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2007年8月 6日 (月)

黙祷


8月6日
広島、朝、8時15分

今から62年も前の話しだ。

目をつむって、わたしは、
ああ、おばあちゃん、おかあさん、
と思う。


祖母はいつものように出勤しようとしていて
広島駅近くの橋の上で被爆した。
「ピカッと光って、ドカンとゆうて、
 凄い勢いで吹っ飛ばされて、こんどは吸い寄せられた」
毎年、気丈な祖母はその時のことを話してくれたけど
怖くてちゃんと聞けなかった。
祖母の身体にはケロイドが残っていて、
V字ネックのシャツのかたちがくっきりと
服を着ていた肌だけが綺麗だった。
「○○小町」と呼ばれた別嬪だったそうだが
顔も焼かれた。
「まひげ描くのがやねこい」(眉描くのが大変)
と笑っていたけど、わたしは笑えなかった。

そのとき5さいだった母はやけどはしていない。
だけど、焼け野原を、おかあちゃんを探して歩き回って、
という話しを聞いた。

どうやって祖母と母はあのときのヒロシマのどこで再会し、
祖母も、母も、どうして死なずにすんだのか、
詳しくは聞いていない。
聞いたかもしれない、毎年毎年この時期になると
思い出したように話してくれたのかもしれない。
でも怖くて怖くて、聞いたかもしれない記憶に
ふたをしている自分がいる。

もしかしたら、
わたしは生まれてこなかったかもしれないのだ。


祖母は、12年ほど前に亡くなった。
母もめっきり老けて、体力に自信がないと常々言う。

黙祷の意味がわからない息子は、3さい。
でも、そろそろちゃんと教えないといけないと思う。
それには、母から、ちゃんと聞かないといけないと思う。
だけど、怖くて聞けない。
聞けば、
母の中に眠っていたあの日の、5さいの母が、
えーんえーんと、また泣き出しはしないかと
そっとしておいてやりたいとも思うからだ。

もうあんまり時間がない。


今朝の平和公園は薄曇りで、参列者には涼しくてよかった。
支持を失った首相の言葉が虚ろに流れる。


62年経って、緑も濃く、ビルもいっぱい建った。
ここが焼け野原だったなんて、信じられないと
来る人はみんな言う。
だけど、
あの日の傷を負ったままこの地で生きている人が
そしてその子が、孫が
願うことの力は
信じていいと思う。

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コメント

広島に来て、8月6日この日を6回迎えました。
他県から来た私は、身近に被爆者はいませんでした。
恥ずかしいことですが、子供の頃は「なぜテレビ中継するんだろう?」と思っていました。
広島に嫁いで親族に被爆者がいて、初めて理解することが出来ました。
義父が見聞きしたことを私にも聞かせてくれました。
怖い話ですが、どうぞちょびクンに話してください。

私は広島に来て本当に良かったと思います。命について深く考えることができたのですから。

投稿: ichigo | 2007年8月 6日 (月) 17時57分

私は広島に来て、「テレビの中の8月6日」が現実のものになりました。テレビに映る風景、光、熱。
子供を持つ機会にこの地に住まえたのは貴重なことと理解しています。

投稿: mio | 2007年8月 6日 (月) 23時23分

ichigoさま
渋谷の若者のほぼ100%が8月6日が何の日かピンと来なかったそうです。風化、ということばがぴったりだと思いました。
こうして知っているものが黙ってるのは罪かもしれません。

mioさま
肌で感じるものは大きいと思います。
大義名分はわからないが、怖い、その感じが
こっそりと進む意識の風化を止め、
こっそりと核をためしてみたい人たちへの
抑止力になるのではないかと思います。

投稿: sunari | 2007年8月10日 (金) 17時35分

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