父よ
月命日なので、父の墓参りに行った。
正月の花がそのままで気になるという母を連れて行った。
来月が命日。ちょうど5年になるんだねぇ。もう5年か。
5年前の今日は死ぬ前の1ヶ月。まさかあと1ヶ月で死んじゃうとは思わなかった。
大学病院から転院して、新しい病院でリハビリするとはりきっていたのに
移った病院はひどくて
どうしてあんな病院に移してしまったか
よそに変えさせたり自宅に引き取ることはできなかったか
寒くて暗い病院の廊下のような記憶が今も苦く蘇る。
「ああ、さっぱりした。行けてよかったわ」
実家に送っていくと、母は仏壇からなにやら取り出し
「これ、あなた持ってて。いらないなら、仏壇に戻しといて」
それは父の遺品だった。病院にあった、最後の持ち物だそうだ。
「よう見んのよ、中身。あなた見てみて。小銭入れはちょび(息子)にやって。」
なんでいまさら?
帰宅して、中身をひらいて見た。
小さな住所録。几帳面な小さな字でいろんな連絡先が書いてあった。
手帳。ところどころ、病院の予約時間などが書いてあったがほぼ白紙、と思ったら最後あたりの自由記入欄に職歴が書いてあった。
自分の人生を振り返ってみたのだろうか。
次のページには、病歴が書いてあった。
わたしが結婚した頃には、もう病気の診断がついていたんだな。知らなかった。
父のこと、知らないことばっかりかもしれないな。
小銭入れには千円札と小銭が残っていた。
財布には新札が。(これは使いづらいな・・・)
身体障害者手帳。重い肺の病気だったからな。それにしても不釣り合いなダンディな写真。一張羅のジャケットを来て、酸素ボンベの管を外して撮ったのだろう。
免許証。
ゴールドの免許や名刺、いろんな店のポイントカード。
東急ハンズのカードと一緒にテプラの箱の品番部分をちぎった紙があった。
いつか買いにいって、撮りためた写真の整理をして、見出しテープを貼ろうと思っていたのだろう。
その中に、写真が1枚あった。
わたしと息子が笑ってる写真だった。
これは、もう父が運転もできなくなって出不精になった秋頃、ピクニックに行こうと連れ出したときの写真だ。もみの木森林公園の広場で、父と母と息子とわたしでお弁当を食べた。
少し歩いても息が切れて、ぜいぜいいいながら丘を登った。「眺めがええほうがええ」と。
まだ保育園だった息子は喜んで駆け回った。
父はカメラを持って来ていた。
息子と走り回る代わりに、カメラで追い掛け、シャッターを切ったのだ。
それからは出かけることもほとんどなくなり、病院や家の中を写してもしかたなく、父はカメラを触らなくなった。
免許の大きさに切り取ったその写真は、父が自分で楽しく撮った最後の写真なんじゃないかな。
わたしは5年分若く、息子は幼い。
大事そうに、持っていたんだな。
病院で時々、眺めたりしたんだろうか。
5年も経って
わかることもあるんだな。
もうすっかり悲しくもないと思っていたが
写真を見たら泣いてしまったよ。
おとうさん。
そばにいた息子に、じいちゃんの小銭入れをやった。大事にしなよと。
「じいちゃん・・・」
ちょびっとしかないじいちゃんの記憶をたぐりよせているようだった。
人は死ぬ。いつかお別れ。それは仕方ない。
お別れはかなしい。でも避けられない。
残す人に、伝えたい想いや未練、それはどうしようもない。
だけど、こんなふうにひょいと、知ることになる。
百の言葉より強く、感じることになる。
不思議なものですね。
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