2016年3月 4日 (金)

「昔はよかった」の正体/斉藤和義「風の果てまで」広島2016.2.27

斉藤和義が好きだ。もうずっとだ。
人生の半分くらいを彼の音楽にのせて生きてきた。

数年前からヒット曲がちゃんと売れて、「斉藤和義?だれ?」と言われなくなった。
TVCMでもよく耳にした。


最新のアルバム「風の果てまで」はつい最近まで買いそびれていた。
けど、やっと買って
車の中で爆音で聴いた。

ロサンゼルスレコーディング、ドラムはチャーリー・ドレイトン、ほかにもゴージャスなサポートメンバーがいて、ああ、お金がかけられて、やりたいようにできたアルバムなんだなと思った。

ドラムもベースもぜんぶ自分、というのより、上手な人と組んだ時の喜びを謳歌してるんだと思った。
だから、よかったなあと思ったし、音もいいし、いい曲もたくさんあって、どっぷり世界につかった。


そして、広島のライブに行った。

終わって、
なんだかアンケートにいろいろ書かなくては気が済まなかった。
それはこういうことだ

>もっと「俺のギターを聴け!」という感じがみたかった。
>うしろの、うたの世界を規定するような映像はじゃまだ。

10年来いっしょにライブを見てきたもんちゃんとも、なんだかなぁと言いながら飲んだ。

しかし

「せっちゃん最高!」って書いて帰ればよかったじゃない、
精一杯の演奏に小姑みたいにうるさく言うのは失礼じゃない、
そんなふうなことを言える資格がおまえにあるのかよ、

あれからずいぶんたつのに苦しい。

いったい、私はどうしてあんなふうに思ったんだろう。


だいたい、始まって2曲目か3曲目で汗が滝のように流れ出して、湯だったようになるのに、
今回はずいぶん経つまで皮のライダースを脱がなかった。
アンコールでTシャツになった時も、腕は白いままだった。

今までとギターの分担がちがうように思った。
斉藤くんのギターがあんまり鳴って来なかった。

そりゃあ、全国津々浦々 60回以上もライブが延々と続いていくスケジュールだ。
移動したり空いたり、旅がずっと続いていく。
それは相当ハードだ。疲れが蓄積していくにちがいない。

アンコールで舞台に戻ってきて「はー・・・疲れた」とつい口にした。
それは本当にそうだろうと思う。

だから
総量の分担を変えたのだ。
映像を多用し、真壁くんのギターに自由を増やし、盛り上がるギミックをいれて・・・

それ今まで全部斉藤くんひとりがやろうとしていたような気がする。
もちろんライブではぜんぶ一人で演奏できないから、ドラムもベースもギターもいるんだけど、
声も音も気持ちも一人で全部のつもりの鬼気感があった。

体力とやりたいこと
求められているし、全国くまなくのお客さんのところでライブを見せたい。
来てもらったひとにはみんなに満足して楽しんでもらいたい。
60数公演、ブレなくクオリティを保ちたい。
そう考えてスタッフ達と練り上げて作り出したライブだったのだと思う。

だから、手を抜いたライブだったとはぜんぜん思わない。

前に見てたライブを思い出してしまう。
明日のことなんか考えないような、倒れるんじゃないかというほど汗を飛び散らせて
涙ぐんだり、感極まって客席をぐるっと走ったり
生きてる!
と叫んでるような夜だった。見てるわたしもそうだった。


新陳代謝も落ちてきた。
体より先に頭が決めるようになってきた。
要望をよく理解し叶える実力とテクニックも身につけた。
ただ、ばかみたいに、全部クソ食らえと叫ぶような
若さはもうなくなっていくのだ。

それは、見ている私が。

体力にまかせて、認められない悔しさに血をたぎらせて
なにかに復讐するかのようにいどみかかった
若さの季節はもう過ぎたのだ。

それを見せられたような気がしたんだ。


誰だって年をとる
「昔はよかった」と老人は言う。
それはこういうことなのかと、わかってしまった初老の春。

くやしいなぁ
もっと素っ裸で叫び回るような
稚拙な
だけどものすごい原初のエネルギーをほとばしらせるような
そういうものが見たかったし
そう、ありたかった。
老人だって、体は年老いても
心はそうあり続けることができると
思っていたかったんだけど・・・・

妙に物分かりの良くなってきた自分に、なんかイライラして書きなぐってしまってすみませんでした。


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2014年11月30日 (日)

今をよくするには

斉藤和義ライブに行ってきた。
@ブルーライブ広島 海のそばのライブ会場。

整理券番号がすでに579とかだったので戦意喪失、1階の後ろのほうで見た。
あんまり見えなかった。

9枚目のアルバム「NOWHERE LAND」からの曲ばっかりやった。
「お腹壊して入院したりして、このアルバムのツアーやってなかったから」
ちょうど12年も前の時期だ。

ドラマーがチャーリー・ドレイトンだから、というのもあるけど、
なんか、成仏してない思いを晴らしたかったかのようだ。

いい曲がいっぱいあって、聴きたかった曲があって、よかった。

「歌うたいのバラッドだけじゃないんだぜ、裏斉藤和義というか、こっちがむしろほんとうの斉藤和義で」と言っていた。

ギターが歌っていた。すごい気持ちよく歌っていた。

アンコールで新曲をやった。タイトルはよく聞こえなかった。

これが、よくなかった。
聞いたことがあるような曲だった。歌詞も、聞かなければ良かった。

そのあと、奥田民生がゲストでベースを弾いていて盛り上がりに盛り上がり、
「幸福な朝食 退屈な夕食」に突入。
クオリティの高さに鳥肌がたった。

新曲のつまんなさが際立った。


すごくヒットして、いっぱい露出して、タイアップ曲もいっぱい書いて
「昔の方がよかった」なんていうのは簡単だ。
それでも斉藤くんの今が最新だから、新しいアルバムが常にベストアルバムだと思ってきた。
わたしだけの斉藤君が、売れてしまってつまんないというファン心理もわかる。
だけど、ご本人は、変わっていきつつも気にせず、ひょうひょうと
斉藤和義がおもしろいと思うものを、大人の手段で表現していると思ってきた。

だけど

あの新曲は、聞きたくなかったな。

汗だくになって、会場は盛り上がって、熱気に包まれて、大成功
のようなライブだった。

にこにこと、手をふりながらステージをおりた。

ほんとうは、本人がいちばんわかっていてつらいのではないか。


今夜は奥田民生と飲みにいくんであろう。楽しいお酒になるんだろう。

斉藤くんには、死ぬまでギターを弾いててほしい。
ナツメロだけでなく、できれば、そのときの曲が「いいなー」と思うものであってほしい。

言うだけは簡単だからな。
斉藤くん、しんどいのかな。心配です。

これからよくなるには
今をよくするには
「昔の曲はよかった」と言わせないためには

どうしたらいいんでしょうね。

それはつまり、私たちにもおなじことが言える。

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2012年12月15日 (土)

斉藤和義弾き語りツアー 2012.12.14@広島

 今年も12月に斉藤和義がやってきた。
 せっちゃんのライブは、なぜかいつも冬。
 博多から友だちがやってきて、一緒に見るのが恒例となって7年くらいか。

 デビューすぐの広島バッドランズでのライブを見逃したけど、それ以降は皆勤賞。
 ほぼ15年
 人生の句読点みたいにして斉藤くんのライブに行っている。

 昨年は、今なんて名前か知らないけど元の厚生年金会館でフルバンドであった。
 あれ?
 お客がかわったなあと思った。
 ここ数年、CMのタイアップや映画音楽、レコード大賞受賞とか、じわじわと人気が上がり、ドラマ「家政婦のミタ」の主題曲でけっこうな人が知るところとなり、「あの曲が聞きたい」と思う人が多くチケットを求めたのだろう。聴きたい曲を待つ人はなかなか盛り上がらない。

 で、今年はひとり弾き語りだ。
 スマップにも曲を書き、紅白出場も決まり、今ならフルバンドでもっとでっかいホールを回れば儲かるんじゃないかと思うが、1人で弾き語りでツアーをすることができる、そのやりたいことができる感じが、斉藤和義の存在感というか、いろいろ認められているんだなあと思った。

 さて会場には「録音禁止」というでっかい立て看板がいっぱいでていた。
 そこには「うちわ・ボード使用禁止」とあってたまげた。
 「せっちゃん♡」とか書いた、あのアイドル仕様のうちわですか!
 時代は変わったなあと感慨深かった。

 クアトロで当日券があったり、ホールの1階がぜんぶ埋まらなかったり、そんなころもあったなぁ。

 だからといって、斉藤くんのパフォーマンスは常に渾身だった。
 ギターを弾き始めるとすぐ、瀧のような汗をしたたらせて振り絞る。
 どこの席でみてようが、わたしたちは熱狂した。

 
 登場した斉藤くんの髪は、ラブラドールレトリバーみたいだった。
 「マニッシュボーイズで笑かそうと思って金髪にして、おもしろがっていろいろやってたらカビはえたみたいな色になった」そうだ。

 着席で弾き始める。
 明日の 行き先を 僕らは 考える・・
 「何処へ行こう」だ。1996年、4枚目の「FIRE DOG」の曲だ。
 そこから、曲ごとにギターを持ち替えて立て続けに弾き語る。

 バンドのライブならわーっと立ち上がって、曲に合わせて身体を動かすところだが、
 お客も着席のまま、圧倒的なギターと歌に聞き惚れるというか、打ちのめされたように微動だにしない。

 今までも、ギターすごいなあと思っていたけど、
 自分で生まれて初めて、弦楽器、まあ、ウクレレなんですけど、弾いてみて、あの弦を押さえる感じ、弾く感じ、身体に音が響く感じを知って、なおさら斉藤くんのギターの上手さを思った。
 自分でギターが弾ける人なら、もっと違う感じ方をするんだろう。
 ステージ左手の壁に、影が映る。
 太めのネックを押さえる左手首のかたちが妖しく美しかった。

 ギターだけじゃないんだぜ。
 オルガンでも弾き語る。
 「ひとりなんですけどね、フルバンドくらいの機材がきていて。
  ぜんぶ私物の機材なんで自慢していこうかと。」
 と、楽器の説明と音色の解説をして、弾き始める。

 続いて、かつてビートルズも使ったサンプラー(のレプリカ)で弾き語る。
 弦楽器の重厚な音色で、中島みゆきの「蕎麦屋」
 手回しオルガンみたいな音で「月影」
 

 デビューして、自分の曲を、人がアレンジする、違和感。
 5枚目のアルバム「ジレンマ」で、セルフプロデュース、そしてギターだけじゃなく、ベース、ドラム、すべての楽器を自奏した。
 自分がやりたいことを全部自分でやる。
 今から15年前のことだ。
 全部、できるぜ。

 その上で、ドラムはドラムのうまい人の、自分にはないものを足していくバンドの良さも知っている。

 1人でも、誰とでも、自由に自分のやりたい完成度ができる。

 そうやってきた、彼の15年の、今がステージで虹色に輝いていた。

 そして「唄うたい」の、斉藤和義の声という楽器も、弾きこなす
 唄の強さに、今回はほんとうにしびれた。

 
 「あの、若いミュージシャンが最近よく使ってるんですけどね、おっさんにはむずかしい・・・」
 ギターとベースが一緒になったツインネックで、サンプラーを使ってループをつくり、ステージ袖に引っ込んだ、
 と思ったら、ドラムセットにまたがって、たたきながら出てきた!

 ドラムねぶた状態。

 まさかドラムでたたき語りとはー。「君が100回嘘をついても 」

 そこからは立ったまま、
 お客さんも立ち上がり、

 「広島でデビューのプロモーションとかしてました」とか言いつつ
 デビュー曲「僕の見たビートルズはTVの中」。
 隣のお姉さんも口ずさんでた。長いファンなんですねぇ。しみじみ。


 初めてのお客にも、長年のお客にも、
 楽しんでってもらうために
 やさしくて、
 その背後に綿々と続く自分への厳しさがあって、
 だから、今こうしてまっとうに世間で評価されて
 「斉藤和義、いいね」と多くの人に言ってもらえるのがうれしい。

 かっこよかった。今日も。


 毎年、心が走って腰が据わりっぱなしの自分に、喝が入る。
 
 ツアーはまだ続く。紅白もある。
 どうか身体をお大事に、
 これからも、楽しみに聴いていきます。ありがとう。

 
 

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2012年9月29日 (土)

MANNISH BOYS 斉藤和義×中村達也 @広島

 MANNISH BOYS
 2012年09月28日(金) 広島 CLUB QUATTRO
 行ってきた。

 仕事を片付け、なんとか会場オープンに間に合った。
 整理券番号はわりと早く、ステージの前からつめかける列に続いて立った。
 センターの前から2ライン目くらい。近い。
 しかし始まるまで1時間立ちっぱなし。
 後ろに座ればよかったかなぁ・・・
 博多から見に来た友人と話しこむので幾分気がまぎれるがもうすでに座りたい。

 やっと開演。
 MANNISH BOYSの二人が顔を出すと、フロアの客が一挙に前に押し寄せる。
 むっぎゅ〜〜〜〜
 ぎやあー
 無理無理もう無理

 二人がひっこみ、お友達バンドが出てきた。
 この先、2つも出るのだ。
 もう帰りたい

 失礼ながらそのお友達バンドのことなんにも知らず。
 スカパラの人だよとか、なんとなくそうかと見る。
 そのうちリズムにつられて気持ちよく身体が動きだす。

 しかし密着度半端ないぜ。
 誰かずーっとおんぶしてたし、わたしもほぼおんぶされてる状態だった。
 ふりあげた拳のおろしどころがないぜぇ。
 
 やっと終わった。

 次はお兄ちゃんがひとりギター抱えて出てきた。

 もうしんどい。

 お兄ちゃんはいきなり歌詞をまちがえた。
 歌い終わると

 「あああーーーー緊張する!靴脱いでいい!?」
 とブーツを脱いだ。
 「他のメンバーが背が高いから、無理して高いくつはいたら浮き足立っちゃって、緊張するする」


 緊張するその状態をどう解消するかで、その後が決まると常々思う。
 緊張で、とりつくってよく見せようとして肩をいからせてしまうと、永遠に心は開かない。
 緊張してる!どうしよう!と正直に表現したら、しょうがないなぁ、がんばれよと思い始める。

 彼は後者だった。
 
 「もう、俺のこと知らないしむしろ俺のこと憎んでるひともいっぱいいると思うんだ、
  この年になってまさかの出演者最年少だし、もう、死ぬほど緊張する」

 で、
 「あのう、被災地に行くとき必ず歌う曲です」と歌いはじめた。
 バンドだと、スケジュールを合わせるのたいへんだし、ひょいっと1人で行くんだと。

 最後に笑うのは、正直に生きてるひとだ・・・
 というような歌だったかな。

 初めて聞く曲だったけど、だんだん響いてきた。

 ベースの人とキーボードの人が入って、どんどんリラックスして、
 やっべ楽しい!といいながら歌っていた。

 最高に盛り上がったラスト、と思ったら

 ここで終わったら絶対完璧なんだけど、もう1曲、どうしても歌いたいんだ、
 こうやって歓んでもらえるんだったらおれ、チ○コでも何でも出すよ。
 そんなもんぐらいぜんぜんかまわない、
 だってこんなに聞いてくれるんだ、

 「あのさ、敵がでかすぎるんだ。
  沖縄に行っても、オスプレイ反対ってデモしても、
  その声は誰にも届かなくって、
  自分はつくづく
  ほんとに
  自分の無力さにいやになるんだ。
  だけど、
  歌うことで、だれかの心に伝わるかもしんないじゃん、
  だからもう1曲、歌わせてくれ!」

 その曲は渾身の曲だった。
 
 あの!
 ぜんぜん無力なんかじゃなーい!
 と叫びたかったんだけど、声が出せなかった。

 細美武士という人だった。(ほそみぶし じゃなくて ほそみたけし)

 あのう、だれだかわからない人でも
 その人が心を裸にして、渾身で放つものは
 なんか心にまっすぐ届く。
 それは音楽の力なんかなぁ、と思った。
 音楽の力、
 ギター一本身体ひとつで持ち運びできる力
 いいなぁ、と思った。


 本命のMANNISH BOYSが登場。
 前に殺到してきてもう、死人が出るかと思った。
 もうもみくちゃ。
 しかし発見した。
 自分がもっとも激しく動けば、周りの動きを制することができる!
 40越えの運動不足の肉体にむち打ってタテジャンプですわ。

 斉藤くんのギター、マイクに通る前の音が聞こえる。
 マイクに通る前の声が聞こえる。
 弦の上を動き回る指がほんとに綺麗。

 いやあ、ここのクワトロはほんとに気持ちいいっすね。
 広島最高!!!


 しかし、ライブって刹那いねぇ。

 上気したお客は順々にエレベーターで下界に戻っていき、
 メンバーたちは興奮の醒めない頭を、広島の夜の酒でなぐさめるのだろう。

 朝になれば、
 身体に残った重い乳酸と、ぼんやりした昨日の興奮。

 なにひとつ確かなものなんてないよな

 などといいたくなる曇りの朝だった。


 
 
 

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2010年7月31日 (土)

VIVA! SETSTOCK!フラワーカンパニーズ×斉藤和義 〜フラカン和義のロックンロール400万ボルト〜

 ほんとは行けないライブだった。
 FC先行に申し込みわすれ、一般発売は即完だった。

 でもでも・・・いきたい。。。
 と、ミクシィの斎藤和義コミュにつぶやいてみたら、親切な方がチケットを譲ってくださった。彼女はお仕事で行けなくなったそうだ。ほんとにありがとうございました。

 彼女の分まで楽しむつもりで今日行ってきた。
 クワトロ。18:30〜

 せっちゃんと、フラワーカンパニーズのグレートマエカワと鈴木圭介(敬称略)がMCという、なんとも贅沢な進行。
 で、いきなり鈴木圭介が「・・・松本さんもね」とシークレットゲストの名前をつい口走ってしまう。
 「ダンプですよ!ダンプの方!」 松本?誰?

 まずは「まだ19歳なのにすごい音鳴らすんだよね」とみんなが絶賛してたOKAMOTO'S登場。

 若い!
 せっちゃんが
 「あの、退屈をぶっとばしたいって歌さ、10代だから似合うよね、こう40も過ぎてそんなこと言ってたら働けってことになりますから」と。

 鈴木圭介「あのヤリたいだけって曲もね、俺とかだと何言ってんのってことになりますよね」
 せっちゃん「あ、その曲前カバーしたんだけど、気持ち的にはぴったりでした」。。。

 続いては奥田民生弾き語り。
 バーボンかなんか飲みつつ。
 「何しよっか・・・」という声に「結婚しようよ!」
 「なんで!?・・・ボクのかみぃがぁ〜かたまでのびてぇ〜♪・・・ってオイ」

 続きまして斎藤くん!
 まずは フラワー・カンパニーズ「深夜高速」のカバー。
 いい歌だ。
 ドラムスはなんと小田原豊!セブンぶりくらいですかね。ベースは隅ちゃん。
 なので、「小田原さんが覚えてる曲」ということで、「ファイアードッグ」とか、「砂漠に赤い花」(「ささくれ」ですってご指摘いただきました。スンマソン)とか、「劇的な瞬間」とか。懐かしい!「ずっと好きだった」もやったな。
 最後、「僕の踵はなかなか減らない」ですんごい盛り上がって終わった、と思ったらまたギターを肩に。

 「あの、曲とばしちゃって」
 ということで「幸福な朝食退屈な夕食」
 曲とばすなんて珍しい。
 なんか小田原さん飲み過ぎだったらしく、せっちゃんに「しわのたりない小田原豊!」って歌われてました。

 続いてフラカン。
 フラワーカンパニーズのライブは初めて見ました。
 結成21年。
 メジャーデビューし、あえてインディーズに立ち戻り、バンに機材積んで全国のライブハウスをまわったという。
 その歌詞は、ちょっとした節々に耳を尖らす言葉がある。
 今更ながら、CDを買ってじっくり聞きたいと思った。

 「しかしわれわれに足りないのは色気だね。斎藤君はなんであんなに色気があるのか」
 「なにを考えたら色気がにじみ出るのか」
 「いや斎藤君はなんにも考えてないからあなたと一緒だけども」
 「なにを食べたら色気が出るのか」
 などと話し込み
 鈴木氏は「見つけたんですよ、色気のある男の法則、みんな女きょうだいがいる!ね!われわれみんな男兄弟ですから。育ちが悪かったね」という結論に。


 10分休憩。
 みんな地面に座り込む。
 病み上がりにきついです。ビールをかーっと行きたいとこだけど、養生してアクエリアスをなめるように飲む。


 つづいて、せっちゃんとフラカン。
 フラカンの「ベルボトム・ジャック」のカバーとか、ブルーハーツの「人にやさしく」とか。
 そこに奥田民生参加、「イージュ―★ライダー」。
 ほいでシークレットゲスト。トータス松本。あーこの松本さんか。今頃ピンとくる。
 「ほんの5日前なんだけど、酔った勢いで来る?って話して」実現したんだそうだ。

 で!なんと奥田民生と斎藤和義のツインドラムで、トータス松本の「サムライソウル」。
 
 そうこうしてたら、「明日のセットストックに前乗りしてたんで、飲まない?ってメールもらったんで、つーか来ない?って誘ったら来てくれました」という、スカパラのGAMOと加藤隆志。

 そこに若手OKAMOTO'Sも戻ってきて、ステージ上は立錐の余地もない混雑ぶり。ギターとか5人くらいいるし。
 みんなで「サマータイムブルース」
 なんという音の洪水。なんというゴージャス。技の競演。どこを見たらよいのかわからない。

 というか、楽しそうだー。見てるこっちまで楽しくなる。
 酒飲んでグダグダのだめな大人が、にこにこしながらギターひいてて、19歳の若者が、若気の至りでかわいくて、楽しいばっかじゃなく、他の音を聞いて、合わせて、魅せて、さすがプロだ。

 みんな飲んだりフェスの楽屋で話したりする仲なんだろうけど、こうして同じステージに立って一緒に演奏する機会はなかなかないんだろうから、飲んで騒ぐよりやっぱりライブが100倍楽しいんだろうと思う。

 憔悴しきった斎藤君。最後は「歩いて帰ろう」。


 いやー、すごい現場に居合わせちゃったな、という感じだった。
 ぎっちり満員のお客さんたちも、目をキラキラさせて帰って行った。

 生きててよかったって、こんな夜。

 


 

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2010年3月25日 (木)

斎藤くんに会ったなら


斎藤和義の長い長いツアーがどうやら無事に終わったようだ。
ほんとにお疲れさまでした。
広島しか見に行ってないけど心は全国まわってました。

ファンクラブの会報が届いてて、「ライブ後脳が興奮してるのか寝られない」とあった。ものすごい高揚状態で約半年。お体大丈夫だったのであろうか。大丈夫なはずもないが大事には至らなかったのか。ともかくも、ゆっくりしていただきたい。

記事を読んだり写真を見たりしていてせつなくなった。
わたしはせっちゃんのなにをこんなに好きなのだろう。

ぼんやり運転しながら、なにげなく後部座席の息子に話した。

「ねぇ、斎藤くんに会えたらどうしよう」
「・・・チュッチュしたら?」
「だめだよ、かーちゃんパパちゃんがいるし斎藤くんも結婚してるよ」
「うーん、じゃあさ、あのさ、おなまえかいたかみ、わたせば?ほら、あのじいちゃんのみたいな」

名刺のことである。
大量の名刺を処分しようとした時、ゴミ箱をあさった息子が昔の父の名刺を発掘し、未だに大事にサイフに入れている。

「あー名刺ね。」
「でもビリビリされたりくしゃくしゃされたらかなしいよねぇ。
 あ、さいとうくんのおうちにカメラをつけたらいいよ、かーちゃんとちょびがこうたいでみて、ビリビリしたら、すぐにかーちゃんとちょびがひこうきにのって、びゅーんと東京にいってさ、どうしてそんなことするんですかってきけばいいよ。あ、でもそういうふうにきいたらさいとうくんかわいそうだから、なんにもきかずに、またおなまえかいたかみ、わたせばいいよね。ずっとすきでした、ってかいてね。」

 監視するんかい。

はからずも、ニューシングルタイトル「ずっと好きだった」。
名刺に書いてね。渡すのね。そうね。

例えば会えたところでどうするのだろう。
ファンだと言えば握手くらいしてくれるかもしれない。写真もいっしょに撮ってくれるかもしれない。
それだけだなぁ。
たとえばわたしがキョンキョンだったら、それだけじゃないだろう。
たとえばわたしが伊坂幸太郎なら、新しい曲が生まれるかもしれない。
残念ながらわたしは斎藤さんにとってなんでもない。
それだけ以上、なにを望んでいるのだろう。

もしもなにか役目を持って会えたらどうだろう。
斎藤さんになにかインタビューするとか。
キャンペーン目的だから新しい楽曲について話すつもりでインタビューを受けるだろう。
そういうインタビューはゴマンと受けるはずだ。
素晴らしい今は他のインタビュアーが聞けばいい。
わたしは、どうやって自由になったかを聞きたい。
ギターと歌しかなかったデビュー時、ドラムやピアノは他のスタジオミュージシャンが演奏した。なんかちがうというところから、どうやって全部自分でやるところまでたどりつけたのか。「ジレンマ」と「月が昇れば」は同じ作り方だけど、あのときと何が違うのか。

じりじりするような15年を聞きたい。

誰か斎藤和義にインタビューさせてもらえませんかね。


なんてな。

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2010年2月19日 (金)

逃げろ

 ツイッターって中毒性がある。
 じゃんじゃん更新するタイムラインに、いろんな会ったことないけど知ってるような人の満を持したつぶやきが現れて、そういう中からへーとかふーんとかこりゃいいなと楽しんでいたのだ。楽しんでいただけならよかったが、いちいち読まなくちゃ落ち着かなくて、旅に出ても仕事をしてもつぶやくとしたらという言葉を考えて、読まない今のタイムラインが気になって、あいほんを手放せない日々が続いていた。

 で、
 知らなくていいことまで知ってオーバーフローして、一気に嫌悪感が増していやになって、ぶっつり止めた。

 なんなんだ。
 いつもわたしはそうだった。
 夢中になって、いっしょうけんめいになって、ぜんぶがそれになって、なにか見えてきて、嫌になって、いやなのが耐えられなくなってぶちっと切り捨てて逃げるのだ。
 仕事もそうやって転々としてきた。ああ負け戦人生。


 自己嫌悪でうつうつとしてたとき、たまたま通りがかって「恋する化学物質」というはなしを読んだ。
 恋すると生まれる感情は、脳内のドーパミンとセロトニンの働きによるらしい。
 ドーパミンはこう、寝食忘れて夢中になる作用があるわけだが

(以下引用)ーーーーーー

恋をしている人の脳は
セロトニンの分泌量が低下するのです。
ドーパミンは増加するけど、セロトニンは低下。

セロトニン分泌量が低下すると
一種の強迫観念を抱くようになります。
強迫観念とは
「わかっているけど、やめられない」状態。

ーーーーーーーーーーー

 おお、ツイッターに恋していたのかわたしは。アホくさ。
 というわけで今は脳内物質も安定し、ツイッターもたまにひやかすくらいのつきあいを心がけようと思っている。


 それにしても。
 朝青龍をやっつけて、腰パンの国母くんの競技が終わって、さあ次は誰を吊るし上げるのか。それともヒーローにまつりあげてハシゴを外すのか。
 ざまあみろ、そういう胸のすくカタルシスのシナリオはもう用意されているはずだ。
 なんなんだ。


 なんかいやだなと思っていた先日、実家の母が
 「雑誌買ってみたけどどうも若い人向けだったみたい。読んだからあげるわ」と雑誌をくれた。表紙に“35歳”がどうたらって書いてあるじゃんか。買う時わかるじゃろとぶつぶつ言いながらも普段絶対自分では買わない雑誌だったので興味深くめくってガクゼンとした。

 有名モデルが“ファッション雑誌のエディター”という設定で「金曜日、ファッションブランドの展示会巡り」などとスタイリッシュな1週間コーデを披露していたり、「大勢の前でのプレゼンもシャイニーニットでオーラ倍増」「ふたりきりの打ち合わせロングニットで急接近」などと妄想爆発しているのであった。

 なんというか、35歳、そんなことでいいのかよ、と腰が抜けた。

 「これが名誉で幸せなことだ」というわかりやすい例がエディターだったり、大勢の前でプレゼンする私だったりするのだ。

 幼稚すぎるじゃろと思いつつバラバラめくっていると、最後の方は「働きながら子どもを産むこと」についての特集だった。そして不正出血に悩む人へのアドバイス、産婦人科を受診しましょうという読み物もあった。

 怒りをとおりこして切なくなってしまった。

 この雑誌を読む35歳の女性たちは、勝ったり幸せだったり、与えられるそういうイメージと自分とのミゾを埋めようとしてどれだけのお金をつかいどれだけ努力しているのか。
そのミゾは永遠に埋まらない仕組みなのに、気がつかないように目隠しされてる。

 JMM (Japan Mail Media)から配信されたメールニュース「[JMM571W] 心理経済学講座セカンドシーズン 第32回/妙木浩之:東京国際大学人間社会学部教授」
の中にこういう記述があった。

(以下引用)ーーーーーー

 ちなみにファシズムとは何か、これが精神分析を始め心理学が取り扱ってきた権威主義的人格についての研究の主題でした。そしてその研究を始めたフランクフルト学派にいた時代のエーリッヒ・フロムが述べた「自由からの逃走」という、経済状況が悪くなることと関連して、私たちの心の中に自由から逃走して、画一的な全体主義的
な、カリスマ待望の心性があることが明らかになりました。この心性は以前にお話しした集団における原始心性の現れ方のひとつです。そして資本主義社会では、不幸にもユダヤ人虐殺と対になっているのです。その原始心性が生み出す想定が、私たちの深部にある依存傾向、そしてそれを逆転させて競争を勝ち残ろうとする権力志向、さらには排除を説明してくれるものです。羨望は嫉妬を圧倒します。

ーーーーーーーーーーー


 「自由からの逃走」。
 なにか画一的な全体にとりこまれて安心して心地よくいたい、そのための全体の仮想敵と理想像が必要で、それを日々読ませ聞かせ刷り込んでいる。
 誰が?それは自覚しない善良な市民がよかれと思って?
 そしてだれを虐殺しようとしている?

 先日映画を見に行ったのだった、「ゴールデンスランバー」。
 首相暗殺事件の「オズワルド」にされた男が仙台の街を命がけで逃げまわる話だ。
 伊坂幸太郎氏の直筆原作サイン本をいただいたこと(自慢)もさることながら、音楽監督・斎藤和義、見ない訳にいくまい。
 ビートルズの「ゴールデンスランバー」をカバーした曲がオープニングにかぶさってくるところでもうすでに泣けた。映画館の空間にせっちゃんの声が響くだけで泣けた。
 劇中曲すべてせっちゃんの音だった。
 当然サントラも買った。
 最後の大脱走シーンのテーマに歌詞がついた「ランナウェイ〜こんな雨じゃ〜」という曲の歌詞がこうだった。

(以下引用)ーーーーーー

こんなところで殺されるくらいなら オレは逃げる
たとえ無様な姿さらしても オレは自由だ
ねえ キミは満足かい?
名無しでコソコソ送信 そいつに返信するしょっぱいバカ
吐き気がするぜ こんな雨じゃ

ーーーーーーーーーーー

 マイケル・ジャクソンが亡くなって、聞き覚えのある曲をよく耳にするようになり、愛のメッセージを伝えた人だったと皆が言うけれど、英語がからきしだめな私にはメロディーしか記憶がなくて、どんな歌詞の意味なのか知りたくて、なにげに「今夜はビートイット」を検索してみてたまげた。

 Beat itとは、ずらかれ、つまり、逃げろという意味なんだそうだ。
 知らなかった。

 マイケルも、逃げろと言っている。


 殺されはしないとは思うけど、逃げた方がよさそうじゃないか?

 立ち向かうにはあまりに相手が見えなさすぎてでかすぎて、もしかしたら本当にくたばってしまうかもしれない。
 逃げろ。

 慎重に、そいつは隠された悪ではないのかと疑うこと。
 うかつに握手をしないこと。
 正しいこと本当のこと、そう言われていることが本当に正しいのか注意すること。
 そして逃げろ。

 卑怯だろうがなんだろうが、逃げろ。
 ただし孤独だ。
 今も荒野を走ってる。どこに向かうのか?それはわからない。


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2009年12月14日 (月)

斎藤和義ライブ@広島ALSOKホール09.12.14

10月から始まった斎藤和義ライブツアー「月が昇れば」。
本日は20カ所目、広島ALSOKホール(旧郵便貯金会館)。
先日3月の日本武道館、大阪厚生年金会館2daysを含む追加公演が発表になり、今回のツアーは3月末まで、全国43公演となった。デビュー以来史上最長最大。大丈夫なのだろうか。

昨日からメンバーは広島入りしているはずで、もう生活圏内に斎藤和義がいると思うと落ち着かない。

さて本日。午後息子を祖母に預け、自宅で開場を待つ。(徒歩5分ゆえ)
博多からご家族で神戸ルミナリエを見に行った帰りのMOMちゃんと合流。
開場を待つ列に並ぶ。久々の再会なので話に花が咲きつつ。

16:30開場。グッズに関して言えばCDジャケットのデザイナーにデザインをお願いしてほしいといつも思う。しかし売れてる。ツアーパンフのみ購入。

着席。5列目下手側スピーカー群の真ん前だ。近い、と思っていたがフラットなので案外舞台は遠い。客席案外年齢層が高い。ここはチューリップのコンサート会場か?しかも前方視野に入る男性が多い。

17:00開演。派手なライティングの中、ゆっくりとその人斎藤和義が登場。
最新アルバム「月が昇れば」1曲目「COME ON!」でスタート。いきなり会場総立ち。2階席まで満員、立ち見席も出たという。
そのまま「LOVE&PEACE」と続きアルバムの流れを踏襲。
それにしても前列にでかい男性2人。もう遮られてちらちらしか見えねぇ。

曲は続く。
なんだろうか。遠い。5列目なのに。まだこぶし振り上げるテンションがこない。

ん?ああっ!
最前列ど真ん中の男性、赤ちゃんだっこしてる!2、3さいか。背中のちいさい手がリズムにあわせてとんとんしててかわいい。となりのお母さんと交代でだっこして見てた。幼児の記憶に刷り込まれるせっちゃん。そして幼児を目前に歌うせっちゃん。どうなんだろう。近所には小学生らしき男の子の姿もあり。どうだギターやってみるか?

途中舞台セットででかいでかい満月が出た。わあ、と思いつつ、何かが違うと思った、というよりもまるで違う。月をまねて作っているけどあまりに海やクレーターの位置が違う。ティコクレーターから伸びる放射状の線もない。赤いライティングで陰影を浮き上がらせるためにクレーターのように凹凸をつけた塑像なんだと思うが、いつも見ているものと違うとなんかへんだ。まあせっちゃんがスターだから月はフェイクでいいのかなどとくだらないことを考えながら見る。

懐かしい曲もあり、恒例のエロトークもあり、会場は微笑み、笑い、盛り上がる。
「きのうここでスカパラのコンサートがあって。見に来たんですよ、2階の最後列で見たんですけど、案外近いですね。2階の人あんまり見ないでください」。
「ここは音がいいって他の人に聞いてたんで楽しみにしてきました」
いつもホールは厚生年金会館なので、ここでのライブは初めてだ。
そう、ここは音響がよいと評判のホールで、劇団四季もここでしかロングランしないらしい。郵政民営化の折り、老朽化などの理由により一時は廃止が決まった。でも、多くの声が存続を望み、名前を変えて今もこうしていい音楽を響かせ続けている。

せっちゃんも「ここ気持ちいいね」と言っていた。

ほんとに今日は(も)ギターがよく鳴った。ギターのネックの付け根ギリギリんところで切なく鳴らす高音がたまらなかった。

だけど、声が。疲れてるんだと思う。って絶対言われたくないと思う。
ツアーはまだ半分。もちろん連日ではないけれど、続いている。続こうが空こうがハコがでかかろうが小さかろうが関係なく、最善、全力でやるはずだ。それが彼の15年だ。だから疲れてるなんて絶対感じさせたくないと思う。でも声帯の筋肉疲労というか、響き渡る張り上げる声はもう、魂が出しているのだと思う。
振り絞るように、しぼってもでなくてもまだしぼるように、ギターを弾き歌う。

ああ、わたしは今マラソンランナーを見ているのだと思った。
ペースを落とそうとしたら足がもつれる。だからこの瞬間にも手加減はなく、全部出すつもりで歌い、ギターを弾く。


昨年から本当によく露出した。CMタイアップ、レコード大賞、映画音楽、テレビ出演、雑誌にもたくさんたくさんインタビュー記事が載った。
売れるって褒められることだ。みんな嬉しい。だからこうして今日このホールも一杯になったのだし、全国で43回もライブができる。動員もある。

でも、ちょっと休ませてあげて。もう、たくさんはいらないから、ちょっとでいいから、みなぎるような命の、炸裂するような歌を聴かせてほしい。

だけど、今のこの風が吹いてる状況で立ち止まってどうする。もう、やるしかないんだ。
体力を温存してどうする。今やらなくていつやる。
停まれば失格だ。マラソンは続く。

そういう思いで見ていた。わたしは沿道で小旗を振る傍観者に過ぎない。
ほんとは水やらバナナやら渡してあげたいのに。無力だ。

あと半分、年を越えて来年もツアーは続く。大阪城ホール単独弾き語りや武道館も控えている。
しぼっても出なくてもしぼり、燃やしながら歌う。
このツアーが終わる頃、もう真っ白な灰になってしまうのではないかと思う。
しかしそこからまたピカピカの命が蘇る。フェニックスのように。まだ誰も見たことのない、本人さえ知らない斎藤和義が生まれるんだと思う。だからその先を見たい。今はまだ旅の途中だ。


後半。挑発されて身体が動き出す。「社会生活不適合者」、“なにをそんなに怒っているの?きれいなものに出会いたいだけ”そうだそうですそうだったよ。笑って生きるのさそれの何が悪い?頭の中から言葉が消えて、やっと音に取り込まれる。
「歩いて帰ろう」、ギターを弾きながら上手花道へ。観客が殺到、来るか、こっち来るか、きたーーーー!!下手花道に来た!左側の人々が席を離れてせっちゃんの足下に群がる。あああ、わたしも行きたいが行けず、と、モーゼの十戒のごとく目の前の人垣が消え、えらく視界がひらけた。そのさきに、ステージに戻るせっちゃんがいた。だれもいなくなった客席をなぞり、わたしを、かすめて見た(と思いたい)。せーっちゃんせーっちゃんといいながらジャンプしていた。その跳躍力はニカウさんもびっくりだったと思う。

アンコール2回。最後は「アンコール」をエレピ弾き語り。

やっぱりアンケートは書かなかった。
こんなくだらないことを書いたって、たとえそれを読んだって、それはせっちゃんを励まさない。今は「最高!」「せっちゃん大好き!」「今夜もよかった!」そういう声援が必要なんだ。それが水やバナナのように今の彼の栄養になり、次のポイントまで走る力になる。

「いややっぱり歌うたい(のバラッド)やったね、あれやらないと怒ったりする客もいるんだろうね」
「まあ矢沢でいうところのタオル投げる曲ですからね」などと話しながら会場を後にする。


しかし、自分が変わったんだろうか?
心があふれてどうしようもない瞬間は今日はなかった。
沿道で眺めている気分だった。高速で走り去っていった。

ボリュームやスピードやマスやその他大勢や
そういうものが過ぎた頃の、新しいせっちゃんがはやく見たい。


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2009年9月18日 (金)

満月の裏側は闇


 どうしようもないくだらない話なので。


 斎藤和義の13枚目のアルバム「月が昇れば」が発売になり、早速買って車で聞いた。
ちょうど往復2時間のドライブがあり、爆音で鳴らしながら聞いた。

 昨年、アリナミンのCMタイアップで使われた「やぁ無情」という曲が大量にオンエアされ、話題にもなり、レコード大賞優秀作品賞も受賞し、年末のゴールデン番組で歌う姿を見た。
 「フィッシュストーリー」という映画のエンディングテーマやNHKのドラマエンディングテーマ、タイアップも露出度もだんだんと増えたし知名度も上がったと思う。ファンクラブから届くメディア関連情報も怒濤のようで、新譜発売に合わせ、毎日のように掲載雑誌や出演番組の情報が送られてくる。「情熱大陸」にまで出演した。斎藤史上最高の露出度ではなかろうか。働くなー。

 いろんなインタビュー記事も読んだ。そこでは繰り返し繰り返し繰り返し新譜について聞かれる斎藤さんがいて、きっとうんざりしながら繰り返し繰り返し繰り返し同じようなことを話しているのだろうと思った。なぜならどのインタビュー記事も同じだからだ。同じことを聞かれれば同じことを言うだろう。同じことを聞かれたのに毎度違うことを話したら公平でないし申し訳ないということもあるのだろう。だからどの記事を読んでも同じだし、どの記事の写真もギターを抱えて笑わない、かっこいい表情の写真があり、キャッチコピーには「孤高の天才ソングライター」とある。
 孤高ってなんだ?「ひとり超然として高い理想と志を保つこと」と辞書にはある。あてはまっている。当然だ。そうでなくてはここまでたどり着けていない。だけど孤高を売り物にすることをかっこわるいと一番思っているのが本人だ。淡々と、それがこれまでの15年だと思う。インタビューの中でも、視点を変えたものもある。猫と斎藤くん、ギターと斎藤くん、好きなものを好きなように話す斎藤くんはうれしそうで、自由に思いを羽ばたかせて話す。そういう記事は読んでいてもうれしくなる。

 とにかく、多くの人が知ることになり、多くの人が斎藤くんの音楽をいいと思い、秋から始まるツアーは史上最長、これで全国制覇となる。大きな町や小さな町のあらゆる斎藤くんファンがライブに行ける。すごくいいことだ。売れることはみんなうれしいことだ。みんな喜んでいると思う。

 そして新譜も、あかるかった。明るい曲が多いという意味ではない。たぶん本人の気分がそうだったのではないかと感じたのだ。それは気軽という意味ではない。曲の作り方どうやってこの曲はできたかというインタビューで曲によっては4時間くらいで作りましたと話しているが、その曲が何時間で完成したかということは問題ではなく、心の中からどうとりだしてどう聞こえるものにするか、そこには時間ではカウントできない深さがある。心の深海、無意識の海からなにをとりだしてきたのか。今回はそれがあかるかったと思ったのだ。でも浅いのではない。

 2年前、「I♥ME」というアルバムを聴いたとき、とうぶんこっちの世界に戻ってこられない感覚にとらわれた。繰り返し繰り返し繰り返し、身体に染み込むように聞いてそこから動きたくなかった。その中から、世界をその音色で見ていた。それはどういうことだったのか。そこにはなにか得体の知れない、海溝のような闇があった。それが自分の闇をじょうずにのみこみつつんでくれた。真っ暗なその心地よさはもうそこから出るのをあきらめさせるのに十分だった。

 新譜のインタビュー記事で、インタビュアーが「このアルバムが一番好きです」と言っていた。
 それは最高の褒め言葉だ。アーティストにとっての最先端は今で、ニューリリースのアルバムですら過去だ。直近の過去が最善でなくては、進む意味がないのだ。だからその言葉は最も正しい褒め言葉だし、実際今までわたしもほんとうにそう思ってきた。毎回新しいアルバムが出るたびにこれがベストだと。いつも彼の今が見たいと思った。もちろん過去の曲にも好きな曲はいっぱいある。どの曲もその頃の自分がそこにいて聞き返せば蘇ってもう戻らない時間を十分に分からせてくれた。

 「月が昇れば」もほんとうにいい曲が多い。繰り返し繰り返し繰り返し聞くだろう。しかしあかるい。それはそこできらきらとしていて、わたしとは違う場所にある。わたしのなかの闇は置き去りにされた感じがする。この感じはなんなのか。前作と何が違うのか。
 売れてない時代から追っかけ続けていたのに売れちゃって遠い存在になっちゃって嫌的なファン心理なのか?彼をとりまく大きなものの気配が気味悪いのか?彼は変わっていないのに?変わっていないのか?変わらない方が不自然では?変わることが悪いことなのか?わたしは変わっていないのに?変わっていないのか?わたしが変わったのか?わからない。

 アーティストが幸せかどうかなんて、本人にもよくわからないだろう。ファンとしては、幸せであってほしいと願う。しかしもしかすると、どろどろに悩んでいるのではないかと思われる音がすることがある。その歌声の中にそれを感じることがある。それは危険で、自分を与えたくなってしまう。飲み込まれることでそれが救われるのならば自分なんかいらないと思う時がある。しかしそれは相手のためになんかならないということも痛い思いをして分かってきたはずだ。「I♥ME」にはそれがあった。

 自分が幸せでないと人を幸せにできないという。それは本当だと思う。飲み込んだり飲まれたりする関係は病んでいる。正しい距離で互いに立ち、手を取り合う関係が正しいと思う。「月が昇れば」はそれに近い。多くの人が見えない手をつなぎ、心をふるわせ、勇気をもらうと思う。

それがさみしいと感じるわたしは。

わからない。

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2009年5月 9日 (土)

フィッシュストーリー

遅ればせながら、シネツインで「フィッシュストーリー」を見てきました。

映画館で映画見るの久しぶり。ほんとに映画館から足が遠のいた。見たいなあと思うものはいくつかあったが、ちゃんと上映スケジュールを把握してなくていつの間にか終わっていたりした。

なのになぜこの「フィッシュストーリー」だけはちゃんと見たのか。

それは、伊坂幸太郎原作、斎藤和義音楽プロデュースだからだ。あーはん。

ひさしぶりのシネツイン、入場券に入場順番が書かれ、その順に入場する仕組みになっていた。前からこうだったか?忘れた。

入り口に貼られていたその仕組みを説明するPOPを何気なく見ると、半券の見本に「映画とは・・・」という言葉が書かれていた。
ふと自分の半券を見ると
「映画とは人間の業を肯定するもの」
と書かれていた。

えー、あなたのには何が書いてあるんですかとやみくもに近くの人に声をかけそうになったがやめた。映画を見るたび新しいメッセージを目にすることができるだろう。

平日昼間の映画館はすいている。ふかふかクッションに沈み込んで堪能した。

劇中、逆鱗というパンクバンドが登場する。
彼らの最後の録音、「フィッシュストーリー」という曲の一発録音のシーンはほんとうにかっこよかった。

なあ、これって誰かに届くのかなあ。

これって意味のあることなのかなあ
これって誰かの役に立つことなのかなあ
これって誰かが喜ぶことなのかなあ

逆鱗のメンバーだけじゃなくって、わたしだって、日々こんなふうに思っている。
思いは風のようにみえなくて消えちまうと感じている。

ストーリーはほんとにおとぎ話、でっかい魚がつれたぜっていう、大ボラ話だ。
そんなあほな、ってことだ。

でも、
だけど、届くんだぜ。
絶対誰かに届いてるんだぜ。

そう思えた。勇気が湧いてきた。

エンドロール
と、同時に斎藤くんの「Summer Days」が流れはじめる。

  ジャンケンポンあいこでしょ 泥んこまみれのともだち
  ファンタグレープはじけた まぶしい 青い太陽

じゃんけんぽんでこんな名曲をつくれるなんて、斎藤くんは天才だと思う。

斎藤くんは誰かのために曲を作ってるわけじゃないと言っている。
歌詞は愚痴みたいなもんで、と。
聞いてる方が勝手に共感して感動してるわけだ。
伊坂さんだってそうだ。
この映画を作ったひとだってそうだ。
きっとそうだ。

自分が一番いいと思うもの、命がほとばしるようにつくったもの
それが届くんだ。

そして受け取ったわたしは機嫌良く生きることができる。

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