は、留守家庭子ども会に寄らずまっすぐ帰って来るので、3時半には帰宅しなくてはと急いで帰ってきたのだ。

 そのまえに、少し仕事を片付けておこうとパソコンをひらいた。
 ついついツイッターをチェック。

 『まだゆれてる!』『なにが起きたの!』・・・・タイムラインからは異様な叫び声がこだましていた。

 ええ?
 急いでテレビをつける。
 NHKのその画面には、あふれた海が映っていた。

 息子が帰ってきた。「どうしたの?」わからない、なんか地震があったみたいなんだ。

 立ち尽くして、ふたりテレビを眺めていた。

 ヘリコプターからの映像、わあ、津波が川を上っていく、
 いや・・・・
 川からあふれてる、
 ああ・・・ビニールハウスが・・・家が・・・のまれていく・・・

 美しく耕され種まく春を待っていた土が、
 丹誠込めて整えられた大地が、濁流にのまれていく
 その先には、細い道を進む車が見える。

 「逃げて〜〜〜〜!」

 息子を抱きしめ、テレビに向かって叫んでいた。
 これは、何なんだろう、いまわたしは、なにを見ているんだろう、
 力がぬけていき、血の気が引き、涙が止まらなかった。
 息子は、怖い映像と泣く母を見て、表情が消えた。
 ブレーカ−が落ちるように寝てしまった。

 日が暮れても、明かりをつけるのも忘れてテレビを見てた。

 ごはんをつくらなくちゃ、おふろをいれなくちゃ、

 それより、あしたのじゅんびをしなくちゃ、

 いや、こんなときにのんきにお茶なんか淹れてる場合か。
 やめよう。中止にしよう。

 でも
 やめて、わたしどうするの?テレビをずっと見てるの?

 ツイッターでは、混乱から、有益な情報をシェアしようという動きになり、使命感のように誰もがリツイートを繰り返していた。

 いまわたしにできることは

 わたしが、やられてどうする。へこんでなんの役に立つ。

 あすは、やろう。

 「いつも通り」「予定通り」の有り難さを噛み締めながら、心からのお茶を淹れよう。

 茶碗や道具を包み荷物を仕上げたら夜明け近くになった。

 そして、お茶会の入り口案内の紙の言葉を、打ち直した。
 

 “これからの、誰かの力になるために。

  おいしいお茶をどうぞ。”



 息子を実家に預け、庭の花を切る。

 芽吹いたぼけの枝と、白玉椿。
 

 場を整え、湯を沸かし、お客さまを待った。

 開始早々から、たくさんの方がお見えになった。

 煎茶、岩茶、台湾茶、何度も湯を沸かし、よい香りにためいきをつき、笑い、話し、知らない人とつながり、30人近い人が、場をあたためて帰っていかれた。

 夢中でお茶を淹れることで、わたしが一番、力をもらった。

 大丈夫。

 お越しいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

 帰り、乗ったタクシーでは、福島原発の不安を刻々と伝えていた。

 一日中これを聞いていたら、まいるだろうな・・・
 「ええ・・・・もう、想像を絶しますね・・・
 僕もう、運転なんかしてる場合じゃないんじゃないかと思いますよ。」

 そうだよな。みんな、こんなことしてる場合じゃない!と思ってる。
 なにかできることはないか、なにか、と考えてる。

 だけど、今はそんな場合なのだ。
 無事だったわたしたちは、できることをしなくては。

 「いつも通り」ごはんを食べて、力をつけて、週明けから働いて、
 稼ぎの一部を義援金で送ろう。

 何度もリプレイされる津波の映像や、被災した方々の青ざめた顔を拝見して、元気でいられる自信はない。当てられる、やられる、へこむ、つらくなる。
 ショックを受けているのだと自覚して、自分をいたわらないともたない。

 わたしは、こうして報告書を書くことでバランスを保っています。

 支援は長期にわたるはずです。
 今はまだ、できることは少ないけど、もうしばらくしたら義援金窓口や、支援の方法が整って示されると思う。
 それを聞いたら、すこしずつ、でも確かに、自分の持ち分をわけて送ります。

 寒いかなしい夜を過ごす人々を思うと、あたまがおかしくなりそうです。
 どうか、無事で、すこしでも、希望を。

 見守り、支えます。がんばる。

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2011年3月 7日 (月)

春の「話す温泉♨いい茶だな」開催


おいしいお茶と会話で

春をよろこびましょう。

2011.3.12(土)13:00〜18:04

8 4 × Sunari

「話す温泉 ♨ いい茶だな」

煎茶、中国茶をお淹れします。(お席代500円)

食材のお店「84」がご用意したちいさいお菓子と一緒におくつろぎください。


ーーーーー

「話す温泉 ♨ いい茶だな」、またやりますよ。
また告知が遅くなりましてすいません。

今度は、84ハチヨンさんという、いつ行ってもつい買いすぎてしまう素敵な食材のお店の一角をお借りして、お茶をお淹れします。

84ハチヨン → http://84home.tumblr.com/

「話す温泉」って何?

 なんというか、
 知ってる人も知らない人も集う気持ちのいい場所って
 温泉場なんじゃないかと。

 いろんな話しがこんこんと湧いて
 茶碗から立ちのぼる湯気をぼーっと眺めて

 は〜・・・   なんて

 身も心もあったまりそうじゃなかろうか。

 自分の考えたことを話すこと、
 誰かがふと話したことを聞くこと、

 ひとりで考えてちゃ気がつかなかったことがそこにはあるんじゃないかと思う。
 で、それがよりよく生きる力になるんじゃないかと。

 お茶碗とお菓子を囲んで、ひそやかなひとときをご一緒しましょう。


【話す温泉のたのしみ方】

・ いつでもふらっとお越しください。 

・ 500円、入湯料=お席代をお願いします。小さな(けど美味しい)お菓子付きです。

・ いらっしゃい。奥のテーブルで、寺本が茶を淹れています。

・ 知ってる人も知らない人も、テーブルを囲んでいます。

・ 話題は自由に転がっていきます。源泉掛け流し。

・ 煎茶のお点前でお煎茶を、あとは、中国茶・台湾茶をご用意します。

・ お席に限りがございます。譲り合ってお掛け合わせくださいね。

・ 足湯などはございません。あしからず。

ご多忙中とは存じますが、ぜひお越しくださいね。

お待ちしていますねー。

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