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2012年12月27日 (木)

あむ

 数日前から衝動的に編み物をはじめた。

 高校生くらいの頃以来ぶりだ。

 編み棒、毛糸、一式買って送ってもらった。

 作り目ってどうやるんだっけ。
 表目、裏目ってどうだったっけ。

 まるで忘れてたけど、練習もせずにいきなりマフラーを編みはじめた。
 表目と裏目をまちがって、きれいな模様にならない。
 ほどいて編み直したり、気がつかずに編み進めて、あららー間違ってたと思うけどもうそのまま編み進めたり。

 だれにあげるわけでもないから、べつにいいのだ。

 最初の2日くらいは手のひらが筋肉痛になった。
 次の2日は腰にきた。
 慣れないから全身に無駄な力が入ってるんだ。

 やっと慣れて、縄編みの模様がたちあがってくると、ちょっとおもしろくなってきた。


 そもそも、こういうコツコツ地道にやる作業は苦手だ。
 ていねいに時間をかけることで完成度が上がるものとは無縁な人生だ。
 瞬発力、ひらめき、きまぐれ、切り返し、

 なのにどうしてか、時間をかけたらかけただけ、それが目に見えるモノとして残るものをつくりたくなった。

 そういうものはほかにもいろいろあると思うが、なんとなく、編み物をしようと思った。

 編みはじめてすぐ後悔した。
 まあいいか、とごまかして進むと、それがあとあと不揃いな目のまま残るのだ。
 手慣れてきて目が揃ってくるとますます、おかしな目が悔やまれる。

 これまでいろんなものをごまかして、なかったことにしてきたのではないか。
 そういう失敗やいい加減さが、いまこうして悔やまれるのではないか。

 ここまで編んでしまった人生を、ほどき直す勇気もなく。


 食事を終え、片付けをし、ちょっとほっとしてお茶を飲む。

 家族が風呂に入る。

 編みかけの毛糸玉を手に取る。

 あがったよー、かーちゃんもどうぞー、

 はーいと生返事して、手が止まらない。

 みな寝静まる。


 ひと目、ひと目、うら、おもて、うら、おもて、

 心がしーんとしていく感じがする。


 日本各地にいろんな手工芸が伝え残されている。
 刺繍、つくろい、糸や布の仕事、
 いろり端でおかあさんが夜なべして、
 せっせせっせと手を動かしたのだろう。
 家族のためにこしらえる、という仕事でもあっただろうが、
 これでずいぶん、こころがすくわれたのではないかと思う。

 熱心に、一心不乱に、没頭していたら、
 家族はそっとしておいてくれる
 手の中で、自分だけの世界がたちあがって形になっていく。
 うつくしい、かわいい、
 今日一日の苦役が、ひと目ひと目、消えていく。

 さあいい加減お仕舞いにしよう、
 毛糸を置いて立ち上がると、肩や背中はごわごわだ。

 縮こまったからだをのばして、一日を終える。
 昨日より長くなったマフラーを眺める。


 一年がこうして暮れようとしている。


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2012年12月25日 (火)

サンタからの手紙 2012

 クリスマスであった。

 小学3年の息子はクリスマスが近づいても、いっこうにサンタへの手紙を書こうとしなかった。

 「wiiのソフトにしようかなぁ。爆丸にしようかなぁ。」

 昨年はもうえらい早くから決めて、サンタへ手紙を書いていた。
 家に入ってからベッドまでの侵入経路までも図に描いた親切手紙だったのに。

 イブの日、
 「ねぇ、サンタって今どこにおる?」というので、
 NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のサンタ追跡サイトを見てみた。
 まだ旅立っていなかった。

 NORADのサイトにはいろんなゲームがあって、一緒にやってみた。
 流れるクリスマスのメロディーに、なんとなく盛り上がる。

 司令官とサンタがやり取りする動画を見て息子は
 「ええ?わたしは時速2万キロ出せるんですよ、ついせきなんかできるんですか? なめてもらっちゃこまりますよ、われわれのぎじゅつのスイをけっしゅうしておいかけるんですから、戦艦だってだしますよ!」などとアテレコしていた。

 やがてのろのろと書いた手紙には
 「サンタさんへ ばくがんのゼロムニキスとホロムニキスをください、あと、ここにサインをください。」とあった。
 配達証明のサインをしろと。

 夕方、準備が整ったサンタは北極を出発した。

 追跡サイトではニュージーランド〜オーストラリア〜台湾を経て日本上空へ、
 その様子をネット生中継で見ながらのクリスマスディナーははじめてである。

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 「ああっ、広島きたよ! 次は横浜だって!」
 息子はそーーっとベッドを見に行く。

 「・・・なかった」

 あのさぁ、上空を通過しただけでさ、その地区のサンタが朝までに配るんじゃない?
 「クロネコヤマトみたいに? すごいねぇ・・・」

 風呂に入り、歯磨きし、

 「あのさぁ、サンタなんかいなくって、パパちゃんかかーちゃんが買ってると思っとったんよねぇ。でもさぁ、いるもんだねぇ−サンタ。」
 
 NORADの説得力は偉大だ。


 翌朝


 飛び起きた息子は必死でベッドのまわりを探す。
 布団をはね上げて、枕をどけて、
 「あっ!!・・・・ええ?」

 そこにはぺらっと薄い封筒が1枚。

 「なにこれ・・・」
 開封する息子。
 
 「・・・よめない・・・」


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 うわあ!サンタからの手紙じゃない!?
・・・外をみてごらんって書いてあるよ!

 裸足のままベランダへ。

 「ないよ、あ、あっちのベランダか!」

 ばたばたばた

 「ない・・・外って、どこ?・・・」

 パパちゃんが
 「ちょび、新聞とってきて」

 新聞を取りにいった息子は、ドアをあけて固まっていた。

 「・・・じ、じてんしゃがある・・・」

 うわぁ!サンタさん、自転車くれたんだ!

 手紙を訳してやった。


ーーーーーーーー

 親愛なるりゅうへ

 わたしは君からのリクエストにどう応えようか考えたんだ。
 そして、ほんとうに君が必要としているものを持ってきたよ。
 テクノロジーのものは、誰かが用意した、せまくて小さい世界にすぎない。
 わたしは君に、外に出かけ、風を感じ、
 この世界がでかくて広いんだということをその目で見てほしい。

 メリークリスマス
 最もあたたかい願いをこめて
 サンタクロース

ーーーーーーーー


 英語で書かれたそのメッセージカードを、しみじみと眺めていた。
 
 「サンタから、手紙もらっちゃった・・・」

 すごいねぇ、かーちゃんもはじめて見たよ。
 大事にとっときんちゃいよ。

 「うん! たからものにする!!!」

 サンタクロース、ありがとうございました。

 「いやー、サンタさんいつ来たんだろう。かーちゃん気がついた?」
 いいや。

 「すごいよねぇ、サンタの手紙、ギアついた自転車・・・」

 しかしその自転車はちょっと大きすぎるようだった。

 「しかたないよ、サンタはぼくの身長とかしらなかったんだろうからさ。」

 ・・・まあ、すぐに大きくなるよ。


 そんなクリスマスでした。
 


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2012年12月15日 (土)

斉藤和義弾き語りツアー 2012.12.14@広島

 今年も12月に斉藤和義がやってきた。
 せっちゃんのライブは、なぜかいつも冬。
 博多から友だちがやってきて、一緒に見るのが恒例となって7年くらいか。

 デビューすぐの広島バッドランズでのライブを見逃したけど、それ以降は皆勤賞。
 ほぼ15年
 人生の句読点みたいにして斉藤くんのライブに行っている。

 昨年は、今なんて名前か知らないけど元の厚生年金会館でフルバンドであった。
 あれ?
 お客がかわったなあと思った。
 ここ数年、CMのタイアップや映画音楽、レコード大賞受賞とか、じわじわと人気が上がり、ドラマ「家政婦のミタ」の主題曲でけっこうな人が知るところとなり、「あの曲が聞きたい」と思う人が多くチケットを求めたのだろう。聴きたい曲を待つ人はなかなか盛り上がらない。

 で、今年はひとり弾き語りだ。
 スマップにも曲を書き、紅白出場も決まり、今ならフルバンドでもっとでっかいホールを回れば儲かるんじゃないかと思うが、1人で弾き語りでツアーをすることができる、そのやりたいことができる感じが、斉藤和義の存在感というか、いろいろ認められているんだなあと思った。

 さて会場には「録音禁止」というでっかい立て看板がいっぱいでていた。
 そこには「うちわ・ボード使用禁止」とあってたまげた。
 「せっちゃん♡」とか書いた、あのアイドル仕様のうちわですか!
 時代は変わったなあと感慨深かった。

 クアトロで当日券があったり、ホールの1階がぜんぶ埋まらなかったり、そんなころもあったなぁ。

 だからといって、斉藤くんのパフォーマンスは常に渾身だった。
 ギターを弾き始めるとすぐ、瀧のような汗をしたたらせて振り絞る。
 どこの席でみてようが、わたしたちは熱狂した。

 
 登場した斉藤くんの髪は、ラブラドールレトリバーみたいだった。
 「マニッシュボーイズで笑かそうと思って金髪にして、おもしろがっていろいろやってたらカビはえたみたいな色になった」そうだ。

 着席で弾き始める。
 明日の 行き先を 僕らは 考える・・
 「何処へ行こう」だ。1996年、4枚目の「FIRE DOG」の曲だ。
 そこから、曲ごとにギターを持ち替えて立て続けに弾き語る。

 バンドのライブならわーっと立ち上がって、曲に合わせて身体を動かすところだが、
 お客も着席のまま、圧倒的なギターと歌に聞き惚れるというか、打ちのめされたように微動だにしない。

 今までも、ギターすごいなあと思っていたけど、
 自分で生まれて初めて、弦楽器、まあ、ウクレレなんですけど、弾いてみて、あの弦を押さえる感じ、弾く感じ、身体に音が響く感じを知って、なおさら斉藤くんのギターの上手さを思った。
 自分でギターが弾ける人なら、もっと違う感じ方をするんだろう。
 ステージ左手の壁に、影が映る。
 太めのネックを押さえる左手首のかたちが妖しく美しかった。

 ギターだけじゃないんだぜ。
 オルガンでも弾き語る。
 「ひとりなんですけどね、フルバンドくらいの機材がきていて。
  ぜんぶ私物の機材なんで自慢していこうかと。」
 と、楽器の説明と音色の解説をして、弾き始める。

 続いて、かつてビートルズも使ったサンプラー(のレプリカ)で弾き語る。
 弦楽器の重厚な音色で、中島みゆきの「蕎麦屋」
 手回しオルガンみたいな音で「月影」
 

 デビューして、自分の曲を、人がアレンジする、違和感。
 5枚目のアルバム「ジレンマ」で、セルフプロデュース、そしてギターだけじゃなく、ベース、ドラム、すべての楽器を自奏した。
 自分がやりたいことを全部自分でやる。
 今から15年前のことだ。
 全部、できるぜ。

 その上で、ドラムはドラムのうまい人の、自分にはないものを足していくバンドの良さも知っている。

 1人でも、誰とでも、自由に自分のやりたい完成度ができる。

 そうやってきた、彼の15年の、今がステージで虹色に輝いていた。

 そして「唄うたい」の、斉藤和義の声という楽器も、弾きこなす
 唄の強さに、今回はほんとうにしびれた。

 
 「あの、若いミュージシャンが最近よく使ってるんですけどね、おっさんにはむずかしい・・・」
 ギターとベースが一緒になったツインネックで、サンプラーを使ってループをつくり、ステージ袖に引っ込んだ、
 と思ったら、ドラムセットにまたがって、たたきながら出てきた!

 ドラムねぶた状態。

 まさかドラムでたたき語りとはー。「君が100回嘘をついても 」

 そこからは立ったまま、
 お客さんも立ち上がり、

 「広島でデビューのプロモーションとかしてました」とか言いつつ
 デビュー曲「僕の見たビートルズはTVの中」。
 隣のお姉さんも口ずさんでた。長いファンなんですねぇ。しみじみ。


 初めてのお客にも、長年のお客にも、
 楽しんでってもらうために
 やさしくて、
 その背後に綿々と続く自分への厳しさがあって、
 だから、今こうしてまっとうに世間で評価されて
 「斉藤和義、いいね」と多くの人に言ってもらえるのがうれしい。

 かっこよかった。今日も。


 毎年、心が走って腰が据わりっぱなしの自分に、喝が入る。
 
 ツアーはまだ続く。紅白もある。
 どうか身体をお大事に、
 これからも、楽しみに聴いていきます。ありがとう。

 
 

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