春の旅、山口県・仙崎
仙崎は、山口県の北、日本海に面した小さな漁師町。
かつてここで「金子みすゞ」という童謡詩人が生まれ育った。
「木の間に光る銀の海」に
「竜宮みたいに浮かんでる」とみすゞが書いた美しい町だ。
思想の自由を高らかに謳い、一握りの知識人のものだった
文学が広く人々のものとなった大正時代、
『赤い鳥』『金の星』『童話』などの童謡童話雑誌が
相次いで創刊された。
全国の少年少女たちはそれを読んで胸躍らせ、
空想の世界に遊び、
自作の詩を憧れの雑誌にこぞって投稿したのだった。
みすゞもその一人だった。
20歳のとき、作詩をはじめて1ヶ月で投稿した詩が
4誌すべてに選ばれ掲載された。
心の師と仰いでいた西条八十に選ばれ推薦の言葉をもらった
みすゞの感激はどれほどだっただろう。
それからも次々と投稿を続け、毎月何編もの詩が掲載され、
「若き童謡詩人中の巨星」とまで絶賛された。
読者の共感も呼び、投稿詩人たちのスターにまでなった。
その、みすゞの詩を育んだのが仙崎という町である。
江戸時代から捕鯨の基地として有名だった仙崎は、
「鯨一頭捕れば七浦にぎわう」と言われたように栄えていた。
鯨の漁獲量を誇る一方で、鯨の子どもや胎児の命まで
奪ってしまうことを悲しみ、鎮魂のための鯨墓をたてた。
鯨に戒名までつけて供養したのだった。
そういう土地柄、生きるもののそばに死を見いだし、
見えないところに存在を感じることができたのだろう。
(金子みすゞの詩の転載には厳しい許可が必要なので
ここには出さない)
金子みすゞ記念館、一階・商品館。
二十歳の頃のみすゞが店番をしていた本屋を再現。
ここで数々の童謡雑誌の世界に出会う。
金子みすゞ記念館、二階。
みすゞの部屋を再現したもの。
ここに座り、よく下の通りを眺めていたんだという。
この小さな文机に座って書いたものを、
郵便で送る時の不安と胸の高鳴り。
そしてそれが全国誌に活字となって掲載され、
書店に並ぶ不思議。
夢が夢であって夢でないように、夢中で書いたのだと思う。
しかし、23歳で気の進まぬ結婚をし、
相手の女遊びで離婚話が持ち上がるも妊娠しており、
娘を産む。
夫から郭病をうつされ体調を崩し、寝込んでもなお
書こうとするみすゞに夫は一切の作詩を禁じる。
かたことを話す娘のかわいらしい言葉を書き留める、
ただそれだけが心のよりどころだった。
やっと離婚が成立したが、
親権は男にある時代、娘を渡せと夫が言う。
小鳥の羽根をむしり、喉をつぶし、
どうやって生きろというのだろう。
写真館に行って遺影を撮り、桜餅を買って、
娘を風呂に入れて歌をいっぱい歌って聞かせ、
娘の寝顔を見届け、自死した。26歳だった。
みすゞさん、
そういう時代だったのかもしれないけれど、
死んじゃだめです。生きてほしかった。
あなたがおばあさんになった時の詩も
読んでみたかった。
名前も詩もその存在も忘れ去れていた彼女が
「甦り」を果たしたのは昭和58年のこと。
児童文学者を目指していた大学生・矢崎節夫氏が
一編のみすゞの詩に魅せられ、16年もの歳月をかけて
“みすゞ探し”をしたことで、
やっと遺稿集が見つかったのだった。
それから、教科書に載ったり
ドラマになったり
いろんな国の言葉に訳されたり
かんたんな言葉でほんとうのことを伝える
みすゞさんの心は今もいろんな人の心と共鳴し続けている。
おまけ
「放すなよ、絶対放すなよ」
「もちろんっす」
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