ちょっとはずしてお盆休みをいただいて、九州をまわって来ました。
久住、阿蘇、由布院。

温泉にも浸かり倒してきました。
塚原温泉(日本一の鉄含有量、超酸性湯)
壁湯温泉(川のそばの洞窟からこんこんと湯が湧く露天風呂)
奴留湯温泉(水流を感じるほどのかけ流し、透明で美しい硫黄泉)
地獄温泉(足下から湧く「すずめの湯」白濁硫黄泉)
赤川温泉(滝を見ながら入る白濁コバルトブルーの冷硫黄泉約16℃)
長湯温泉(九州初源泉掛け流し宣言の湯。鉄分多い炭酸線)
七里田温泉(ガス濃度で“日本一危険な温泉”炭酸しゅわしゅわ温泉)
このあたりはそこらへんを掘ればすぐ温泉が出るのではないかというほどの温泉密集地帯なのだが、ちょっと場所が違うだけでこれだけの泉質のバリエーションがある。極端な話、同じ宿の内湯と露天で泉質が違ったりするのだ。
生きてる大地のマグマに熱せられこんこんと湧く湯の中に沈むと、
自分も自然の一部なのだとしみじみ思う。
さて、旅の締めくくりに由布院で一泊した。
何度訪れてもいい、大好きな場所。
近年メインストリートは商業観光地化が進み、一時期の軽井沢(行ったことないけど)みたいな感じになっている。海外からの観光客も多い。
それでも一本細い道を入ると、趣のある、ノスタルジックな風景や店がある。
目当てのひとつに、「桐屋」があった。
由布院美術館の一角にある、日本茶のお店である。
徹底した美意識でつくりあげられた店のしつらえもさることながら、提供されるメニューが素晴らしい。
店主が、急須をきりりと振り切り入れてくださるお茶の確かなこと。
茶托、茶碗、グラス、器もみな美しい。
お茶をこうしてまっとうに美しく美味しくいただける空間は至福だ。
さっそく行ってみると、閉まっている。
あれ?休み?
看板がない。 閉店していたのだった。
ショックだった。
あの美しかった場所が消えてしまった。
幻を見ていたような気分だった。
日本茶を提供することは、商いとして厳しかったのかなあ。
亀の井別荘のカフェ天井桟敷でお茶をいただきながら、考え込んでしまった。
宿に移動する前に、最近新しくできたお店をのぞいた。
「由布院 市の坐」。
結豆腐、と書いてある。豆腐料理のお店のようだ。


中をのぞくと囲炉裏が見えて、そこに見覚えのあるパッケージがあった。
あれ、「桐屋」のお茶じゃない?
ランチでもディナーでもない時間で入り口も閉じている。
中を伺っていると、桐屋のご主人が出てこられたのだ。
(きりりと体躯のいい男前、間違いない)
「あの、桐屋さんですよね?」思わず話しかけた。
桐屋に伺ったのだが、もうお店がなくなっていて・・・
「ああ、桐屋に来ていただいたんですか・・・どうぞ、お茶を入れましょう」
そう言って、中に招いてくださった。
古い豪農の民家といった作りの中はゆったりと広く、入り口から続くおおきな囲炉裏のある畳の部屋に上がらせてもらった。
しばらくして、美しい翡翠色のとろりとした煎茶が運ばれてきた。
ああ、美味しい。
今年の1月で桐屋を閉店し、5月にここを開いたのだそうだ。
桐屋が軌道にのって3年、そろそろ次の展開を考えていたのだという。
「この古民家は、富山から移築しました。区画整理の対象になっていて、壊してしまうかどうか、2週間で返事をしろと言われました。それで、決断をしたんです。
ここを開くにあたって、桐屋ももってくるつもりだったんです。隣の駐車場に。設計図もあるんです。でも、桐屋もここも一人で見ると、どっちも中途半端になってしまう。桐屋は僕がいないとできないものにしてしまった。ここはそうじゃなくて、自分の右腕を育てたいと思っています。それができたらやがて、桐屋をまたはじめたい。
再開するからには、前よりもっとちゃんと凄いものにしたいと思っています」。
桐屋は決して苦しくて閉めたんじゃなかった。
日本茶じゃ商売にならない、そう思われないためにも、
ぜったいにまた桐屋はやりたいとご主人は語られた。
日本茶はほんとうに繊細な飲み物だ。いれるのも難しい。
桐屋でお茶を入れるにも、提供できるストライクゾーンの中を日々微妙にぶれるのがよくわかったと言う。
だから、こわがってお茶を入れるひとがいない。
でも入れないと上手にならない。
日本茶を提供する難しさがそこにある。
でも、日本茶の美味しさをなんとかして伝えたい。
「それはもう、情熱だけです」。
市の坐でも、食後に美味しいお茶が出せるようにしたいと話されていた。
よかった。
幻ではなかった。
今はなくても、やがてまたもっと素晴らしいものに出会える。
ご主人との会話になんとも勇気づけられ、すばらしいもてなしをいただいたのだった。
帰宅して、市の坐のことをネットで調べてみると、ある人のブログで紹介されていた。
市の坐プロジェクトには、由布院御三家といわれる「山荘 無量塔」と、由布院NO1の骨董店「五体投地」が強力な助っ人として参加されているとのことだった。
この骨董店は、たぶん、あの店だ。
昔、息子妊娠中の初秋に来たとき、電話で予約をして訪問した店だ。
何でその店を知ったのか記憶が定かではないが、たいそう緊張して行った。
金鱗湖の近くにある建物の半地下で、看板も出ていない。
そこにはもう、どうしてこんなに私が欲しいものがこれだけ集まっているのかと思うほどのものばかりあった。当時、中国茶だの煎茶だのにはまりにはまって、茶道具をせっせと集めていた。でも骨董は高い。
その店の茶道具は、洗練されていてほんとうに美しい品々だった。もちろん高い。
手がでないけど、なめるようにしげしげ眺めていると、ご主人がいろいろと教えてくださった。いつの時代のどういうもので、本来はこういう道具だがこんなふうに使うと楽しいよね、と。夢中になって話した。2時間くらいはいただろうか。
龍の柄の煎茶碗をすこし安くしていただいた、のに迷って買わなかったのが今でも悔やまれる。
今回もその場所を通ったのだが、もう当時の面影もなく、色とりどりの商品が並ぶ店になってしまっていたので、これまたなくなってしまったかと残念だった。
そうか、移転されていたんだな。
こうして、情熱と意識の高さが人を呼び、
静かに、でも確実に、すばらしいものを形作っている。
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