« 2015年7月 | トップページ

2016年3月 4日 (金)

「昔はよかった」の正体/斉藤和義「風の果てまで」広島2016.2.27

斉藤和義が好きだ。もうずっとだ。
人生の半分くらいを彼の音楽にのせて生きてきた。

数年前からヒット曲がちゃんと売れて、「斉藤和義?だれ?」と言われなくなった。
TVCMでもよく耳にした。


最新のアルバム「風の果てまで」はつい最近まで買いそびれていた。
けど、やっと買って
車の中で爆音で聴いた。

ロサンゼルスレコーディング、ドラムはチャーリー・ドレイトン、ほかにもゴージャスなサポートメンバーがいて、ああ、お金がかけられて、やりたいようにできたアルバムなんだなと思った。

ドラムもベースもぜんぶ自分、というのより、上手な人と組んだ時の喜びを謳歌してるんだと思った。
だから、よかったなあと思ったし、音もいいし、いい曲もたくさんあって、どっぷり世界につかった。


そして、広島のライブに行った。

終わって、
なんだかアンケートにいろいろ書かなくては気が済まなかった。
それはこういうことだ

>もっと「俺のギターを聴け!」という感じがみたかった。
>うしろの、うたの世界を規定するような映像はじゃまだ。

10年来いっしょにライブを見てきたもんちゃんとも、なんだかなぁと言いながら飲んだ。

しかし

「せっちゃん最高!」って書いて帰ればよかったじゃない、
精一杯の演奏に小姑みたいにうるさく言うのは失礼じゃない、
そんなふうなことを言える資格がおまえにあるのかよ、

あれからずいぶんたつのに苦しい。

いったい、私はどうしてあんなふうに思ったんだろう。


だいたい、始まって2曲目か3曲目で汗が滝のように流れ出して、湯だったようになるのに、
今回はずいぶん経つまで皮のライダースを脱がなかった。
アンコールでTシャツになった時も、腕は白いままだった。

今までとギターの分担がちがうように思った。
斉藤くんのギターがあんまり鳴って来なかった。

そりゃあ、全国津々浦々 60回以上もライブが延々と続いていくスケジュールだ。
移動したり空いたり、旅がずっと続いていく。
それは相当ハードだ。疲れが蓄積していくにちがいない。

アンコールで舞台に戻ってきて「はー・・・疲れた」とつい口にした。
それは本当にそうだろうと思う。

だから
総量の分担を変えたのだ。
映像を多用し、真壁くんのギターに自由を増やし、盛り上がるギミックをいれて・・・

それ今まで全部斉藤くんひとりがやろうとしていたような気がする。
もちろんライブではぜんぶ一人で演奏できないから、ドラムもベースもギターもいるんだけど、
声も音も気持ちも一人で全部のつもりの鬼気感があった。

体力とやりたいこと
求められているし、全国くまなくのお客さんのところでライブを見せたい。
来てもらったひとにはみんなに満足して楽しんでもらいたい。
60数公演、ブレなくクオリティを保ちたい。
そう考えてスタッフ達と練り上げて作り出したライブだったのだと思う。

だから、手を抜いたライブだったとはぜんぜん思わない。

前に見てたライブを思い出してしまう。
明日のことなんか考えないような、倒れるんじゃないかというほど汗を飛び散らせて
涙ぐんだり、感極まって客席をぐるっと走ったり
生きてる!
と叫んでるような夜だった。見てるわたしもそうだった。


新陳代謝も落ちてきた。
体より先に頭が決めるようになってきた。
要望をよく理解し叶える実力とテクニックも身につけた。
ただ、ばかみたいに、全部クソ食らえと叫ぶような
若さはもうなくなっていくのだ。

それは、見ている私が。

体力にまかせて、認められない悔しさに血をたぎらせて
なにかに復讐するかのようにいどみかかった
若さの季節はもう過ぎたのだ。

それを見せられたような気がしたんだ。


誰だって年をとる
「昔はよかった」と老人は言う。
それはこういうことなのかと、わかってしまった初老の春。

くやしいなぁ
もっと素っ裸で叫び回るような
稚拙な
だけどものすごい原初のエネルギーをほとばしらせるような
そういうものが見たかったし
そう、ありたかった。
老人だって、体は年老いても
心はそうあり続けることができると
思っていたかったんだけど・・・・

妙に物分かりの良くなってきた自分に、なんかイライラして書きなぐってしまってすみませんでした。


| | コメント (0)

« 2015年7月 | トップページ