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2011年3月13日 (日)

「いつも通り」 わたしたちは生きていく

 3/11(金)、広島はよく晴れたおだやかな日だった。

 翌日の「話す温泉♨いい茶だな」の準備のため、84ハチヨンさんに立ち寄り、いろいろ話しをして「じゃあまた明日!」と笑顔で別れ帰宅した。

 先週今週とおたふく風邪で休んでいた息子は、留守家庭子ども会に寄らずまっすぐ帰って来るので、3時半には帰宅しなくてはと急いで帰ってきたのだ。

 そのまえに、少し仕事を片付けておこうとパソコンをひらいた。
 ついついツイッターをチェック。

 『まだゆれてる!』『なにが起きたの!』・・・・タイムラインからは異様な叫び声がこだましていた。

 ええ?
 急いでテレビをつける。
 NHKのその画面には、あふれた海が映っていた。

 息子が帰ってきた。「どうしたの?」わからない、なんか地震があったみたいなんだ。

 立ち尽くして、ふたりテレビを眺めていた。

 ヘリコプターからの映像、わあ、津波が川を上っていく、
 いや・・・・
 川からあふれてる、
 ああ・・・ビニールハウスが・・・家が・・・のまれていく・・・

 美しく耕され種まく春を待っていた土が、
 丹誠込めて整えられた大地が、濁流にのまれていく
 その先には、細い道を進む車が見える。

 「逃げて〜〜〜〜!」

 息子を抱きしめ、テレビに向かって叫んでいた。
 これは、何なんだろう、いまわたしは、なにを見ているんだろう、
 力がぬけていき、血の気が引き、涙が止まらなかった。
 息子は、怖い映像と泣く母を見て、表情が消えた。
 ブレーカ−が落ちるように寝てしまった。

 日が暮れても、明かりをつけるのも忘れてテレビを見てた。

 ごはんをつくらなくちゃ、おふろをいれなくちゃ、

 それより、あしたのじゅんびをしなくちゃ、

 いや、こんなときにのんきにお茶なんか淹れてる場合か。
 やめよう。中止にしよう。

 でも
 やめて、わたしどうするの?テレビをずっと見てるの?

 ツイッターでは、混乱から、有益な情報をシェアしようという動きになり、使命感のように誰もがリツイートを繰り返していた。

 いまわたしにできることは

 わたしが、やられてどうする。へこんでなんの役に立つ。

 あすは、やろう。

 「いつも通り」「予定通り」の有り難さを噛み締めながら、心からのお茶を淹れよう。

 茶碗や道具を包み荷物を仕上げたら夜明け近くになった。

 そして、お茶会の入り口案内の紙の言葉を、打ち直した。
 

 “これからの、誰かの力になるために。

  おいしいお茶をどうぞ。”



 息子を実家に預け、庭の花を切る。

 芽吹いたぼけの枝と、白玉椿。
 

 場を整え、湯を沸かし、お客さまを待った。

 開始早々から、たくさんの方がお見えになった。

 煎茶、岩茶、台湾茶、何度も湯を沸かし、よい香りにためいきをつき、笑い、話し、知らない人とつながり、30人近い人が、場をあたためて帰っていかれた。

 夢中でお茶を淹れることで、わたしが一番、力をもらった。

 大丈夫。

 お越しいただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

 帰り、乗ったタクシーでは、福島原発の不安を刻々と伝えていた。

 一日中これを聞いていたら、まいるだろうな・・・
 「ええ・・・・もう、想像を絶しますね・・・
 僕もう、運転なんかしてる場合じゃないんじゃないかと思いますよ。」

 そうだよな。みんな、こんなことしてる場合じゃない!と思ってる。
 なにかできることはないか、なにか、と考えてる。

 だけど、今はそんな場合なのだ。
 無事だったわたしたちは、できることをしなくては。

 「いつも通り」ごはんを食べて、力をつけて、週明けから働いて、
 稼ぎの一部を義援金で送ろう。

 何度もリプレイされる津波の映像や、被災した方々の青ざめた顔を拝見して、元気でいられる自信はない。当てられる、やられる、へこむ、つらくなる。
 ショックを受けているのだと自覚して、自分をいたわらないともたない。

 わたしは、こうして報告書を書くことでバランスを保っています。

 支援は長期にわたるはずです。
 今はまだ、できることは少ないけど、もうしばらくしたら義援金窓口や、支援の方法が整って示されると思う。
 それを聞いたら、すこしずつ、でも確かに、自分の持ち分をわけて送ります。

 寒いかなしい夜を過ごす人々を思うと、あたまがおかしくなりそうです。
 どうか、無事で、すこしでも、希望を。

 見守り、支えます。がんばる。

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コメント

私も書いて精神バランスを保っています。
はなみさんが書くように、何かできることはないかと歯がゆく思っている人たちは大勢いるのでしょう。
でも一方で、他人事に思えている人もいると思う。
私も阪神大震災の時はそうだった。

夫が被災地に向けて出港していきました。
帰りはいつになるかわかりません。
遺体を回収する任務だそうです。
精神的ダメージのケア処方を知ろうと思います。

投稿: シリウス | 2011年3月13日 (日) 午前 09時17分

尻臼嬢よ・・・
そうか。オット殿は出航されたのですね。
自衛隊の方々の働きにはプロとしての鍛錬を見て尊敬します。

なんというか、自分が安心して大丈夫じゃないとだれもケアできない。わたしがうろたえると息子にすぐ伝わるのよね。

なので、きみも、きみ自身の安定とリラックスをこころがけてね。それが一番大事。

がんばろう。

投稿: スナリ | 2011年3月13日 (日) 午後 09時00分

はじめまして。
折々に拝見させてもらっては、笑ったり、うなずいたりさせてもらっていました。
いつかこうやって
そんな自分の存在を貴女に伝える機会があるだろうと楽しみにしていましたが。

…私も停まらないで動きます。
動きながら考え
そして祈りが伝わるようにまた動きます。
そのうち
また違う気持ちで
此処におじゃますることを楽しみにして。
ではまた。
         伊希子

投稿: siriki-otona | 2011年3月15日 (火) 午後 08時48分

伊希子さま

うれしい言葉、ありがとうございます。
HP拝見しました。
せっちゃん好きなんですね・・・(歓)

またゆっくりおじゃまして拝読します。

動きながら考えましょうね。
わたしもそうしますね。
また、いらしてください。

投稿: はなみ | 2011年3月22日 (火) 午後 06時15分

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