2007年4月21日 (土)

蹴りたい背中

ご存知、2004年芥川賞受賞作だ。
作者の綿矢りさは当時19歳、史上最年少受賞ということでずいぶん話題になったのを覚えている。


前世で何があったのか知らないが、
賞、とか、名誉、というものに訳もなく腹立たしい自分がいる。従って、どんなものにしろ賞をとりたがってる人間を見るのも腹が立つ。それがなんぼのもんじゃいと唾する気持ちが常にある。そしてそれは、無冠の自分への劣等感の裏返しであることをいやというほど感じている。昔っからそうだった。だから、ベストセラーも大嫌いだったし、日の射さない方へ日の射さない方へと根を伸ばし、こんなわたしになっていた。


そんなひねしょぼったわたしもええ大人になり、劣等感こそ消えないが、賞を取るものにはそれなりの理由があることをやっとこさ認めることができるまでにはなった。


「蹴りたい背中」が文庫になっていた。


本屋で立ち読みして、理由が分かった。
380円出して買って帰って続きを読んだ。

ああ、こうだった。中学、高校、こんなふうにこうだったよ。しかし、その自分のありようをこんなふうに書き下すことができるほど強くはなかった。むしろそんな思いを早く上書きしてしまいたくて日々を重ねて薄めていった。

あの時の自分がこう聞いていたこう触れていたというのを、こんなに。
これを才能というのだろうと思った。


文章というのはおそろしくて
人のたましいをあからさまに写すような気がしてならない。こうして不用意に書いているこんなものにも、わたしのよこしまな心が漏れだしてシミを作っているような気がしてならない。だからといって書くのを止めようとも思わない。どうして書いているのだろう。誰のため?何のため?わからないけどこれだけは言える。書いている時だけ息ができるんだ。

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2007年1月25日 (木)

「不都合な真実」を見て、やる

きのう、フジグラン緑井のTOHOシネマズ緑井で
「不都合な真実」を見てきた。


あの、「地球温暖化」って言葉がいけないんじゃないかと思う。

温暖な気候、などというと、ぽかぽかとあったかく
気持ちいい感じがする。
地球が温暖化、なにがいけないの?という感じがする。

むしろ
「地球熱破壊化現象」とか
「地球大災害化現象」とか
もう、イタズラに「こわい!」と思わせるくらいの言葉が
ぴったりなんじゃないかと思った。

とにかく、いろいろな原因によって
CO2がものすごい増えている。
発電だったり、車の排気ガスだったり
貧困故の焼き畑だったり。
これが地球を覆って温室のようにどんどんあっためている。
スイスやパタゴニア、ほとんど氷河が溶けちゃった。
広島のスキー場も今年は営業できないくらい、暖かい。
南極や北極のものすごい氷が溶けている。
広島県どころか、四国くらいの面積の氷が
どんどんとけてどかーんと海に沈む。
科学者たちもその溶解スピードに息をのむ。
ちびちび浸食しある日どかーんと溶けて沈むのだが、
いつか
グリーンランドとか、北極の一部がどかんとなくなったら、
世界の水面は6m上がる。津波となって押し寄せるかも。
広島市は、中区、南区、西区、東区のほとんどが
海抜5m以下。
うちは確実に海に沈む。
いつなのか?どうなるのか?推測の域を出ないが
このままだと、いつかそうなる。
(というのが、ゴア氏の丁寧な説明と正確な観測結果で
 淡々と語られる。ことさら恐怖を煽るようなものはなく
 ただひたすら真実を伝える。それがこわい)

まっさかあ。

信じられない。

だったらどうすりゃいいの?電気使うな?
そんなの無理だ
どうしようもないじゃないの。

へーと知っても、なにもしない。

それで、私たちの親の世代は、きっとまだ大丈夫
畳の上で安らかに死ねるでしょう。

でも、わたしが60になったころ(もっと早いか?)
世界がある日激変し家を無くし食べ物をなくして
だれからも救援されず
サバイバルに適応するほどの体力も知恵も無く
後悔しながら死ぬことになるのかもしれない。

そのころ息子は今のわたしくらいで
ただ生き延びることすら難しい世界を
生きなくてはならないのかもしれない。

そんなのはいやだ。
息子も、社会に影響を持つ仕事をして夢を持ち
気持ちのよい山や川や海で
愛する妻や子と弁当ひろげてゆっくりできる
そんな当たり前のことが当たり前である世界を
存続させねば。


一番の敵は、「無力感」と「あきらめ」だと思う。
フロンガスだって規制できた。
やってできないことはない。

ただひたすら、C02排出をくいとめること。
どうすりゃいいんだ?
と思って「ハチドリのひとしずくーいま、私にできること」
を読んだ。
日本のC02排出は約40%が産業、20%が運輸、
13%が家庭からのものだといわれている。
でも、産業のつくりだすモノを消費し、運輸のサービスを
直接・間接的に利用しているのは結局わたしたち一人一人。
わたしたちが暮らしの中で起こす変化が
産業のあり方や社会のあり方を変え
それがどんなにささやかに見えても
確かに地球を冷やすことにつながる、とかいてあった。

たとえば、

日本人は一人一日平均7000gのC02を出しているんだって。
C02 、どうやったら減らせるか

・3Km移動を車じゃなくて電車にすると 1200g減らせる。

結構減らせるな〜

・レジ袋1枚、マイバッグもってって断ると
 レジ袋作る過程で出るCO2 を 90g 減らせる。

スーパーでけっこう買物してると、積もり積もる数字だ。

・エアコンの設定温度を1度下げたら 150g減らせる。
・石油ファンヒーターの使用時間を1時間短縮すると 240g減る。

電気代の節約=C02の削減なわけね。こりゃうれしいわい。

例えば、輸入の食べ物も輸送の際にCO2を出す。
フードマイレージキャンペーン 参照
http://www.food-mileage.com/


・オーストラリア産アスパラ1本、国産に変えると 340g減らせる。

地産地消、近くで採れた旬のものを食べるってのが
おいしいし体にもいいしCO2も減らせる。
しかし、スーパーには全国の名産品や輸入食品がいっぱい。
自給でききれない日本は輸入に頼らないといけないらしいけど、
そう?
わたしたちの口が、知らず知らずそうしてるだけじゃないか?

これだけ、ざっと足しても、えーと 2020g減らせることに。

京都議定書の一日一人あたりの目標は 1500g減らすこと。

案外、そう大変じゃあ無いのだった。

今日から、上記の項目、やりますよ。
息子の将来の「環境貯金」です。
学資保険よかよっぽど大事かもよ。

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2005年7月21日 (木)

こどもの絵本、ちょっとすごい

息子が産まれてから、絵本をいただいたり買ったりすることが増えた。

不思議なもので、今までさっぱり忘れていたのに、本屋で突然お気に入りだった絵本を見つけることがある。

わたしが絵本を読んでもらったりしていたのはもう数十年前。なのにこうして本屋にあるなんて!

懐かしさもあって、息子にはまだ早いかなと思う絵本もついつい買ってしまう。

そんなこどものための絵本を長年編集されてきた福音館書店(現相談役)の松居直さんの手記を読んだ。(「編集とは何か」藤原書店)

こどもの本は、こどもが読むものなのに、大人が選んで買う。

ここに絵本の編集の難しさがあるのだという。

たとえば今でもベストセラーの『いやいやえん』、これを書いた中川李枝子さんは当時無名のひとだったけど、かつての絵本にはない文体だった。ぜひ絵本にしたくて、どうしてこんな文体ができるのかと尋ねてみたら、中川さんは保育園の保母さんだったのだ。

いつも子供の声をそばで聞いているから、イメージがはっきりしていて目に見えるような語り、そして息づかいがあるような文体がそこから産まれたのだ。

大人の視点で書かれたものではなく、こどもが読んで喜ぶものであることが大事、そのために文体と絵とのかねあい=「編集」が大事なんだと。

そして対談ではこうも話されていた。

今絵本を読んでいるこどもたちが大きくなった頃の未来には、今では考えられないようなことがおこっているかもしれない。少子化も歯止めがきかず、移民などの問題もある。

そんな世の中を生きるために、異人種、異文化、異言語をどう受け止めいかに共存共生するのか、そのための感性や知性を今のこどもたちの中で養い、将来に向けて備えをすること、これが絵本編集者の重大な課題である、と。

絵本を選ぶのに、それを読んで育つ息子の将来を考えて選んだことがあっただろうか。

「こどもだまし」なものを与えてはいなかっただろうか。

編集者の、こどもに対する愛と仕事に対する自負、すごいなあ。かっこいいなあ。

ここまで考えて絵本を作っている人の絵本、ぜひとも息子に読んで聞かせてやりたいと思った。

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