あむ
数日前から衝動的に編み物をはじめた。
高校生くらいの頃以来ぶりだ。
編み棒、毛糸、一式買って送ってもらった。
作り目ってどうやるんだっけ。
表目、裏目ってどうだったっけ。
まるで忘れてたけど、練習もせずにいきなりマフラーを編みはじめた。
表目と裏目をまちがって、きれいな模様にならない。
ほどいて編み直したり、気がつかずに編み進めて、あららー間違ってたと思うけどもうそのまま編み進めたり。
だれにあげるわけでもないから、べつにいいのだ。
最初の2日くらいは手のひらが筋肉痛になった。
次の2日は腰にきた。
慣れないから全身に無駄な力が入ってるんだ。
やっと慣れて、縄編みの模様がたちあがってくると、ちょっとおもしろくなってきた。
そもそも、こういうコツコツ地道にやる作業は苦手だ。
ていねいに時間をかけることで完成度が上がるものとは無縁な人生だ。
瞬発力、ひらめき、きまぐれ、切り返し、
なのにどうしてか、時間をかけたらかけただけ、それが目に見えるモノとして残るものをつくりたくなった。
そういうものはほかにもいろいろあると思うが、なんとなく、編み物をしようと思った。
編みはじめてすぐ後悔した。
まあいいか、とごまかして進むと、それがあとあと不揃いな目のまま残るのだ。
手慣れてきて目が揃ってくるとますます、おかしな目が悔やまれる。
これまでいろんなものをごまかして、なかったことにしてきたのではないか。
そういう失敗やいい加減さが、いまこうして悔やまれるのではないか。
ここまで編んでしまった人生を、ほどき直す勇気もなく。
食事を終え、片付けをし、ちょっとほっとしてお茶を飲む。
家族が風呂に入る。
編みかけの毛糸玉を手に取る。
あがったよー、かーちゃんもどうぞー、
はーいと生返事して、手が止まらない。
みな寝静まる。
ひと目、ひと目、うら、おもて、うら、おもて、
心がしーんとしていく感じがする。
日本各地にいろんな手工芸が伝え残されている。
刺繍、つくろい、糸や布の仕事、
いろり端でおかあさんが夜なべして、
せっせせっせと手を動かしたのだろう。
家族のためにこしらえる、という仕事でもあっただろうが、
これでずいぶん、こころがすくわれたのではないかと思う。
熱心に、一心不乱に、没頭していたら、
家族はそっとしておいてくれる
手の中で、自分だけの世界がたちあがって形になっていく。
うつくしい、かわいい、
今日一日の苦役が、ひと目ひと目、消えていく。
さあいい加減お仕舞いにしよう、
毛糸を置いて立ち上がると、肩や背中はごわごわだ。
縮こまったからだをのばして、一日を終える。
昨日より長くなったマフラーを眺める。
一年がこうして暮れようとしている。
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