2014年6月29日 (日)

セクハラやぎ

 都議会での「セクハラやじ」が物議をかもしている。

 ヤジった人もやじられた人にも興味がない。

 ただ、なんとなくいやな感じで見ている。


 このくらいのいやな言葉を投げつけられたことのない人は、いないんじゃないか。
 もちろん、公の場であんなことをヤジるなんて人として品がない。ぜんぜんだめ。

 でも、ヤジった人をつるしあげて断罪してもすっきりしない。


 今まで、いろんなことを言われた。笑顔で言われた。
 笑顔で言われるもんだから、引きつりながら笑顔であいまいにかわした。

 よく覚えているのは

 「さすが、やっぱり女性は子宮でものを考えるから」というのがあった。

 たまげた。頭悪いんか。考え事は脳みそがするんじゃろ。

 でも言った人は、どっちかというとリスペクト的な意味で、褒め言葉として使っているようだった。
 うれしくない。
 むしろムカッとした。

 じゃああなたは◎◎◎◎でものを考えるんですね、どうりでいっつもぶーらぶら、と
 言ってやりゃあよかったわ、とあとで考えた。
 でもとっさに言わなくてよかった。自分も品がなくなるとこだった。

 これは男女間にあることだけじゃない。

 女同士でも男同士でもあること。

 独身か既婚か 子どもがいるかいないか 一人っ子か兄弟がいるか

 立場が違うとわからない。わからないから無邪気に無神経に言葉をなげつけて平気でいられる。相手が傷ついてることにも気がつかない。
 これは困ったことだ。

 ふつう、こうなのに、なんであなたはふつうじゃないの?

 あなたのふつうと、わたしのふつうは ちょっとちがうんです。

 ちがうけど、敵じゃない。分かり合えないわけじゃない。そう思いたいけど。
 心ないヤジみたいな言葉が胸を刺す。

 ある日、なんかの雑誌でこんな記事を読んだ。

 生理用品の個包装パッケージに、初めて花柄を印刷することを思いついたのは男性社員だった。
 商品企画チームの男性が、「こういうのがかわいいんじゃないですかね」と提案しても、チームの女性たちは「意味がない」「どうせ捨てるものを」「生理もないのに分かるわけがない」と散々だったそうだ。
 でも、蓋を開けると大ヒット。

 女性の心理は女性にしかわからないわけじゃない。

 これを読んでさっぱりした。

 想像力

 どんなにひどい言葉も、ヤギみたいに食べてしまえばいい。
 さっきのお返事なんだったっけと、とぼけてまた手紙を出せばいい。

 戦ったり悲しんだりしないで、
 だけど想像力があればそういうのも越えられると
 顔を上げて
 生きていこうと思ったことがあった。


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2014年1月21日 (火)

父よ

月命日なので、父の墓参りに行った。

正月の花がそのままで気になるという母を連れて行った。

来月が命日。ちょうど5年になるんだねぇ。もう5年か。

5年前の今日は死ぬ前の1ヶ月。まさかあと1ヶ月で死んじゃうとは思わなかった。
大学病院から転院して、新しい病院でリハビリするとはりきっていたのに
移った病院はひどくて
どうしてあんな病院に移してしまったか
よそに変えさせたり自宅に引き取ることはできなかったか
寒くて暗い病院の廊下のような記憶が今も苦く蘇る。

「ああ、さっぱりした。行けてよかったわ」

実家に送っていくと、母は仏壇からなにやら取り出し
「これ、あなた持ってて。いらないなら、仏壇に戻しといて」

それは父の遺品だった。病院にあった、最後の持ち物だそうだ。

「よう見んのよ、中身。あなた見てみて。小銭入れはちょび(息子)にやって。」

なんでいまさら?
帰宅して、中身をひらいて見た。
小さな住所録。几帳面な小さな字でいろんな連絡先が書いてあった。

手帳。ところどころ、病院の予約時間などが書いてあったがほぼ白紙、と思ったら最後あたりの自由記入欄に職歴が書いてあった。
自分の人生を振り返ってみたのだろうか。

次のページには、病歴が書いてあった。
わたしが結婚した頃には、もう病気の診断がついていたんだな。知らなかった。

父のこと、知らないことばっかりかもしれないな。

小銭入れには千円札と小銭が残っていた。
財布には新札が。(これは使いづらいな・・・)

身体障害者手帳。重い肺の病気だったからな。それにしても不釣り合いなダンディな写真。一張羅のジャケットを来て、酸素ボンベの管を外して撮ったのだろう。

免許証。
ゴールドの免許や名刺、いろんな店のポイントカード。
東急ハンズのカードと一緒にテプラの箱の品番部分をちぎった紙があった。
いつか買いにいって、撮りためた写真の整理をして、見出しテープを貼ろうと思っていたのだろう。

その中に、写真が1枚あった。

わたしと息子が笑ってる写真だった。

これは、もう父が運転もできなくなって出不精になった秋頃、ピクニックに行こうと連れ出したときの写真だ。もみの木森林公園の広場で、父と母と息子とわたしでお弁当を食べた。
少し歩いても息が切れて、ぜいぜいいいながら丘を登った。「眺めがええほうがええ」と。
まだ保育園だった息子は喜んで駆け回った。
父はカメラを持って来ていた。
息子と走り回る代わりに、カメラで追い掛け、シャッターを切ったのだ。

それからは出かけることもほとんどなくなり、病院や家の中を写してもしかたなく、父はカメラを触らなくなった。

免許の大きさに切り取ったその写真は、父が自分で楽しく撮った最後の写真なんじゃないかな。
わたしは5年分若く、息子は幼い。
大事そうに、持っていたんだな。
病院で時々、眺めたりしたんだろうか。

5年も経って
わかることもあるんだな。

もうすっかり悲しくもないと思っていたが
写真を見たら泣いてしまったよ。

おとうさん。


そばにいた息子に、じいちゃんの小銭入れをやった。大事にしなよと。
「じいちゃん・・・」
ちょびっとしかないじいちゃんの記憶をたぐりよせているようだった。


人は死ぬ。いつかお別れ。それは仕方ない。
お別れはかなしい。でも避けられない。
残す人に、伝えたい想いや未練、それはどうしようもない。
だけど、こんなふうにひょいと、知ることになる。
百の言葉より強く、感じることになる。

不思議なものですね。

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2013年6月21日 (金)

もしも死んだら

 2週間ほど前だったか、朝なにげなく身体を動かしていて「ん?」

 両手を頭の上で組み、身体の側面をのばすと、左胸に痛みが走った。

 触ってみると、ちいさなしこりが、あるような気がした。

 ぞぞぞぞ・・・・
 ちょっと、血の気がひいた。

 昨年、分厚い「がん検診クーポン券」が広島市から送られてきて、行かなきゃなと思いながら、3月もバタバタで行けなかった。クーポン使えなくても行こうと思いながら、予約を入れそびれていた。

 生理前や直後はホルモンの影響で胸が張っているので、検診に向かない。
 生理終了後2週間くらいがいい、と知っていて、毎月そのタイミングを逃してきた。

 でも、その朝、こわくなってがん検診の予約の電話をしたのだった。


 もしも、乳がんだったら。

 国民健康保険料は減免になるな、などといろんなことを想像しだす。

 どのくらいの早さで、どうなっていくんだろう。
 放射線治療、抗がん剤、
 「毛のない生活」山口ミルコさんの壮絶な体験記を読み返す。

 もしも、間に合わなくて、死ぬとしたら。
 何を準備したらいいんだろう。

 いろんな引き落としの口座なんかも移さないと
 病院のベッドで使えるようにiPadminiとか買っとこうか
 息子が成人するまでの、誕生日に読めよ手紙とか書いとかないとな

 こうして、晩ご飯をあと何回つくって食べられるんだろう。
 息子の寝顔、あと何回見られるんだろう。
 この蛍は、来年はもう見られないのかな。

 身体がうごくうちに、家族写真が撮りたいな、
 3人で
 笑って、
 
 その、わたしだけが消えて、2人残った写真を想像して
 泣けた。しゃくりあげて泣いた。
 
 まだ死にたくない。


 胸にしこりがあって、痛くて、産婦人科に行ったのが女子大生の頃。
 紹介してもらって、乳腺外科のある「新本クリニック」に行った。
 触診、エコー、マンモグラフィー
 乳腺のかたまりがあるけど、がんじゃなかった。
 それから何年かおきに受診。

 「寺本さん、あなた20年も来てるんだねー、いいねー、データが蓄積するからねー。
 あなた、4年も来てなかったのねー、乳がんだったら大変よ、1、2年に1度はおいでねー」

 あのう、手を挙げたら痛むんです、しこりもあるし
 「じゃあ見てみようねー うーんそんなしこりはないけどね、じゃあエコーで見るよ、
 このね、さーっと薄い雲みたいなかったら異常なし。もしがんだったら、真っ黒くギザギザーっと写るけどね、マンモグラフィーで詳しくみようね。
 山田邦子とかはね、6mm、米粒が8mmね、そんな小さいのが見つかったのよ。番組で、ためしに受診してねぇ。マンモじゃないと見つからんよね」

 マンモグラフィーというのは、台にのっけたおっぱいを、タテはさみ、ヨコはさみでレントゲン撮影する機械。4年来ない間に機械がバージョンアップしていた。

 痛くていやだ、という人もいるが、そんなに痛いとも思わない。

 デジタルデータだから、すぐに画像が診察室で見られる。

 「いまごろはね、こーやって拡大して探せるのよ。きれいなね、このふわーっとしたのは乳腺。たしかにあなた、左胸に乳腺のかたまりがあるよね。これ、紙屋町電停みたいに込み合ってる感じ。あとはね、見当たりませんね。大丈夫。」

 よかった。

 あの、その6mmくらいだったら、しこりってわかりませんよね。
 どのくらいで進行するんですか?
 「乳がんってひとくちに言ってもね、17種類あるんよ。なかには5、6年もじーっと進行せんのもあるし、ぱーっと進むのもあるしね。じゃけぇ、1年か2年おきには、検診せんといけんのよ。またかわったことがあったらいつでも来なさいね。」

 ひとまず、乳がんで死ぬことは、とうぶんなさそうだ。


 だけど、若いのに、突然亡くなる方だっている。
 死ぬつもりも予定もなかったのに
 何の準備も、さよならも言えずに

 だから、元気で健康だと思っていても
 もしも死んだら、と思っているくらいでちょうどいいのではないかと思う。

 80過ぎまで生きる予定だけど
 明日、どうなるか実はわからない。

 きょう、息子とちゃんと話したか
 家族が健康であるよう、ごはん美味しく作れたか
 大事に話をしてるか
 いやなことややりたくないことに、無駄な時間をさいてないか
 やりたいことに真剣でいられるか
 そういう「死んだら後悔する」ことを、できるだけ減らしたいと思った。

 生きてるって、ほんとにありがたい。


 

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2012年12月27日 (木)

あむ

 数日前から衝動的に編み物をはじめた。

 高校生くらいの頃以来ぶりだ。

 編み棒、毛糸、一式買って送ってもらった。

 作り目ってどうやるんだっけ。
 表目、裏目ってどうだったっけ。

 まるで忘れてたけど、練習もせずにいきなりマフラーを編みはじめた。
 表目と裏目をまちがって、きれいな模様にならない。
 ほどいて編み直したり、気がつかずに編み進めて、あららー間違ってたと思うけどもうそのまま編み進めたり。

 だれにあげるわけでもないから、べつにいいのだ。

 最初の2日くらいは手のひらが筋肉痛になった。
 次の2日は腰にきた。
 慣れないから全身に無駄な力が入ってるんだ。

 やっと慣れて、縄編みの模様がたちあがってくると、ちょっとおもしろくなってきた。


 そもそも、こういうコツコツ地道にやる作業は苦手だ。
 ていねいに時間をかけることで完成度が上がるものとは無縁な人生だ。
 瞬発力、ひらめき、きまぐれ、切り返し、

 なのにどうしてか、時間をかけたらかけただけ、それが目に見えるモノとして残るものをつくりたくなった。

 そういうものはほかにもいろいろあると思うが、なんとなく、編み物をしようと思った。

 編みはじめてすぐ後悔した。
 まあいいか、とごまかして進むと、それがあとあと不揃いな目のまま残るのだ。
 手慣れてきて目が揃ってくるとますます、おかしな目が悔やまれる。

 これまでいろんなものをごまかして、なかったことにしてきたのではないか。
 そういう失敗やいい加減さが、いまこうして悔やまれるのではないか。

 ここまで編んでしまった人生を、ほどき直す勇気もなく。


 食事を終え、片付けをし、ちょっとほっとしてお茶を飲む。

 家族が風呂に入る。

 編みかけの毛糸玉を手に取る。

 あがったよー、かーちゃんもどうぞー、

 はーいと生返事して、手が止まらない。

 みな寝静まる。


 ひと目、ひと目、うら、おもて、うら、おもて、

 心がしーんとしていく感じがする。


 日本各地にいろんな手工芸が伝え残されている。
 刺繍、つくろい、糸や布の仕事、
 いろり端でおかあさんが夜なべして、
 せっせせっせと手を動かしたのだろう。
 家族のためにこしらえる、という仕事でもあっただろうが、
 これでずいぶん、こころがすくわれたのではないかと思う。

 熱心に、一心不乱に、没頭していたら、
 家族はそっとしておいてくれる
 手の中で、自分だけの世界がたちあがって形になっていく。
 うつくしい、かわいい、
 今日一日の苦役が、ひと目ひと目、消えていく。

 さあいい加減お仕舞いにしよう、
 毛糸を置いて立ち上がると、肩や背中はごわごわだ。

 縮こまったからだをのばして、一日を終える。
 昨日より長くなったマフラーを眺める。


 一年がこうして暮れようとしている。


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2012年9月19日 (水)

玄米考

 先日から玄米を炊いて食べている。

 我が家にはなんと圧力鍋がないのだが、
 「びっくり炊き」というのを知って、土鍋でやってみた。

 長いこと水にかさなくても、いきなり炊いていいそうだ。

 そうめんとかうどん茹でるとき、びっくり水を差しますよね?
 あれと同じで、炊きあがり寸前に冷水を入れて、玄米のかたい部分にひびを入れるんだそうだ。
 
 そうやって炊いたら、案外ふっくらもっちりで、旨いぞ。


 なんでいまさら玄米か。

 この夏、ちょっとごはんが美味しくて、自分史上最高体重を記録した。
 まさにオリンピックイヤー!
 ニューレコード!!

 ほんとに洒落にならない。落ちないんだこれが。

 今までは、なんとなく食べ過ぎて身体が重くなっても、
 ちょっと数日気をつけていれば、まあ、戻った。

 しかし40の声を聞く頃から、だんだん戻りが鈍くなり、
 もう、なんか戻らなくなった。

 年はとるもんだ。だれだってそうだ。
 40年も生きてくりゃあ、どっかにガタもくるもんだ。
 シミもシワも白髪も、
 くすみ、たるみ、
 やってきました、これぞ老化。

 いつまでも若くありたいとはちょっとは思うけど、
 若さに固執するのは見苦しいと思う。
 若さもみな平等にあったのだ。
 それを資源として活用できたかどうかは関係なく
 みんなに老化はやってくる。

 だから、おだやかに枯れていきたいとは思うけど、
 できれば健康に年を取りたい。

 この年になって痛切に感じるのは
 「喰った物が自分をつくる」という圧倒的な事実だ。
 無責任に喰い散らかした結果が、下腹に現れるのだ。

 むー。

 ねえ、最近新陳代謝がさー、やせないよねぇ、などと
 同級生に話しをすると、
 そう?
 とそんな風でもない。
 
 「玄米食べてるのがいいのかな。」

 え?玄米?

 そう、すっきりさっぱりしてる人が、みなさん玄米食べていると言う。
 ほうほう、玄米、いいとは最近いろんなところで聞いておったが・・・

 玄米食べたらどうなるのでしょう。

 のっぴきならない現実が、背中を押して玄米喰ってみることにした。

 でも、玄米ってどこで買えばいいのだ。
 スーパーには、白米に混ぜる雑穀しか置いてない。
 精米したてが売りの米屋で、精米はいいですからと玄米を買った。

 それにしても、玄米食というのは、さまざまな波紋を呼ぶね。


 なんかさー、玄米いいらしいよ?と言うと、
 みなぎょっとした表情を浮かべる。
 「ああ、玄米ねー。いいらしいけどねー。」

 そこには、
 旨いものを喰うという快楽を取り上げる気か、という
 恐怖とか憎悪とか、そういうものを感じる。

 血のしたたる肉だとか、クリーム天国なスイーツだとか
 そういうもの厳禁のストイックな響きがあるよね、「玄米」。

 うちの母も「玄米・・・そういえばYさんが学校に持ってきよったよね」
 と苦々しそうに言った。

 小学生の頃、なぜかひとりだけ給食を食べず、お弁当持参の子がいた。
 てっきり病気かなにかかと思って気にもしてなかったけど、
 彼女のお母さんが玄米菜食主義だったのだそうだ。
 
 なんというか、玄米原理主義みたいになると、つらいね。

 玄米は身体にいい。そうだろう。
 身土不二、一物全体、それも納得。
 正しい、だから反論ができない。
 それはちょっとした暴力になり得る。

 よく知らない友だちからファミレスに呼び出されて、
 知らない「先輩」と、目をキラキラさせて
 「ね。だから一度、青年部の集まりに参加してみたらいいと思うの」
 などと2時間も3時間も入信の説得をされた、あんな圧力を感じる。

 宗教と食い物は、個人の自由だ。
 何を信じようが、何を喰おうが、人様に迷惑をかけなければ勝手だ。

 だから、わたしはあなたに「玄米いいよ」などと言う気はあんまりない。


 養生、豊かさ、健康、しあわせ、
 それぞれ、いろんなかたちがあっていい。


 それにしても、玄米食べはじめて体重がもとに戻った。できすぎてる。
 まあ、玄米喰ったらやせるんじゃなくて、
 野菜やほかの食べる物にも気をつけるようになったからだと思うけど。
 気に入ったので、当分続けてみるつもりではある。

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2012年4月13日 (金)

くつした

 息子の靴下とわたしの靴下の見間違いをするようになった。
 うちの家族はみんな「黒靴下」が多い。
 息子の足はまだ20cmだけど、ぱっと見わたしの23.5cmMサイズとかわらない。
 たまにオットが洗濯物をたたむと、十中八九わたしのタンスに息子の靴下が混じり、みつからないやつは息子のタンスから出てくる。
 半パン制服なので寒い時期はハイソックスで通学。わたしはハイソックスはかないからいいんだけど、やつが短い靴下になってくると話がややこしくなる。

 そろそろやつも短い靴下になるなぁなどと、洗濯物をたたみながらぼんやり考えていたのだが、うちは大人2人と子ども1人だからまだいい。

 兄弟いたら、もっとややこしいな。
 年が近い同性の兄弟なら、どっちがどっちの靴下か、判別できないな。
 三兄弟とか、三姉妹とか、1日に子ども靴下が3足、6枚も洗濯になるわけだ。
 お父さんとお母さんの4枚も加わると10枚。
 二日で20枚。もう靴下だらけ。
 そうなってくると、誰のかもそうだけど、どれとどれがペアかも判別難しいよね。
 判別するのかな。
 
 もうそういう家族は、「こどもの靴下入れ」みたいなとこに放り込んで、各々自分でそこから選んで履くのだろうか。末の妹はいつもかたっぽずつちがうの履いちゃって帳尻があわなくてお姉ちゃんが怒るとか。

 兄弟が多い家を知らない。
 よその家族のしきたりは知りようがない。

 しらないことが多いね。


 

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2012年4月 8日 (日)

 桜が満開だ。

 兄夫婦企画の花見が諸般の事情により中止となったが、花見をしたい息子がばーちゃんを誘い出した。

 近所の洋食屋でランチをとって、さあ桜を見に行こうというと、そんなの花見じゃないよ、と息子がふてくされる。
 彼の「花見イメージ」は、やっぱり桜の木の下で弁当を広げるものだったようだ。

 じゃあ、なんか買いに行こうかね、
 ばあちゃんが甘いことを言うので、車ででかける。

 桜がわんさか咲いてる場所のそばを通って、回り道していく。

 川土手は、ここはどこの海水浴場かというほどの人。
 テントがならび、バーベキューの煙で春霞。

 「わあ、あんなに満開よ、みてごらん!」
 母が車窓越しの桜に声をあげる。

 平和公園近くの駐車場に車を停め、玩具屋へ。

 なんかカードゲームのカードでもちょいと買ってやるつもりが、
 ガンプラ(ガンダムのプラモデル)の前から動かない。

 プラモデルなんか、自分で組み立てられるわけないじゃない、というと、これがお誕生日(2月、とうの昔だ)に欲しかったのにと動かない。

 いいよいいよ、どれでも買いんさいと、教育上大変よろしくないのがばあさんだ。
 どんなろくでもない大人になろうがばあさんは知ったこっちゃないので、いまのうちに孫をうんと甘やかせようとばあさん仲間で話してるんだそうだ。困ったものだ。

 「これが売れ筋なんじゃと、これがいいんじゃない?これならこれがついとると、ばあちゃんならこれじゃがね、どれにするん?大きゅうてもどれでもええけえ、これはどうなん?赤はだめなん?」

 うるさーい。

 母と買い物に行くといっつもこうだった。
 服だって本だって、結局母のいいなりに買って帰った。
 自分がちゃんと選んだのは、今の旦那くらいだ。
 新婚の家は母の選んだ備品でまかなって、好きでもきらいでもないもので暮らしてた。
 その後遺症は大きくて、捨てて買い替えるほどでもないものは今でも家の中にある。
 30過ぎてやっと、好きな皿を1つ買い、好きな戸棚を1つ買い、そうやって自分が選ぶ人生をはじめたのだ。

 息子よ、自分が選べよ。
 わからなかったら、人に聞けよ。
 ほんとに好きかどうかわからないものを、なんとなく所有するなよ。

 それから30分ほどぐるぐる徘徊して、やっと決めて買った。

 待ちくたびれた母を実家まで送って行った。

 夕日に映えて、あちこちの桜が見事だ。
 里も山も、いっぺんに咲いた。

 「あと何回、桜が見られるかのう」

 父の言葉がよみがえる。

 けっきょくあと2回だった。
 最後は、春が間に合わずに亡くなって、四十九日に満開だった。

 桜のトンネルを、てってけてってけ、小さい息子が走る、走る。
 父がうれしそうに追いかけて抱き上げる。

 あの日とおんなじ桜なんだけど。

 わたしはあと何回桜を見るのかな。

 もうすぐ見事な丸い月が昇る。
 息子は細かいパーツを切り刻み始めた。

 ちっともとどまることのない、時間だけがながれていく。

 桜は満開の時がいちばんさみしいと思う。


 

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2011年8月22日 (月)

人生数え歌

 湯につかって上がるとき、歳の数だけ数えて上がるクセがいまだにぬけない。
 普段の風呂ではやらないんだけど、温泉で長湯したときなどは、たいてい数えて上がる。

 ひとーつ、ふたーつ、みーっつ、

 そのとき、「その歳の自分」を思い浮かべる。

 ひとーつ、もちろん覚えてないので赤ちゃんの頃の写真
 ふたーつ、おひな様の前で写ってる写真
 みーっつ、だんだん記憶があるので動画になる
 よーっつ、東京に転勤、石神井の借家のあたりの景色を思い出す
 
 幼稚園から小学1年生、また広島に戻って来て2年生、
 ああ、今の息子と同い年。
 おかっぱ頭で本読んでばかりの小学生
 「品評会」というけったいな学芸会をプロデュース
 卒業アルバムに手書きでクラス全員の似顔絵書いた6年生
 中学入学、担任はそうそう花本先生、鬼瓦みたいな
 中2生徒会室で遅くまで遊んで、放送室で好きな曲かけて
 中3好きだった子はお引っ越し
 高校1年、なんだかなじめずいじめられ、
 このころからアウトローが身に付いてった
 高2文化祭は和風喫茶「和田屋」、もみじの葉っぱを広島城にとりにいったな
 高3「100人に聞きました」セットもクイズも徹夜で作って、楽しかったな、青い春
 初めての恋は遠くにいっちゃって、
 大学生の夏に死ぬような失恋して
 そうそう先日高校の同窓会があったから、このあたりリアルによみがえる
 みんな元気なのかなぁ
 女子ばっかの大学で、美術部つくって絵を描いて
 朔太郎や潤一郎、美しいものだけで生きていたいと思ったな
 ハタチ、このくらいでもうのぼせそう。

 湯船のふちに腰掛けて、続きをぼんやり考える。
 就職活動、自分の将来、自分探しの迷宮入り
 入ったところは広告会社
 まだバブルの残り香で、サイパンロケとかイタリアロケとか
 やりたいことをやりたいとおもえばやれたのに
 自信もなく手も挙げず、掃除経理おつかい使いっ走り
 思えば惜しい、女神の後ろ頭はつるっぱげ
 結婚するのかしないのか仕事ってなんだ生きるってなんだ
 悩んでたって答えは出ない
 28、ともかく結婚し
 やがて会社がメルトダウン
 難破船から逃げ出すも、またふたたび倦んだ日々
 ぜんぶチャラにしたくて子を望み
 32、出産 
 33、保育園入園、泣いて暮らす日々 息子入院 ぜんぶ投げ捨て
 34、息子2さい 
 35、息子3さい
 36、息子4さい
 37、息子5さい
 38、息子6さい
 39、息子7さい

 あれ、息子が生まれてから浮かぶのは息子のことばかり
 自分の時が止まってる
 ようやく40 湯あたり寸前 ざばーっと上がる

 体を拭きながら思うのだ。
 やがて息子は息子の人生に
 それがいくつかわからないけど、やがてそうなる
 今はただいとおしい時間なのだ これでいいんだ

 やがて60だとか70だとかになったころ、
 40から先、なにを思い出すんだろうか。

 しかしそんなに数えていたら、のぼせて倒れてぽっくりいくかも
 温泉で死ねれば本望だけど、宿に迷惑
 せいぜい数えるのは40くらいまでにしておこう。
 そのころ思い出す今は、幸せなんだろうか。

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2011年7月 6日 (水)

ご自宅にタオルケットありませんか。

 ツイッターのよびかけにこたえて、実家にあったタオルケットを被災地支援に向かう人に9枚送ったのがきっかけで、こういうことになりました。

Neko_2


 詳しい経緯は、新しいブログ「ねこのて便り」に書きました。

 ボランティア精神に燃えるタイプではまったくないのですが、行きがかり上、いいだしっぺとなり、集めるかかりになりました。なんというか、気がついた人の責任と言うか。

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  自宅の1階を津波で流され、2階でなんとか生活をしている被災者の方々が今も多くいらっしゃいます。電化製品、寝具、生活に必要な主なものはほとんど流され、夏を迎えるのに毛布しかないのだそうです。

 避難所や仮設住宅に移られた方々も、夏を迎える物資が足りていないそうです。
 「必要な物」を「必要な分」「必要とする被災地」へ。被災者のニーズと支援者をダイレクトにつないで物資を届ける被災地支援プロジェクト「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を通じて、自宅避難・避難所の方々が希望しているタオルケットを直接お届けします。

◎ご自宅に、引き出物や来客用にしまっておいた《新品のタオルケット》はありませんか?
1枚でもかまいません。持ってきていただけましたら、まとめて発送いたします。

■お願い■
・ タオルケットは未使用のものが、やっぱりいいと思います。
・ 箱から出して、透明ビニール袋などに1枚ずつ入れていただくと、仕分け助かります。
・ 東北までけっこう送料かかります。1枚につき200円ほどカンパをお願いします。


■タオルケット集荷場所■ 

銘撰商店 おそら(広島市東区牛田中2丁目2−19)
TEL:082-511-0340

2011年7月5日(火)〜7月12日(火)10:00〜18:00受付


大きな地図で見る


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 引き出物とか茶の子とかでもらったタオルケット、眠ってたりしません?
 親世代はモノを大事にするし、当時は大きな箱を贈るのがトレンドだったから、数枚あるのではないかと思うのです。

 あったら、ご協力よろしくお願いします。

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2011年5月19日 (木)

わたしたちはもう自然ではない

 どえらい風邪引いた。ごほごほ。

 先週日曜の朝に猛烈なノドの痛みを感じて、市販の風邪薬飲んで寝ること丸4日、まったく良くなるどころかどんどん症状がひどくなってよろよろしてきたので近所の耳鼻科へ這うようにして行った。

 たいがい季節の変わり目に風邪引いて、こじらせて、副鼻腔炎に至るのがパターンなのだ。

 抗生物質と何種類かの薬を処方してもらう。食後、それで腹一杯になるほど服薬する。

 やっと体楽になってきたけど喘息ひどくなって、しゃべると全部「ごほげほ」となる。
 鼻カミすぎてヒリヒリだよ。「鼻セレブ」ほしい。


 風邪かな?と思ったとき、生姜紅茶で体を温めた。ユーカリのアロマオイルもたいた。すべての首を暖めた。栄養とった。よく寝た。なのにこじらせた。なんでー

 抵抗力がものすごく落ちていたんだろうと思う。
 そういえばここのとこ、思うに任せない事態もいろいろあったし、ゴールデンウイークも煮詰まってたし、震災以降哀しみの通低音は消えないし、そういうストレスが臨界だったのかな?そんなヤワな。

 こうなるまえになんとかすればよいものを、自分は自分の体の声を聞けていなかったわけだ。

 自分、ここちよいですかー
 食べたいもの食べてますかー
 着心地の良い服きてますかー
 あついですかーさむいですかー満腹ですかーひもじいですかー

 あー聞いてなかった。無視してた。ごめんよ自分。すまんね自分。
 あんまり無視してると、耳をかたむけてもなんにも言わなくなる体。
 今はひたすら、しんどそうに横たわる体。

 そういう、頭の都合にむりやり合わせた体の負担は、「自然な」ケアではもうどうしようもないのだと思う。相当不自然な体なんだと思う。

 出産のときもそうだった。

 なるべく自然なお産がいいな、なんて思ったけど、陣痛促進剤をつかわない出産ドキュメンタリーを見て萎えた。微弱陣痛が70数時間・・・死んでしまう。
 結局陣痛促進剤ばんばん点滴されて促進されまくって産んだ。それでも死にそうだったけど。
 妊娠時も「とにかく歩きなさい」と医者に言われたけど、ついついなまけて甘やかした。そのツケとして子宮口固く促進したのに陣痛8時間。自然なお産なんか自分には無理だと思った。

 自然だったというか、自然しかなかった昔がよかったというわけではない。
 母体も新生児も死亡率はきっと下がっているはずだから。

 それにしてもずいぶん自然を切り売りしてしまったな。

 クーラーのない夏は考えられない。車がないと生活できない。電気とガスがないと湯も沸かせない。

 便利な生活はそれを経験するともう手放せなくて、やったこたないけど麻薬のようだね。

 原発が止まると便利な生活とひきかえになるけどそれでもいいのか、という脅しもあるよね。

 あーこんなに不自然なことになっていたんだなあ。


 一度には無理かもしれないけど、自然を取り戻すにはどうしたらいいだろうか。

 自分の中の自然。砂漠のような自然に水をやる。
 調子の悪いときだからこそこういうことを考える。

 元気になっても忘れないように書いておく。
 自分の中の自然の言い分をよく聞こう。
 頭だけでは生きていけない。

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