2009年6月16日 (火)

祝!「満旨イイ」

6/15(月)放送の「人生が変わる1分間の深イイ話」にて「茶の環」 の抹茶バターケーキ「しっとり仕立ての抹茶満月」が紹介されました。

そして、見事出演者全員からの満「旨イイ」が!
駿河園 大淵社長もガッツポーズ!よかった!

しかしテレビで紹介されるとものすごいことになるんですね。

“年内出荷できるだけの数量がすべて売り切れてしまうというほどの事態”
“注文できない方からの問い合わせメールも数千件”
だそうですよ。おそろしい・・・
抹茶満月以外の抹茶スイーツも軒並みすべて完売。

なんでかここのブログも史上最高のアクセス数を叩き出しました。
どうやらYahooの「急上昇ワードランキング」から流れてきた方々のようです。
それにしても「急上昇ワードランキング」の1位は「駿河園」なんですが、同名の会社が東京にもあるらしく、そこがヒットしちゃうんですよね・・・こちらにもものすごいアクセスがあるようで、“ご案内 6月15日放送の日本テレビ系列『人生が変わる1分間の深イイ話』で紹介された「駿河園」は当社ではありません。”って書かれています。おつかれさまです・・・

※ちなみに「抹茶バターケーキ」の広島の駿河園さんはコチラ

テレビで有名人がウマイ!って言ったらどれどれーと食べてみたくなるのが人情です。
本気で作った本物の抹茶スイーツが、こうして多くの方に知られ、味わわれるのはよろこびです。

しかし、ものすごい最大瞬間風速は、さーーーーっと引いていってしまうのではないか。

メディアで話題になってあちこちに行列ができてものすごい買われていくいろんなもののように、大量生産して売り抜けるようなことがこの「茶の環」にはできません。

どの抹茶スイーツも、人の手が加減を見て丁寧に作っているからです。もちろん、だから旨いのです。

今回注文できなかったみなさま、どうか、注文が再開するまで気長にお待ちください。
そしていつかお手元に届いた時、こんな受注の嵐にもめげず、矜持を持って作り続けている「茶の環」の本気の抹茶スイーツを味わってみてください。

デビュー当時のまだ誰も知らないころから、こうして脚光があたった今も、「茶の環」は同じ思いで作り続けています。

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2009年6月15日 (月)

「茶の環」が紹介されます

ブランドの誕生からお仕事させていただいている
「茶の環」 の抹茶バターケーキ
「しっとり仕立ての抹茶満月」が、
6/15(月)放送予定の「人生が変わる1分間の深イイ話」で「うまイイもの」として登場します。

スタジオ収録に上京された社長様からはガッツポーズが。
さあ果たして「満イイ」(とは言わないのか)成るか!?

広島は実は全国でもワースト上位を競うくらい、お茶の消費量が少ない県です。
お茶の産地が県内にほとんどないことや、珈琲や紅茶の文化が進んでいることなど、いろいろ原因は考えられるのですが、そこで商うお茶屋さんはとても悩ましい。

お茶をあんまり飲まない土地で、どうやってお茶を売るのか。

株式会社駿河園の大淵社長は、知恵と機動力で商売を発展させておられます。

今から3年ほど前、「世の中の抹茶スイーツは偽物だらけや」と憤慨。
(お抹茶は製菓原料としては高いのでほんの少しだけ使い、あとはクロレラなどの色素や香料で抹茶たっぷりっぽくしてあるものが多いのです)
お茶屋の意地で、ほんまもんの、最高に美味しい抹茶スイーツを作る!として立ち上げられたのが “抹茶の、贅沢” 「茶の環」 だったのです。

産地ではないからこそ、全国どこの産地のお茶にも通じることができる。
また、京都・宇治で茶鑑定日本一に3度輝いた凄腕の茶匠との出会いもありました。

茶鑑定名匠・森田治秀さんは、抹茶は抹茶でも、そのスイーツに合う抹茶をブレンドし創り上げます。乳脂肪が多いチーズケーキに合う抹茶と、あんこに合う抹茶は違うのです。焼いてもなお鮮やかな色があせない有機抹茶をセレクトしたり・・・その素材との相性を見極めブレンドする技術には舌を巻きます。

その抹茶(高いんです・・・お濃いでいただいても十分美味い)をどさどさーっと贅沢に使うんですから、抹茶の香味はどんな抹茶スイーツにも負けません。

肝心の、スイーツの方も美味い。もともと美味しいチーズケーキやバターケーキに美味しい抹茶を合わせるわけですからね。
でも、粉末の抹茶を大量に使うことで、味のバランスや焼き上がりなど、ものすごく調整しなくては完成しなかったそうです。パティシエの方々は皆さん一様に「大変だった!」とおっしゃってました。

長くなりましたが、お茶屋の意地と茶鑑定名匠のプライドとパティシエの根性が三つ巴になった・・・なんだか書いてて暑苦しい感じですが、とにかく他にない抹茶スイーツです。

今度の番組ではどんなふうに紹介されるんでしょう。私も楽しみです。

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2009年6月 2日 (火)

猫にコピー

 買い物帰りの道をブラブラ歩いていると、民家隣接の駐車場に奇妙なものを見た。

 よくペットボトルに水を満たして並べてる家がありますね。
 あれは一体何のためなのかと思っていたら、猫よけだそうだ。

 で、その駐車場にもペットボトルが大量に並べてあったのだが、そのペットボトルの口部分にかわいらしい猫のイラストが描かれたプレートが設置されていたのだった。
 手書きではなく既製品。色とりどりのかわいらしい猫ちゃんの顔がずらっと並んでいる。
 その数から察するに猫に粗相されて相当困ってるんですよね?なのにこの可愛らしいイラストは何?猫大好き?これで猫が警戒するとでも?? 説明がつかない感覚に戸惑う。

 そしてイラストに並んで、
 「うんち禁止」
 と書かれたプレートまであった。

 字が読める猫がうんこするんだろうか。

 なんでもそのプレートにはイヌやネコが嫌う天然抽出エキスのマイクロカプセルが塗布されているらしく、「うんち禁止」はイヌを散歩させる飼い主に向けてのメッセージであるらしい。
 そうと分かれば納得なのだが、知らずに見た時の違和感を、以前にもどっかで感じたことがある。

 そうだ、デパートのトイレだ。

 女性のトイレの個室には、流水音などの擬音装置がある。
 音消しのためのムダな水を流すのを防ぐため、いまではどこの個室にもその擬音装置が設置してある。
 たいていの擬音装置は、自分でセンサーに手をかざしたりボタンを押したりして音を流すのだが、そこは個室に入ったとたん、音が流れはじめた。

 その音は、トイレを流すフラッシュ音ではなかった。
 さらさらと流れる小川のせせらぎに、ピーピピピピッ、という鳥の鳴き声が聞こえてきた。
 つかのま、緑豊かな渓谷を思う。

 さて座ってその音を聞いていると、ある一定の秒数の録音が繰り返されているのに気がついた。ピーピピピピッ ピヨピヨピヨ、ピーピピピピッ ピヨピヨピヨ、ピーピピピピッ ピヨピヨピヨ、
 なんだか落ち着かなくなってきた。

 この鳥はいったい何と鳴いているのか。

 美しい声でさえずる鳥は、たいがい雄らしい。
 繁殖期を迎え、縄張りの主張と求愛のために鳴くのだそうだ。

 ナニヒトンチニズカズカハイッテキトンジャコラ、ナニヒトンチニズカズカハイッテキトンジャコラ、ナニヒトンチニズカズカハイッテキトンジャコラ、

 なんだろうか。それとも

 オネーチャンカワイイネヨメサンニナッテ、オネーチャンカワイイネヨメサンニナッテ、オネーチャンカワイイネヨメサンニナッテ、

 なんだろうか。

 意味が分からないものを、なんとなく与えられることの居心地のわるさ。

 きっとあの駐車場で用を足す猫もどことなく落ち着かないに違いない。


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2009年4月 1日 (水)

時間の尺度


先日とある会合に出席した時のこと。
NPO創設記念懇談会ということでちょっとフォーマルな会。知った人もおらずどこに座ろうかときょろきょろしていたら、知人の日本画家F氏の顔が見えたので隣に座る。

F氏とは知り合ってかれこれ20年になる。わたしにとっては日本画家というよりも奇才音楽人だ。もともと兄と知り合い、兄妹で一緒にライブしてもらったりしていた。先日も氏の演奏するテルミンライブを兄と見に行ったところであった。

最近なにしてんの?という話で、いま大学の広報に講師として通ってるんですよ、と話すと、奇遇だね、ぼくもその大学に通ってんの、と言う。
えー、何してるんですか?と聞くと、「ん?解剖」。
解剖!?
「ほら」と、研究生と書かれた学生証も見せてもらった。
つまり、人体の構造を解剖学的に学んでいる、ということだ。
美術解剖学という学問もあるそうだ。しかし現役アーティスト本人が実際に解剖しているというのはあんまり聞いたことがないような。

そして氏は鉛筆をとりだし、会のプログラムの余白にしゅるしゅると走り書きをはじめた。
「・・・・これ頸椎。上から順に書いてる。これが骨盤。ここにヒレ肉があって・・・これは頭蓋骨。下から見ると・・・こうなってる」
そこにはみるみるヒトの骨格が現れていく。
すごい・・・これは・・・現代版の「幽霊図」ができますね。
通ってどのくらいになるんですか?
「6年」。
へー、その成果でなにか作品にされたんですか?
「うん、まだ」。
骨格がすべて頭の中で再現され、360度自在に動かせるようにイメージできるまではね、という。人体の構造は複雑で、もうちょっと早くできるかと思ったら案外時間がかかる、と。
こともなげに飄々と語るF氏のそばで、わたしはひそかにびっくりした。
なにも成果をあげない6年。

一方で氏は、インターナショナルに展開する東京のラグジュアリーホテルのアートプロジェクトに参加し、貴賓室に作品が収められていたりする。
そういったお仕事はプレゼン用に何号の絵を明後日までに、というタイトなスケジュールと条件で展開するらしい。そうやってきちんと実績を積まれている。

「解剖でやりたいのは、花鳥風月じゃないものなんだよね」。

収益をあげることと、死ぬまでにやり遂げたいこと。
ひとりの人の中に、違う時間が流れている。

ついつい目先のことに囚われるわたしにとって、
なにも成果をあげない6年は重かった。
というか、
なにも成果をあげない6年があってもいいのだ。
それはとても勇気づけられることだった。

それをずっと抱いていられるかどうか。
放り投げてしまえばすぐ冷えて、二度と孵らなくなってしまう。
わたしの胸の中に卵はまだあたたかであるだろうか。

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2009年2月14日 (土)

サーフィンで何度も波から落ちるように

サーフィンはしたことないのだが、おそらくそんな感覚で
掴めてきた感覚がある。

たぶん、そんなこと当たり前に知っていたのに、頭で考えて忘れていたのだと思う。

話しているその瞬間、じわっと涙がでる
そういうことが一瞬でもあると、たいがいそれは上手くいく。
それどころか、思わぬミラクルが起こる。


そういう瞬間に出会わないのは、出会いにいかないからだ。
机の上で考えているからだ。
そういうときはたいがい苦い思いをする。

生きていればいろんな苦いこともあって、今はその苦い波から何度も落ちながら思い出す時なんだろうと思う。

今を幸せにしよう。そのために知恵をしぼろう。
なによりも大切なのは、笑いながら進むことだ。

まとまらないけど、忘れないうちに書いておきたかったので。

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2009年1月 8日 (木)

新しい年のごあいさつ

Sunari2009_4


あたらしい年がはじまりました。
今年もどうかよろしくおねがいいたします。

昨年は、対話によっていろんなことに気がついたり、思い出したりした一年でした。

スナリとなって今春で3年、
そもそも、スナリとは何者か。
肩書きは何なのか。何屋なのか。
そんなものは何だっていいと思っていました。今も思っています。

しかしそれは説明不足で、何ができる人なのかよくわからないということでもある。わたしをよく知る人が誰かに紹介してくださる時も、「えーと、」と説明に困られる。



仕事のはじまりは、広告会社からでした。
その会社は少数精鋭、すべてのスタッフがクリエイティブもアカウントも行い、広告だけにとどまらず、深夜のベルト番組を企画制作してもいました。
東京でつくったんだろうと思っていたCMをその会社がつくっていると知り、そこで仕事がしたいと入社を希望しました。
しかし、新卒ノンキャリアに給料を払いつつ教育する余裕はないと断られ、アルバイトでもいいからと手紙を送り、ちょうど空いた経理担当のポストなら、ということで入社したのでした。
社会人のマナーもままならないひよっこをよく採用してくれたものです。
経理を担当することで会社や社会の仕組みがなんとなく分かるようになりました。
経理だけで済むはずもなく、雑用はなんでもしました。
いつのまにか社長やスタッフとその仕事の動向に一番詳しくなり、必要な物を過不足なく渡すことができるようになりました。
この頃鍛えられたこの経験は財産だと、今になって思います。
そのうち経理だけでなく、先輩の仕事をフォローするようになり、やがて何社かのクライアントを担当し、広告制作のディレクションや、媒体計画・出稿管理、パブリシティ対応、イベント企画・実行まで広告周りの仕事の端から端までやりました。ハンドマイク片手に群衆を並ばせたり司会したりチラシ配ったり取り立てに行ったり・・・いろんなことやった。

残念ながらその会社は解散となったため(業績不振ではなく)当時の社長につれられて新しい会社に移り、インターネットのサーバー構築、サイト企画制作の仕事に携わるようになります。

ここでの仕事は「通訳」だった。クライアントとシステムエンジニアそれぞれの「言語」が全く通じない、機能しない。その間でやりたいこととできることの擦り合わせをしつつ、最善を目指す仕事でした。

数年して、やってみたいことがあった。
それは広島でいちばんいいなと思う雑誌の編集でした。編集長に手紙で直訴し、加えていただけることになりました。
編集の仕事は、これまでの仕事と全く違うようでいて実はすべて内包していると思いました。カメラマン、ライター、スタッフ、取材先、あらゆる人とよいコミュニケーションをとらなくては前に進めない。とても勉強になりました。



そして、3年前の春、独立してスナリになりました。
スナリはかつての、こういう仕事でできています。



昨年、新たな仕事や試みもありました。
サイエンスカフェのファシリテーターをやらせていただいたり、
お煎茶の美味しさ楽しさを体験していただく「お茶遊び」をやることになったり、
ますます「何屋?」度は増しています。

でも、今はぜんぶ自分の中でつじつまが合っていて、どれも自分の仕事だと思えます。

今やりたいことは
知ること、わかること、それで新しい喜びを獲得すること、
それがよい感情を生み、充実した暮しになり、よい社会になること。
そのための力になりたい。

最近思うことは、誰かの力になったり役に立ったりすることは、
力を持つ人でなくてはできない、ということ。
それに足りる自分であるかと自問します。

ことしもよい力を。

みなさまにとっての1年も、素晴らしいものでありますように。

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2008年10月17日 (金)

らしさを味わう


先日、東広島市・西条で行われた「酒まつり」に行ってきました。
今年で6年目を迎えるこのお祭り、年々盛り上がって今年は3日間で22万人もの来場があったそうだ。県外、首都圏からの来場も多いと聞く。
しかしわたし、恥ずかしながら初参加。とあるお招きを受けたので行くことにしたのだった。

広島にはとてもいい蔵がたくさんある。
なかでもこのあたり(安芸西条)は灘(兵庫県)伏見(京都府)とならんで日本三大銘醸地とうたわれている。
「醸華街(じょうかまち)、西条」っていい響きでしょ。
しかも吟醸酒をはじめて醸したのは安芸津の杜氏・三浦仙三郎氏だ。
灘で醸造技術を学ぶが、灘と違って広島の水は軟らかい。そこで研究を重ね発酵力の弱い軟水でもうまい酒をつくることのできる醸造法を確立したのだそうだ。ありがとう三浦さん、おかげでうまい酒が飲めます。

ということで初日の土曜、息子の運動会あがりでJRに飛び乗り西条へ。

駅を降りたとたん、もう酒の香りがただよう。
駅も、蔵通りもすごい人だ。これみなぜーんぶ酔っぱらいだと思うとなんて平和なんだと嬉しくなる。みんな笑顔、行き交う人みんな友だち、そんな感じ。
あちこちですでにのびてる人もいて、救急車のサイレンが止まない。飲み過ぎ注意。

いや、飲み過ぎますよそりゃ。あちらこちらで振る舞い酒。こちらは濁り、あちらは樽酒。小さなコップでくいくいあおりながら、美味しそうな屋台ひやかしてそぞろ歩く。

「あのね、どこか蔵が見たい」と同行の彼女が言う。
はいはいそれではと、老舗・賀茂鶴さんの蔵へ。

Photo

秋晴れに似合いますとも白い蔵。

そこでもはいどうぞーとじゃんじゃん振る舞い酒。
おおきなタライで冷やした酒がサーバーでかっぽかぽとリズミカルに注がれていく。

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ん?
ガラス棒のストッパーを押し上げると酒が注がれる仕組み。
このサーバーは何??

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「ああ、これは昔紅茶を注ぐのに使っとったそうです。ここにこうガラスの器をはめて、氷を入れて冷やせるようになっとるんです」。

紅茶サーバー!なんて優雅な。
こういう大きな蔵には、こうした迎賓用のお宝がたくさんあるんだろうなあ。

Photo_4

蔵の前では、樽酒の菰巻き実演があったり、蔵人たちが「造り唄」を歌いながら樽を担いでそぞろ歩いたり。酒造りのロマンをしみじみ感じる。

さて同行の彼女がまたもやリクエスト。
「さっきね、竹のコップ持った人がおっちゃって。それどこです?って聞いたら、賀茂泉って。行ってみたい」。

はいよろこんでー。

いやするどいね。賀茂泉もほんとに美味いです。
でも彼女は酒のうまさではなく、「竹のコップ」に惹かれたのだった。
竹酒=美味そう
しかしこれはすごく大事なことだなと思った。

賀茂泉には昭和4年に建てられたレトロな洋館・酒泉館があって、その奥が広場になっている。そこで竹酒が販売されていた。
美しく組み合わされた高—い青竹が空にのびる。そのてっぺんから酒を注ぎ、下からサーバーでコップに注ぐ。竹のコップは大小いろいろ自分で選べる。きっちり1合量って竹のコップに注いでくれる。
ただ青竹の中を通過するだけなので、竹筒で煮た酒のように青竹の香りはしない。
だけど見た目が美味い。竹のコップで飲む行為が美味い。

そばでは、竹べらに味噌をぬって炭であぶったものを売っている。香ばしい香りについつい手が伸びる。もろみ味噌にゴマ、ナッツ、あたりめ、生姜などなどを混ぜて摺ったなめ味噌だ。ちょんと載った柚子がたまらん。これで酒が進む進む。
チーズをスモークしていて、あつあつとろとろのをその場で食べさせてくれた。
これはほんとに御馳走だ。

タダで酒が飲める祭り、だからこれほど盛り上がるのかと思っていたがどうやらそれだけではないのだと知った。

普段あまり蔵に行くことなんかないが、祭りのときは気軽に見せてもらえる。
そこで、真剣勝負の酒造りをしている杜氏さんや蔵人さんの姿を見ることができ、彼らからその酒をついでもらえる。
へー、ここでこの酒が生まれたんだー。
いただくまでの物語を感じるからこそうまい。
いいでしょ、美味しいでしょ、お酒、いいでしょ。
蔵の人々のそういう思いに感じてジンとくる。


さてだいぶんいい気分になっていよいよ本陣へ。
前売り1300円、一度入ったら二度と出られない(うそ。しかし再入場不可)「酒ひろば」。
なんと日本全国から900銘柄もの酒が勢揃い。すべて利き酒がし放題だという夢のような広場である。
入り口で全国出展銘柄一覧パンフレットを渡されるが、酔っぱらいの集中力にはつらすぎる文字群だ。各蔵からのひとことコメントに愛を感じる。

さてお呼ばれの席はどこか、あ!あそこだ。
広場のほぼど真ん中にブルーシート。
「吟遊科学者」のN先生がいい感じにゆれていた。

そこには。


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圧巻。
学生さんたちが朝7時から並び、先生のチェックされた銘柄をもれなくゲットし、紙コップにその酒の名を書いたものが、全国津々浦々分、あったのだった。しかもどれも朝のうちになくなってしまう人気名酒ばかりだ。

「来年は日本地図の上に紙コップを配置したらいいんじゃないかと思うんですよ」。
学生諸君の滅私奉公、もとい、研究魂に乾杯。
N先生、ご馳走さまでした。

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2008年10月 3日 (金)

持てば持つほど重くなる

新しく動き出したこと、改めて試みること、
いろいろ自分に課題ができたここ数ヶ月。
すると、足らないものが見えてくる。
むしろ足らないものばかりで
あわてて補完するべく勉強する。いつもにわか勉強だ。

しかし知ることには際限がない。
知恵は連綿と続いて今日に至る。
知るべきことのどんどん源流に向かう。
深く潜りすぎて水面を見失う。

プハーーーーー!

バランスを欠いては溺れます。

何のために入れるのか。出すためだ。
出力する回路がさびてしまう。
出したり入れたりどちらも同時にしなくては。
吸うように、吐くように、自由に。

わたしの仕事は人がぐっとくる瞬間をつくることで、
そのためにはその瞬間を見逃さないようにしなくてはならないわけで、自分の心の揺らぎに目をつむってはいけないのだと思う。
頭だけで考えて知識を貯えたとしても魅力的な瞬間は半分しかつくれない。

淡々とつくったものをみて、魅力的か?と自問する。
もっとなんか欲望がむき出しのもののほうがぐっとくるんじゃないか。
もう考えただけでそわそわするようなものじゃないと
人は動かないんじゃないか。

しかし欲望をむき出しにするのが難しい。
いつもクールにコントロールする癖がつまらなくする。



ぜんぶ捨てて走り出したい。

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2008年8月26日 (火)

確かな進化


ちょっとはずしてお盆休みをいただいて、九州をまわって来ました。
久住、阿蘇、由布院。

Aso_3


温泉にも浸かり倒してきました。
塚原温泉(日本一の鉄含有量、超酸性湯)
壁湯温泉(川のそばの洞窟からこんこんと湯が湧く露天風呂)
奴留湯温泉(水流を感じるほどのかけ流し、透明で美しい硫黄泉)
地獄温泉(足下から湧く「すずめの湯」白濁硫黄泉)
赤川温泉(滝を見ながら入る白濁コバルトブルーの冷硫黄泉約16℃)
長湯温泉(九州初源泉掛け流し宣言の湯。鉄分多い炭酸線)
七里田温泉(ガス濃度で“日本一危険な温泉”炭酸しゅわしゅわ温泉)

このあたりはそこらへんを掘ればすぐ温泉が出るのではないかというほどの温泉密集地帯なのだが、ちょっと場所が違うだけでこれだけの泉質のバリエーションがある。極端な話、同じ宿の内湯と露天で泉質が違ったりするのだ。
生きてる大地のマグマに熱せられこんこんと湧く湯の中に沈むと、
自分も自然の一部なのだとしみじみ思う。


さて、旅の締めくくりに由布院で一泊した。
何度訪れてもいい、大好きな場所。
近年メインストリートは商業観光地化が進み、一時期の軽井沢(行ったことないけど)みたいな感じになっている。海外からの観光客も多い。
それでも一本細い道を入ると、趣のある、ノスタルジックな風景や店がある。

目当てのひとつに、「桐屋」があった。
由布院美術館の一角にある、日本茶のお店である。
徹底した美意識でつくりあげられた店のしつらえもさることながら、提供されるメニューが素晴らしい。
店主が、急須をきりりと振り切り入れてくださるお茶の確かなこと。
茶托、茶碗、グラス、器もみな美しい。
お茶をこうしてまっとうに美しく美味しくいただける空間は至福だ。

さっそく行ってみると、閉まっている。
あれ?休み?
看板がない。 閉店していたのだった。

ショックだった。
あの美しかった場所が消えてしまった。
幻を見ていたような気分だった。

日本茶を提供することは、商いとして厳しかったのかなあ。

亀の井別荘のカフェ天井桟敷でお茶をいただきながら、考え込んでしまった。


宿に移動する前に、最近新しくできたお店をのぞいた。
「由布院 市の坐」。
結豆腐、と書いてある。豆腐料理のお店のようだ。

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中をのぞくと囲炉裏が見えて、そこに見覚えのあるパッケージがあった。
あれ、「桐屋」のお茶じゃない?

ランチでもディナーでもない時間で入り口も閉じている。
中を伺っていると、桐屋のご主人が出てこられたのだ。
(きりりと体躯のいい男前、間違いない)
「あの、桐屋さんですよね?」思わず話しかけた。
桐屋に伺ったのだが、もうお店がなくなっていて・・・

「ああ、桐屋に来ていただいたんですか・・・どうぞ、お茶を入れましょう」
そう言って、中に招いてくださった。

古い豪農の民家といった作りの中はゆったりと広く、入り口から続くおおきな囲炉裏のある畳の部屋に上がらせてもらった。

しばらくして、美しい翡翠色のとろりとした煎茶が運ばれてきた。
ああ、美味しい。

今年の1月で桐屋を閉店し、5月にここを開いたのだそうだ。
桐屋が軌道にのって3年、そろそろ次の展開を考えていたのだという。

「この古民家は、富山から移築しました。区画整理の対象になっていて、壊してしまうかどうか、2週間で返事をしろと言われました。それで、決断をしたんです。
ここを開くにあたって、桐屋ももってくるつもりだったんです。隣の駐車場に。設計図もあるんです。でも、桐屋もここも一人で見ると、どっちも中途半端になってしまう。桐屋は僕がいないとできないものにしてしまった。ここはそうじゃなくて、自分の右腕を育てたいと思っています。それができたらやがて、桐屋をまたはじめたい。
再開するからには、前よりもっとちゃんと凄いものにしたいと思っています」。

桐屋は決して苦しくて閉めたんじゃなかった。
日本茶じゃ商売にならない、そう思われないためにも、
ぜったいにまた桐屋はやりたいとご主人は語られた。

日本茶はほんとうに繊細な飲み物だ。いれるのも難しい。
桐屋でお茶を入れるにも、提供できるストライクゾーンの中を日々微妙にぶれるのがよくわかったと言う。
だから、こわがってお茶を入れるひとがいない。
でも入れないと上手にならない。
日本茶を提供する難しさがそこにある。

でも、日本茶の美味しさをなんとかして伝えたい。
「それはもう、情熱だけです」。
市の坐でも、食後に美味しいお茶が出せるようにしたいと話されていた。

よかった。
幻ではなかった。
今はなくても、やがてまたもっと素晴らしいものに出会える。
ご主人との会話になんとも勇気づけられ、すばらしいもてなしをいただいたのだった。


帰宅して、市の坐のことをネットで調べてみると、ある人のブログで紹介されていた。
市の坐プロジェクトには、由布院御三家といわれる「山荘 無量塔」と、由布院NO1の骨董店「五体投地」が強力な助っ人として参加されているとのことだった。

この骨董店は、たぶん、あの店だ。
昔、息子妊娠中の初秋に来たとき、電話で予約をして訪問した店だ。
何でその店を知ったのか記憶が定かではないが、たいそう緊張して行った。
金鱗湖の近くにある建物の半地下で、看板も出ていない。
そこにはもう、どうしてこんなに私が欲しいものがこれだけ集まっているのかと思うほどのものばかりあった。当時、中国茶だの煎茶だのにはまりにはまって、茶道具をせっせと集めていた。でも骨董は高い。
その店の茶道具は、洗練されていてほんとうに美しい品々だった。もちろん高い。
手がでないけど、なめるようにしげしげ眺めていると、ご主人がいろいろと教えてくださった。いつの時代のどういうもので、本来はこういう道具だがこんなふうに使うと楽しいよね、と。夢中になって話した。2時間くらいはいただろうか。
龍の柄の煎茶碗をすこし安くしていただいた、のに迷って買わなかったのが今でも悔やまれる。

今回もその場所を通ったのだが、もう当時の面影もなく、色とりどりの商品が並ぶ店になってしまっていたので、これまたなくなってしまったかと残念だった。
そうか、移転されていたんだな。


こうして、情熱と意識の高さが人を呼び、
静かに、でも確実に、すばらしいものを形作っている。

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2008年8月 5日 (火)

正しいことを大きな声で

八丁堀交差点の温度計は、午前中だというのに36度。
ヒロシマの夏は毎年暑い。

夏になると広島の街には平和があふれる。
それはもう、息苦しいほどだ。

カーステレオの音をかき消すような轟音が響く。
政治団体の街宣車だ。
でかいバスをスペシャルカスタマイズした黒々とした車には団体名が踊る。
どうしてこぞって勘亭流(フォント名。大相撲的なやつ)なんだろう。

街にはいろんなポスターが貼られる。
「戦争と平和展」
「ヒロシマ大行動」
来場や行動を呼びかける熱いメッセージが記される。

「いまこそ立ち上がり闘おう!」
闘ってどうすんの。
利害の対立を生み出してどうする気だ。

「世界が平和でありますように!」
「核兵器廃絶!」
「ノーモアヒロシマ!」
太いゴシック文字が黒々と叫ぶ。

正しいことだ。大事なことだ。
だけど、声高に叫べば叫ぶほど、
耳を塞ぐようにうつむきながら、日差しをさけて皆歩く。

ハチロクが近づくとよそもんが増える。
経験してみんもんがわからんくせに、お祭り騒ぎで。
声にしない冷たい感情。

平和、って言うだけでうさんくさい。
どうしてそんなことになってしまったんだろう。

伝える、ということに無頓着すぎる平和ばかりだ。

と、評論するだけのわたしがいちばん罪深いということ。
避けては通れないこと。

被爆当時31歳だった祖母は、12年前に亡くなった。
詳しいことはなにも聞けなかった。聞かなかったからだ。
6歳だった母に、先日やっと話を聞いた。
しかし
子どもだった母の記憶はたよりなく、そこからどう生活を立て直していったのかは祖母や曾祖母に聞かないとわからないことだった。
後悔は最小限にしたい。

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2008年7月24日 (木)

GATEをひらく


前回の「時が来る」を読まれた方々から、思わぬ反響がありました。
「辞めないで」とか
「出家でもすんのか」とか。
いえ、辞めたり出家したりしませんのでご安心を。

だけど、たしかに、ハンドルを切りつつあります。

今、あたらしいことのために、対話を続けています。
かたちになれば、ご覧いただけると思います。
今は私の中の、胎動をご覧ください。



今日、緑井のフジグランにあるTOHOシネマズ緑井にて
マット・テイラー監督 「GATE」という映画を見てきた。

2005年7月、星野村に灯し続けられてきた「原爆の火」を、
世界最初の原爆実験の場所である、アメリカ・ニューメキシコの“トリニティーサイト”に戻し、そこで消し去ることで60年前にひらいた破滅の輪を閉じ、永遠に眠らせるために祈りの行脚をする日本の僧侶たちを追ったドキュメンタリー。

昨年夏、「原爆の火」というタイトルで公開されたが、以下の経緯でタイトルが変わったらしい。
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映画「原爆の火」をみた小林武史さんは、この映画の内容に強く感動、そして共鳴してくださり、思いをこめて「GATE」という映画の主題歌を制作してくれました。この主題歌にマット・テイラーは非常に感銘をうけ、人の心を開く「GATE」であり、映画からのメッセージをアウトプットするポジティブなエネルギーを感じてほしいと、タイトルを変更することとなりました。
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核兵器解体基金HPより)

今年7月19日より全国ロードショー。
この映画や絵本「ランタンとつる」の収益は、GND Fundの核兵器解体作業に使われるという。



「祈るだけでは平和にならない」
とよく言われる。
生まれた場所に戻すことで負の連鎖を断ち切るという
観念的な行為が、なんのためになるのか
そんなもので核兵器が廃絶するとでも思っているのか

そういうことは、なにも核兵器廃絶だけじゃなくて
日々いたるところで聞かれる。

スーパーで買い物袋を断って南極の氷が溶けるのを防げるのか
人にやさしくしたところで無差別殺人は防げるのか
人を人と思わない仕事と会社にもの申したところで何か変わるのか

ひとはよわい

大きな問題の前に、自分の無力さをしみじみと噛む。

そんなことをしたって、なんになるんだ
わたしひとりが、がんばったところで

どうせ、

そういう、よくわかった発言が
いろんなものを失活させ、目をつむらせ、最悪の闇に飲まれるにまかせる。

それがいちばん怖いことだ。

ドキュメンタリーとはいえ映画である。
そこに作為や映像に写らないものもあると思う。
しかし、「アホちゃうか」と言いながら話を聞く人々の心が少なからずひらいていく様子には真実があると思う。

祈るだけ願うだけでは叶わない。
大きな力を持とうとしなくてもいい。
となりの人にまず話すことからでいい。


願いは、その量や強さではなく、
いかに詳細かが叶う力になる。

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2008年7月10日 (木)

時が来る

ここ最近、不思議な再会や巡り合わせが続いている。

それは、偶然ではないのかもしれないと思う。



前の会社で世話になっていた先輩から突然電話があった。
花見以来だ。
なんのお誘いかと思ったら、たこ焼きパーチーだった。

缶ビール手みやげに伺うと、もうくるっくる焼けていた。
入れ替わり立ち替わり、いろんな人がいて、バカ話で大笑いした。

昼間っから飲むビールは最高だ。
スペシャル具入りたこ焼きも最高だ。

弛緩しきって飲んでいると、帰り際に
「そんな話で呼んだんじゃないで」。

おまえ、わかっとるんか?
そこに灯をともすのは、おまえじゃ。
おまえしかおらんじゃろうが。

こんこんと、言われた。


ああ、同じことを先日、違う人からも言われたのだった。


てきとーに、食えるだけ稼ぐことはできる。
それは失礼な言い方だが、仕事にてきとーにあたるのではなく、
個々の仕事には一心に取り組むとして、だ。
それ以外の、めんどくさいことには目をつむってきた。
なるべくかかわらないように、あきらめるように、息をひそめるように。

だけど、それを許してくれない。

時が来たのだ。
与えられた課題に、ちゃんと取り組みなさいと。

そうだとしか言いようがないシンクロニシティで
すべての偶然が起こる。

時に呼ばれている感じがする。

じゃあ

やろうと思う。


私に夢なんかないが、こうあるべきだと思う世界はある。

願いは、その量や強さではなく、いかに詳細かが叶う力になるという。

ディティール

わたしはそのとき、どんな顔をして笑うのか。

イメージは私をそこへ連れて行く。

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2008年7月 2日 (水)

ずっと考えてきたこと


昔の資料を探して、古いメールホルダーを引っ掻き回していた。
(パソコン何度も壊れたり買い替えたりしたけど、なぜかメールなどの履歴データごと無事に移行して今日に至っている)
そこであるメールを見つけた。
2002年、初夏。
それは、自分から自分にあてて出されたものだった。
なんの説明もなく、なにかの記事をコピーして貼付けただけのものだ。

メールのタイトルは「がんばれ」。
それはこんな内容だった。(全文引用します)

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「手に職のある人どうしが寄りあって、
 対等に仕事をしあう」
という意味ですか?
佐藤 はい。
つまり、自分の腕は職位なのだから、
どの会社にいっても通用するという
誇りを持つことができますよね?
会社を変わるたびに技術もあがり、
ステータスもあがっていというか。

このやりかたをしていくと、
秘密主義ではなくなるんですよ。
「俺の持っているワザはこれだよ」
と明確に伝えるから、
マネしたり意味なく隠したりするのは
とてもかっこわるいですよね?
それぞれの人がそれぞれのワザを生かしたり
磨いたり、主張したりする・・・。

ある会社やある地域だけに埋もれていた才能が、
いろいろな場面で生かされるようになれば、
ほんとうにすばらしいですよね。
できればそれがビジネスになれば、
それぞれの職能が、必要な時に必要なだけ、
十分に生かされるはずです。

トップクリエイターたちと仕事をしていると、
実はその変化は、もうすでにはじまっていることを
ことあるごとに実感する機会が多いですね。
若い人と仕事をしていても、
そういう精神が浸透しはじめていることを感じる。
組織の縦わりがすでに崩れている様子は
「あとは表札のかけかえをいつ現状にあわせるか」
というぐらいの状態になっていると思います。

だから、フラットにやりたいのにやれないと
思っている若い人がいたとしたら、
大切なのは、変に開き直ったりスネたりしないで、
遠慮せずにやりはじめることではないでしょうか。
中にはわかってくれるオトナたちもいるし、
そういう奴・・・自分のことだけを
考えているのとはちょっと違うんだけど・・・
その気になって頑張っている奴を見ると、
助けたくなるのが人の常だと思いますし。

いまは分野を問わず、役職という意味ではない
ほんとうに才能がトップレベルの
「ひとかたまりの人たち」だけは
そういうやりかたで仕事を革新的に進めています。
だったら、ぼくは、そのひとかたまりの人たちと
なるべく多く仕事をする機会を持ちたいんです。


理屈っぽいことを言いすぎたり
発想をストップさせようとするような
変な異分子を入れないで、
好きなことだけを貫く力が強ければ強いほど、
一緒に商品を作る若いクリエイターは、おのずと
志の高いクリエイターになっていきますよね。
ある種がんこで、ある種無邪気な、
そんな人たちと仕事をしていきたいなぁと思います。

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もうこの佐藤さんがどこの誰なのかもわからない。

当時、言葉にならない思いがもやもやとあった私は、たぶんこの言葉を読んで
「そうだ」。
と思ったのだろう。自分が言葉にできない思いを、そう感じている人が確かに言葉で表明していることが嬉しかったのだろう。だから、自分で自分に向けて、改めてメールを送ったのだと思う。


今、6年の歳月を経て、タイムマシンにのってやってきたそのメッセージをまた受け取った。
「そうだ」。
6年その思いを胸にここまで来たのだ。
改めて自覚する。
だけど、当時と同じ自分ではない。
それに憧れているばかりの自分ではもうない。

いつまでも勉強中、準備中では、いつまでたっても始まらない。
血となり肉となった知識と今の体力で、立ち向かう。

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2008年6月19日 (木)

想うことのちから


もうずいぶん前、3月頃、土曜の朝、車の中で聞いたラジオ番組の話。

パーソナリティをつとめていたのは柴田淳という女性。

彼女が高校生のとき、ラジオで聞いて
すごい!
この人と一緒のステージに立ちたい!
一緒に歌いたい!と思い、
チケットをなんとか入手して行ったのが
塩谷哲というピアニストのコンサートだった。

時がたち、彼女はシンガーソングライターとしてデビューし、
夢かなって「私の夢」という曲を一緒にレコーディングできた、
という話だった。
もう、そのレコーディングは号泣だったという。

その塩谷氏との対談の中で、
「塩谷さんのピアノって、他の人の音と全然違うんです。
 なんか、マイクの概念がちがうというか・・・」
「うーん・・・
 ハンマーが弦をたたいて鳴らすでしょ、
 そこから空気の震えが部屋中に伝わっていくでしょ、
 それをマイクが震わせる・・・」
そんな会話だった。

想いの込めかた。
目に見えないものを震わせるイメージ。
ピアノを上手に弾く、という感覚ではなく
空気をどのように震わせるか
それがどのように伝わるのかを想う、そのすごさ。
高校生だった彼女が、すごい!と感じたのはそういうところだったのだろう。


そして塩谷氏が言う。
そのときの彼女からのファンレター、今でも持っていると。
名刺より小さい紙に思いの丈がびーーーっしり書いてあって、すごいなと思って捨てられなかったのだそうだ。

そのファンレターが直接のきっかけではないとしても、
その「想うちから」が、彼女をそこまで連れて行った。

見えないけれど、そこにあって
イメージして、よく届くように想うこと。

そのちからはあなどれない。
まじないでもお願いでもなんでもないけど
たしかにある。
絶対に再会したい、
絶対に一緒にしたい、
そう想い続ければ叶う。
わたしもそう信じているものの一人だ。

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2008年6月10日 (火)

目に見えないものの値段


この消しゴム100円です、というのは分かりやすい。
だけど、「目に見えないもの」にどう値づけるか。
それは売る方も買う方も悩ましい。

それでも標準的な“相場”というのは形作られる。

例えばデザイン料金は、(社)日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)が「制作料金算定基準」を作っている。
それは、作業料や経費の他に、質的指標(制作者の能力の指標)と量的指標(媒体のボリュームや達成目標)が勘案されて制作料金が算定される。
またそこには、「基本的にブレーンワークも立派な「作業」だという考えと、そのブレーンワークこそが付加価値を生むという考え」が確かに込められている。

もっとも、それは東京価格だから地方価格で、とか、予算や事情で算定通りになることはまあ「ほぼ」ないとしても、考え方の基準はそこにある。
(だけどほんとに企画料などから真っ先に値引き(踏み倒す勢いで)されてくので、見越して作業料や印刷費なんかにのっけざるを得ない、乗っけてるからまあしかたないですねと企画料を値引くからそれが当たり前になる、だから真っ当に企画料が請求できないというデフレスパイラルがもう止まらない)

デザインやコピーライティングはそれでもなんらかの「目に見えるもの」に完成するが、ディレクションやコンサルティングというのは形を成さないことが多い。

だからコンサルティング料金というのは、様々な料金メニューやコースが細かくあって、わざわざ「目に見えるもの」にして計上しているのだろう。

もちろんクライアントは「目標」があって依頼するわけで、
ディレクション料やコンサルティング料は、目標達成を担保するものである。
目標が達成できなければ、費用対効果的には、無駄な支出ということになる。

では、「目標があいまいな場合」はどうなのか?
「売り上げを○○万円にしたい」というのは目標のようであって目標でない。
“どうやって”そこに到達するのかのイメージが曖昧なままでは「目標」にもならない。

インタビューというのは、しばしば答えながら
「へえ、自分はそんな風に考えていたんだ」と改めて気づくことが多いのだという。

自分の頭の中だけで考えるより、誰かと話しながら考えた方がアイデアの飛躍が起こることも経験的に知られている。

だから、話をして、一緒に目標を探すところからはじめる。
なんとなくしかつかめていなかったイメージを、
はっきりと自覚し共有できるものにしていくことは、
価値あることだと思う。
わたしの仕事はほぼそこだけにあるとも思う。

それがいくらなのか。

とても難しい値段ではある。

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