桜
桜が満開だ。
兄夫婦企画の花見が諸般の事情により中止となったが、花見をしたい息子がばーちゃんを誘い出した。
近所の洋食屋でランチをとって、さあ桜を見に行こうというと、そんなの花見じゃないよ、と息子がふてくされる。
彼の「花見イメージ」は、やっぱり桜の木の下で弁当を広げるものだったようだ。
じゃあ、なんか買いに行こうかね、
ばあちゃんが甘いことを言うので、車ででかける。
桜がわんさか咲いてる場所のそばを通って、回り道していく。
川土手は、ここはどこの海水浴場かというほどの人。
テントがならび、バーベキューの煙で春霞。
「わあ、あんなに満開よ、みてごらん!」
母が車窓越しの桜に声をあげる。
平和公園近くの駐車場に車を停め、玩具屋へ。
なんかカードゲームのカードでもちょいと買ってやるつもりが、
ガンプラ(ガンダムのプラモデル)の前から動かない。
プラモデルなんか、自分で組み立てられるわけないじゃない、というと、これがお誕生日(2月、とうの昔だ)に欲しかったのにと動かない。
いいよいいよ、どれでも買いんさいと、教育上大変よろしくないのがばあさんだ。
どんなろくでもない大人になろうがばあさんは知ったこっちゃないので、いまのうちに孫をうんと甘やかせようとばあさん仲間で話してるんだそうだ。困ったものだ。
「これが売れ筋なんじゃと、これがいいんじゃない?これならこれがついとると、ばあちゃんならこれじゃがね、どれにするん?大きゅうてもどれでもええけえ、これはどうなん?赤はだめなん?」
うるさーい。
母と買い物に行くといっつもこうだった。
服だって本だって、結局母のいいなりに買って帰った。
自分がちゃんと選んだのは、今の旦那くらいだ。
新婚の家は母の選んだ備品でまかなって、好きでもきらいでもないもので暮らしてた。
その後遺症は大きくて、捨てて買い替えるほどでもないものは今でも家の中にある。
30過ぎてやっと、好きな皿を1つ買い、好きな戸棚を1つ買い、そうやって自分が選ぶ人生をはじめたのだ。
息子よ、自分が選べよ。
わからなかったら、人に聞けよ。
ほんとに好きかどうかわからないものを、なんとなく所有するなよ。
それから30分ほどぐるぐる徘徊して、やっと決めて買った。
待ちくたびれた母を実家まで送って行った。
夕日に映えて、あちこちの桜が見事だ。
里も山も、いっぺんに咲いた。
「あと何回、桜が見られるかのう」
父の言葉がよみがえる。
けっきょくあと2回だった。
最後は、春が間に合わずに亡くなって、四十九日に満開だった。
桜のトンネルを、てってけてってけ、小さい息子が走る、走る。
父がうれしそうに追いかけて抱き上げる。
あの日とおんなじ桜なんだけど。
わたしはあと何回桜を見るのかな。
もうすぐ見事な丸い月が昇る。
息子は細かいパーツを切り刻み始めた。
ちっともとどまることのない、時間だけがながれていく。
桜は満開の時がいちばんさみしいと思う。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント