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2014年5月31日 (土)

運動会 = 社会

 息子の運動会でした。
 午後の息子の出番も終わり、それぞれのばあちゃんも帰るというので自分も帰ってきた。
 プログラム的には最後の5・6年生男児のリレーが花形だが、息子が走るわけでもないのでもういいやと思って帰ってきた。

 小学生のとき、運動会だいきらいだった。
 そのころは夏休み明けから練習がはじまり、酷暑のグラウンドで砂まみれになって怒られながら、踊ったり走ったり、好きでもないことを延々やらされるのが苦痛でたまらなかった。
 そもそも運動オンチで、足も遅かったし、組体操では逆立ちできなくて、ひとり三点倒立だった。屈辱。
 運動会なんか台風で吹っ飛べばいいと願う黒魔術を使いたい小学生だった。

 だから、今でも息子の運動会に行くのがなんとなくいやだ。

 オットは仕事で来られない。来られない人に見せないといけないのでビデオ係。ビデオで撮りながら見るって、見てるようで見てなくて、今までの記憶も曖昧。一度でいいから肉眼で集中して見たいと思うけど叶わない。

 よそのご家庭はさ、お父さんがビデオとカメラをぶらさげて走り回り、おかあさんは日傘をふりながら応援だ。そもそも開門を待ち雪崩のように入場し、保護者席のテント下にシートを陣取るのが正しい家族のありかただ。

 わたしみたいに、開会式も準備体操も終わった頃のこのこ行くようなやつに残された場所はない。

 承知の上なので、折り畳み椅子を手に日陰を探す。
 知ってるお母さんがたと、あら、こんにちは、などと挨拶をかわしながら漂流する。


 そう、お母さんがたと挨拶をかわす
 これがまた苦手。

 こぎれいな奥さんの隣には、休日のくつろいだファッションの素敵なご主人。
 わたしは、息苦しくなって帽子を目深にかぶりなおす。

 
 この息苦しさ、今に始まったことじゃない。

 息子が生まれてよちよち歩き出した頃、「公園デビュー」という言葉に恐怖した。
 子どもを公園で遊ばせつつ、お母さんたちは立ち話をして情報交換する、らしい。

 うちは保育園に通わせていて平日は公園どころでなく、休日もさっさと車にのせて実家に避難していたので、結局公園デビューすることはなかった。だって、見ず知らずのお母さんがたと一体何を話せばよいのか。考えれば考えるほどストレスになり、息子を公園で遊ばせた記憶がない。息子には悪いことをしたと思ってる。

 そして小学生になり、参観懇談の日。そこに未体験の「公園」があった。
 お母さんたちはすぐに誰かと誰かが仲良くなり、寄り添って立ち、ひそひそクスクスと話している。
 ああ、みなさん公園でそのスキルを磨かれていたのですね・・・しまった。

 立ちすくみ途方に暮れていたが、息子が仲良くしている子のお母さんが声を掛けてくれた。捨てる神あれば拾う神あり。

 それにしても、子どもがちゃんとしてるお母さんは、ちゃんとしてるなーと感心した。
 なにがどう、ちゃんとしてるのか
 慎ましくさりげなく出過ぎないファッション、ゆるく巻いた髪、そつのない笑顔、こんにちわーと手を小さくふりながら2、3人で輪をつくって、さしさわりのない会話の中から様々な情報を交換していく。
 担任の評判や塾の評判、宿題をどうやらせてるか、成績はどうか、生活態度やお友達の素行、そういうのをソフトな会話から探り合っている。そこで得られたヒントをもとに、子どもに全力を注いでいるんだろう。だから子どももちゃんと勉強できて字もきれいなんだろう。

 その輪の中にいても「へー」とか「ほー」とかしか言わないので、情報価値のないやつと思われたか、そういう輪に加わることもなくなってきた受験目前の5年生懇談会。

 高校生の頃を思い出す。

 当時もわたしはクラスの中で1、2位をあらそう遅耳だった。
 放課後おしゃれ女子たちに甘味処にさそわれ、「ねぇ、◎◎と◇◇がつきあってるの知ってた?」などと聞かされる。当然知らないわたしの「ええ〜〜マジで!」という反応を見て面白がるのだ。じゃあこれは?ええ〜〜!これは知ってるでしょ?しらん!そうなん!?

 色恋のアウトオブ眼中だったわたしは、そのまますくすく変な大人に育ったようだ。

 うまくやるってどういうことよ。
 ちゃんとした大人ってどういう人なのよ

 よくわかんないけど、わたしはそういうものから、いつもなんかどっかずれていた。

 だから、「ちゃんとした」家庭の「ちゃんとした」お母さんになれないという負い目があって、「ちゃんとした」お母さんがたとなにをしゃべっていいのかわからなくて、劣等感でくるしくなるのね。

 そういう苦しさがぎっしり詰まったのが運動会で、晴天でみんなの歓声が盛り上がるほど、心がくらくなるのであった。もうおうちに帰りたい。とツイッターにぼやいてたら息子の徒競走見逃すとこだった。あぶねぇ。

 運動会って、世の中みたいだな。
 みんなが「ちゃんとした」大人として今日を楽しんでいるのに「ちゃんとしてない」私の居場所がない。
 この社会のどこに「ちゃんとしてない」私は必要とされているのだろう。
 いらない子?

 などとくよくよする。からだによくない。

 息子が、そういう私に似なくてよかったと、心底思う。

 なんとなく、ほわほわ〜っと楽しそうで、太めながらに運動会を楽しんでる息子の様子だけが、わたしをちょっと安心させてくれた。


 まあ、下校すればそういう居心地の悪さも忘れちゃうんだけどね。
 だって、だーれもいない原っぱの方が空気もうまいしせいせいするじゃない。

 


 
 

 

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