凍るか、煮え立つか
先日、ある方と久しぶりに食事。
そこで、直接説教、というのではないが
かなり喝をいれられた。
で、おまえはどうするの?と
わたしは迫られているように感じた。
それはうすうす、自分でも考えていたことでもある。
幾度か会社を辞め、いくつかの会社に勤めた。
そして独立して、いまはひとりである。
辞めた理由はその当時様々にあったが、
衝動に近いものに突き動かされて
今に至っていることは確かだ。
ひとりになって、会社に属するメリットとデメリット
改めてよく分かる。
なんといっても、誰のせいにもできない
今の状況は潔い。
どうなっても、すべて自分のせいなのだ。
自分以外の誰かに煩わされていた頃に比べて
精神衛生上この上なくよい。
しかしひとりのさみしさも身にしみる。
会社にいたときには、たとえコミュニケーション不足
(あるいは不能)のスタッフばかりだったとしても、
自分以外に目があり耳があり、
なにかしら情報が出入りしていた。
ひとりになったとしても、会って話せばいいことだ
と思っていたけれど、
いやあお元気ですか調子はどうですか
という話しをしても
ほぼ何の風も吹かないと知る。
話しをする=仕事をする
仕事をしないとなにもはじまらないのである。
そんなことがしみじみと分かってきたころ
自営する夫にふと漏らすと、
「なにをいまさら。
ひとりでやるってことは、
恐ろしく自由で孤独なんだよ」
ひとりで仕事をする物理的心理的体制も
ようやく整ってきた今、
宙ぶらりんのぬるま湯のなかで
じっとしている自分を知っている。
そこに、冒頭の出来事。
ここでこのままじっと待って
凍るのか、煮え立って喰われるのか、
それとも、
とびだしていくのか。
すべて自分で決めることではある。
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コメント
>凍るのか、
>煮え立って喰われるのか、
>とびだしていくのか。
もうひとつ
元に戻る
という選択肢はないでしょうか?
-復帰を切望している元同じ釜の飯ビト-
投稿: 同じ釜のメシ | 2006年6月30日 (金) 09時32分
同じ釜のメシさま
ありがとうございます。
そう言っていただける方がいらしゃることが
うれしいです。
また、お手伝いできることがありましたら
いつでもお声をかけてくださいね。
よろしくお願い致します。
投稿: はなみ | 2006年7月 7日 (金) 12時25分